◇第六十九話◇溢れる感情をあの月のように赦して
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
華やかなパーティー会場のホールとは違って、月明かりしかない裏庭は淡い闇のように暗く、湿気でじめっとしていて、あまり長く居たいとは思わない場所だった。
遠くから聞こえてくる賑やかな音楽と微かな笑い声が、余計に寂しさを誘う。
私は、ポツンと置かれた寂びたベンチに座ると、夜空を見上げた。
こんな孤独な場所なのに、夜空だけは、とても美しかった。
煌々と輝く満月と幾千の星が、この残酷な世界を憂いているようだ。
楽しく踊る貴族達は、明日も明後日も、踊って暮らせると信じている。
私も彼らのように、無邪気に笑いたい。
大好きな人達と、もう一度———。
「あの光る虫、また見たいな…。」
私は、ジャンが見せてくれた地上の星空を思い出していた。
あれは、現実に存在した夢の世界だった。
ううん、それ以上だ。
私を魅了したあの光景は、地獄でしかなかったはずの壁外を楽園に変えたのだ。
そこで私は、もう二度と会えないはずだった友人達の笑顔を見た。声を聞いた。存在を、確かに感じた。
そして、ジャンとファースト・キスをして、抱きしめられて、抱きしめて———。
なぜだろうか。もう、遠い昔のように感じる。
あの時の私は、ジャンのことをどう想っていたのだろう。
今となってはもう、知る由もないけれど———。
「何て名前だったっけ、あの光る虫。」
「蛍ですよ。」
後ろから聞こえてきたのは、ジャンの声だった。
驚いて振り返ると、呆れ顔で首を竦めるジャンが立っていた。
「なんで、ここにいるの…?」
ほんの少し前まで、若くて綺麗で可愛らしい娘と一緒にいたはずなのに———。
私は、無意識にギュッとドレスを握りしめていた。
「なまえさんのドレスが見えたんですよ。」
「ドレス?」
「中庭に来たでしょ。俺もそこにいたんです。
視界の端で何処かに消えてくそのドレスが見えたんで、
追いかけてきました。」
「そんなこと、しなくていいのに。」
追いかけて来てくれた——、そう思った途端にドキリと高鳴った鼓動に、無性に腹が立った。
「一応、婚約者なんで。
なまえさんをひとりには出来ないでしょ。
まさか、アイツがなまえさんを逃がしちまうのは、想定外でした。」
——で、こんなとこで何してたんですか?と訊ねながら、ジャンは、当然のように私の隣に座る。
腹が立った。
月明かりが照らすジャンの横顔がひどく綺麗なことも、澄ました顔も、それなのに、私だけがドキドキしていることも。
この先に進むのが怖い臆病者の癖に、ジャンが他の誰かを好きになるどころか、他の誰かがジャンに好意を向けることすら嫌だと我儘に喚く自分の心に、何よりも腹が立っていたのだと思う。
「ジャンには関係ないでしょ。」
「ありますよ、一応、俺はなまえさんの婚約し————。」
「それが面倒だから、私をあの馬鹿男に押しつけたんでしょ!」
寂しい裏庭に、私の怒鳴り声が虚しく響いた。
こんな風に感情的になるつもりじゃなかった。
自分でも信じられなかった程の大きな声に、隣に座っているジャンも驚いたような気配を感じた。
「そんなに嫌だったんですか。」
「嫌だよ…!」
「すみませんでした。どうしても気になる用事があって。
あの人がいれば、なまえさんがひとりにならねぇからちょうどいいと——。」
「嘘吐き。」
ジャンの言い訳を遮る私の声は、まるで氷のように冷たくて、ナイフみたいに、その場の空気まで切り裂いた。
だから、ジャンの声もピタリと止まった。
もしかしたら、呼吸すらも止めたのかもしれない。
だって、裏庭は、誰も生存していない地獄のようだったから。
「副兵士長の婚約者なんてしてたら、若くて可愛い娘達と
楽しい恋愛できないから、私のことが面倒になったんでしょ。」
「何言ってんですか。別に俺は——。」
「触らないで!!」
私はヒステリックに喚いて、肩を掴もうとして触れたジャンの手を振り払いながら、立ち上がった。
なぜか息が苦しくて、肩で息をしていた。
立ち上がって振り返ったことでやっと目が合ったジャンは、突然の私の怒りに驚いて、呆然としている。
(あぁ、もう本当に嫌だ。醜い…。)
自分のことを死んでしまえばいいのにと思うくらいに憎んだことは、正直、何度だってある。
でも、こんなに情けなく思ったことは一度もない。
醜くて、可哀想で、大嫌いだ———。
それなのに———。
「さっきまで、他の女の子と楽しんだ手で私に触らないでよ。
本当は私のことなんて追いかけないで、あの娘と一緒にいたかったくせに。」
心は嫌だと言っているのに、口から勝手に言葉が出てくる。
最低で、最悪で、言いたくなんかないこと。でも、本当は思っていて、ずっと言えずにいたことが、次々と、零れ落ちていくみたいに———。
「は?何のことすか。」
「とぼけなくてもいいよ、別に。私達は本当の婚約者でもないし、
ジャンに好きな娘が出来たら終わりにするって約束だったんだから。
ジャンは若いし、気が変わるのなんて当然だと思うから、それを怒ってるわけじゃないよ。」
言いながら、胸が痛くて苦しくて、私はドレスの上から心臓を握りしめる。
あぁ、このままいっそ、自分の心臓を握り潰してしまえればいいのに。
そうすればもう二度と、ジャンの隣で鼓動を速くすることもない。
好きだって、どうしようもなく好きになってしまったんだって、思い知らなくてよくなる。
「ただ、自分が婚約者役を面倒になったからって、
勝手に他の人に私を押しつけないでって、言ってるの。
どうして私が、あんな…っ、あんな奴と…っ。」
言いながら、膨れ上がってきた惨めさが、涙になって溢れた。
両手の甲で涙を拭いながら、滲んだ視界の向こうでジャンが椅子から立ち上がったのが見えたときにはもう、両方の手首を掴まれていた。
「触んないでってば…っ。」
「嫌です。」
必死に手を振りほどこうとして力を入れても、それ以上の力で強く握りしめられた。
上官のはずなのに、ここにいるのは、ただの女だった。
力もないし、泣くことしか出来ない。
ヒステリックに喚いて、勝手に嫉妬して、自信を無くして、不安になって、あいた穴を埋める為に好きな人を傷つけようとしている。
物語に出てくる、私が一番なりたくないと思っていた女だった。
嫌だ、恋をしただけで、こんなに惨めな思いをしなきゃいけなくなるなんて、知らなかった。
こんなに醜い自分を知らなくちゃいけなくなるなんて———。
遠くから聞こえてくる賑やかな音楽と微かな笑い声が、余計に寂しさを誘う。
私は、ポツンと置かれた寂びたベンチに座ると、夜空を見上げた。
こんな孤独な場所なのに、夜空だけは、とても美しかった。
煌々と輝く満月と幾千の星が、この残酷な世界を憂いているようだ。
楽しく踊る貴族達は、明日も明後日も、踊って暮らせると信じている。
私も彼らのように、無邪気に笑いたい。
大好きな人達と、もう一度———。
「あの光る虫、また見たいな…。」
私は、ジャンが見せてくれた地上の星空を思い出していた。
あれは、現実に存在した夢の世界だった。
ううん、それ以上だ。
私を魅了したあの光景は、地獄でしかなかったはずの壁外を楽園に変えたのだ。
そこで私は、もう二度と会えないはずだった友人達の笑顔を見た。声を聞いた。存在を、確かに感じた。
そして、ジャンとファースト・キスをして、抱きしめられて、抱きしめて———。
なぜだろうか。もう、遠い昔のように感じる。
あの時の私は、ジャンのことをどう想っていたのだろう。
今となってはもう、知る由もないけれど———。
「何て名前だったっけ、あの光る虫。」
「蛍ですよ。」
後ろから聞こえてきたのは、ジャンの声だった。
驚いて振り返ると、呆れ顔で首を竦めるジャンが立っていた。
「なんで、ここにいるの…?」
ほんの少し前まで、若くて綺麗で可愛らしい娘と一緒にいたはずなのに———。
私は、無意識にギュッとドレスを握りしめていた。
「なまえさんのドレスが見えたんですよ。」
「ドレス?」
「中庭に来たでしょ。俺もそこにいたんです。
視界の端で何処かに消えてくそのドレスが見えたんで、
追いかけてきました。」
「そんなこと、しなくていいのに。」
追いかけて来てくれた——、そう思った途端にドキリと高鳴った鼓動に、無性に腹が立った。
「一応、婚約者なんで。
なまえさんをひとりには出来ないでしょ。
まさか、アイツがなまえさんを逃がしちまうのは、想定外でした。」
——で、こんなとこで何してたんですか?と訊ねながら、ジャンは、当然のように私の隣に座る。
腹が立った。
月明かりが照らすジャンの横顔がひどく綺麗なことも、澄ました顔も、それなのに、私だけがドキドキしていることも。
この先に進むのが怖い臆病者の癖に、ジャンが他の誰かを好きになるどころか、他の誰かがジャンに好意を向けることすら嫌だと我儘に喚く自分の心に、何よりも腹が立っていたのだと思う。
「ジャンには関係ないでしょ。」
「ありますよ、一応、俺はなまえさんの婚約し————。」
「それが面倒だから、私をあの馬鹿男に押しつけたんでしょ!」
寂しい裏庭に、私の怒鳴り声が虚しく響いた。
こんな風に感情的になるつもりじゃなかった。
自分でも信じられなかった程の大きな声に、隣に座っているジャンも驚いたような気配を感じた。
「そんなに嫌だったんですか。」
「嫌だよ…!」
「すみませんでした。どうしても気になる用事があって。
あの人がいれば、なまえさんがひとりにならねぇからちょうどいいと——。」
「嘘吐き。」
ジャンの言い訳を遮る私の声は、まるで氷のように冷たくて、ナイフみたいに、その場の空気まで切り裂いた。
だから、ジャンの声もピタリと止まった。
もしかしたら、呼吸すらも止めたのかもしれない。
だって、裏庭は、誰も生存していない地獄のようだったから。
「副兵士長の婚約者なんてしてたら、若くて可愛い娘達と
楽しい恋愛できないから、私のことが面倒になったんでしょ。」
「何言ってんですか。別に俺は——。」
「触らないで!!」
私はヒステリックに喚いて、肩を掴もうとして触れたジャンの手を振り払いながら、立ち上がった。
なぜか息が苦しくて、肩で息をしていた。
立ち上がって振り返ったことでやっと目が合ったジャンは、突然の私の怒りに驚いて、呆然としている。
(あぁ、もう本当に嫌だ。醜い…。)
自分のことを死んでしまえばいいのにと思うくらいに憎んだことは、正直、何度だってある。
でも、こんなに情けなく思ったことは一度もない。
醜くて、可哀想で、大嫌いだ———。
それなのに———。
「さっきまで、他の女の子と楽しんだ手で私に触らないでよ。
本当は私のことなんて追いかけないで、あの娘と一緒にいたかったくせに。」
心は嫌だと言っているのに、口から勝手に言葉が出てくる。
最低で、最悪で、言いたくなんかないこと。でも、本当は思っていて、ずっと言えずにいたことが、次々と、零れ落ちていくみたいに———。
「は?何のことすか。」
「とぼけなくてもいいよ、別に。私達は本当の婚約者でもないし、
ジャンに好きな娘が出来たら終わりにするって約束だったんだから。
ジャンは若いし、気が変わるのなんて当然だと思うから、それを怒ってるわけじゃないよ。」
言いながら、胸が痛くて苦しくて、私はドレスの上から心臓を握りしめる。
あぁ、このままいっそ、自分の心臓を握り潰してしまえればいいのに。
そうすればもう二度と、ジャンの隣で鼓動を速くすることもない。
好きだって、どうしようもなく好きになってしまったんだって、思い知らなくてよくなる。
「ただ、自分が婚約者役を面倒になったからって、
勝手に他の人に私を押しつけないでって、言ってるの。
どうして私が、あんな…っ、あんな奴と…っ。」
言いながら、膨れ上がってきた惨めさが、涙になって溢れた。
両手の甲で涙を拭いながら、滲んだ視界の向こうでジャンが椅子から立ち上がったのが見えたときにはもう、両方の手首を掴まれていた。
「触んないでってば…っ。」
「嫌です。」
必死に手を振りほどこうとして力を入れても、それ以上の力で強く握りしめられた。
上官のはずなのに、ここにいるのは、ただの女だった。
力もないし、泣くことしか出来ない。
ヒステリックに喚いて、勝手に嫉妬して、自信を無くして、不安になって、あいた穴を埋める為に好きな人を傷つけようとしている。
物語に出てくる、私が一番なりたくないと思っていた女だった。
嫌だ、恋をしただけで、こんなに惨めな思いをしなきゃいけなくなるなんて、知らなかった。
こんなに醜い自分を知らなくちゃいけなくなるなんて———。