◇第八十話◇魔女の悲劇【前編】
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名前を呼ばれて振り返ったジャンは、彼女に見覚えはないようだった。
それもそうだろう。4年前に調査兵になったばかりのジャンが、彼女を知っているはずがない。
でも、リコや、会議室にいた駐屯兵、数名の調査兵は、彼女のことをよく知っていた。
だから、驚いたのだ。
会議室がシンと静まり返ったのは、そのせいだ。
彼女は、この4年間、実家で療養していると聞いていた。
外に出られるような状態じゃないという話だったはずだ。
「そうっすけど?」
「やっぱり、噂通りだからすぐに分かりましたよ。
さすが、眠り姫が選んだ婚約者、素敵な人だ。
背が高くてイケメンだし、仕事も出来そう。」
彼女は、とても楽しそうだった。
以前よりもやつれているようではあったけれど、明るく美しい昔の面影はそのまま残っていた。
少なくとも、可愛らしい笑みからは、そう見えたのだ。
(よかった…、元気そうで。)
リコはホッとした。
そして、嬉しかった。
噂では、心労で食事も受け付けずに寝たきりになっているとか、少し前には自殺未遂を起こしたとか、悲しい話ばかりを聞いていた。
でも、どれもデタラメだったらしい。
彼女が立ち直ってくれていたことが、嬉しくて、泣いてしまいそうだった。
リコだけではない。会議室にいる駐屯兵達も、無意識に綻んでいた。
思うことはきっと、みんな同じ。
これで、彼も浮かばれる———。
「お世辞がすげぇっすけど…、ありがとうございます。」
ジャンが、首の後ろ掻く。
明るい彼女にたじたじのようだ。
それに、彼女が誰か分からずに戸惑ってもいるのだろう。
だから、リコは、ジャンに彼女のことを簡単に紹介したかったのだが、その暇がなかった。
彼女が、楽しそうにジャンに話しかけ続けたからだ。
「ずっとこの日を待ってたのよ。」
「この日?」
「そう!なまえに婚約者が出来る日よ!
あー、長かった!!すっごく嬉しい!!」
彼女が本当に嬉しそうに言う。
ピョンピョンとウサギのように飛び跳ねて喜びを表現するから、舞い踊っているみたいに見えた。
無邪気な子供というよりも、ネジが外れたような異常なハシャぎように、リコは違和感を覚えた。
でも、気づくのが遅すぎた。
そう。もう、なにもかもが遅過ぎたのだ。
彼女の心はもう、とっくの昔に、壊れていた———。
「私のために、あの悪魔と婚約してくれて、ありがとう。」
ニッコリ——というにはあまりにも大袈裟に、口の両端をニィッと押し上げて、彼女は不自然なくらいの笑顔をはり付けていた。
このとき、彼女が何に感謝をしたのか、その意味を理解出来た人間はいなかったはずだ。
だから、誰も動けなかったし、そのときが起こるのを、ただ見ていることしか出来なかった。
〈ドン!!〉
ジャンの背中越しに見えていた彼女の姿が、ドンという鈍い音と共に消えた。
リコからは、彼女がジャンに抱き着いたようにしか見えなかった。
だが、ジャンの向こうで、血の気の引いた同僚達と、悲鳴のような声を上げて立ち上がった幹部の調査兵達の様子から、ただ抱き着いたわけではなく、ただ事ではないことが起きたのだということはすぐに分かったのだ。
でも、リコが状況を正しく把握したのは、ジャンが、ゆっくりと力を失っていくように、ズル、ズル、と膝から崩れ落ちた後だった。
血だまりの真ん中にうつ伏せに倒れるジャンの元へ、ミケに続いて、調査兵達が必死の形相で駆け寄ってくる。
リコは、足元にまで流れてくる血だまりを数秒見下ろした後、ゆっくりと顔を上げた。
そうすることでようやく、さっきまで、長身のジャンに隠れていた彼女が、リコの眼前に晒されたのだ。
リコは、目を見開いた。呼吸も忘れてしまった。
彼女は、死んだような虚ろな瞳で、うつ伏せに倒れたきり返事のないジャンを見下ろしていた。
真っ赤に染まった、超硬質スチールの折れて黒ずんだ刃を、血塗れの両手で大切そうに握りしめて———。
それもそうだろう。4年前に調査兵になったばかりのジャンが、彼女を知っているはずがない。
でも、リコや、会議室にいた駐屯兵、数名の調査兵は、彼女のことをよく知っていた。
だから、驚いたのだ。
会議室がシンと静まり返ったのは、そのせいだ。
彼女は、この4年間、実家で療養していると聞いていた。
外に出られるような状態じゃないという話だったはずだ。
「そうっすけど?」
「やっぱり、噂通りだからすぐに分かりましたよ。
さすが、眠り姫が選んだ婚約者、素敵な人だ。
背が高くてイケメンだし、仕事も出来そう。」
彼女は、とても楽しそうだった。
以前よりもやつれているようではあったけれど、明るく美しい昔の面影はそのまま残っていた。
少なくとも、可愛らしい笑みからは、そう見えたのだ。
(よかった…、元気そうで。)
リコはホッとした。
そして、嬉しかった。
噂では、心労で食事も受け付けずに寝たきりになっているとか、少し前には自殺未遂を起こしたとか、悲しい話ばかりを聞いていた。
でも、どれもデタラメだったらしい。
彼女が立ち直ってくれていたことが、嬉しくて、泣いてしまいそうだった。
リコだけではない。会議室にいる駐屯兵達も、無意識に綻んでいた。
思うことはきっと、みんな同じ。
これで、彼も浮かばれる———。
「お世辞がすげぇっすけど…、ありがとうございます。」
ジャンが、首の後ろ掻く。
明るい彼女にたじたじのようだ。
それに、彼女が誰か分からずに戸惑ってもいるのだろう。
だから、リコは、ジャンに彼女のことを簡単に紹介したかったのだが、その暇がなかった。
彼女が、楽しそうにジャンに話しかけ続けたからだ。
「ずっとこの日を待ってたのよ。」
「この日?」
「そう!なまえに婚約者が出来る日よ!
あー、長かった!!すっごく嬉しい!!」
彼女が本当に嬉しそうに言う。
ピョンピョンとウサギのように飛び跳ねて喜びを表現するから、舞い踊っているみたいに見えた。
無邪気な子供というよりも、ネジが外れたような異常なハシャぎように、リコは違和感を覚えた。
でも、気づくのが遅すぎた。
そう。もう、なにもかもが遅過ぎたのだ。
彼女の心はもう、とっくの昔に、壊れていた———。
「私のために、あの悪魔と婚約してくれて、ありがとう。」
ニッコリ——というにはあまりにも大袈裟に、口の両端をニィッと押し上げて、彼女は不自然なくらいの笑顔をはり付けていた。
このとき、彼女が何に感謝をしたのか、その意味を理解出来た人間はいなかったはずだ。
だから、誰も動けなかったし、そのときが起こるのを、ただ見ていることしか出来なかった。
〈ドン!!〉
ジャンの背中越しに見えていた彼女の姿が、ドンという鈍い音と共に消えた。
リコからは、彼女がジャンに抱き着いたようにしか見えなかった。
だが、ジャンの向こうで、血の気の引いた同僚達と、悲鳴のような声を上げて立ち上がった幹部の調査兵達の様子から、ただ抱き着いたわけではなく、ただ事ではないことが起きたのだということはすぐに分かったのだ。
でも、リコが状況を正しく把握したのは、ジャンが、ゆっくりと力を失っていくように、ズル、ズル、と膝から崩れ落ちた後だった。
血だまりの真ん中にうつ伏せに倒れるジャンの元へ、ミケに続いて、調査兵達が必死の形相で駆け寄ってくる。
リコは、足元にまで流れてくる血だまりを数秒見下ろした後、ゆっくりと顔を上げた。
そうすることでようやく、さっきまで、長身のジャンに隠れていた彼女が、リコの眼前に晒されたのだ。
リコは、目を見開いた。呼吸も忘れてしまった。
彼女は、死んだような虚ろな瞳で、うつ伏せに倒れたきり返事のないジャンを見下ろしていた。
真っ赤に染まった、超硬質スチールの折れて黒ずんだ刃を、血塗れの両手で大切そうに握りしめて———。