◇第九十一話◇母の迷い
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「もう食べなくていいの?」
訊ねた母親に、曖昧な返事をしたジャンは、手作りの弁当を半分ほど残して、ベッドのヘッドボードに背中を預けて座り、窓の外をじっと眺めていた。
病室の窓からは、調査兵の姿どころか、緑ひとつも見えない。
青い空がただ広がっているだけだ。
でもその向こうに、微かに聞こえてくる忙しい調査兵達の声を、必死に探しているのだろう。
「えー、もったいなーい。
なら、私が食べますね。お母さんのお弁当すごく美味しいから。」
嬉しそうに、ジャンの手元から弁当を取り上げて、フレイヤが自分の膝の上に置く。
彼女のおかげで、病室が明るくなっているようにも思えるけれど、何かが違う気もするのだ。
どうしても、あの日、真夜中に見たなまえの姿がチラついて離れない。
比べるわけではないけれど、ジャンの母親が共感できるのは、なまえの方だった。
今日も、フレイヤは、ベッド脇の椅子に座って、楽し気にジャンに話しかけ続ける。
ジャンのことがよほど好きなのだろう、と見ていれば分かる。
だが、ジャンの方は、心ここにあらずで適当な相槌を打つばかりで、視線は覚束ない。
『目が覚めたのは、なまえさんのおかげじゃありません。
ご両親の想いが届いたんですよ。そこを横取りするみたいにやってきた人殺しに
大切な息子さんを奪われてもいいんですか?これから、苦労することは目に見えてるのに。』
長い昏睡状態から目覚めたジャンが医療兵達の診察を受けている間、病室を出て待合室で待っていたキルシュタイン夫妻に、フレイヤが言った言葉が蘇る。
その度に、その通りだ、自分達は間違っていない、と言い聞かせてきた。
でも、ジャンを見ていると、自信が、なくなるのだ。
息子のためにと思ってした決断は、本当に正しかったのだろうか———。
もう二度と近づくなと言われて、悲しそうに去っていく小さな背中を知ったら、ジャンはきっと、傷つくだろうから————。
「失礼します。」
コンコン———扉を叩く音の後、返事をすれば、顔見知りになった医療兵が部屋に入ってきた。
今から、検査をするということだったので、今日はもう帰ることにする。
まだジャンと一緒にいたかったと名残惜しそうにするフレイヤを連れて病室を出た。
医療棟の外を歩いて兵門に向かう途中、いつものように訓練場の様子が目に入る。
そこにはもう、なまえの姿はない。
訓練の時間は終わったようで、朝の活気が嘘のようにシンと静まり返っていて、淋しい雰囲気が漂っている気がした。
「ジャンとなまえさんを別れさせるのは間違いだったのかもしれない。」
無意識に立ち止まり、訓練場を眺めていると、心の奥でずっと思っていたことが、声になって漏れてしまっていた。
ハッとしたときには、フレイヤが、隣で悔しそうに唇を噛んでいた。
「間違いなわけありません!
あの人は、頭も良くて優しいジャンさんをいいように利用してたんですよ!
仕事だって、ジャンさんに押し付けてばかりで、自分では何もしてなかったんですから!
あんな事件がなくても、いつかジャンさんは、過労で倒れてましたよ!」
「そうだったね。」
「なまえさんは、ご両親や団長達のおかげで、おとがめなしなだけなんです!
でも、いつまた、怖ろしい事件を起こすか分からない!その時、ジャンさんと結婚なんてしてたら
苦労するのは、ジャンさんですよ!」
「そうよね。」
フレイヤが、どれほどジャンのことを想って言ってくれているのかは、わからない。
ジャンへの恋愛感情が、自分以外の女を彼に寄せ付けたくないという気持ちを働かせているのは間違いないだろう。
それでも、ジャンの母親は、フレイヤの言葉を聞きながら、安心していったのだ。
人は誰でも、重大な選択に迫られたとき、必死に答えを出すけれど、正解は結末が訪れるまで分からない。
だからそれまでは、頭では悪い方向へと向かっていることに気づいていても、自分は間違っていなかった、と思いたいのだ。
自分が息子のためにした選択が、どうか間違っていませんように———。
そう願いながらも、今からでもまだ遅くないのかもしれない、という思いが消えない。
そもそもなまえは、本当に人殺しなのだろうか。
会ったことのあるなまえは、明るくて柔らかい笑みが印象的な、とても優しい娘だった。
まさか、自分の身勝手で人殺しをするような娘には、どうしても見えない。
それに、仲間の命を守るために必死に訓練をする彼女が、〝飽きた〟なんて理由で人を殺すだろうか。
分かっているのだ。なまえは、自分でそうだと認めた。きっと、そうなのだろう。
それでも、頑なに信じないジャンのことを想うと、そうであってほしくないと願ってしまう。
「見送りはここまででいいよ。
フレイヤちゃんも、任務頑張ってね。」
「はーい!また明日!」
フレイヤが明るく手を振る。
明日も、訓練をしないでジャンのそばにいるつもりのようだ。
本当に、大丈夫だろうか———そう思いながらも、敢えて指摘はせずに、ジャンの母親も軽く手を振って背を向けた。
フレイヤの言葉と、苦しんでいるジャンの様子、そして、ジャンの母親の知っているなまえが、頭の中でグルグルとまわる。
これでよかったのだと自分に言い聞かせては、なまえが人殺しではないことを願ってしまう。
なまえが、自分は人殺しだと認めたあの日から、堂々巡りだ。
でももし、2人を引き離すというのが間違った選択ならば、そこを謝り訂正してでも、息子に正しい選択をしてほしい———それが、人間ではなく〝母親〟の想いだった。
訊ねた母親に、曖昧な返事をしたジャンは、手作りの弁当を半分ほど残して、ベッドのヘッドボードに背中を預けて座り、窓の外をじっと眺めていた。
病室の窓からは、調査兵の姿どころか、緑ひとつも見えない。
青い空がただ広がっているだけだ。
でもその向こうに、微かに聞こえてくる忙しい調査兵達の声を、必死に探しているのだろう。
「えー、もったいなーい。
なら、私が食べますね。お母さんのお弁当すごく美味しいから。」
嬉しそうに、ジャンの手元から弁当を取り上げて、フレイヤが自分の膝の上に置く。
彼女のおかげで、病室が明るくなっているようにも思えるけれど、何かが違う気もするのだ。
どうしても、あの日、真夜中に見たなまえの姿がチラついて離れない。
比べるわけではないけれど、ジャンの母親が共感できるのは、なまえの方だった。
今日も、フレイヤは、ベッド脇の椅子に座って、楽し気にジャンに話しかけ続ける。
ジャンのことがよほど好きなのだろう、と見ていれば分かる。
だが、ジャンの方は、心ここにあらずで適当な相槌を打つばかりで、視線は覚束ない。
『目が覚めたのは、なまえさんのおかげじゃありません。
ご両親の想いが届いたんですよ。そこを横取りするみたいにやってきた人殺しに
大切な息子さんを奪われてもいいんですか?これから、苦労することは目に見えてるのに。』
長い昏睡状態から目覚めたジャンが医療兵達の診察を受けている間、病室を出て待合室で待っていたキルシュタイン夫妻に、フレイヤが言った言葉が蘇る。
その度に、その通りだ、自分達は間違っていない、と言い聞かせてきた。
でも、ジャンを見ていると、自信が、なくなるのだ。
息子のためにと思ってした決断は、本当に正しかったのだろうか———。
もう二度と近づくなと言われて、悲しそうに去っていく小さな背中を知ったら、ジャンはきっと、傷つくだろうから————。
「失礼します。」
コンコン———扉を叩く音の後、返事をすれば、顔見知りになった医療兵が部屋に入ってきた。
今から、検査をするということだったので、今日はもう帰ることにする。
まだジャンと一緒にいたかったと名残惜しそうにするフレイヤを連れて病室を出た。
医療棟の外を歩いて兵門に向かう途中、いつものように訓練場の様子が目に入る。
そこにはもう、なまえの姿はない。
訓練の時間は終わったようで、朝の活気が嘘のようにシンと静まり返っていて、淋しい雰囲気が漂っている気がした。
「ジャンとなまえさんを別れさせるのは間違いだったのかもしれない。」
無意識に立ち止まり、訓練場を眺めていると、心の奥でずっと思っていたことが、声になって漏れてしまっていた。
ハッとしたときには、フレイヤが、隣で悔しそうに唇を噛んでいた。
「間違いなわけありません!
あの人は、頭も良くて優しいジャンさんをいいように利用してたんですよ!
仕事だって、ジャンさんに押し付けてばかりで、自分では何もしてなかったんですから!
あんな事件がなくても、いつかジャンさんは、過労で倒れてましたよ!」
「そうだったね。」
「なまえさんは、ご両親や団長達のおかげで、おとがめなしなだけなんです!
でも、いつまた、怖ろしい事件を起こすか分からない!その時、ジャンさんと結婚なんてしてたら
苦労するのは、ジャンさんですよ!」
「そうよね。」
フレイヤが、どれほどジャンのことを想って言ってくれているのかは、わからない。
ジャンへの恋愛感情が、自分以外の女を彼に寄せ付けたくないという気持ちを働かせているのは間違いないだろう。
それでも、ジャンの母親は、フレイヤの言葉を聞きながら、安心していったのだ。
人は誰でも、重大な選択に迫られたとき、必死に答えを出すけれど、正解は結末が訪れるまで分からない。
だからそれまでは、頭では悪い方向へと向かっていることに気づいていても、自分は間違っていなかった、と思いたいのだ。
自分が息子のためにした選択が、どうか間違っていませんように———。
そう願いながらも、今からでもまだ遅くないのかもしれない、という思いが消えない。
そもそもなまえは、本当に人殺しなのだろうか。
会ったことのあるなまえは、明るくて柔らかい笑みが印象的な、とても優しい娘だった。
まさか、自分の身勝手で人殺しをするような娘には、どうしても見えない。
それに、仲間の命を守るために必死に訓練をする彼女が、〝飽きた〟なんて理由で人を殺すだろうか。
分かっているのだ。なまえは、自分でそうだと認めた。きっと、そうなのだろう。
それでも、頑なに信じないジャンのことを想うと、そうであってほしくないと願ってしまう。
「見送りはここまででいいよ。
フレイヤちゃんも、任務頑張ってね。」
「はーい!また明日!」
フレイヤが明るく手を振る。
明日も、訓練をしないでジャンのそばにいるつもりのようだ。
本当に、大丈夫だろうか———そう思いながらも、敢えて指摘はせずに、ジャンの母親も軽く手を振って背を向けた。
フレイヤの言葉と、苦しんでいるジャンの様子、そして、ジャンの母親の知っているなまえが、頭の中でグルグルとまわる。
これでよかったのだと自分に言い聞かせては、なまえが人殺しではないことを願ってしまう。
なまえが、自分は人殺しだと認めたあの日から、堂々巡りだ。
でももし、2人を引き離すというのが間違った選択ならば、そこを謝り訂正してでも、息子に正しい選択をしてほしい———それが、人間ではなく〝母親〟の想いだった。