◇第七話◇10年越しの戯言を忘れないで
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「真剣にやる気ありますか?」
団長の執務室から出た途端、ジャンは、眉間に皴を寄せて、細めた目で私を見下ろした。
何度か私が犯してしまった失態のことを咎めているのだろうと察して、すぐに謝る。
私だって、真剣じゃないわけではない。
むしろ、人生がかかっている私の方が、切羽詰まっているのだから、真剣に決まっている。
ただ少し、緊張感のない性格をしているのが問題なだけなのだ。
気がつくといつも、夢の世界に旅立つのが癖になっている。
たぶん、私はもう現実の世界に生きていないのだと思う。
身体と心が存在する場所が、違うのだ。
だから、〝眠り姫〟なんておかしな呼び名を与えられてしまう。
「仕事の前に、訓練場に寄ってもいい?」
「いいですけど。今日、訓練場に用なんかありました?」
「ナナバとゲルガーのところに行きたいの。
調査兵団を辞めなくても良くなりそうなことを2人にも報告したくって。」
飛び跳ねるような声で、私はジャンに言った。
私の心はもう、踊っていた。
まだ、両親の許可をもらったわけではないのに、団長の前で堂々と立ち振る舞ってくれたジャンを見たら、きっと大丈夫だと信じてしまっていたのだ。
でも、能天気な私の発言に、ジャンは少しだけ眉を顰めた。
「もしかして、俺達のこと、言うつもりですか。」
ジャンが言っている〝俺達のこと〟とは、1年前から交際していた恋人、ということではなくて、偽物の恋人のことだろう。
同期の2人にまで嘘を吐くつもりではいなかった私は、途端に元気をなくして眉尻を下げる。
「え…、ダメなの…?」
「———まぁ、いいですよ。どうせ、同期のナナバさんとゲルガーさんには、
隠し通せるとも思ってないんで。でも、それ以外はダメですよ。」
「分かった!ありがとう、ジャン!もう、ほんっとうに大好き!!」
「はいはい、有難く受け取っときますよ。」
ジャンが私の頭をポンポンと軽く叩いた。
彼は、私のことを歳上の、しかも上官だということを、ちゃんと覚えているのだろうか。
子供を相手にしているつもりな気がしてならない。
「てめぇら、エルヴィンの部屋の前でなに遊んでやがる。」
ふ、と聞き覚えのある低い声がして、私はジャンに向けていた身体を反転させた。
団長の執務室に用があってやってきたのか、リヴァイ兵長が腕を組んで睨むように私とジャンを見比べている。
朝から機嫌の悪そうなリヴァイ兵長の質問に答えてくれたのは、ジャンだった。
心臓に手を当てて、敬礼をしてから口を開いた。
「団長への大切な報告を終わらせたところでした。」
「大切な報告?」
リヴァイ兵長が、ピクリと片眉を動かし、訝し気にする。
「今はまだ話せませんが、
近いうちに周知されることになると思います。」
「…まぁ、いい。用が済んだなら、さっさと仕事に戻れ。」
「はい!」
ジャンが綺麗な敬礼を返す。
調査兵団に入団したのも私の方が少しだけだけれど早いし、ほとんど同期のようなものなのに、10年前よりもずっと遠い人になってしまった——。
そんなことを考えながら、私もジャンと一緒に敬礼をした後、リヴァイ兵長に背を向けた。
でもすぐに、名前を呼ばれて引き留められる。
「おい、なまえ。」
「ん?何ですか?」
振り返った私に、リヴァイ兵長は相変わらずの心が読めないような表情のままで続けた。
「また仕事中に居眠りして、
書類にわけの分からねぇ気色悪い生物の落書きなんか
残すんじゃねぇぞ。」
「な…!?そんなことしませんよ…!!」
「さぁ、どうだか。」
顔を真っ赤にして反論する私に、リヴァイ兵長は意地悪く口の端を片方だけ持ち上げた。
「同じ班員の同期ってだけで、連帯責任だと
俺まで徹夜で大量の気色悪い落書きを消させられたことを
なかったことにはさせねぇ。」
「して!!なかったことにしてください!!今すぐに!!」
「断る。まだその借りを返してもらえてねぇからな。」
「10年越しの!?あのときも凄く怒ってたけど
さすがにまだ根に持ってたなんて、思ってもなかったですよっ。」
恥ずかしさと驚きで、私は目を丸くした。
そんな遠い昔の私の恥ずかしい過去を、リヴァイ兵長がまだ覚えていたなんて、誰が想像しただろう。
少なくとも、私としては、私の黒歴史として、私の中だけに存在しているはずだった。
リヴァイ兵長はまだ何か言うつもりのようだったけれど、それを遮るように、ジャンが私の腕を掴んだ。
「リヴァイ兵長、悪いっすけど
その10年越しの年季の入った借りは、また今度返してもらっていいっすか。
俺達、気色悪い落書き前の大量の書類がまだ残ってるんで。」
ジャンが私の腕を引っ張りながら言う。
「あぁ、悪かった。つい昔のことを思い出した。
ソイツは昔から、抜けてるどころか、夢遊病のまま生活してるような奇跡みてぇな奴だ。
お守りは苦労すると思うが、よろしく頼む。」
「さすが、長い付き合いのリヴァイ兵長ですね。苦労を分かってもらえて有難いです。
ですが、もう俺も彼女の扱いにも慣れたので、心配は要りません。
———さぁ、行きますよ。ナナバさん達に大切な報告をするんでしょ。」
ジャンは、リヴァイ兵長に軽く会釈をすると、今度こそ訓練場へ向かうために、私の腕を引っ張った。
廊下を歩きながら、痛いくらいに握りしめられていたジャンの手が腕から離れる。
そのタイミングで、私は口を尖らせて、彼に反論した。
「気色悪い落書き前の書類って何?
私、ジャンの前で気色悪い落書きなんかしたことないよ。」
「寝ぼけて書いた気色悪いミミズが這ったような字を解読させられたことはあります。
あと、真夜中にパニクったなまえさんに叩き起こされて、
気色悪い虫を退治させられたことも——。」
「わかった!わかったよ!私が間違ってました!!
ジャンは、10年後には忘れてよね!
もしくは、借りを返して欲しいなら早く言って!」
「考えときます。」
ムキになっている私を、ジャンは軽くあしらう。
やっぱり、彼は私のことを、上官だと思っていないに違いない。
少なくとも、尊敬されているとは思えない。
考える——、というのが、10年後には忘れてくれる、ということなのか、返してもらう借りを何にするのか、ということなのかは、分からなかったけれど、とにかく早くその話を終わらせたかった私は、敢えて確認しなかった。
それにしても、本当にもう10年も前のことなのか——。
あの頃はまだ健在だった厳しいことで有名な分隊長に、落書きを見つかって、これでもかというほどに叱られた。
そして、同じ班に所属していて下っ端同士だったリヴァイ兵長がそのとばっちりを受けて、書類を綺麗にするために私の部屋に来たんだっけ——。
私の汚い部屋を始めて見たリヴァイ兵長は、これでもかというほどに眉を顰めていた。
それに、描いた本人が見ても気持ちの悪い落書きに三白眼をこれでもかというくらい見開いていたし、一晩中、舌打ちが止まらなかった。
忘れたいくらいに恥ずかしくて情けない過去だけれど、それでも私は、全部、覚えてる。
あの日は、書類の修正が終わった後も眠れなくて、ベッドに入っても、目が冴えて、ドキドキしていて、隣で不機嫌に眉間に皴を寄せていたリヴァイ兵長のことばかりを考えていた。
理由はどうであれ、憧れていた騎士が、私のすぐ隣にいた、夢みたいな夜だった———。
『もう二度とこんな馬鹿みたいな仕事、御免だからな。』
『ごめんなさい…。』
『貸しイチだ。』
『はい…。』
『お前が血反吐吐くようなの考えとくから、覚えとけ。』
『え~…。分かりましたよぅ…。
でも、10年以内にしてくださいね。』
『なんだその10年ってのは、10年後には死んでるつもりか?』
『ん~、それよりも前に死んでるかもだけど…、
10年後には、調査兵団を辞めて両親が決めた人と結婚しなくちゃいけないから。』
『あ?なんだそれ。』
『遅くても、10年後には結婚して、普通の女の幸せ送るっていう両親との約束なんです。
だから、それまでに結婚相手を自力で見つけられなかったら、
調査兵団とはサヨウナラなんです。』
『お前はそれでいいのか。馬鹿だが、調査兵団は好きなんだろう。
いつも馬鹿みたいに目ぇ輝かせて、先輩兵を見てるじゃねぇか。』
『もちろんですよ。子供の頃からの憧れでしたから。
10年後どころか、1000年後だって調査兵団の兵士でいたいです。』
『———仕方ねぇな。10年後もお前が馬鹿のままで
いつまでも結婚相手を見つけられてなかったら、俺が貰ってやるよ。』
『え!?』
『貸し1000な。』
『1000!?私、一生をリヴァイさんに貸しを返すために生きるんですか!?』
『そうなるな。』
あの日の真夜中、意地悪く歪んだリヴァイ兵長の口元を、今でも覚えてる。
交わした会話だって、一言一句も漏らさずに、思い出せる。
リヴァイ兵長は、気まぐれな戯言のような口約束を、覚えてくれているだろうか。
今年がその約束の10年目だって、知っているだろうか。
もう、忘れてしまったかな———。
ジャンの隣を歩きながら、私はチラリと後ろに視線だけを向けた。
私が歩いてきた廊下の向こう、一緒に喋っていた場所に、リヴァイ兵長の姿は、もうなかった。
きっと、団長の執務室に入ったのだろう。
(いつまでも、何を期待してるんだろう。)
私は、振り返った視線を元に戻した。
誰に告白をされても、それがどんなに素敵な人でも、調査兵団に残れるかもしれないチャンスだと分かっていても、あの日のリヴァイ兵長の戯言が、まるで呪いみたいに私を縛って、精一杯に恋に向き合った強い彼らに『ノー』と言わせてきた。
もしかしたら本当にそんな未来が———、なんて、妄想ばかりしていた。
馬鹿だな。
私は、ジャンの言う通り、本当に、正真正銘の馬鹿なのだ。
「なまえさん、そのまま行くと壁にぶつかりますよ。」
隣にいたはずのジャンの声が、なぜか斜め後ろから聞こえた。
どうしてだろう——。
そう思ったときには、私は壁に激突して、思いっきり額と鼻をぶつけていた。
「い…っ!?」
激痛に、一気に涙が込み上げて、私は両手で鼻をおさえた。
さっき、ジャンの声が聞こえたあたりで、もう幾千回は吐き出されただろうため息が落ちた音がした。
私は、10年前から何も変わっていない自分が、恥ずかしくて、情けなくて、泣いてしまいたかった。
団長の執務室から出た途端、ジャンは、眉間に皴を寄せて、細めた目で私を見下ろした。
何度か私が犯してしまった失態のことを咎めているのだろうと察して、すぐに謝る。
私だって、真剣じゃないわけではない。
むしろ、人生がかかっている私の方が、切羽詰まっているのだから、真剣に決まっている。
ただ少し、緊張感のない性格をしているのが問題なだけなのだ。
気がつくといつも、夢の世界に旅立つのが癖になっている。
たぶん、私はもう現実の世界に生きていないのだと思う。
身体と心が存在する場所が、違うのだ。
だから、〝眠り姫〟なんておかしな呼び名を与えられてしまう。
「仕事の前に、訓練場に寄ってもいい?」
「いいですけど。今日、訓練場に用なんかありました?」
「ナナバとゲルガーのところに行きたいの。
調査兵団を辞めなくても良くなりそうなことを2人にも報告したくって。」
飛び跳ねるような声で、私はジャンに言った。
私の心はもう、踊っていた。
まだ、両親の許可をもらったわけではないのに、団長の前で堂々と立ち振る舞ってくれたジャンを見たら、きっと大丈夫だと信じてしまっていたのだ。
でも、能天気な私の発言に、ジャンは少しだけ眉を顰めた。
「もしかして、俺達のこと、言うつもりですか。」
ジャンが言っている〝俺達のこと〟とは、1年前から交際していた恋人、ということではなくて、偽物の恋人のことだろう。
同期の2人にまで嘘を吐くつもりではいなかった私は、途端に元気をなくして眉尻を下げる。
「え…、ダメなの…?」
「———まぁ、いいですよ。どうせ、同期のナナバさんとゲルガーさんには、
隠し通せるとも思ってないんで。でも、それ以外はダメですよ。」
「分かった!ありがとう、ジャン!もう、ほんっとうに大好き!!」
「はいはい、有難く受け取っときますよ。」
ジャンが私の頭をポンポンと軽く叩いた。
彼は、私のことを歳上の、しかも上官だということを、ちゃんと覚えているのだろうか。
子供を相手にしているつもりな気がしてならない。
「てめぇら、エルヴィンの部屋の前でなに遊んでやがる。」
ふ、と聞き覚えのある低い声がして、私はジャンに向けていた身体を反転させた。
団長の執務室に用があってやってきたのか、リヴァイ兵長が腕を組んで睨むように私とジャンを見比べている。
朝から機嫌の悪そうなリヴァイ兵長の質問に答えてくれたのは、ジャンだった。
心臓に手を当てて、敬礼をしてから口を開いた。
「団長への大切な報告を終わらせたところでした。」
「大切な報告?」
リヴァイ兵長が、ピクリと片眉を動かし、訝し気にする。
「今はまだ話せませんが、
近いうちに周知されることになると思います。」
「…まぁ、いい。用が済んだなら、さっさと仕事に戻れ。」
「はい!」
ジャンが綺麗な敬礼を返す。
調査兵団に入団したのも私の方が少しだけだけれど早いし、ほとんど同期のようなものなのに、10年前よりもずっと遠い人になってしまった——。
そんなことを考えながら、私もジャンと一緒に敬礼をした後、リヴァイ兵長に背を向けた。
でもすぐに、名前を呼ばれて引き留められる。
「おい、なまえ。」
「ん?何ですか?」
振り返った私に、リヴァイ兵長は相変わらずの心が読めないような表情のままで続けた。
「また仕事中に居眠りして、
書類にわけの分からねぇ気色悪い生物の落書きなんか
残すんじゃねぇぞ。」
「な…!?そんなことしませんよ…!!」
「さぁ、どうだか。」
顔を真っ赤にして反論する私に、リヴァイ兵長は意地悪く口の端を片方だけ持ち上げた。
「同じ班員の同期ってだけで、連帯責任だと
俺まで徹夜で大量の気色悪い落書きを消させられたことを
なかったことにはさせねぇ。」
「して!!なかったことにしてください!!今すぐに!!」
「断る。まだその借りを返してもらえてねぇからな。」
「10年越しの!?あのときも凄く怒ってたけど
さすがにまだ根に持ってたなんて、思ってもなかったですよっ。」
恥ずかしさと驚きで、私は目を丸くした。
そんな遠い昔の私の恥ずかしい過去を、リヴァイ兵長がまだ覚えていたなんて、誰が想像しただろう。
少なくとも、私としては、私の黒歴史として、私の中だけに存在しているはずだった。
リヴァイ兵長はまだ何か言うつもりのようだったけれど、それを遮るように、ジャンが私の腕を掴んだ。
「リヴァイ兵長、悪いっすけど
その10年越しの年季の入った借りは、また今度返してもらっていいっすか。
俺達、気色悪い落書き前の大量の書類がまだ残ってるんで。」
ジャンが私の腕を引っ張りながら言う。
「あぁ、悪かった。つい昔のことを思い出した。
ソイツは昔から、抜けてるどころか、夢遊病のまま生活してるような奇跡みてぇな奴だ。
お守りは苦労すると思うが、よろしく頼む。」
「さすが、長い付き合いのリヴァイ兵長ですね。苦労を分かってもらえて有難いです。
ですが、もう俺も彼女の扱いにも慣れたので、心配は要りません。
———さぁ、行きますよ。ナナバさん達に大切な報告をするんでしょ。」
ジャンは、リヴァイ兵長に軽く会釈をすると、今度こそ訓練場へ向かうために、私の腕を引っ張った。
廊下を歩きながら、痛いくらいに握りしめられていたジャンの手が腕から離れる。
そのタイミングで、私は口を尖らせて、彼に反論した。
「気色悪い落書き前の書類って何?
私、ジャンの前で気色悪い落書きなんかしたことないよ。」
「寝ぼけて書いた気色悪いミミズが這ったような字を解読させられたことはあります。
あと、真夜中にパニクったなまえさんに叩き起こされて、
気色悪い虫を退治させられたことも——。」
「わかった!わかったよ!私が間違ってました!!
ジャンは、10年後には忘れてよね!
もしくは、借りを返して欲しいなら早く言って!」
「考えときます。」
ムキになっている私を、ジャンは軽くあしらう。
やっぱり、彼は私のことを、上官だと思っていないに違いない。
少なくとも、尊敬されているとは思えない。
考える——、というのが、10年後には忘れてくれる、ということなのか、返してもらう借りを何にするのか、ということなのかは、分からなかったけれど、とにかく早くその話を終わらせたかった私は、敢えて確認しなかった。
それにしても、本当にもう10年も前のことなのか——。
あの頃はまだ健在だった厳しいことで有名な分隊長に、落書きを見つかって、これでもかというほどに叱られた。
そして、同じ班に所属していて下っ端同士だったリヴァイ兵長がそのとばっちりを受けて、書類を綺麗にするために私の部屋に来たんだっけ——。
私の汚い部屋を始めて見たリヴァイ兵長は、これでもかというほどに眉を顰めていた。
それに、描いた本人が見ても気持ちの悪い落書きに三白眼をこれでもかというくらい見開いていたし、一晩中、舌打ちが止まらなかった。
忘れたいくらいに恥ずかしくて情けない過去だけれど、それでも私は、全部、覚えてる。
あの日は、書類の修正が終わった後も眠れなくて、ベッドに入っても、目が冴えて、ドキドキしていて、隣で不機嫌に眉間に皴を寄せていたリヴァイ兵長のことばかりを考えていた。
理由はどうであれ、憧れていた騎士が、私のすぐ隣にいた、夢みたいな夜だった———。
『もう二度とこんな馬鹿みたいな仕事、御免だからな。』
『ごめんなさい…。』
『貸しイチだ。』
『はい…。』
『お前が血反吐吐くようなの考えとくから、覚えとけ。』
『え~…。分かりましたよぅ…。
でも、10年以内にしてくださいね。』
『なんだその10年ってのは、10年後には死んでるつもりか?』
『ん~、それよりも前に死んでるかもだけど…、
10年後には、調査兵団を辞めて両親が決めた人と結婚しなくちゃいけないから。』
『あ?なんだそれ。』
『遅くても、10年後には結婚して、普通の女の幸せ送るっていう両親との約束なんです。
だから、それまでに結婚相手を自力で見つけられなかったら、
調査兵団とはサヨウナラなんです。』
『お前はそれでいいのか。馬鹿だが、調査兵団は好きなんだろう。
いつも馬鹿みたいに目ぇ輝かせて、先輩兵を見てるじゃねぇか。』
『もちろんですよ。子供の頃からの憧れでしたから。
10年後どころか、1000年後だって調査兵団の兵士でいたいです。』
『———仕方ねぇな。10年後もお前が馬鹿のままで
いつまでも結婚相手を見つけられてなかったら、俺が貰ってやるよ。』
『え!?』
『貸し1000な。』
『1000!?私、一生をリヴァイさんに貸しを返すために生きるんですか!?』
『そうなるな。』
あの日の真夜中、意地悪く歪んだリヴァイ兵長の口元を、今でも覚えてる。
交わした会話だって、一言一句も漏らさずに、思い出せる。
リヴァイ兵長は、気まぐれな戯言のような口約束を、覚えてくれているだろうか。
今年がその約束の10年目だって、知っているだろうか。
もう、忘れてしまったかな———。
ジャンの隣を歩きながら、私はチラリと後ろに視線だけを向けた。
私が歩いてきた廊下の向こう、一緒に喋っていた場所に、リヴァイ兵長の姿は、もうなかった。
きっと、団長の執務室に入ったのだろう。
(いつまでも、何を期待してるんだろう。)
私は、振り返った視線を元に戻した。
誰に告白をされても、それがどんなに素敵な人でも、調査兵団に残れるかもしれないチャンスだと分かっていても、あの日のリヴァイ兵長の戯言が、まるで呪いみたいに私を縛って、精一杯に恋に向き合った強い彼らに『ノー』と言わせてきた。
もしかしたら本当にそんな未来が———、なんて、妄想ばかりしていた。
馬鹿だな。
私は、ジャンの言う通り、本当に、正真正銘の馬鹿なのだ。
「なまえさん、そのまま行くと壁にぶつかりますよ。」
隣にいたはずのジャンの声が、なぜか斜め後ろから聞こえた。
どうしてだろう——。
そう思ったときには、私は壁に激突して、思いっきり額と鼻をぶつけていた。
「い…っ!?」
激痛に、一気に涙が込み上げて、私は両手で鼻をおさえた。
さっき、ジャンの声が聞こえたあたりで、もう幾千回は吐き出されただろうため息が落ちた音がした。
私は、10年前から何も変わっていない自分が、恥ずかしくて、情けなくて、泣いてしまいたかった。