◇第九十一話◇母の迷い
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ハンジ達が訓練を再開したのを見送ったジャンの母親は、調査兵団の医療棟へやってきていた。
長い廊下に等間隔でおかれている窓の向こうからは、朝の光と共に、訓練や任務に励んでいる調査兵達の声が漏れている。
体力と傷が回復したら、ジャンの声も、混ざるようになるのだろう。
今は、とにかくおとなしく安静にしているのは、出来るだけ早く復帰するつもりだからだ。
息子のために作ってきた弁当を入れたトートバッグを握る手に力が入る。
「お母さん、今日のお弁当は何を作ってきたんですか?
いつも美味しそうな料理ばかりで、尊敬します~。」
今朝も、医療棟の前で待ってくれていたフレイヤとジャンの病室へと向かう。
毎朝、一緒にいてくれるけれど、彼女は他の仲間達と一緒に訓練や任務をしなくてもいいのだろうか。
心配してしまうのだけれど、自分は大丈夫なのだと笑うから、あまり強く言えずにいる。
「普通のものだよ。私も結婚するまではあまり料理をしてなかったからね。
フレイヤちゃんもお嫁さんになれば、きっとすぐできるようになるさ。」
「お嫁さんなんて、まだ早いです~。」
そういう意味ではなかったのだけれど———。
嬉しそうに頬を染めるフレイヤの勘違いを、敢えて正す必要性も感じられず、そのままにした。
ジャンが目を覚ました日から、彼女は四六時中ご機嫌だ。
いや、違う。彼女は、ジャンが眠り続けているときから、どこか嬉しそうだった。
その理由を、女として、なんとなくわかるような気もするし、理解できないとも思う。
ひどく長く感じたけれど、漸く、病室の前までやってきた。
でも、ノックをしようとして上げた右手が、なかなか動き出せない。
怖いのだ。もう、自分の息子は目を覚ましていると分かっている。
でも、この扉の向こうで、ジャンの心臓が止まっていたら———そんな悪い妄想に囚われて、足が竦みそうになる。
なまえも、そうだった———。
一度だけ、団長のエルヴィンの許可を得て、ジャンの母親は、真夜中に医療棟を訪れたことがあった。
意識のないまま眠り続けるジャンの看病をしてやりたかったからだ。
褥瘡が出来てしまわないように身体を動かしてやったり、汗を拭いてやったり、脳を刺激するために声をかけるのも大切なことだ。
眠っているだけでも、してやれることはたくさんあった。
だから、それが夜中だって、出来ることならしたかったのだ。
それから、家にいても、ひとりきりで病室にいる息子が不憫で、心配で、夜も眠れなかったから、それならそばにいたかったというのもある。
でも、辿り着いた病室の前には、なまえがいた。
他の患者を起こしてしまわないように、足音を立てずに静かに歩いていた廊下の奥から、見えてしまったのだ。
あのとき、なまえは、目の前の扉を開くことが出来ずに、不安そうに立ち尽くしていた。
彼女の気持ちが、痛いほどに分かって、声をかけることが出来なかった。
数秒、そうした後、なまえは、大きく深呼吸をしてから病室の扉を開いて中に入っていった。
止めるべきだったのかもしれない。
なまえのせいで、自分の息子が死の淵を彷徨ったのだ。本当なら、近づけたくない。
でも、ジャンの母親に出来たのは、病室の扉をそっと開けて、中の様子をうかがうことだけだった。
なまえは、ジャンの母親がしたかったことの全てをしていた。
甲斐甲斐しく、ジャンの身体を横に向けては、背中をさすったり、タオルで拭いていた。
そして———。
『ごめんね…。』
ジャンの手を握りしめて、なまえが悲しそうに何度もそう呟くのだ。
一体、彼女は何を謝っていたのだろう。
自分のせいで怪我をさせてしまったことか。それとも、過去の過ちなのか———。
「開けないんですか?」
フレイヤに声をかけられて、ハッとしてすぐに気を取り直す。
物思いに耽り過ぎていたようだ。
今は、なまえのことを考える時ではない。
ジャンのことだけを、考えよう。
長い廊下に等間隔でおかれている窓の向こうからは、朝の光と共に、訓練や任務に励んでいる調査兵達の声が漏れている。
体力と傷が回復したら、ジャンの声も、混ざるようになるのだろう。
今は、とにかくおとなしく安静にしているのは、出来るだけ早く復帰するつもりだからだ。
息子のために作ってきた弁当を入れたトートバッグを握る手に力が入る。
「お母さん、今日のお弁当は何を作ってきたんですか?
いつも美味しそうな料理ばかりで、尊敬します~。」
今朝も、医療棟の前で待ってくれていたフレイヤとジャンの病室へと向かう。
毎朝、一緒にいてくれるけれど、彼女は他の仲間達と一緒に訓練や任務をしなくてもいいのだろうか。
心配してしまうのだけれど、自分は大丈夫なのだと笑うから、あまり強く言えずにいる。
「普通のものだよ。私も結婚するまではあまり料理をしてなかったからね。
フレイヤちゃんもお嫁さんになれば、きっとすぐできるようになるさ。」
「お嫁さんなんて、まだ早いです~。」
そういう意味ではなかったのだけれど———。
嬉しそうに頬を染めるフレイヤの勘違いを、敢えて正す必要性も感じられず、そのままにした。
ジャンが目を覚ました日から、彼女は四六時中ご機嫌だ。
いや、違う。彼女は、ジャンが眠り続けているときから、どこか嬉しそうだった。
その理由を、女として、なんとなくわかるような気もするし、理解できないとも思う。
ひどく長く感じたけれど、漸く、病室の前までやってきた。
でも、ノックをしようとして上げた右手が、なかなか動き出せない。
怖いのだ。もう、自分の息子は目を覚ましていると分かっている。
でも、この扉の向こうで、ジャンの心臓が止まっていたら———そんな悪い妄想に囚われて、足が竦みそうになる。
なまえも、そうだった———。
一度だけ、団長のエルヴィンの許可を得て、ジャンの母親は、真夜中に医療棟を訪れたことがあった。
意識のないまま眠り続けるジャンの看病をしてやりたかったからだ。
褥瘡が出来てしまわないように身体を動かしてやったり、汗を拭いてやったり、脳を刺激するために声をかけるのも大切なことだ。
眠っているだけでも、してやれることはたくさんあった。
だから、それが夜中だって、出来ることならしたかったのだ。
それから、家にいても、ひとりきりで病室にいる息子が不憫で、心配で、夜も眠れなかったから、それならそばにいたかったというのもある。
でも、辿り着いた病室の前には、なまえがいた。
他の患者を起こしてしまわないように、足音を立てずに静かに歩いていた廊下の奥から、見えてしまったのだ。
あのとき、なまえは、目の前の扉を開くことが出来ずに、不安そうに立ち尽くしていた。
彼女の気持ちが、痛いほどに分かって、声をかけることが出来なかった。
数秒、そうした後、なまえは、大きく深呼吸をしてから病室の扉を開いて中に入っていった。
止めるべきだったのかもしれない。
なまえのせいで、自分の息子が死の淵を彷徨ったのだ。本当なら、近づけたくない。
でも、ジャンの母親に出来たのは、病室の扉をそっと開けて、中の様子をうかがうことだけだった。
なまえは、ジャンの母親がしたかったことの全てをしていた。
甲斐甲斐しく、ジャンの身体を横に向けては、背中をさすったり、タオルで拭いていた。
そして———。
『ごめんね…。』
ジャンの手を握りしめて、なまえが悲しそうに何度もそう呟くのだ。
一体、彼女は何を謝っていたのだろう。
自分のせいで怪我をさせてしまったことか。それとも、過去の過ちなのか———。
「開けないんですか?」
フレイヤに声をかけられて、ハッとしてすぐに気を取り直す。
物思いに耽り過ぎていたようだ。
今は、なまえのことを考える時ではない。
ジャンのことだけを、考えよう。