◇第八話◇夢想家と現実主義者
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なまえとジャンが調査兵団兵舎に隣接されている訓練場にやって来たのは、ミケ分隊に所属する調査兵達が、各班に分かれて、模型を用いた巨人討伐訓練をしているときだった。
最初に、彼らに気づいたのは、若い兵士達だった。
同じミケ分隊に所属していながら、特殊任務遂行のために、共に行動することの少ないなまえとジャンは、彼らにとっては、夢の中の住人のような存在に近いのかもしれない。
急にソワソワし始めて、そばにいる者同士でコソコソと話し出した班員達の視線を追って、ナナバとゲルガーも漸く、なまえとジャンに気がついた。
今日、2人が一緒に訓練に参加するという予定は入っていない。
そもそも、彼らが参加するのは、全体訓練の時くらいだ。
それすらも、精鋭兵としての危険任務を想定した訓練の方にいるから、所属分隊の調査兵達と訓練をすること自体が、ほとんどない。
両親と交わした10年の約束の期限が訪れ、今月末で調査兵団を去ることが決まったとなまえから聞いたのは、昨日のことだ。
その件で話をしに来たのだろう、ということはすぐに分かった。
だが、なまえは、感情がすぐに顔に出る。
そして今、彼女はとてもご機嫌な様子で、遠くからでしか分からないが、鼻歌でも口ずさんでいそうな雰囲気だった。
ナナバは、ゲルガーの方を向いた。
ゲルガーと目が合う。彼も同じことを感じたのだろう。
目がキラリと輝き、口の端がにぃっと上がっていた。
きっと、良い報告を持ってきたに違いない。
嬉しいことがあると、胸にとどめておくことが出来ない彼女の性格も、長い付き合いでよく理解していた。
よい報告を手に入れた足で、訓練場に訪れたのだろう。
「休憩!!私が戻るまで休むか自主練するか、自由にしてて!」
「俺の班もだ!!おい、コニー!!余計なことはすんじゃねぇぞ!!」
ナナバとゲルガーが、班員達に声をかけると、なまえとジャンの元へ駆け寄った。
「俺は、サシャとコニーに伝言があるんで、アイツ等のとこに行ってます。
話が終わったら呼んでください。」
「うん、分かった。付き合ってくれて、ありがとうね。」
「いえ。これも俺の仕事なんで。」
ナナバとジャンがやってきたのとすれ違いに、ジャンは、軽く会釈をすると、たった今、休憩を言い渡されたばかりの同期の元へとのんびり歩いて向かった。
ナナバとゲルガーは、早速、何があったのかを訊ねた。
伝えたくてウズウズしているなまえも、雑談も交えずに、早速本題に入ってくれた。
そして、その内容を理解していくうちに、自分の顔の表情筋が笑顔を作っていくのを感じていた。
ナナバとゲルガーは、互いの顔を見合わせる。
ニィッと上がった口の端と、キラキラと輝いた瞳、大輪の花が咲いたような明るい笑顔だ。
たぶん、いや、きっと、鏡のように、同じ顔をしている自信があった。
遠くから、ジャンに伝言を伝えられたらしいサシャとコニーの「それはいいですね!!」「楽しみだぜ!!」という嬉しそうな声が聞こえて来た。
ジャンが届けたのがどんな伝言だったのかは分からないが、彼らも、同期から嬉しい報告を貰えたようだ。
「2人の笑ってる顔が見れて良かった。」
なまえが、心から嬉しそうな笑顔で言った。
昨日、友人の背中を押してやるためにも笑ってやらなければと思っても、どうしても出来なかったナナバとゲルガーを見て、なまえがとても傷ついていたことには、気づいていた。
彼女もそうなのかもしれないけれど、ナナバも、ゲルガーも、大切な同期に、見慣れた屈託のない笑顔が戻ったことが嬉しかった。
「さすがジャンだね。
彼ならなまえを絶対に引き留めてくれると信じてたよ。
——まぁ、偽物の恋人になってしまうとは想像してなかったけどね。」
「アイツはやる男だと思ってたぜ。」
ナナバに続いて、ゲルガーが鼻を高くして言った。
猪突猛進な彼は、人の気持ちや空気を読むことが、あまり得意な方ではない。
だから、どれくらい本気でそれを言っているのかは分からない。
でも、ナナバは、思っていたのだ。
ジャンなら、きっとなまえを引き留めてくれる——、それは願望に近かったかもしれないけれど、引き留めるのならきっと彼だろうくらいには、本気で思っていた。
だが——。
「引き留められたわけじゃないけどね。」
なまえが眉尻を下げ、少し困ったように言った。
彼女の視線は、訓練場にいる調査兵達の方を向いていた。
何気なく、その視線の先を追いかければ、班長に休憩を言い渡されたというのに、高い志とやる気に満ち溢れている調査兵達が、自主訓練を始めていた。
立体起動装置の扱いが調査兵団でトップクラスに上手いジャンが現れたことがよほど嬉しかったのか、若い兵士達は彼の周りを囲んで、指導を懇願しているようだった。
だが、ジャンは、困った様子で首を横に振っていた。
ナナバは、以前、彼が、後輩の面倒を見るのは苦手だと言っていたのを思い出した。
謙遜でもなんでもなく、本気のようだったけれど、ナナバはそうは思わない。
精鋭兵のみで危険任務に向かうとき、サポートとして参加することになったジャンに、ミケがよく指揮役を命じているのも、同じ気持ちからなのだろうと思っている。
座学や技術面もよく出来ているジャンだが、誰かよりすごく優れているというわけではない。
なまえはどちらかと言えば、凡人では括られないタイプの人間だ。
彼女はただの妄想だと笑っているけれど、アッと驚くような物語は、聞いている人達に力を与えて、幸せにする。そして、それが、調査兵団の壁外奪還作戦の参考になることもある。
だが、ジャンは違う。
良くも悪くも、普通の人間なのだ。
人類最強の兵士と呼ばれるリヴァイや奇人と呼ばれるハンジのように、どこかの分野で人より秀でているものがあるわけではない。
努力と器用さが、彼をここまで成長させた〝普通の人間〟なのだ。
だが、この世界にいるのは、大抵が〝普通の人間〟だ。
そして、彼は、人のことを良く見ていて、状況把握の能力も高い。
だからこそ、自分と同じ普通の人間が何を考えて、どうやって動くのかをよく理解しているのだ。
彼ほど、指揮役に向いている人はなかなかいない。
指揮役としての経験を積んで行けば、恐らく彼は、上に立つタイプの人間になるはずだ。
ミケが、まだ兵団歴4年の彼に、批判を覚悟で指揮役を命じているのは、将来の調査兵団を見据えてのことなのだろう。
「私、昨日、歳下の補佐官に怒られたの。」
不意に、なまえがポツリと呟くように言った。
「怒られた?」
「うん。10年の約束なんだから仕方ないって諦めてたら、
ヘラヘラ言い訳してないで、いい加減腹括れよって言われちゃった。」
苦笑を浮かべ、なまえは、照れ臭さを誤魔化すみたいに、頬を掻いた。
「そうか。」
ナナバの隣で、ゲルガーも同じ言葉を漏らしていた。
視線の向こうでは、とうとう根負けしたジャンが、若い兵士達に立体起動装置の訓練指導を始めていた。
(そうか、彼が。)
目上の上官に対してのセリフではないことは、もちろん、理解していた。
でも、ナナバの胸には、じんわりと温かいものが広がっていた。
悲しいこと、苦しいこと、目を反らしたいことを前にした時、なまえがそれを笑って誤魔化していることは知っていた。
辛い経験を、彼女はいつもそうやって、乗り越えてきたのだ。
だから、それが正解の方法だとは思っていなくても、ナナバとゲルガーは、間違っていると指摘なんて出来なかった。
一番長い付き合いだからこそ、彼女の苦しみをより多く理解してしまっていて、指摘することを躊躇してしまうのだ。
でもそこを、歳下で、補佐官であるジャンが、ハッキリと叱ってくれたのか——。
それは、とてつもなく有難いことだ。
誰が、目上の人間に、だとか、上官に向かって、だとか目くじらを立てるだろうが。
どう考えたって、頼りがいのある、とても素晴らしい補佐官じゃないか——。
「すごく失礼な言い方だったけどね、言い返せなかったよ。
全部、言い当てられてたから。」
「そうか。すごい補佐官を持ったんだな。」
「うん、自慢の補佐官だよ。歳下だけど、すごく尊敬してる。
たぶん、ジャンが思うよりも私の方が尊敬してるんじゃないかなぁ。」
ヘラヘラと笑ったなまえに、ナナバとゲルガーが苦笑を返した。
冗談交じりな言い方だったけれど、きっとそれは本音なのだろう。
確かに、幹部兵からベテラン兵、精鋭兵までが、ジャンのことをよく頑張っていると評価している。
まだ兵団歴2年という経験の浅い若い兵士が、新しく出来た副兵士長の補佐になると決まったとき、その配属を疑問視する調査兵や反対する声もなかったわけではない。
でも今、そんな声を全く聞かなくなったのは、彼の頑張りもあっただろうが、何よりも、団長が、他の誰でもなく彼を補佐官に選んだ理由を納得させてしまうだけの実力を持っていたからだ。
今では、後輩達にも頼りにされているし、先輩兵士達も彼のことを認めて、対等の精鋭兵として扱っている。
それが、上官のなまえに対する生意気な態度に繋がってしまっている気もするが、それもまた仕方ない。
「ジャンってさ、誰よりも現実を見てるんだよね。」
なまえは、訓練指導をしているジャンを見ながら言った。
真面目な彼は、立体起動のコツを真剣に若い兵士に教えている。
「そうかもしれねぇな。」
ゲルガーが言った隣で、ナナバも頷く。
ジャンは、一歩引いて、この世界の現状や、人類が置かれている状況を把握している。
その上で、自分達が何をすべきなのか、を自分なりに考えるということが出来ている。
だからときに、非情なことだったり、人間の弱さを零しているように聞こえることもある。
でもそれが、彼が誰よりも現実を見ている普通の人間、という最もの証拠なのだ。
それに、ジャンは、自分の性格もしっかりと理解している。
そして、それは、とてもすごいことだ。
誰だって、己の弱さを映し出す自分の性格なんて、理解したいとは思わないから———。
「夢ばかり見てる私とは正反対なの。
現実主義者のジャンが、文句を言いつつも
夢想家の私と一緒に仕事してくれてるのが不思議なくらい。」
なまえが、アハハと笑った。
確かに、彼女とジャンは、正反対だ。
そう思っているのは、ナナバやゲルガーだけではないはずだ。
壁外でも、壁内でも、共に任務を遂行しているなまえも、同じ惨い現実を見ている。
だが、悲鳴を上げたいほどの地獄を目の前にしてしまったとき、なまえとジャンは全く違う方向を向く。
ジャンは、正しい答えを導き出し勝利するために現実と向き合う覚悟を決めて、なまえは夢に逃げて現実に潰されてしまわないように自らを守る。
どちらも、この残酷な世界を生き抜くための術だけれど、根本が違う。
たぶん、なまえとジャンは、一緒に立ってはいるけれど、いつも背中合わせなのだ。
遠くにいるわけではない。
背中をピタリと合わせて、お互いの鼓動は聞こえている。
そこに存在していることを、認め合ってはいる。
ただ、全然、違う方を向いている。
彼らの見ている世界が交わることは、決してないのかもしれない。
でも、なまえとジャンの戦闘を何度か見たことがあるけれど、その時に、ナナバが凄く感じたことがある。
彼らは、ナナバとゲルガーがよくしているように、コンビネーションを駆使して、共闘するようなことはしていなかった。
ただ、自らの背中を、互いにパートナーを信頼して預けていたのだ。
それが、とても印象的で、あのときの胸に刺さるような不思議な感覚は、今でもハッキリと覚えている。
たぶん、彼らは、お互いに全く違うからこそ、自分には無いものを持っている相手のことを、心から尊敬しているのだろう。
それを、なまえとジャンが自覚し合っているのかは、また別の話だけれど———。
「だからいいんじゃないのか?」
ナナバがそう言うと、なまえは不思議そうに首を傾げた。
「だから?」
「なまえの夢想家も、ジャンの現実主義者も
どっちも振り切ってるから、アンタ達が一緒にいることで、
ちょうどよく緩和されてるってことさ。」
「あ~、そうかも。」
なまえが、開いた掌に、軽く握った拳をポンッと落とした。
都合のいい解釈かもしれないと思いながらも、ナナバ自身もそれがなんだかすごく腑に落ちた。
だが、自分の言葉を、想像以上に容易く素直に受け入れてくれた同期の単純さが可笑しくて、思わずクスリと笑ってしまった。
最初に、彼らに気づいたのは、若い兵士達だった。
同じミケ分隊に所属していながら、特殊任務遂行のために、共に行動することの少ないなまえとジャンは、彼らにとっては、夢の中の住人のような存在に近いのかもしれない。
急にソワソワし始めて、そばにいる者同士でコソコソと話し出した班員達の視線を追って、ナナバとゲルガーも漸く、なまえとジャンに気がついた。
今日、2人が一緒に訓練に参加するという予定は入っていない。
そもそも、彼らが参加するのは、全体訓練の時くらいだ。
それすらも、精鋭兵としての危険任務を想定した訓練の方にいるから、所属分隊の調査兵達と訓練をすること自体が、ほとんどない。
両親と交わした10年の約束の期限が訪れ、今月末で調査兵団を去ることが決まったとなまえから聞いたのは、昨日のことだ。
その件で話をしに来たのだろう、ということはすぐに分かった。
だが、なまえは、感情がすぐに顔に出る。
そして今、彼女はとてもご機嫌な様子で、遠くからでしか分からないが、鼻歌でも口ずさんでいそうな雰囲気だった。
ナナバは、ゲルガーの方を向いた。
ゲルガーと目が合う。彼も同じことを感じたのだろう。
目がキラリと輝き、口の端がにぃっと上がっていた。
きっと、良い報告を持ってきたに違いない。
嬉しいことがあると、胸にとどめておくことが出来ない彼女の性格も、長い付き合いでよく理解していた。
よい報告を手に入れた足で、訓練場に訪れたのだろう。
「休憩!!私が戻るまで休むか自主練するか、自由にしてて!」
「俺の班もだ!!おい、コニー!!余計なことはすんじゃねぇぞ!!」
ナナバとゲルガーが、班員達に声をかけると、なまえとジャンの元へ駆け寄った。
「俺は、サシャとコニーに伝言があるんで、アイツ等のとこに行ってます。
話が終わったら呼んでください。」
「うん、分かった。付き合ってくれて、ありがとうね。」
「いえ。これも俺の仕事なんで。」
ナナバとジャンがやってきたのとすれ違いに、ジャンは、軽く会釈をすると、たった今、休憩を言い渡されたばかりの同期の元へとのんびり歩いて向かった。
ナナバとゲルガーは、早速、何があったのかを訊ねた。
伝えたくてウズウズしているなまえも、雑談も交えずに、早速本題に入ってくれた。
そして、その内容を理解していくうちに、自分の顔の表情筋が笑顔を作っていくのを感じていた。
ナナバとゲルガーは、互いの顔を見合わせる。
ニィッと上がった口の端と、キラキラと輝いた瞳、大輪の花が咲いたような明るい笑顔だ。
たぶん、いや、きっと、鏡のように、同じ顔をしている自信があった。
遠くから、ジャンに伝言を伝えられたらしいサシャとコニーの「それはいいですね!!」「楽しみだぜ!!」という嬉しそうな声が聞こえて来た。
ジャンが届けたのがどんな伝言だったのかは分からないが、彼らも、同期から嬉しい報告を貰えたようだ。
「2人の笑ってる顔が見れて良かった。」
なまえが、心から嬉しそうな笑顔で言った。
昨日、友人の背中を押してやるためにも笑ってやらなければと思っても、どうしても出来なかったナナバとゲルガーを見て、なまえがとても傷ついていたことには、気づいていた。
彼女もそうなのかもしれないけれど、ナナバも、ゲルガーも、大切な同期に、見慣れた屈託のない笑顔が戻ったことが嬉しかった。
「さすがジャンだね。
彼ならなまえを絶対に引き留めてくれると信じてたよ。
——まぁ、偽物の恋人になってしまうとは想像してなかったけどね。」
「アイツはやる男だと思ってたぜ。」
ナナバに続いて、ゲルガーが鼻を高くして言った。
猪突猛進な彼は、人の気持ちや空気を読むことが、あまり得意な方ではない。
だから、どれくらい本気でそれを言っているのかは分からない。
でも、ナナバは、思っていたのだ。
ジャンなら、きっとなまえを引き留めてくれる——、それは願望に近かったかもしれないけれど、引き留めるのならきっと彼だろうくらいには、本気で思っていた。
だが——。
「引き留められたわけじゃないけどね。」
なまえが眉尻を下げ、少し困ったように言った。
彼女の視線は、訓練場にいる調査兵達の方を向いていた。
何気なく、その視線の先を追いかければ、班長に休憩を言い渡されたというのに、高い志とやる気に満ち溢れている調査兵達が、自主訓練を始めていた。
立体起動装置の扱いが調査兵団でトップクラスに上手いジャンが現れたことがよほど嬉しかったのか、若い兵士達は彼の周りを囲んで、指導を懇願しているようだった。
だが、ジャンは、困った様子で首を横に振っていた。
ナナバは、以前、彼が、後輩の面倒を見るのは苦手だと言っていたのを思い出した。
謙遜でもなんでもなく、本気のようだったけれど、ナナバはそうは思わない。
精鋭兵のみで危険任務に向かうとき、サポートとして参加することになったジャンに、ミケがよく指揮役を命じているのも、同じ気持ちからなのだろうと思っている。
座学や技術面もよく出来ているジャンだが、誰かよりすごく優れているというわけではない。
なまえはどちらかと言えば、凡人では括られないタイプの人間だ。
彼女はただの妄想だと笑っているけれど、アッと驚くような物語は、聞いている人達に力を与えて、幸せにする。そして、それが、調査兵団の壁外奪還作戦の参考になることもある。
だが、ジャンは違う。
良くも悪くも、普通の人間なのだ。
人類最強の兵士と呼ばれるリヴァイや奇人と呼ばれるハンジのように、どこかの分野で人より秀でているものがあるわけではない。
努力と器用さが、彼をここまで成長させた〝普通の人間〟なのだ。
だが、この世界にいるのは、大抵が〝普通の人間〟だ。
そして、彼は、人のことを良く見ていて、状況把握の能力も高い。
だからこそ、自分と同じ普通の人間が何を考えて、どうやって動くのかをよく理解しているのだ。
彼ほど、指揮役に向いている人はなかなかいない。
指揮役としての経験を積んで行けば、恐らく彼は、上に立つタイプの人間になるはずだ。
ミケが、まだ兵団歴4年の彼に、批判を覚悟で指揮役を命じているのは、将来の調査兵団を見据えてのことなのだろう。
「私、昨日、歳下の補佐官に怒られたの。」
不意に、なまえがポツリと呟くように言った。
「怒られた?」
「うん。10年の約束なんだから仕方ないって諦めてたら、
ヘラヘラ言い訳してないで、いい加減腹括れよって言われちゃった。」
苦笑を浮かべ、なまえは、照れ臭さを誤魔化すみたいに、頬を掻いた。
「そうか。」
ナナバの隣で、ゲルガーも同じ言葉を漏らしていた。
視線の向こうでは、とうとう根負けしたジャンが、若い兵士達に立体起動装置の訓練指導を始めていた。
(そうか、彼が。)
目上の上官に対してのセリフではないことは、もちろん、理解していた。
でも、ナナバの胸には、じんわりと温かいものが広がっていた。
悲しいこと、苦しいこと、目を反らしたいことを前にした時、なまえがそれを笑って誤魔化していることは知っていた。
辛い経験を、彼女はいつもそうやって、乗り越えてきたのだ。
だから、それが正解の方法だとは思っていなくても、ナナバとゲルガーは、間違っていると指摘なんて出来なかった。
一番長い付き合いだからこそ、彼女の苦しみをより多く理解してしまっていて、指摘することを躊躇してしまうのだ。
でもそこを、歳下で、補佐官であるジャンが、ハッキリと叱ってくれたのか——。
それは、とてつもなく有難いことだ。
誰が、目上の人間に、だとか、上官に向かって、だとか目くじらを立てるだろうが。
どう考えたって、頼りがいのある、とても素晴らしい補佐官じゃないか——。
「すごく失礼な言い方だったけどね、言い返せなかったよ。
全部、言い当てられてたから。」
「そうか。すごい補佐官を持ったんだな。」
「うん、自慢の補佐官だよ。歳下だけど、すごく尊敬してる。
たぶん、ジャンが思うよりも私の方が尊敬してるんじゃないかなぁ。」
ヘラヘラと笑ったなまえに、ナナバとゲルガーが苦笑を返した。
冗談交じりな言い方だったけれど、きっとそれは本音なのだろう。
確かに、幹部兵からベテラン兵、精鋭兵までが、ジャンのことをよく頑張っていると評価している。
まだ兵団歴2年という経験の浅い若い兵士が、新しく出来た副兵士長の補佐になると決まったとき、その配属を疑問視する調査兵や反対する声もなかったわけではない。
でも今、そんな声を全く聞かなくなったのは、彼の頑張りもあっただろうが、何よりも、団長が、他の誰でもなく彼を補佐官に選んだ理由を納得させてしまうだけの実力を持っていたからだ。
今では、後輩達にも頼りにされているし、先輩兵士達も彼のことを認めて、対等の精鋭兵として扱っている。
それが、上官のなまえに対する生意気な態度に繋がってしまっている気もするが、それもまた仕方ない。
「ジャンってさ、誰よりも現実を見てるんだよね。」
なまえは、訓練指導をしているジャンを見ながら言った。
真面目な彼は、立体起動のコツを真剣に若い兵士に教えている。
「そうかもしれねぇな。」
ゲルガーが言った隣で、ナナバも頷く。
ジャンは、一歩引いて、この世界の現状や、人類が置かれている状況を把握している。
その上で、自分達が何をすべきなのか、を自分なりに考えるということが出来ている。
だからときに、非情なことだったり、人間の弱さを零しているように聞こえることもある。
でもそれが、彼が誰よりも現実を見ている普通の人間、という最もの証拠なのだ。
それに、ジャンは、自分の性格もしっかりと理解している。
そして、それは、とてもすごいことだ。
誰だって、己の弱さを映し出す自分の性格なんて、理解したいとは思わないから———。
「夢ばかり見てる私とは正反対なの。
現実主義者のジャンが、文句を言いつつも
夢想家の私と一緒に仕事してくれてるのが不思議なくらい。」
なまえが、アハハと笑った。
確かに、彼女とジャンは、正反対だ。
そう思っているのは、ナナバやゲルガーだけではないはずだ。
壁外でも、壁内でも、共に任務を遂行しているなまえも、同じ惨い現実を見ている。
だが、悲鳴を上げたいほどの地獄を目の前にしてしまったとき、なまえとジャンは全く違う方向を向く。
ジャンは、正しい答えを導き出し勝利するために現実と向き合う覚悟を決めて、なまえは夢に逃げて現実に潰されてしまわないように自らを守る。
どちらも、この残酷な世界を生き抜くための術だけれど、根本が違う。
たぶん、なまえとジャンは、一緒に立ってはいるけれど、いつも背中合わせなのだ。
遠くにいるわけではない。
背中をピタリと合わせて、お互いの鼓動は聞こえている。
そこに存在していることを、認め合ってはいる。
ただ、全然、違う方を向いている。
彼らの見ている世界が交わることは、決してないのかもしれない。
でも、なまえとジャンの戦闘を何度か見たことがあるけれど、その時に、ナナバが凄く感じたことがある。
彼らは、ナナバとゲルガーがよくしているように、コンビネーションを駆使して、共闘するようなことはしていなかった。
ただ、自らの背中を、互いにパートナーを信頼して預けていたのだ。
それが、とても印象的で、あのときの胸に刺さるような不思議な感覚は、今でもハッキリと覚えている。
たぶん、彼らは、お互いに全く違うからこそ、自分には無いものを持っている相手のことを、心から尊敬しているのだろう。
それを、なまえとジャンが自覚し合っているのかは、また別の話だけれど———。
「だからいいんじゃないのか?」
ナナバがそう言うと、なまえは不思議そうに首を傾げた。
「だから?」
「なまえの夢想家も、ジャンの現実主義者も
どっちも振り切ってるから、アンタ達が一緒にいることで、
ちょうどよく緩和されてるってことさ。」
「あ~、そうかも。」
なまえが、開いた掌に、軽く握った拳をポンッと落とした。
都合のいい解釈かもしれないと思いながらも、ナナバ自身もそれがなんだかすごく腑に落ちた。
だが、自分の言葉を、想像以上に容易く素直に受け入れてくれた同期の単純さが可笑しくて、思わずクスリと笑ってしまった。