◇第八十八話◇絶望の淵で見た優しい愛
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
どれほど走り続けたかは分からない。
疲れを知らない身体は、都合がよいのか、悪いのか、かなりの距離を、ジャンに休むことなく前に進めさせた。
「———!——…ン!・・・ジャン!!」
しばらくすると、自分の声すら聞こえないほどの虚しい静寂に包まれていた世界に、初めて、音が生まれた。
それは、ジャンの名前を呼ぶなまえの声だった。
「———!———!!」
ジャンも、負けずに声を振り絞る。
必死に、朝焼けへと向かって走りながらなまえの名前を呼んだ。
会いたい気持ちが焦りへと変わって、前のめりになって身体が倒れそうになるが、なんとか踏ん張って走り続ける。
「ジャン…っ!」
しばらく走り続けた後、優しく光りの広がる朝焼けの下に、なまえの姿を見つけた。
彼女は、泣いていた。
ひどく悲しそうに表情を歪め、涙を流しながら、それでも必死に、ジャンの元へ向かって走っている。
「———!」
ジャンは、なまえの名前を呼んだ。
なまえに触れる為だけに、ただがむしゃらに走った。
ここが〝生〟の世界ではないのならば、なぜなまえがいるのか。
疑問なら幾らでもあったはずだけれど、考える余裕はなかった。
ただ、なまえに触れたかった。抱きしめて、なまえの温もりを感じたかったのだ。
「ジャンっ。」
「なまえっ。」
なまえに触れた———その瞬間、ジャンの声が戻った。
触れた肩を引き寄せるようにして、なまえを抱きしめる。
「なまえ…っ、なまえ…っ。」
「ジャン…っ。」
「なまえ、なまえ…!」
存在を確かめるように、なまえの名前を何度も繰り返し、抱きしめる腕に力を込めた。
でも、抱きしめている感覚が、腕に伝わってこない。
触れているはずなのに、なまえの温度が、分からない。
恐くなって、さらに強く抱きしめてみるけれど、結果は同じだった。
抱きしめているのに、空気に触れているような感覚だ。
それが、自分を絶望させようとしていることには、すぐに気が付いた。
だから、心が諦めて、砕けてしまう前に、ジャンは急いだ。
「好きだ…!」
ジャンは、小さな子供の様に、ただ真っすぐに気持ちを伝えた。
カッコつけたセリフや、大人なぶった言い回しを考える余裕も、暇もなかった。
腕の中で、なまえがビクリと肩を震わせた。
温もりは感じないのに、なまえの身体が強張ったのは分かる。
なまえは、今、何を思っているのだろう。何と答えるのだろう。
考えれば考える程、ジャンが腕に込める力は強くなっていった。
早く、答えをもらって、緊張から解放されたい。でも、答えを知るのは怖い。
結局、なまえを抱きしめる今が続くように願いながら、しばらく待っていると、小さく息を吸う音が聞こえた。
その途端に、ジャンの緊張感が頂点に達する。
「私も…、好き…。」
「え?」
思わず、小さく空気が漏れるように、声が出た。
聞き間違いだと思ったのだ。
でも、なまえは続ける。
「ジャンが、好きなの…。誰より、好き。夢の世界も、ジャンがいないなら、もう見たいとも思えない。
大嫌いな現実も、ジャンがいれば幸せだと思える。
だから…、戻ってきて…。偽物のまま、消えちゃわないで…。」
ひとりにしないで…———最後に漏らした声は震えて、消えかかっていた。
なまえは、泣いているようだった。
抱きしめている腕の中で彼女が流す涙が、ジャンの胸元を濡らす。
すると、さっきまで、感覚が何もなかった胸元がじんわりと暖かくなったのだ。
温もりを、感じ、彼女から自分に向かう、ひたむきで、真っ直ぐな愛を思い知る。
それは、ついさっきまで、〝死〟という絶望に打ちのめされそうになっていたジャンの心が、希望を見つけた瞬間だった。
でも、その希望は、ジャンの心に悲鳴も上げさせる。
掴みかけた愛には、〝ここ〟では触れられないことを知っていたからだ。
「なまえ…っ。」
気づけば、なまえを抱きしめる腕に、力が入っていた。
痛いくらいに、なまえを抱きしめた。
やっぱり、抱きしめた感覚はない。
でも、なまえの涙で濡れる胸元だけは、ひどく暖かい。
確かに、なまえを感じる。彼女が自分に向ける愛を、感じる。
「好き…っ、好きなんだ…!ずっと、好きだった…!」
ジャンは、心のままに気持ちを伝えていた。
沢山のシチュエーションを準備した。素直にはなれないのにカッコつけたがある自分に出来る精一杯の計画だってあった。
でもそんなもの、一気にどうでもよくなった。
不安と寂しさで苦しんでいるなまえに、気持ちを伝えなければいけなかった。
少しでも、彼女に想いが届くように———。
「なまえ。」
なまえの頬に手を添え、ゆっくりと顔を上げさせる。
視線が重なれば、なまえの瞳から、大粒の涙が、ゆっくりと零れて落ちていった。
「ジャン…。」
なまえの頬は、涙でびしょ濡れだった。
でも、触れているのに、その感触は分からない。
泣いている彼女の涙を拭おうとしたけれど、指をすり抜けて、あとからあとから溢れて落ちていく。
それが、ジャンに焦燥感を与え、心臓が握り潰されそうなほどに苦しくなる。
でも、それを認めてしまったら、二度と触れられなくなるような気がして、なまえの唇に、自分の唇をそっと落とした。
柔らかい感触は、分からなかった。
何度も何度も触れたはずのなまえの唇の感触を思い出すことさえ出来ない。
悔しくて、悲しくて、虚しくて、叫んでしまいそうだった。
だから、それを誤魔化すように、なまえを抱きしめる。
「ジャン…、ごめんね…。私のせいで———。」
「なまえは?怪我、してねぇ?」
謝ろうとしたなまえの声に被せた。
大丈夫なのだろうとは思っていた。本当に心配したわけではないのだ。
ただ、なまえの謝罪は聞きたくなかった。
腕の中で、なまえがフルフルと首を横に振った。
その途端、心に重くのしかかっていた何かが落ちて消えていった。
「なら、よかった。」
なまえを抱きしめたまま、小さな耳元で、ホッと息を吐いた。
心配していないと思っていたはずなのに、不思議とひどく安心した。
壁外調査に出る度に、誰かが傷ついて、命を奪われていく。でもその度に、ジャンはいつも自分に言い聞かせていた。
なまえが無事ならいい———いつから、そうなっていたのだろう。
その度に、ジャンの胸に罪悪感を生むのに、毎回、そう思ってしまうのだ。
なまえさえ、笑っていれば、疑念だらけのこの世界も悪くないと思えた。
ジャンにとって、残酷な世界を生きる為に、なまえの笑みは、いつの間にか必要不可欠なものになっていた。
「ねぇ、ジャン…。」
「ん?」
小さななまえの声を聞きもらさないように、ジャンは耳を近づけた。
少しだけ、なまえが不安そうに肩を揺らした。
でも、数秒待っていれば、なまえが小さな声を漏らす。
「会いたいよ…。触れたい。」
抱きしめ合っているのに、キスまでしたのに、なまえはひどく切なく願っていた。
同じことを思っていたからこそ、ジャンの胸は、締め付けられそうだった。
「俺も。」
なまえを抱きしめて、弱い声を漏らす。
そばにいるのに、触れているはずなのに、なまえは、自分のいるこの世界で一番遠い場所にいた。
いや、遠い、とは違う。
なまえは、この世界にいない。
抱きしめているのに何も感じないから、そう思うわけではない。
ただ、心が理解してしまっているのだ。
今、自分となまえは、別々の時空の中にいる。
トーマス達の様子からすれば、まだ自分は死んではいないのだろう。でも、生きてもいない。
もしかすると、なまえは、ジャンが現実の世界に戻ってくるのを待っているのかもしれない。
そして、待ちきれなくなって、夢の世界を通して、呼びに来たのだろうか。
ジャンの推測は、間違っていない気がした。
だって、不思議な魔力を持っているなまえなら、そんなことが出来てしまいそうだ。
「いつ、起きるの?もう、夢はいっぱい見たでしょ?
早く…、戻ってきて…。私は、ジャンと一緒に、今を生きたい。」
「俺も。もう、戻るから。」
「本当?起きる?」
「起きる。すぐ起きるから、待ってて。」
「待ってるよ。ずっと、ジャンのそばにいる。
起きたときに、ジャンがすぐに私を見つけられるように、そばにいるから。」
「約束な。」
ジャンは、身体を少しだけ離すと、なまえの顔の前に小指を出した。
「うん、約束。」
泣き顔でなまえが微笑んで、ジャンが差し出した指に自分の小指を絡める。
その途端、淡いけれど猛烈な真っ白い光が、なまえを包んだ。
光に紛れて、なまえが見えなくなる。
でも不思議と、焦りはしなかった。
その光は、とても優しく、温かかったのだ。
それは、自分を、望む場所へ導いてくれる———なぜか、そう確信していた。
『俺は、誰も恨んではいない。彼女に、幸せになってくれと、そう、伝えてほしい。』
なまえの姿が消え、ジャンの身体すら光の粒の集まりのようになって、舞い上がり始めた時、遠くから、とても優しい声がした。
疲れを知らない身体は、都合がよいのか、悪いのか、かなりの距離を、ジャンに休むことなく前に進めさせた。
「———!——…ン!・・・ジャン!!」
しばらくすると、自分の声すら聞こえないほどの虚しい静寂に包まれていた世界に、初めて、音が生まれた。
それは、ジャンの名前を呼ぶなまえの声だった。
「———!———!!」
ジャンも、負けずに声を振り絞る。
必死に、朝焼けへと向かって走りながらなまえの名前を呼んだ。
会いたい気持ちが焦りへと変わって、前のめりになって身体が倒れそうになるが、なんとか踏ん張って走り続ける。
「ジャン…っ!」
しばらく走り続けた後、優しく光りの広がる朝焼けの下に、なまえの姿を見つけた。
彼女は、泣いていた。
ひどく悲しそうに表情を歪め、涙を流しながら、それでも必死に、ジャンの元へ向かって走っている。
「———!」
ジャンは、なまえの名前を呼んだ。
なまえに触れる為だけに、ただがむしゃらに走った。
ここが〝生〟の世界ではないのならば、なぜなまえがいるのか。
疑問なら幾らでもあったはずだけれど、考える余裕はなかった。
ただ、なまえに触れたかった。抱きしめて、なまえの温もりを感じたかったのだ。
「ジャンっ。」
「なまえっ。」
なまえに触れた———その瞬間、ジャンの声が戻った。
触れた肩を引き寄せるようにして、なまえを抱きしめる。
「なまえ…っ、なまえ…っ。」
「ジャン…っ。」
「なまえ、なまえ…!」
存在を確かめるように、なまえの名前を何度も繰り返し、抱きしめる腕に力を込めた。
でも、抱きしめている感覚が、腕に伝わってこない。
触れているはずなのに、なまえの温度が、分からない。
恐くなって、さらに強く抱きしめてみるけれど、結果は同じだった。
抱きしめているのに、空気に触れているような感覚だ。
それが、自分を絶望させようとしていることには、すぐに気が付いた。
だから、心が諦めて、砕けてしまう前に、ジャンは急いだ。
「好きだ…!」
ジャンは、小さな子供の様に、ただ真っすぐに気持ちを伝えた。
カッコつけたセリフや、大人なぶった言い回しを考える余裕も、暇もなかった。
腕の中で、なまえがビクリと肩を震わせた。
温もりは感じないのに、なまえの身体が強張ったのは分かる。
なまえは、今、何を思っているのだろう。何と答えるのだろう。
考えれば考える程、ジャンが腕に込める力は強くなっていった。
早く、答えをもらって、緊張から解放されたい。でも、答えを知るのは怖い。
結局、なまえを抱きしめる今が続くように願いながら、しばらく待っていると、小さく息を吸う音が聞こえた。
その途端に、ジャンの緊張感が頂点に達する。
「私も…、好き…。」
「え?」
思わず、小さく空気が漏れるように、声が出た。
聞き間違いだと思ったのだ。
でも、なまえは続ける。
「ジャンが、好きなの…。誰より、好き。夢の世界も、ジャンがいないなら、もう見たいとも思えない。
大嫌いな現実も、ジャンがいれば幸せだと思える。
だから…、戻ってきて…。偽物のまま、消えちゃわないで…。」
ひとりにしないで…———最後に漏らした声は震えて、消えかかっていた。
なまえは、泣いているようだった。
抱きしめている腕の中で彼女が流す涙が、ジャンの胸元を濡らす。
すると、さっきまで、感覚が何もなかった胸元がじんわりと暖かくなったのだ。
温もりを、感じ、彼女から自分に向かう、ひたむきで、真っ直ぐな愛を思い知る。
それは、ついさっきまで、〝死〟という絶望に打ちのめされそうになっていたジャンの心が、希望を見つけた瞬間だった。
でも、その希望は、ジャンの心に悲鳴も上げさせる。
掴みかけた愛には、〝ここ〟では触れられないことを知っていたからだ。
「なまえ…っ。」
気づけば、なまえを抱きしめる腕に、力が入っていた。
痛いくらいに、なまえを抱きしめた。
やっぱり、抱きしめた感覚はない。
でも、なまえの涙で濡れる胸元だけは、ひどく暖かい。
確かに、なまえを感じる。彼女が自分に向ける愛を、感じる。
「好き…っ、好きなんだ…!ずっと、好きだった…!」
ジャンは、心のままに気持ちを伝えていた。
沢山のシチュエーションを準備した。素直にはなれないのにカッコつけたがある自分に出来る精一杯の計画だってあった。
でもそんなもの、一気にどうでもよくなった。
不安と寂しさで苦しんでいるなまえに、気持ちを伝えなければいけなかった。
少しでも、彼女に想いが届くように———。
「なまえ。」
なまえの頬に手を添え、ゆっくりと顔を上げさせる。
視線が重なれば、なまえの瞳から、大粒の涙が、ゆっくりと零れて落ちていった。
「ジャン…。」
なまえの頬は、涙でびしょ濡れだった。
でも、触れているのに、その感触は分からない。
泣いている彼女の涙を拭おうとしたけれど、指をすり抜けて、あとからあとから溢れて落ちていく。
それが、ジャンに焦燥感を与え、心臓が握り潰されそうなほどに苦しくなる。
でも、それを認めてしまったら、二度と触れられなくなるような気がして、なまえの唇に、自分の唇をそっと落とした。
柔らかい感触は、分からなかった。
何度も何度も触れたはずのなまえの唇の感触を思い出すことさえ出来ない。
悔しくて、悲しくて、虚しくて、叫んでしまいそうだった。
だから、それを誤魔化すように、なまえを抱きしめる。
「ジャン…、ごめんね…。私のせいで———。」
「なまえは?怪我、してねぇ?」
謝ろうとしたなまえの声に被せた。
大丈夫なのだろうとは思っていた。本当に心配したわけではないのだ。
ただ、なまえの謝罪は聞きたくなかった。
腕の中で、なまえがフルフルと首を横に振った。
その途端、心に重くのしかかっていた何かが落ちて消えていった。
「なら、よかった。」
なまえを抱きしめたまま、小さな耳元で、ホッと息を吐いた。
心配していないと思っていたはずなのに、不思議とひどく安心した。
壁外調査に出る度に、誰かが傷ついて、命を奪われていく。でもその度に、ジャンはいつも自分に言い聞かせていた。
なまえが無事ならいい———いつから、そうなっていたのだろう。
その度に、ジャンの胸に罪悪感を生むのに、毎回、そう思ってしまうのだ。
なまえさえ、笑っていれば、疑念だらけのこの世界も悪くないと思えた。
ジャンにとって、残酷な世界を生きる為に、なまえの笑みは、いつの間にか必要不可欠なものになっていた。
「ねぇ、ジャン…。」
「ん?」
小さななまえの声を聞きもらさないように、ジャンは耳を近づけた。
少しだけ、なまえが不安そうに肩を揺らした。
でも、数秒待っていれば、なまえが小さな声を漏らす。
「会いたいよ…。触れたい。」
抱きしめ合っているのに、キスまでしたのに、なまえはひどく切なく願っていた。
同じことを思っていたからこそ、ジャンの胸は、締め付けられそうだった。
「俺も。」
なまえを抱きしめて、弱い声を漏らす。
そばにいるのに、触れているはずなのに、なまえは、自分のいるこの世界で一番遠い場所にいた。
いや、遠い、とは違う。
なまえは、この世界にいない。
抱きしめているのに何も感じないから、そう思うわけではない。
ただ、心が理解してしまっているのだ。
今、自分となまえは、別々の時空の中にいる。
トーマス達の様子からすれば、まだ自分は死んではいないのだろう。でも、生きてもいない。
もしかすると、なまえは、ジャンが現実の世界に戻ってくるのを待っているのかもしれない。
そして、待ちきれなくなって、夢の世界を通して、呼びに来たのだろうか。
ジャンの推測は、間違っていない気がした。
だって、不思議な魔力を持っているなまえなら、そんなことが出来てしまいそうだ。
「いつ、起きるの?もう、夢はいっぱい見たでしょ?
早く…、戻ってきて…。私は、ジャンと一緒に、今を生きたい。」
「俺も。もう、戻るから。」
「本当?起きる?」
「起きる。すぐ起きるから、待ってて。」
「待ってるよ。ずっと、ジャンのそばにいる。
起きたときに、ジャンがすぐに私を見つけられるように、そばにいるから。」
「約束な。」
ジャンは、身体を少しだけ離すと、なまえの顔の前に小指を出した。
「うん、約束。」
泣き顔でなまえが微笑んで、ジャンが差し出した指に自分の小指を絡める。
その途端、淡いけれど猛烈な真っ白い光が、なまえを包んだ。
光に紛れて、なまえが見えなくなる。
でも不思議と、焦りはしなかった。
その光は、とても優しく、温かかったのだ。
それは、自分を、望む場所へ導いてくれる———なぜか、そう確信していた。
『俺は、誰も恨んではいない。彼女に、幸せになってくれと、そう、伝えてほしい。』
なまえの姿が消え、ジャンの身体すら光の粒の集まりのようになって、舞い上がり始めた時、遠くから、とても優しい声がした。