◇第八十七話◇おめでたい夢を見る彼女
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副兵士長が、ついに人殺しを認めた———あっという間に、広がったそんな噂が最後の後押しになり、仲間が刺された事件で緊張感が張り巡らされていた調査兵団兵舎は今、険悪な雰囲気に包まれていた。
いつもふわふわと空を舞うような笑顔を振りまいていた眠り姫に、隠された過去があったどころか、怖ろしい顔を持っていたのだ。
彼女を慕っていた者はショックと戸惑いを隠しきれず、嫉妬や羨望で目の敵にしていた者はここぞとばかりに悪口を言いふらし合う。
その結果、苛立った調査兵達によってあちこちで喧嘩が起こり、誰が誰を信頼すればいいのか分からないような状態は、最悪を通り越している。
誰もが疑心暗鬼になるのも仕方がない。これでは、何が事実で何を信じればいいのかも分からない。
今、調査兵団は、結成後、最もバラバラになっている。
だが、フレイヤは、とても機嫌がよかった。
早朝訓練をサボって医療棟の廊下を歩く足取りは軽く、気を抜けば、スキップをしてしまいそうだった。
ジャンの隣からなまえが消えて数日、キルシュタイン夫妻とも打ち解けてきた。毎日のように見舞いに来る母親とは、まるで母娘のように仲良くしている自信もある。
彼女が『娘にするならあなたがいいわ。』と言い出すまで、きっとそう時間はかからない。
相変わらず、ジャンは眠っているけれど、それも薬のせいだという話だ。
後は起きるのを待つだけなのだから、何も心配はいらない。
(ふふ、早くジャンさん、起きないかなぁ~。)
ジャンの病室へ向かうフレイヤの口元に笑みが浮かぶ。
後は、何をするわけでもなく、眠るジャンの隣で彼を見つめていればいい。
それだけしていれば、もうすぐ、ジャンが自分のものになる———確信に近い期待が、フレイヤの胸に強く溢れていた。
だから、あっという間に辿り着いた病室の扉を開く手にも、躊躇いはなかった。
「は・・・?」
フレイヤが見たのは、最高に良かった彼女の機嫌を最低に落とすのに十分な光景だった。
ベッドの上で、ジャンはいつものように眠っていた。
目が覚めたような様子はない。
だから、問題なのは、そこではない。
なまえが、ベッド脇の椅子に座っていて、眠るジャンの胸の上に頭を乗せて、ぐっすりと眠りこけていたのだ。
まさか、ここにいるはずのない、いるべきですらないなまえの姿は、フレイヤにとって、かなりの衝撃だった。
一瞬、時が止まってしまったフレイヤだったが、驚きは、みるみるうちに苛立ちへと変わっていく。
「ちょっと、アンタ!何やってんの!?」
ズカズカと病室へ入ったフレイヤは、なまえの腕を掴み上げると、思いっきり怒鳴った。
小さく唸るような声が漏れ、なまえがゆっくりと瞼を押し上げれば、フレイヤの怒りは頂点に達する。
「アンタ、どういうつもりよ!?」
まだ寝惚け眼のなまえを、ベッドとは反対側の壁へと突き飛ばした。
背中を思い切り壁にぶつけたなまえは、ドンッと大きな音が立ったのと同時に、痛みに眉を顰めた。
夢遊病なのか知らないが、勝手にジャンの部屋に入り込んで、あろうことか居眠りしていたなまえも、これで、目も覚めただろう。
「…ッ、ジャン…っ!」
何か言い訳をするかと思ったら、なまえはベッドの方を見た途端、急に焦ったような顔をしてジャンの名前を叫んだ。
思わず、フレイヤも振り返ってベッドを見てしまうが、相変わらず、ジャンは眠っているようにしか見えない。
一体なんだというのか———腹立たしく文句を言おうとするが、それよりも早く、なまえがベッドに駆け寄ろうとする。
「アンタ、どこ行くのよ!」
フレイヤは、怒りのまま、なまえの腕を掴んで引き留めた。
「ジャンが…!」
「ジャンさんが何だっていうのよ!?どっちにしろ、アンタには関係ないわ!!」
「もうすぐ起きるからって…っ、大丈夫だよって、言った…!」
「はァ!?何言ってんの!?昏睡状態の人がどうやって喋るのよ!」
必死に腕を振りほどこうとしながら、ジャンに触れようと手を伸ばすなまえを、フレイヤは力づくで止めていた。
個室のこの部屋は、それほど広くはない。フレイヤが、ほんの少し気を抜けば、なまえはベッドに辿り着いてしまうだろう。
ジャンに触れたいなまえと、絶対にジャンに近寄らせたくないフレイヤによるもみ合い状態だった。
「夢で…っ、ジャンが、好きって…っ。」
「は?」
「私のこと…っ、好きって…っ。」
「いい加減にして!!」
なまえのあまりに身勝手な言い分に、フレイヤの怒りは、頂点を越えた。
怒鳴ったのと同時に、腹を思いっきり蹴ったのがうまくいったようで、なまえは苦し気な声を漏らしながら、仰向けに倒れむと、尻餅をついてベッドの柵に頭をぶつけた。
痛みに顔を顰め、ぶつけた頭をさするなまえを、フレイヤは、恨みを込めて睨み、見下ろす。
「アンタの夢のせいで、私達調査兵がどれだけ迷惑を被ってきたと思ってんの。」
フレイヤが冷たく言えば、なまえは焦ったように顔を上げた。
「違う…っ、私はただ…っ。」
「それで?今度は、夢でジャンさんが、アンタを好きって言ったって?
どんだけおめでたいの、頭おかしいんじゃないの?」
「でも、私は…、」
「いい加減、現実見なよ!!ねぇ、見て!!見てよ!!
そこで寝てるのは、アンタの大好きな夢の一番の被害者よ!!
殺されかけたの!アンタのせいで!死ぬかもしれなかったの!!」
フレイヤは、ベッドで眠るジャンを指さすと、声の限り叫ぶようにして怒鳴った。
何か言い訳をしようとしていたなまえも、漸く、罪を意識したような顔をして唇を噛んだ。
でも、もう遅いのだ。
今更、後悔したって遅い。
ジャンは襲われたし、なまえが寝取って殺したという友人の恋人はもう、この世にいない。
「夢なんか見なくたって、目が覚めたジャンさんが、アンタに何て言うか、手に取るようにわかるわ。
いつも夢見心地で、現実の分からないなまえさんに、特別に教えてあげましょうか。」
「…な、に?」
なまえは、怯えたように瞳を揺らした。
震える声は、聞きたくないと言っているようだ。
自分が完全に優位に立っているこの状況は、フレイヤの嗜虐性を刺激した。
ひどく、気持ちがよかった。
「近寄るな、人殺し。」
フレイヤは、敢えて声を低く落とし、冷たく告げる。
なまえが、ビクッと肩を揺らした。
ショック、悲しい、絶望、ありとあらゆる負の感情を宿すなまえの瞳を見下ろすのは、今までフレイヤが生きてきた中で、もっとも最高の光景のひとつだった。
「お前なんか、死ぬほどきら———。」
「私は、ジャンの言葉で聞くまで、信じない。」
絶望に落とそうとしたとっておきの科白は、なまえの強い意志のある瞳に邪魔された。
ふわふわと夢ばかり見ているくせに、こうやって、土壇場で強くあろうとする彼女が、心底嫌いだ。
そういうところが、調査兵達がなまえを慕う理由だと知っている。
楽しい夢を見て、ツライことは見て見ぬふりをしてきたくせに、最後のいいところばかり持っていく、彼女が、大嫌いだ。
「あ、そ。じゃあ、ジャンさんに直接言ってもらえばいいわ。
死ぬほど嫌いだって。」
「…っ。」
悲しそうに瞳を揺らすくせに、なまえはもう、怯えてはいなかった。
きっと、ジャンを信じる覚悟を決めたのだろう。
そんなもの、どうせ、粉々に打ち砕かれることになるだけなのに。
あまりにも真っすぐすぎて、そろそろ憐れに見えてくる。
「とにかく、ジャンさんの大切なご両親は
アンタのことを死ぬほど嫌ってるんだから、今すぐ出て行って。」
否定しようのない事実を突きつければ、なまえは漸く、病室を出て行ってくれた。
静かに扉が閉まったのを確認した後、フレイヤは、今度こそ自分がベッド脇の椅子に腰を降ろす。
「ふぅ…。」
とりあえず、落ち着いて、ホッと小さく息を吐く。
ジャンの隣、それは今、フレイヤのものだ。
今がチャンスだと、ジャンに近づこうとしている女がいないわけではない。
でも、ジャンの両親とも仲良くしているフレイヤの隙を狙えないのが、現状だ。
このまま、ジャンの隣は守りきる。必ず。
「ジャンさん、私のジャンさん。
ずっと、そばにいますからね。」
フレイヤは、満足気に微笑むと、ジャンの髪を優しく撫でた。
ジャンの髪の柔らかさは、もう覚えた。手の大きさも、温もりも、覚えた。
———あとは、何を覚えようか。
フレイヤが、ジャンの唇に触れる———。
いつもふわふわと空を舞うような笑顔を振りまいていた眠り姫に、隠された過去があったどころか、怖ろしい顔を持っていたのだ。
彼女を慕っていた者はショックと戸惑いを隠しきれず、嫉妬や羨望で目の敵にしていた者はここぞとばかりに悪口を言いふらし合う。
その結果、苛立った調査兵達によってあちこちで喧嘩が起こり、誰が誰を信頼すればいいのか分からないような状態は、最悪を通り越している。
誰もが疑心暗鬼になるのも仕方がない。これでは、何が事実で何を信じればいいのかも分からない。
今、調査兵団は、結成後、最もバラバラになっている。
だが、フレイヤは、とても機嫌がよかった。
早朝訓練をサボって医療棟の廊下を歩く足取りは軽く、気を抜けば、スキップをしてしまいそうだった。
ジャンの隣からなまえが消えて数日、キルシュタイン夫妻とも打ち解けてきた。毎日のように見舞いに来る母親とは、まるで母娘のように仲良くしている自信もある。
彼女が『娘にするならあなたがいいわ。』と言い出すまで、きっとそう時間はかからない。
相変わらず、ジャンは眠っているけれど、それも薬のせいだという話だ。
後は起きるのを待つだけなのだから、何も心配はいらない。
(ふふ、早くジャンさん、起きないかなぁ~。)
ジャンの病室へ向かうフレイヤの口元に笑みが浮かぶ。
後は、何をするわけでもなく、眠るジャンの隣で彼を見つめていればいい。
それだけしていれば、もうすぐ、ジャンが自分のものになる———確信に近い期待が、フレイヤの胸に強く溢れていた。
だから、あっという間に辿り着いた病室の扉を開く手にも、躊躇いはなかった。
「は・・・?」
フレイヤが見たのは、最高に良かった彼女の機嫌を最低に落とすのに十分な光景だった。
ベッドの上で、ジャンはいつものように眠っていた。
目が覚めたような様子はない。
だから、問題なのは、そこではない。
なまえが、ベッド脇の椅子に座っていて、眠るジャンの胸の上に頭を乗せて、ぐっすりと眠りこけていたのだ。
まさか、ここにいるはずのない、いるべきですらないなまえの姿は、フレイヤにとって、かなりの衝撃だった。
一瞬、時が止まってしまったフレイヤだったが、驚きは、みるみるうちに苛立ちへと変わっていく。
「ちょっと、アンタ!何やってんの!?」
ズカズカと病室へ入ったフレイヤは、なまえの腕を掴み上げると、思いっきり怒鳴った。
小さく唸るような声が漏れ、なまえがゆっくりと瞼を押し上げれば、フレイヤの怒りは頂点に達する。
「アンタ、どういうつもりよ!?」
まだ寝惚け眼のなまえを、ベッドとは反対側の壁へと突き飛ばした。
背中を思い切り壁にぶつけたなまえは、ドンッと大きな音が立ったのと同時に、痛みに眉を顰めた。
夢遊病なのか知らないが、勝手にジャンの部屋に入り込んで、あろうことか居眠りしていたなまえも、これで、目も覚めただろう。
「…ッ、ジャン…っ!」
何か言い訳をするかと思ったら、なまえはベッドの方を見た途端、急に焦ったような顔をしてジャンの名前を叫んだ。
思わず、フレイヤも振り返ってベッドを見てしまうが、相変わらず、ジャンは眠っているようにしか見えない。
一体なんだというのか———腹立たしく文句を言おうとするが、それよりも早く、なまえがベッドに駆け寄ろうとする。
「アンタ、どこ行くのよ!」
フレイヤは、怒りのまま、なまえの腕を掴んで引き留めた。
「ジャンが…!」
「ジャンさんが何だっていうのよ!?どっちにしろ、アンタには関係ないわ!!」
「もうすぐ起きるからって…っ、大丈夫だよって、言った…!」
「はァ!?何言ってんの!?昏睡状態の人がどうやって喋るのよ!」
必死に腕を振りほどこうとしながら、ジャンに触れようと手を伸ばすなまえを、フレイヤは力づくで止めていた。
個室のこの部屋は、それほど広くはない。フレイヤが、ほんの少し気を抜けば、なまえはベッドに辿り着いてしまうだろう。
ジャンに触れたいなまえと、絶対にジャンに近寄らせたくないフレイヤによるもみ合い状態だった。
「夢で…っ、ジャンが、好きって…っ。」
「は?」
「私のこと…っ、好きって…っ。」
「いい加減にして!!」
なまえのあまりに身勝手な言い分に、フレイヤの怒りは、頂点を越えた。
怒鳴ったのと同時に、腹を思いっきり蹴ったのがうまくいったようで、なまえは苦し気な声を漏らしながら、仰向けに倒れむと、尻餅をついてベッドの柵に頭をぶつけた。
痛みに顔を顰め、ぶつけた頭をさするなまえを、フレイヤは、恨みを込めて睨み、見下ろす。
「アンタの夢のせいで、私達調査兵がどれだけ迷惑を被ってきたと思ってんの。」
フレイヤが冷たく言えば、なまえは焦ったように顔を上げた。
「違う…っ、私はただ…っ。」
「それで?今度は、夢でジャンさんが、アンタを好きって言ったって?
どんだけおめでたいの、頭おかしいんじゃないの?」
「でも、私は…、」
「いい加減、現実見なよ!!ねぇ、見て!!見てよ!!
そこで寝てるのは、アンタの大好きな夢の一番の被害者よ!!
殺されかけたの!アンタのせいで!死ぬかもしれなかったの!!」
フレイヤは、ベッドで眠るジャンを指さすと、声の限り叫ぶようにして怒鳴った。
何か言い訳をしようとしていたなまえも、漸く、罪を意識したような顔をして唇を噛んだ。
でも、もう遅いのだ。
今更、後悔したって遅い。
ジャンは襲われたし、なまえが寝取って殺したという友人の恋人はもう、この世にいない。
「夢なんか見なくたって、目が覚めたジャンさんが、アンタに何て言うか、手に取るようにわかるわ。
いつも夢見心地で、現実の分からないなまえさんに、特別に教えてあげましょうか。」
「…な、に?」
なまえは、怯えたように瞳を揺らした。
震える声は、聞きたくないと言っているようだ。
自分が完全に優位に立っているこの状況は、フレイヤの嗜虐性を刺激した。
ひどく、気持ちがよかった。
「近寄るな、人殺し。」
フレイヤは、敢えて声を低く落とし、冷たく告げる。
なまえが、ビクッと肩を揺らした。
ショック、悲しい、絶望、ありとあらゆる負の感情を宿すなまえの瞳を見下ろすのは、今までフレイヤが生きてきた中で、もっとも最高の光景のひとつだった。
「お前なんか、死ぬほどきら———。」
「私は、ジャンの言葉で聞くまで、信じない。」
絶望に落とそうとしたとっておきの科白は、なまえの強い意志のある瞳に邪魔された。
ふわふわと夢ばかり見ているくせに、こうやって、土壇場で強くあろうとする彼女が、心底嫌いだ。
そういうところが、調査兵達がなまえを慕う理由だと知っている。
楽しい夢を見て、ツライことは見て見ぬふりをしてきたくせに、最後のいいところばかり持っていく、彼女が、大嫌いだ。
「あ、そ。じゃあ、ジャンさんに直接言ってもらえばいいわ。
死ぬほど嫌いだって。」
「…っ。」
悲しそうに瞳を揺らすくせに、なまえはもう、怯えてはいなかった。
きっと、ジャンを信じる覚悟を決めたのだろう。
そんなもの、どうせ、粉々に打ち砕かれることになるだけなのに。
あまりにも真っすぐすぎて、そろそろ憐れに見えてくる。
「とにかく、ジャンさんの大切なご両親は
アンタのことを死ぬほど嫌ってるんだから、今すぐ出て行って。」
否定しようのない事実を突きつければ、なまえは漸く、病室を出て行ってくれた。
静かに扉が閉まったのを確認した後、フレイヤは、今度こそ自分がベッド脇の椅子に腰を降ろす。
「ふぅ…。」
とりあえず、落ち着いて、ホッと小さく息を吐く。
ジャンの隣、それは今、フレイヤのものだ。
今がチャンスだと、ジャンに近づこうとしている女がいないわけではない。
でも、ジャンの両親とも仲良くしているフレイヤの隙を狙えないのが、現状だ。
このまま、ジャンの隣は守りきる。必ず。
「ジャンさん、私のジャンさん。
ずっと、そばにいますからね。」
フレイヤは、満足気に微笑むと、ジャンの髪を優しく撫でた。
ジャンの髪の柔らかさは、もう覚えた。手の大きさも、温もりも、覚えた。
———あとは、何を覚えようか。
フレイヤが、ジャンの唇に触れる———。