◇第八十五話◇覚悟の結末はまだ知らない
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その日の夜、任務を終えたハンジは、調査兵団兵舎内にある病棟へと向かった。
医療兵からは、ジャンの手術は成功したと聞いている。
後は、医学的に眠らせている彼の体力が回復すれば、少しずつ薬の量を減らし、目を覚ますのを待てばいい———そう、説明されたところで、不安や心配が消えるわけではなかった。
本当に彼は目覚めるのだろうか。目が覚めた時の後遺症はあるのだろうか。彼は、調査兵団を続けていけるのか。
考えれば考える程、不安が押し寄せてくるのだ。
きっと、なまえはそれ以上なのだろうと思うと、心臓が握り潰されそうなほどに苦しくなる。
そして、本当に彼女を調査兵団に残しても良かったのだろうかというところに行きつき、今日は一日中、堂々巡りだった。
早足で向かったはずなのに、なぜかとてつもなく遠く感じた病棟の中に入って、ジャンが眠る病室を目指す。
ハンジにとって、ここは、通い慣れた場所だ。
今までも、大切な友人が何人もこの病棟へ運ばれ、そして、笑顔を見せることなく逝ってしまった。
だからなのか、夜が始まりだして薄暗くなった廊下は、今夜もいつものように、思わず身震いするほどに冷えていて、物悲しい雰囲気を醸し出している。
「———。」
ジャンの病室へ向かう途中に、とってつけたような小さめの窓がひとつあるだけのスペースがある。
そこには、3人掛け程のソファが2脚置いてあり、兵舎外からの見舞客の休憩や手術中の待合い所として使われている。
その窓際に誰か人影を見つけたハンジは、反射的に廊下の壁の向こうに身を隠してしまった。
「アイツが起きたら、どうするつもりだ。」
人影のひとりが、もうひとりに訊ねた。
その声の主が、リヴァイだと気づくと、すぐに自分の反射神経を褒めたくなった。
たぶん、聞いてはいけない話だと思ったからだ。
それでも、立ち去ろうとしない脚は、ハンジの好奇心と探求心、それから、友人を想う気持ちを嫌というほど理解している。
「それは、ジャンが決めることだと思ってます。」
やっぱり———。
答えたのは、なまえだった。
「——質問を変える。
お前は、アイツにどうしてほしいんだ。」
「私は…、ジャンに頼りっぱなしで、
今ではもう、彼がいなきゃ、仕事もしっかりできないんです。」
「補佐官を続けてほしいってことか。」
「…補佐官としてじゃ、なくてもいいです。
そばに、いて…くれるなら…。」
「・・・・惚れてんのか。」
リヴァイの問いかけの後、なまえの声は聞こえなかった。
でも、小さく吐き出したようなリヴァイのため息を聞く限り、なまえは、頷いてしまったのかもしれない。
ハンジは、少し前にもそうしたように、自分の心臓をシャツの上から握りしめた。
なまえとジャンが、婚約をしたと聞いた時、一番疑っていたのが自分だったのだろうという自信がある。
だって、なまえが想っているのはリヴァイだと思っていたし、リヴァイもまた、そうだと思っていた。
いつか、眠り姫が結ばれるのは、彼女を愛し、守り続けた騎士なのだと、夢の世界さながらの未来を想像したりもしていたのだ。
だから、彼らを試すようなことをして、事実を確かめようとした。
その結果、ハンジは、彼らが強く想い合う絆を見せつけられ、それが偽りだとは疑いもせず、認めるしかなくなった。
でもそれは、本当に〝偽り〟だったのだろうか。
名前を付けるとすれば、それは〝偽りの婚約者〟が正しいのかもしれない。
でも、彼らの気持ちは、本当に〝偽り〟だったのだろうか。
どういうつもりで、ジャンはなまえの婚約者のフリをすると提案したのか。なまえは、どんなつもりでそれを受け入れ、今また、それを団長に洗いざらい白状したのだろうか。
2人が結んだ計画が〝偽りの婚約者〟だからといって、隣で笑い合っているときの、彼らの気持ちまで〝偽り〟だとは決めつけられない。
「ジャンが、目を覚ましたら、全部、バラしちゃったから
婚約者のフリはもうおしまいだよって教えてあげなくちゃいけませんね。」
「それで、お前はどうするんだ。」
「…リヴァイ兵長達、私が死ぬつもりだと思ってるでしょ。」
思わぬ発言に、心臓が飛び出しそうなほどに驚いた。
リヴァイもきっと同じ気持ちだったのだろう。彼が息をのんだ音が聞こえたほどだった。
「死にませんよ。そんな無責任なことはしない。
私はただ、自分が犯した罪の行きつく先を見たいだけです。」
「罪の行きつく先…。」
「この世界を巡るカルマは、私にどんな罪状を出すのか。
逃げずに、受け止めることが、私に出来る唯一の償いだと思うから。」
あぁ、そういうことか———。
ハンジは、漸く、しっくりときた。
なまえは、いつもまっすぐで前向きな女だった。
そんな彼女が、償いに〝死〟を選ぶのは、あまりにも不似合いだったのだ。
でも、それ以外に、彼女がどのように罪を償おうとしているのかが分からなかった。
そうか、彼女は、これから起こりうるすべてを受け入れる覚悟を持ったということなのか。
(それは…強いな…。)
与えられる罰が、死か、永遠に苦しみ続ける生か。
自分には選択肢は与えず、神の思し召しを無抵抗に受け入れる———それは、自ら死を選ぶよりも難しく、怖い覚悟だっただろう。
だから、あのときのなまえは、強く見えたのだと、漸く、納得したのだ。
「でも…、」
ふ、となまえの声質が変わった。
凛とした強い女を象徴するようだったそれが、甘く柔らかい、彼女らしい雰囲気を纏ったのだ。
「ジャンには…、許してもらいたいな…。
誰が、私を許さなくても…、ジャンだけが、味方でいてくれたら
私は、どんな罰も怖くない気がするから。」
無邪気な子供のように、身勝手で我儘な願いかもしれない。
でも、これがなまえの本心で、これこそが、本来のなまえなのだ。
それでも、自分が刺される原因を作った女なんて顔も見たくないか———なんて自虐的になまえが呟くから、ハンジは悲鳴を上げそうだった。
叫んで、叫んで、叫んで、そんなこと言わないでと抱きしめてやりたくなる。
「逃げ回るお前の代わりにトイレ掃除の罰を受けやがるクソ野郎に、
お前を許さねぇ選択肢なんてあるかよ。」
「…トイレ掃除1か月と今回のことは別ですよ。」
「同じだ。あのクソ野郎にとって、何も変わらねぇ。
アレは、刺されたのがお前じゃなくて自分でよかったと思う男じゃねぇか。
お前は…だから、惚れたんだろ。違ぇのか?」
「・・・・私は…ッ。」
なまえの声は、その先は続かなかった。
少し待った後、リヴァイは「でも、もしも——。」と続ける。
「アイツが、お前を責めて、背を向けることがあれば、
今度はお前が許してやれ。」
「…っ。」
「本当は縋りてぇのに、アイツの為に、アイツを許したお前を、俺が許してやるから。」
なまえが、何と答えたのかは分からない。
ハンジは、その答えを聞く前に、病棟を出た。
いつの間にか、呆気なく暗くなっていた空には、半分がぽっかり欠けた月が寂しそうに浮かんでいた。
それがまるで、なまえのように見えて、心の声が漏れずにはいられなかった。
「早く、目を覚ましなよ…ジャン。」
心細そうしながらも、真っ暗闇の世界を必死に照らそうとしているいじらしい月に手を伸ばす。
でも、あまりにも遠すぎて、その距離を思い知っただけだった。
苦しい。悲しい。悔しい。様々な感情が、心の奥を巡る。
それでも、ハンジには、分かっていた。
きっと、なまえにあんなことを言ったリヴァイにも、嫌というほどに、分かっていた。
目が覚めたジャンが出す答えなんて、火を見るよりも明らかだ。
きっと、ジャンは、状況を理解したとき、傷ついたのが自分でよかったと思うのだろう。
なまえの無事を喜ぶのだろう。
そして、それ以外の選択肢なんて持ち合わせていないかのように、謝る彼女を、意地悪く笑いながら許すのだ。
これは、なまえの得意な妄想でも夢の世界でもない。
そう遠くない未来に、必ず訪れる光景だと、自信どころか確信がある。
だからどうか、早く目を覚まして。
そして、たったひとりきりで、何年も、罪の意識に苛まれてきたなまえを救ってやってほしい。
どうか———。
医療兵からは、ジャンの手術は成功したと聞いている。
後は、医学的に眠らせている彼の体力が回復すれば、少しずつ薬の量を減らし、目を覚ますのを待てばいい———そう、説明されたところで、不安や心配が消えるわけではなかった。
本当に彼は目覚めるのだろうか。目が覚めた時の後遺症はあるのだろうか。彼は、調査兵団を続けていけるのか。
考えれば考える程、不安が押し寄せてくるのだ。
きっと、なまえはそれ以上なのだろうと思うと、心臓が握り潰されそうなほどに苦しくなる。
そして、本当に彼女を調査兵団に残しても良かったのだろうかというところに行きつき、今日は一日中、堂々巡りだった。
早足で向かったはずなのに、なぜかとてつもなく遠く感じた病棟の中に入って、ジャンが眠る病室を目指す。
ハンジにとって、ここは、通い慣れた場所だ。
今までも、大切な友人が何人もこの病棟へ運ばれ、そして、笑顔を見せることなく逝ってしまった。
だからなのか、夜が始まりだして薄暗くなった廊下は、今夜もいつものように、思わず身震いするほどに冷えていて、物悲しい雰囲気を醸し出している。
「———。」
ジャンの病室へ向かう途中に、とってつけたような小さめの窓がひとつあるだけのスペースがある。
そこには、3人掛け程のソファが2脚置いてあり、兵舎外からの見舞客の休憩や手術中の待合い所として使われている。
その窓際に誰か人影を見つけたハンジは、反射的に廊下の壁の向こうに身を隠してしまった。
「アイツが起きたら、どうするつもりだ。」
人影のひとりが、もうひとりに訊ねた。
その声の主が、リヴァイだと気づくと、すぐに自分の反射神経を褒めたくなった。
たぶん、聞いてはいけない話だと思ったからだ。
それでも、立ち去ろうとしない脚は、ハンジの好奇心と探求心、それから、友人を想う気持ちを嫌というほど理解している。
「それは、ジャンが決めることだと思ってます。」
やっぱり———。
答えたのは、なまえだった。
「——質問を変える。
お前は、アイツにどうしてほしいんだ。」
「私は…、ジャンに頼りっぱなしで、
今ではもう、彼がいなきゃ、仕事もしっかりできないんです。」
「補佐官を続けてほしいってことか。」
「…補佐官としてじゃ、なくてもいいです。
そばに、いて…くれるなら…。」
「・・・・惚れてんのか。」
リヴァイの問いかけの後、なまえの声は聞こえなかった。
でも、小さく吐き出したようなリヴァイのため息を聞く限り、なまえは、頷いてしまったのかもしれない。
ハンジは、少し前にもそうしたように、自分の心臓をシャツの上から握りしめた。
なまえとジャンが、婚約をしたと聞いた時、一番疑っていたのが自分だったのだろうという自信がある。
だって、なまえが想っているのはリヴァイだと思っていたし、リヴァイもまた、そうだと思っていた。
いつか、眠り姫が結ばれるのは、彼女を愛し、守り続けた騎士なのだと、夢の世界さながらの未来を想像したりもしていたのだ。
だから、彼らを試すようなことをして、事実を確かめようとした。
その結果、ハンジは、彼らが強く想い合う絆を見せつけられ、それが偽りだとは疑いもせず、認めるしかなくなった。
でもそれは、本当に〝偽り〟だったのだろうか。
名前を付けるとすれば、それは〝偽りの婚約者〟が正しいのかもしれない。
でも、彼らの気持ちは、本当に〝偽り〟だったのだろうか。
どういうつもりで、ジャンはなまえの婚約者のフリをすると提案したのか。なまえは、どんなつもりでそれを受け入れ、今また、それを団長に洗いざらい白状したのだろうか。
2人が結んだ計画が〝偽りの婚約者〟だからといって、隣で笑い合っているときの、彼らの気持ちまで〝偽り〟だとは決めつけられない。
「ジャンが、目を覚ましたら、全部、バラしちゃったから
婚約者のフリはもうおしまいだよって教えてあげなくちゃいけませんね。」
「それで、お前はどうするんだ。」
「…リヴァイ兵長達、私が死ぬつもりだと思ってるでしょ。」
思わぬ発言に、心臓が飛び出しそうなほどに驚いた。
リヴァイもきっと同じ気持ちだったのだろう。彼が息をのんだ音が聞こえたほどだった。
「死にませんよ。そんな無責任なことはしない。
私はただ、自分が犯した罪の行きつく先を見たいだけです。」
「罪の行きつく先…。」
「この世界を巡るカルマは、私にどんな罪状を出すのか。
逃げずに、受け止めることが、私に出来る唯一の償いだと思うから。」
あぁ、そういうことか———。
ハンジは、漸く、しっくりときた。
なまえは、いつもまっすぐで前向きな女だった。
そんな彼女が、償いに〝死〟を選ぶのは、あまりにも不似合いだったのだ。
でも、それ以外に、彼女がどのように罪を償おうとしているのかが分からなかった。
そうか、彼女は、これから起こりうるすべてを受け入れる覚悟を持ったということなのか。
(それは…強いな…。)
与えられる罰が、死か、永遠に苦しみ続ける生か。
自分には選択肢は与えず、神の思し召しを無抵抗に受け入れる———それは、自ら死を選ぶよりも難しく、怖い覚悟だっただろう。
だから、あのときのなまえは、強く見えたのだと、漸く、納得したのだ。
「でも…、」
ふ、となまえの声質が変わった。
凛とした強い女を象徴するようだったそれが、甘く柔らかい、彼女らしい雰囲気を纏ったのだ。
「ジャンには…、許してもらいたいな…。
誰が、私を許さなくても…、ジャンだけが、味方でいてくれたら
私は、どんな罰も怖くない気がするから。」
無邪気な子供のように、身勝手で我儘な願いかもしれない。
でも、これがなまえの本心で、これこそが、本来のなまえなのだ。
それでも、自分が刺される原因を作った女なんて顔も見たくないか———なんて自虐的になまえが呟くから、ハンジは悲鳴を上げそうだった。
叫んで、叫んで、叫んで、そんなこと言わないでと抱きしめてやりたくなる。
「逃げ回るお前の代わりにトイレ掃除の罰を受けやがるクソ野郎に、
お前を許さねぇ選択肢なんてあるかよ。」
「…トイレ掃除1か月と今回のことは別ですよ。」
「同じだ。あのクソ野郎にとって、何も変わらねぇ。
アレは、刺されたのがお前じゃなくて自分でよかったと思う男じゃねぇか。
お前は…だから、惚れたんだろ。違ぇのか?」
「・・・・私は…ッ。」
なまえの声は、その先は続かなかった。
少し待った後、リヴァイは「でも、もしも——。」と続ける。
「アイツが、お前を責めて、背を向けることがあれば、
今度はお前が許してやれ。」
「…っ。」
「本当は縋りてぇのに、アイツの為に、アイツを許したお前を、俺が許してやるから。」
なまえが、何と答えたのかは分からない。
ハンジは、その答えを聞く前に、病棟を出た。
いつの間にか、呆気なく暗くなっていた空には、半分がぽっかり欠けた月が寂しそうに浮かんでいた。
それがまるで、なまえのように見えて、心の声が漏れずにはいられなかった。
「早く、目を覚ましなよ…ジャン。」
心細そうしながらも、真っ暗闇の世界を必死に照らそうとしているいじらしい月に手を伸ばす。
でも、あまりにも遠すぎて、その距離を思い知っただけだった。
苦しい。悲しい。悔しい。様々な感情が、心の奥を巡る。
それでも、ハンジには、分かっていた。
きっと、なまえにあんなことを言ったリヴァイにも、嫌というほどに、分かっていた。
目が覚めたジャンが出す答えなんて、火を見るよりも明らかだ。
きっと、ジャンは、状況を理解したとき、傷ついたのが自分でよかったと思うのだろう。
なまえの無事を喜ぶのだろう。
そして、それ以外の選択肢なんて持ち合わせていないかのように、謝る彼女を、意地悪く笑いながら許すのだ。
これは、なまえの得意な妄想でも夢の世界でもない。
そう遠くない未来に、必ず訪れる光景だと、自信どころか確信がある。
だからどうか、早く目を覚まして。
そして、たったひとりきりで、何年も、罪の意識に苛まれてきたなまえを救ってやってほしい。
どうか———。