◇第九十一話◇母の迷い
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調査兵団兵舎にやってきたジャンの母親は、医療棟へ向かっていた。
その途中、訓練場のそばを通る。
昔から、調査兵団の兵士達が、毎日訓練に励んでいることはなんとなく知っていた。
愛息が調査兵になれば、余計に調査兵団の動向が気になるようになっていたし、彼らが自らの命を懸けて強大な敵に立ち向かっていることを、素直にすごいと思うようにもなっていた。
でも、訓練に励む調査兵達の真っすぐな眼差しを前にして、漸く、彼らの本当の〝強さ〟を理解したような気がする。
それも、ジャンが医療棟で治療を受けるようになったから、知れたことだ。
そうでなければ、心のどこかで、彼らのことを『手に入ることが限りなく低い自由を求める変わり者たち』と思い続けていたのかもしれない。
(…本当に、すごい人なんだね。)
ジャンの母親の足が、無意識に止まる。
視線は、超硬質ブレードを振り上げるなまえに釘付けだった。
追随を許さないスピードで、巨人に模したハリボテを次々となぎ倒しながら、立体起動装置を駆使して、自由自在に飛び回る。
まるで、彼女の背中に翼が生えているようだった。
立体起動装置どころか、兵士としての基礎も知らないジャンの母親にも、なまえの技術力が、他の調査兵達を大きく上回っていることを理解できてしまった。
昔から、彼女の両親は、トロスト区に住む民間人の間でも、人格者として有名人だ。
だから、みょうじ・なまえという名前は、以前から耳にはしていたのだ。
でも、顔と名前が一致するようになったのは、2年前に、彼女が調査兵団の副兵士長に任命されてからだ。
それも、息子が、彼女の補佐官になったのが理由だった。
変わり者と噂されるだけではなく、かなりの実力者としても知られているなまえに、ジャンがついていけるのだろうかと心配で仕方なかったのを、今でも覚えている。
でも、ジャンは、なまえとうまくやっていくどころか、いつの間にか恋人にまでなって、結婚まで約束していた。
「キルシュタインさん、おはようございます!」
シュッと立体起動装置独特のガス音を鳴らして、目の前にまで飛び降りてやってきたのは、ハンジだった。
その隣には、優しい雰囲気を纏う男性も一緒だった。
なんとなく見覚えがあると感じたのは、ハンジの隣には、ほとんどいつものようにその彼が一緒にいたからなのだろう。
もしかすると、この彼のように、ジャンもなまえのそばにいつもいたのだろうか———不意に、そんなことを考えてしまって、思考を停止した。
「おはようございます。」
「ジャンの調子はどうです?私も様子を見に行こうとは思ってるんですけど
次回の壁外調査の準備が立て込んでいて、なかなか…。」
ハンジが申し訳なさそうに言いながら、乱雑に髪を掻いた。
ボリボリという音と共に、白い雪のようなものが舞っている。
優しそうな男性が申し訳なさそうに軽く頭を下げたのは、きっとそのせいだろう。
とても良いコンビに見える。
もしかすると、仕事だけではなく、公私ともにパートナーなのかもしれない。
なまえとジャンのように——また、余計なことを考えてしまって、なんとも言えない気持ちになる。
「おかげさまで。受け答えもハッキリしてますし、食欲もしっかりあるみたいです。
お医者様にも、あとは傷の治りと体力の回復を待つだけだと言われてます。」
「そうですか。それはよかった!」
ハンジが嬉しそうな顔を見せる。
でも実際は、分隊長という立場上、医療兵からジャンの容態は伝え聞いているのだろう。
彼女だけではなく、調査兵団の兵士達の多くが、ジャンだけではなく、心配で夜も眠れず苦しんでいた両親のことも気遣ってくれていた。
それは、ジャンが目を覚ましてからも、変わらない。
こうして、調査兵達の優しさを感じる度に、息子は良い職場に恵まれたのだと嬉しく思うのと同時に、彼はここから離れないと言うのだろう、と憂鬱な気持ちにもなるのだ。
「うちの息子は…、調査兵を、続けてもいいんでしょうか…。」
ジャンの母親は、弱弱しく訊ねる。
いや、これは訊ねたのではない。
言って欲しかったのだ。
怪我を負ったジャンは、もう調査兵としてはやっていけない。辞めた方がいい、そう言ってくれたら、心が楽になる気がした。
でも、ハンジの返答は、求めていたものでもなければ、その反対ですらなかった。
「訓練場、見ました?」
「え?あ…はい、見たというか…、見えました。」
「すごく怖い顔してるでしょう。」
「えぇ、そうですね。」
ジャンの母親は、そう言いながら、改めて、訓練をしている調査兵達の表情を観察した。
なんとなくは気づいていたけれど、改めて見て見ると、確かに、ハンジの言う通り、皆が皆ではないけれど、ひどく怖い顔をしている調査兵が多くいる。
その中には、普段、柔らかい笑みで声をかけてくれる調査兵もいたけれど、じっと見ていないと別人だと思ってしまいそうなほどに、人相が変わっていた。
その最たる調査兵が、なまえだ。
ふわりとした笑顔が印象的な彼女が、今はまるで悪魔のような顔をしているのだ。
そう、まるで、人殺しのような———そこまで考えてしまって、ジャンの母親は、息苦しさを感じる。
息子の想いを、思い出してしまったからだ。
「皆さん、真剣なんですね。自分の命を守るために、必要な訓練ですもんね。」
気を取り直すようにして、ジャンの母親は、当たり障りのない感想を述べた。
でも、こうやって、調査兵達は、命懸けの壁外調査からの帰還を目指しているのだと、感心したのは本当だ。
だが、ハンジは『そうではない。』と首を横に振る。
「確かに、自分の命を守るのに最も必要なのが訓練です。私達も、部下達にはそう指導してます。
でも、怖い顔をしてる調査兵達が守ろうとしている命は、仲間のものですよ。」
「仲間、ですか?」
「共に戦う仲間を、絶対に生きて壁内へと帰還させる———そうした決意と覚悟が
険しい表情に出てるんですよ。
だから、怖ければ怖い顔をしてるほど、部下を無事に帰還させてくれる頼りになる調査兵なんです。」
「そう、ですか。」
呟くように言って、ジャンの母親は、訓練場で最も怖い顔で超硬質ブレードを振り下ろす調査兵を見つめ続けた。
その途中、訓練場のそばを通る。
昔から、調査兵団の兵士達が、毎日訓練に励んでいることはなんとなく知っていた。
愛息が調査兵になれば、余計に調査兵団の動向が気になるようになっていたし、彼らが自らの命を懸けて強大な敵に立ち向かっていることを、素直にすごいと思うようにもなっていた。
でも、訓練に励む調査兵達の真っすぐな眼差しを前にして、漸く、彼らの本当の〝強さ〟を理解したような気がする。
それも、ジャンが医療棟で治療を受けるようになったから、知れたことだ。
そうでなければ、心のどこかで、彼らのことを『手に入ることが限りなく低い自由を求める変わり者たち』と思い続けていたのかもしれない。
(…本当に、すごい人なんだね。)
ジャンの母親の足が、無意識に止まる。
視線は、超硬質ブレードを振り上げるなまえに釘付けだった。
追随を許さないスピードで、巨人に模したハリボテを次々となぎ倒しながら、立体起動装置を駆使して、自由自在に飛び回る。
まるで、彼女の背中に翼が生えているようだった。
立体起動装置どころか、兵士としての基礎も知らないジャンの母親にも、なまえの技術力が、他の調査兵達を大きく上回っていることを理解できてしまった。
昔から、彼女の両親は、トロスト区に住む民間人の間でも、人格者として有名人だ。
だから、みょうじ・なまえという名前は、以前から耳にはしていたのだ。
でも、顔と名前が一致するようになったのは、2年前に、彼女が調査兵団の副兵士長に任命されてからだ。
それも、息子が、彼女の補佐官になったのが理由だった。
変わり者と噂されるだけではなく、かなりの実力者としても知られているなまえに、ジャンがついていけるのだろうかと心配で仕方なかったのを、今でも覚えている。
でも、ジャンは、なまえとうまくやっていくどころか、いつの間にか恋人にまでなって、結婚まで約束していた。
「キルシュタインさん、おはようございます!」
シュッと立体起動装置独特のガス音を鳴らして、目の前にまで飛び降りてやってきたのは、ハンジだった。
その隣には、優しい雰囲気を纏う男性も一緒だった。
なんとなく見覚えがあると感じたのは、ハンジの隣には、ほとんどいつものようにその彼が一緒にいたからなのだろう。
もしかすると、この彼のように、ジャンもなまえのそばにいつもいたのだろうか———不意に、そんなことを考えてしまって、思考を停止した。
「おはようございます。」
「ジャンの調子はどうです?私も様子を見に行こうとは思ってるんですけど
次回の壁外調査の準備が立て込んでいて、なかなか…。」
ハンジが申し訳なさそうに言いながら、乱雑に髪を掻いた。
ボリボリという音と共に、白い雪のようなものが舞っている。
優しそうな男性が申し訳なさそうに軽く頭を下げたのは、きっとそのせいだろう。
とても良いコンビに見える。
もしかすると、仕事だけではなく、公私ともにパートナーなのかもしれない。
なまえとジャンのように——また、余計なことを考えてしまって、なんとも言えない気持ちになる。
「おかげさまで。受け答えもハッキリしてますし、食欲もしっかりあるみたいです。
お医者様にも、あとは傷の治りと体力の回復を待つだけだと言われてます。」
「そうですか。それはよかった!」
ハンジが嬉しそうな顔を見せる。
でも実際は、分隊長という立場上、医療兵からジャンの容態は伝え聞いているのだろう。
彼女だけではなく、調査兵団の兵士達の多くが、ジャンだけではなく、心配で夜も眠れず苦しんでいた両親のことも気遣ってくれていた。
それは、ジャンが目を覚ましてからも、変わらない。
こうして、調査兵達の優しさを感じる度に、息子は良い職場に恵まれたのだと嬉しく思うのと同時に、彼はここから離れないと言うのだろう、と憂鬱な気持ちにもなるのだ。
「うちの息子は…、調査兵を、続けてもいいんでしょうか…。」
ジャンの母親は、弱弱しく訊ねる。
いや、これは訊ねたのではない。
言って欲しかったのだ。
怪我を負ったジャンは、もう調査兵としてはやっていけない。辞めた方がいい、そう言ってくれたら、心が楽になる気がした。
でも、ハンジの返答は、求めていたものでもなければ、その反対ですらなかった。
「訓練場、見ました?」
「え?あ…はい、見たというか…、見えました。」
「すごく怖い顔してるでしょう。」
「えぇ、そうですね。」
ジャンの母親は、そう言いながら、改めて、訓練をしている調査兵達の表情を観察した。
なんとなくは気づいていたけれど、改めて見て見ると、確かに、ハンジの言う通り、皆が皆ではないけれど、ひどく怖い顔をしている調査兵が多くいる。
その中には、普段、柔らかい笑みで声をかけてくれる調査兵もいたけれど、じっと見ていないと別人だと思ってしまいそうなほどに、人相が変わっていた。
その最たる調査兵が、なまえだ。
ふわりとした笑顔が印象的な彼女が、今はまるで悪魔のような顔をしているのだ。
そう、まるで、人殺しのような———そこまで考えてしまって、ジャンの母親は、息苦しさを感じる。
息子の想いを、思い出してしまったからだ。
「皆さん、真剣なんですね。自分の命を守るために、必要な訓練ですもんね。」
気を取り直すようにして、ジャンの母親は、当たり障りのない感想を述べた。
でも、こうやって、調査兵達は、命懸けの壁外調査からの帰還を目指しているのだと、感心したのは本当だ。
だが、ハンジは『そうではない。』と首を横に振る。
「確かに、自分の命を守るのに最も必要なのが訓練です。私達も、部下達にはそう指導してます。
でも、怖い顔をしてる調査兵達が守ろうとしている命は、仲間のものですよ。」
「仲間、ですか?」
「共に戦う仲間を、絶対に生きて壁内へと帰還させる———そうした決意と覚悟が
険しい表情に出てるんですよ。
だから、怖ければ怖い顔をしてるほど、部下を無事に帰還させてくれる頼りになる調査兵なんです。」
「そう、ですか。」
呟くように言って、ジャンの母親は、訓練場で最も怖い顔で超硬質ブレードを振り下ろす調査兵を見つめ続けた。