◇第八十一話◇魔女の悲劇【後編】
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駐屯兵団本部1階にある会議室は、突然起こった事件で騒然となっていた。
血だまりの中で横たわるジャンの周りには、彼を助けようと、会議に参加していた調査兵団の幹部兵士達が集まり、必死に声掛けをしている。
「今から傷口を縛る、痛いかもしれないが堪えろ…、よ!」
手早くジャンの服を引き裂き、傷口を自分のタオルで縛っているのは、ナナバだった。そのすぐ隣で、彼女の直属の上司であるミケが調査兵達に然るべき指示を出している。
普段、駐屯兵団の援護班とチームを組んで訓練をすることが多いミケの分隊とは駐屯兵達も交友が深い。
彼らが、兵士としてとても優れていることも、危機的状況を幾度も超えてきたことも理解しているつもりだった。
でも今、駐屯兵達は、彼らと自分達の行動力の差を思い知らされている。
駐屯兵達は一歩も動けなかったのだ。
ただ茫然と突っ立っているだけだった。
でもこれは、経験値の差だけではないのかもしれない。
きっと、自分達の職場である駐屯兵団の本部内で、仲間であるはずの休職中の駐屯兵がこんな事件を起こすだなんて、どうしても信じたくなかったのだ。
「おい!!そこの駐屯兵、ボーッとしてねぇで
今すぐ救護班を呼んでこい!!」
「は…っ、はい!!」
「担架だ!!誰か、担架持ってきてくれ!!!」
「お、おおお俺がっ、行きます…!!」
「俺も!!」
「私の部屋が近いです!!今すぐ消毒水持ってきます!!」
調査兵達に急かされて、駐屯兵達が少しずつ行動をし始めても、リコはまだ、息をすることすらままならない状態だった。
リコの記憶には、いつまでも、穏やかに微笑む彼女がいる。
そんな彼女と今目の前で起こっている恐ろしい事件が、繋がらないのだ。
どうして———そればかりが頭の中でグルグルと回って混乱していた。
見覚えのある兵士達が、慌ただしく、目まぐるしく動き回る中、自分だけが違う世界にいるような感覚。まるで、起きたまま悪夢を見せられているようだった。
いつの間にか、担架がジャンの隣に並ぶように置かれていた。
救護班もこっちに向かっているところらしいが、一刻を争う事態のため、彼らの到着を待たずに、ジャンを運び出すことに決まったようだった。
ジャンが担架に乗せられた頃、見覚えのあるリーゼントの調査兵、ゲルガーが、会議室に駆け込んできた。
「こっちだ!!」
そう叫びながら、彼が会議室に連れてきたのは、なまえだった。
会議に参加していて事件を目の当たりにした彼は、すぐに婚約者であるなまえを呼びに行っていたようだ。
それにしても、なまえが調査兵団の兵舎で大好きな妄想にふけっていたのなら、こんなに早くは連れてこられない。
もしかすると、ジャンと共に駐屯兵団本部のそばまでやってきていて、どこか近くで帰りを待っていたのかもしれない。
どこまでゲルガーから話を聞いたかは分からないが、会議室に駆け込んできたなまえは、既に顔色が真っ青だった。
なまえがやってきたことに気が付いたのは、調査兵や駐屯兵だけではなかった。
「アハハハ!!なまえ、久シブリネエ!!婚約、オメデトオオオ!!!」
この惨劇の場に相応しくない高い声で笑ったのは、彼女だった。
気づかない間に、調査兵達に超硬質スチールを奪われ、後ろから羽交い絞めにされていた彼女は、自由にならない身体を気にする様子もなく、口の両端を耳のあたりまで押し上げて、アハハハと大袈裟に笑い声を上げたのだ。
「…!」
なまえも、すぐに彼女が誰だかわかったようだった。
驚いた顔をしたけれど、だからといって何かを言うわけでも、何かをするわけでもなかった。
ただ今は、そんなことよりも、婚約者であるジャンの容態の方が大切だったのだろう。
「ジャン!!」
なまえは、今まさに担架で運び出されようとしているジャンの元へと駆け寄った。
ジャンに声をかけたり、真っ赤な血を流し続ける傷口をタオルでおさえていた調査兵達が少し避けて場所を譲れば、なまえがすぐにそこに入る。
そして、ジャンに声をかけようとしたなまえは、担架の上でぐったりとしている彼を見て、言葉を失う。
それも仕方がない。
腹から血を流し続けるジャンは、血の気が引き真っ白になっていて、唇だけが異様に紫に染まっている。
かろうじて息はあるようだが、助かるかどうか五分五分といったところだろうか。
でも、まだ生きているだけ運が良い方だ。
だって、彼は、殺傷能力の極めて高い超硬質スチールで、腹部を刺されたのだ。
たとえそれが錆びて古くなっていたとしても、巨人を殺すために製造された刃は、人間の息の根を止めるくらいの力は残っていても不思議ではない。
「ジャン…っ!死なないで…っ、ジャン…っ。」
なまえの瞳には、一瞬で涙が溢れた。
そして、大粒の涙を流しながら、必死に懇願する。
「ジャン…っ、ジャン…っ。」
担架で運び出されていくジャンの頬を撫で、何度も何度も彼の名前を呼び続ける悲痛な声に、リコは胸が締め付けられた。
ひどく傷ついたその横顔を見れば、嫌でも分かる。
なまえは、ジャンを愛している。心から、愛しているのだ。
夢ばかりを見て、現実の男達の隣にいてもふわふわと空を飛ぶように笑ってすり抜けていくばかりだった彼女が、はじめて、現実の世界で、心から誰かを愛することを知ったのだ。
「やっと、アイツのその顔が見れた…。
やっと…!私の気持ちを…、これでやっとアイツにも味わわせられる…!!」
担架で運び出される婚約者と共に会議室から出ていくなまえの真っ青な泣き顔を見送りながら、彼女は、虚ろな瞳から、涙を零しながら、笑っていた。
静かに泣きながら、笑い続けていた。
リコは、結局、最後までずっと動けなかった。
調査兵達が怒鳴るように指示を出し合う声よりも、まるで魔女のような彼女の笑い声が、ひどく恐ろしくて、悲しく耳にこびりついて、鎖のように身体を縛ったのだ。
それは、幸せそうに笑い合っていた彼らには、残酷すぎる程に、あまりにも悲劇的な結末だった。
血だまりの中で横たわるジャンの周りには、彼を助けようと、会議に参加していた調査兵団の幹部兵士達が集まり、必死に声掛けをしている。
「今から傷口を縛る、痛いかもしれないが堪えろ…、よ!」
手早くジャンの服を引き裂き、傷口を自分のタオルで縛っているのは、ナナバだった。そのすぐ隣で、彼女の直属の上司であるミケが調査兵達に然るべき指示を出している。
普段、駐屯兵団の援護班とチームを組んで訓練をすることが多いミケの分隊とは駐屯兵達も交友が深い。
彼らが、兵士としてとても優れていることも、危機的状況を幾度も超えてきたことも理解しているつもりだった。
でも今、駐屯兵達は、彼らと自分達の行動力の差を思い知らされている。
駐屯兵達は一歩も動けなかったのだ。
ただ茫然と突っ立っているだけだった。
でもこれは、経験値の差だけではないのかもしれない。
きっと、自分達の職場である駐屯兵団の本部内で、仲間であるはずの休職中の駐屯兵がこんな事件を起こすだなんて、どうしても信じたくなかったのだ。
「おい!!そこの駐屯兵、ボーッとしてねぇで
今すぐ救護班を呼んでこい!!」
「は…っ、はい!!」
「担架だ!!誰か、担架持ってきてくれ!!!」
「お、おおお俺がっ、行きます…!!」
「俺も!!」
「私の部屋が近いです!!今すぐ消毒水持ってきます!!」
調査兵達に急かされて、駐屯兵達が少しずつ行動をし始めても、リコはまだ、息をすることすらままならない状態だった。
リコの記憶には、いつまでも、穏やかに微笑む彼女がいる。
そんな彼女と今目の前で起こっている恐ろしい事件が、繋がらないのだ。
どうして———そればかりが頭の中でグルグルと回って混乱していた。
見覚えのある兵士達が、慌ただしく、目まぐるしく動き回る中、自分だけが違う世界にいるような感覚。まるで、起きたまま悪夢を見せられているようだった。
いつの間にか、担架がジャンの隣に並ぶように置かれていた。
救護班もこっちに向かっているところらしいが、一刻を争う事態のため、彼らの到着を待たずに、ジャンを運び出すことに決まったようだった。
ジャンが担架に乗せられた頃、見覚えのあるリーゼントの調査兵、ゲルガーが、会議室に駆け込んできた。
「こっちだ!!」
そう叫びながら、彼が会議室に連れてきたのは、なまえだった。
会議に参加していて事件を目の当たりにした彼は、すぐに婚約者であるなまえを呼びに行っていたようだ。
それにしても、なまえが調査兵団の兵舎で大好きな妄想にふけっていたのなら、こんなに早くは連れてこられない。
もしかすると、ジャンと共に駐屯兵団本部のそばまでやってきていて、どこか近くで帰りを待っていたのかもしれない。
どこまでゲルガーから話を聞いたかは分からないが、会議室に駆け込んできたなまえは、既に顔色が真っ青だった。
なまえがやってきたことに気が付いたのは、調査兵や駐屯兵だけではなかった。
「アハハハ!!なまえ、久シブリネエ!!婚約、オメデトオオオ!!!」
この惨劇の場に相応しくない高い声で笑ったのは、彼女だった。
気づかない間に、調査兵達に超硬質スチールを奪われ、後ろから羽交い絞めにされていた彼女は、自由にならない身体を気にする様子もなく、口の両端を耳のあたりまで押し上げて、アハハハと大袈裟に笑い声を上げたのだ。
「…!」
なまえも、すぐに彼女が誰だかわかったようだった。
驚いた顔をしたけれど、だからといって何かを言うわけでも、何かをするわけでもなかった。
ただ今は、そんなことよりも、婚約者であるジャンの容態の方が大切だったのだろう。
「ジャン!!」
なまえは、今まさに担架で運び出されようとしているジャンの元へと駆け寄った。
ジャンに声をかけたり、真っ赤な血を流し続ける傷口をタオルでおさえていた調査兵達が少し避けて場所を譲れば、なまえがすぐにそこに入る。
そして、ジャンに声をかけようとしたなまえは、担架の上でぐったりとしている彼を見て、言葉を失う。
それも仕方がない。
腹から血を流し続けるジャンは、血の気が引き真っ白になっていて、唇だけが異様に紫に染まっている。
かろうじて息はあるようだが、助かるかどうか五分五分といったところだろうか。
でも、まだ生きているだけ運が良い方だ。
だって、彼は、殺傷能力の極めて高い超硬質スチールで、腹部を刺されたのだ。
たとえそれが錆びて古くなっていたとしても、巨人を殺すために製造された刃は、人間の息の根を止めるくらいの力は残っていても不思議ではない。
「ジャン…っ!死なないで…っ、ジャン…っ。」
なまえの瞳には、一瞬で涙が溢れた。
そして、大粒の涙を流しながら、必死に懇願する。
「ジャン…っ、ジャン…っ。」
担架で運び出されていくジャンの頬を撫で、何度も何度も彼の名前を呼び続ける悲痛な声に、リコは胸が締め付けられた。
ひどく傷ついたその横顔を見れば、嫌でも分かる。
なまえは、ジャンを愛している。心から、愛しているのだ。
夢ばかりを見て、現実の男達の隣にいてもふわふわと空を飛ぶように笑ってすり抜けていくばかりだった彼女が、はじめて、現実の世界で、心から誰かを愛することを知ったのだ。
「やっと、アイツのその顔が見れた…。
やっと…!私の気持ちを…、これでやっとアイツにも味わわせられる…!!」
担架で運び出される婚約者と共に会議室から出ていくなまえの真っ青な泣き顔を見送りながら、彼女は、虚ろな瞳から、涙を零しながら、笑っていた。
静かに泣きながら、笑い続けていた。
リコは、結局、最後までずっと動けなかった。
調査兵達が怒鳴るように指示を出し合う声よりも、まるで魔女のような彼女の笑い声が、ひどく恐ろしくて、悲しく耳にこびりついて、鎖のように身体を縛ったのだ。
それは、幸せそうに笑い合っていた彼らには、残酷すぎる程に、あまりにも悲劇的な結末だった。