◇第八十三話◇責任の所在を探し続ける【中編】
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「ジャンのやつ、目ぇ覚ますよな。」
昼間に作ったばかりの高見の見張り台の遥か上には、闇が広がっていた。
そして、ゲルガーが呟いたその瞬間に、願いまでかき消そうとするかのように、壁外の広い大地に突風が吹いて追い打ちをかけるのだ。
辺り一面に、魔女の悲鳴のような音を響かせた強い風が、暗闇に染まる木々の若葉を揺らす。
いつ決行出来るか分からない壁外調査の為に、拠点の設営や、大雨によって破壊された罠の作り直し———壁外調査がないと調査兵は何もすることがないと思われがちだけれど、だからこそ、いつでも壁外調査に出られるように、準備しておかなければならないことが山ほどあるのだ。
そんな状況で起こったのが、休職中だった駐屯兵が調査兵を刺し殺そうとするという前代未聞の事件だった。
あれから1週間、三兵団内では大きな混乱と騒ぎを見せたものの、世間にはまだ隠し通せているのは、憲兵団が早期の解決に尽力してくれたおかげだ。
そうして、なぜか、事件を起こした彼女は元駐屯兵となり、動機は単なる男女間の縺れと安易に決めつけたことで、調査兵団にもあまり大きなペナルティはなかった。
事件の3日後、憲兵団に呼び出された団長のエルヴィンと元凶と呼ばれているなまえがプライベートの乱れについて注意を受け、報告書の提出が求められたくらいだ。
『申し訳ありません。すべて、その通りです。』
それが〝その通り〟ではないことを一番知っているはずのなまえが、気持ちを押し殺した。
強く前を見る目は、傷つけられた大切な人の命ではなく、人類の未来を守ることを選んだのだ。
それがどれほど苦しく、残酷な選択だったのか、痛いほど分かってしまうゲルガーとナナバに、何が言えただろうか。
今頃、〝眠り姫〟と呼ばれるなまえは眠りもしないで、自分の代わりに眠り続けるジャンの看病をしているのだろう。
彼女達のことを思うと、居ても立っても居られないのに、調査兵という立場が、自分達を壁内には留めてはくれない。
壁内に帰れるのは、明日、次の中間地点まで行って拠点を設営してからだ。
本当は今すぐに、なまえの元へ駆け寄りたいのに———。
「当たり前じゃないか。」
ナナバは、当然のように言ってのけ、視線から逃げるように双眼鏡を覗きこんだ。
でも、雲に星も月も隠された今夜は、必死に目を凝らしたところで、近くも遠くも見えるのは闇ばかりだ。
せめて、憎い敵の姿でも見えていれば、気持ちを奮い立たせることが出来たというのに、超硬質ブレードを振り上げる相手すら見つからない。
ジャンが刺されて、1週間。
一時は救命も危ぶまれたものの、駐屯兵団の救護班達の的確な応急処置と、猛スピードで駆け付けた調査兵団の救護班達の頑張りのおかげで、なんとか命を繋ぎ留めることに成功した。
それも、贔屓目でもなんでもなく、目を背けたくなる程の地獄のような状態の仲間達を、何人も救い、何人も見送ってきた調査兵団の救護班達の知識と経験のおかげだった。
でも彼らは、臓器を尽く避けて刺される、という強運に恵まれた『ジャンの〝生きたいとする力〟が彼を生かしているのだ』と断言した。
それならば、そろそろ目を覚ましてもいいのではないか———それが治療の一環なのだとは知っていても、早く安心したくて、どうしてもそう願ってしまう。
「俺達なら…、」
口を開きかけたゲルガーだったけれど、どうしてもその先を言いきれずに口を閉じた。
それでも、ナナバの心には、彼の科白の続きが聞こえたのだ。
『私達なら、ジャンとなまえを救えたんじゃないのか。』
自分の声に、とても似ていた気がするソレは、あの日からずっと自問自答するナナバの心の中で繰り返され続けている。
そして辿り着くのは、こうなってしまったのは自分達のせいなのだという、ひどい後悔の念だ。
なぜなら、婚約者と周知されているなまえとジャンの本当の関係を知っていたのは、自分達だけしかいなかったのだ。
地獄の起きたあの日、なまえがどれほど狼狽え、狂ったように泣き喚き、自分を責めていたのかも、知っている。
だから思ってしまうのだ。
悪いのは、自分だ。自分がどうにかしていれば、少なくとも、こんな最低な〝今〟はやってきていないのではないか————そうやって自分を責めることで、彼女がひとりで抱えようとしている闇を一緒に抱えている気になって、罪悪感から逃れようとしているのかもしれない。
「ゲルガーさん、ナナバさん、様子はどうですか?」
後ろから声をかけてきたのは、拠点設営の為に一緒に壁外に出たライナーとベルトルトだった。
毎回、出来る限りの犠牲を減らすために、少数の精鋭兵でグループを組み、拠点設営に向かう。
今回、ハンジ班から借りてきた彼らの高い実力と判断力は、かなりの助けになった。
「あぁ、問題ないよ。今のところはね。」
「夜も遅いですしね。巨人も寝てるんでしょう。」
「ゲルガーさん達は寝てください。僕達が交代しますよ。」
「そうだな・・・。」
ゲルガーが、ナナバに視線を送る。
判断は任せた———ということらしい。
小さく肩を竦めた後、ナナバは、兵団ジャケットの胸ポケットから懐中時計を取り出した。
「あと1時間は、私達が見張りをするよ。
それなら、誰が睡眠不足になってもフェアだ。」
「フェアって何すか。」
ライナーがハハッと軽く笑う。
「あまり無理しないでくださいね。
拠点設営も巨人討伐も、俺達、助けられてばかりだったので、体力はまだ残ってます。
他の先輩たちも疲れて眠っているし、
ナナバさん達が好きな時に、いつでも交代するつもりでいますから。」
「あぁ、ありがとな。」
それじゃあ———と、ライナーとベルトルトが背を向ける。
見張り台を降りて行った頼れる後輩を見送り、ナナバは懐中時計を胸ポケットに戻した。
「誰も、」
しばらくして、ライナーのいびきが騒がしくなってきた頃、ゲルガーが口を開いた。
夜空を見上げる彼は、いつも力強く敵を睨みつける瞳に今夜も力をこめているのに、泣いてるように見えたのだ。
その姿は、強く、ひたすらに強く、ただひたすらに、雲の向こうに隠されている月を探しているようだった。
彼の視線を追いかけるように、ナナバも真っ暗の闇を見上げる。
「悪くねぇのかもしれねぇな。」
「あぁ、そうだね。私も今、そう思っていたところだ。」
ナナバは、唯一、自分の気持ちを理解し、そして同じように感じてくれているゲルガーの隣で、分厚い雲に隠されている月を探し続けた。
その月さえ見つかれば、この闇は晴れて、美しい光の下に、本当の〝真実〟が晒され、誰もが笑っている未来が来るような気がした。
ただ、それまでは———。
どうしてもそれまでは————。
誰かのせいにして、心を保たなければ、膝から崩れ落ちてしまいそうなのだ。
だから、その日まで———。
もしかしたら自分達は、一生、自分を責めながら生きていくのかもしれない。
漠然と、そんなことを思ったのだ。
だって、目を開いてしまった自分達の目の前に広がる闇が、あまりにも深いから————。
昼間に作ったばかりの高見の見張り台の遥か上には、闇が広がっていた。
そして、ゲルガーが呟いたその瞬間に、願いまでかき消そうとするかのように、壁外の広い大地に突風が吹いて追い打ちをかけるのだ。
辺り一面に、魔女の悲鳴のような音を響かせた強い風が、暗闇に染まる木々の若葉を揺らす。
いつ決行出来るか分からない壁外調査の為に、拠点の設営や、大雨によって破壊された罠の作り直し———壁外調査がないと調査兵は何もすることがないと思われがちだけれど、だからこそ、いつでも壁外調査に出られるように、準備しておかなければならないことが山ほどあるのだ。
そんな状況で起こったのが、休職中だった駐屯兵が調査兵を刺し殺そうとするという前代未聞の事件だった。
あれから1週間、三兵団内では大きな混乱と騒ぎを見せたものの、世間にはまだ隠し通せているのは、憲兵団が早期の解決に尽力してくれたおかげだ。
そうして、なぜか、事件を起こした彼女は元駐屯兵となり、動機は単なる男女間の縺れと安易に決めつけたことで、調査兵団にもあまり大きなペナルティはなかった。
事件の3日後、憲兵団に呼び出された団長のエルヴィンと元凶と呼ばれているなまえがプライベートの乱れについて注意を受け、報告書の提出が求められたくらいだ。
『申し訳ありません。すべて、その通りです。』
それが〝その通り〟ではないことを一番知っているはずのなまえが、気持ちを押し殺した。
強く前を見る目は、傷つけられた大切な人の命ではなく、人類の未来を守ることを選んだのだ。
それがどれほど苦しく、残酷な選択だったのか、痛いほど分かってしまうゲルガーとナナバに、何が言えただろうか。
今頃、〝眠り姫〟と呼ばれるなまえは眠りもしないで、自分の代わりに眠り続けるジャンの看病をしているのだろう。
彼女達のことを思うと、居ても立っても居られないのに、調査兵という立場が、自分達を壁内には留めてはくれない。
壁内に帰れるのは、明日、次の中間地点まで行って拠点を設営してからだ。
本当は今すぐに、なまえの元へ駆け寄りたいのに———。
「当たり前じゃないか。」
ナナバは、当然のように言ってのけ、視線から逃げるように双眼鏡を覗きこんだ。
でも、雲に星も月も隠された今夜は、必死に目を凝らしたところで、近くも遠くも見えるのは闇ばかりだ。
せめて、憎い敵の姿でも見えていれば、気持ちを奮い立たせることが出来たというのに、超硬質ブレードを振り上げる相手すら見つからない。
ジャンが刺されて、1週間。
一時は救命も危ぶまれたものの、駐屯兵団の救護班達の的確な応急処置と、猛スピードで駆け付けた調査兵団の救護班達の頑張りのおかげで、なんとか命を繋ぎ留めることに成功した。
それも、贔屓目でもなんでもなく、目を背けたくなる程の地獄のような状態の仲間達を、何人も救い、何人も見送ってきた調査兵団の救護班達の知識と経験のおかげだった。
でも彼らは、臓器を尽く避けて刺される、という強運に恵まれた『ジャンの〝生きたいとする力〟が彼を生かしているのだ』と断言した。
それならば、そろそろ目を覚ましてもいいのではないか———それが治療の一環なのだとは知っていても、早く安心したくて、どうしてもそう願ってしまう。
「俺達なら…、」
口を開きかけたゲルガーだったけれど、どうしてもその先を言いきれずに口を閉じた。
それでも、ナナバの心には、彼の科白の続きが聞こえたのだ。
『私達なら、ジャンとなまえを救えたんじゃないのか。』
自分の声に、とても似ていた気がするソレは、あの日からずっと自問自答するナナバの心の中で繰り返され続けている。
そして辿り着くのは、こうなってしまったのは自分達のせいなのだという、ひどい後悔の念だ。
なぜなら、婚約者と周知されているなまえとジャンの本当の関係を知っていたのは、自分達だけしかいなかったのだ。
地獄の起きたあの日、なまえがどれほど狼狽え、狂ったように泣き喚き、自分を責めていたのかも、知っている。
だから思ってしまうのだ。
悪いのは、自分だ。自分がどうにかしていれば、少なくとも、こんな最低な〝今〟はやってきていないのではないか————そうやって自分を責めることで、彼女がひとりで抱えようとしている闇を一緒に抱えている気になって、罪悪感から逃れようとしているのかもしれない。
「ゲルガーさん、ナナバさん、様子はどうですか?」
後ろから声をかけてきたのは、拠点設営の為に一緒に壁外に出たライナーとベルトルトだった。
毎回、出来る限りの犠牲を減らすために、少数の精鋭兵でグループを組み、拠点設営に向かう。
今回、ハンジ班から借りてきた彼らの高い実力と判断力は、かなりの助けになった。
「あぁ、問題ないよ。今のところはね。」
「夜も遅いですしね。巨人も寝てるんでしょう。」
「ゲルガーさん達は寝てください。僕達が交代しますよ。」
「そうだな・・・。」
ゲルガーが、ナナバに視線を送る。
判断は任せた———ということらしい。
小さく肩を竦めた後、ナナバは、兵団ジャケットの胸ポケットから懐中時計を取り出した。
「あと1時間は、私達が見張りをするよ。
それなら、誰が睡眠不足になってもフェアだ。」
「フェアって何すか。」
ライナーがハハッと軽く笑う。
「あまり無理しないでくださいね。
拠点設営も巨人討伐も、俺達、助けられてばかりだったので、体力はまだ残ってます。
他の先輩たちも疲れて眠っているし、
ナナバさん達が好きな時に、いつでも交代するつもりでいますから。」
「あぁ、ありがとな。」
それじゃあ———と、ライナーとベルトルトが背を向ける。
見張り台を降りて行った頼れる後輩を見送り、ナナバは懐中時計を胸ポケットに戻した。
「誰も、」
しばらくして、ライナーのいびきが騒がしくなってきた頃、ゲルガーが口を開いた。
夜空を見上げる彼は、いつも力強く敵を睨みつける瞳に今夜も力をこめているのに、泣いてるように見えたのだ。
その姿は、強く、ひたすらに強く、ただひたすらに、雲の向こうに隠されている月を探しているようだった。
彼の視線を追いかけるように、ナナバも真っ暗の闇を見上げる。
「悪くねぇのかもしれねぇな。」
「あぁ、そうだね。私も今、そう思っていたところだ。」
ナナバは、唯一、自分の気持ちを理解し、そして同じように感じてくれているゲルガーの隣で、分厚い雲に隠されている月を探し続けた。
その月さえ見つかれば、この闇は晴れて、美しい光の下に、本当の〝真実〟が晒され、誰もが笑っている未来が来るような気がした。
ただ、それまでは———。
どうしてもそれまでは————。
誰かのせいにして、心を保たなければ、膝から崩れ落ちてしまいそうなのだ。
だから、その日まで———。
もしかしたら自分達は、一生、自分を責めながら生きていくのかもしれない。
漠然と、そんなことを思ったのだ。
だって、目を開いてしまった自分達の目の前に広がる闇が、あまりにも深いから————。