◇第三話◇彼女は呪われている
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大規模な壁外調査が終わり、数日が経過していた。
無事に帰還を果たせた調査兵達を待っていたのは、壁外調査での任務報告や被害報告、並びに、それに伴う改善策についての書類作成だ。
それも、今回が特別なわけではない。いつものことだ。
だが、その合間を縫っての訓練も休むことは出来ない調査兵達は、壁外調査での目を背けたい現実で疲れた心に、身体的な疲れも加わることになる。
その結果、毎度のことながら、兵舎内のあらゆるところから愚痴や悲鳴が聞こえていた。
そんな中、書庫から見つけて来た必要な書籍を数冊抱えて兵舎の廊下を歩くジャンは、疲れた顔をしている仲間達を横目に確認しながら、目的の部屋を目指していた。
「はぁ~…、今夜も徹夜だ…。眠り姫はいいよなぁ。
きっと、毎晩しっかり寝てるんだぜ?」
「なんなら、朝からずっと寝てるんじゃねぇの?
なんてったって、眠り姫だからな。」
馬鹿にしたような笑い声が、ジャンの耳に届く。
それは、今、彼が目指している部屋の主の噂話だった。
先日の壁外調査での若い兵士達の陰口が蘇る。
あのときは、彼らが彼女のことを、兵団には必要のない兵士だとまで言いだしたから、思わず言い返してしまったが、〝眠り姫〟というおかしな異名をそのまま素直に受け取って、彼女のことを本当にいつも眠っているだけの怠け者だと思っている兵士は少なくない。
先日の壁外調査での出来事は、そう珍しいことではなかったのだ。
それに、まぁ、彼らが言っていることもあながち間違いではない。
彼女は実際、よく寝ている。
壁外に出れば、公に心臓を捧げた兵士らしく任務を遂行するものの、基本的に仕事に対してやる気のない彼女は、書類仕事を平気で溜めて、ベッドに潜り込む。そして、仕事を終わらせてから寝てくださいと叩き起こそうとする部下の声が全く聞こえていないような顔をして、幸せそうに夢の世界へと旅立つのだ。
でも、彼女が〝眠り姫〟だと呼ばれるようになったのは、決して、〝よく寝ている〟からではない。
そもそも、〝眠り姫〟という異名は、悪口や陰口ではなく、同期のナナバ達が、親しみを込めて呼び始めたのが始まりだ。
この残酷な世界で、いつも笑顔を絶やさずにゆっくりとした時間軸の中で生きている彼女が、ナナバ達には、まるで夢の世界の住人のように見えたのだ。
この世界に存在するありとあらゆる書籍を読み漁るほどの読書好きの彼女は、訓練兵時代から、大好きな妄想をしては、友人達にありえない夢のような世界の物語を語って聞かせていたのだそうだ。
そんなとき、彼女の読みかけの本を適当に開いたゲルガーが、〝眠り姫〟というワードを見つけ、それを聞いたナナバが、いつも幸せそうに夢を見ている彼女にピッタリの言葉だと言い出したのが、本当の〝眠り姫〟の誕生秘話である。
「よう、ジャン。久しぶりだな。」
廊下の向こうから、すれ違い様に声をかけて来たのは、訓練兵時代からの同期であるエレンだった。
隣には、ジャンの初恋の君であるミカサも一緒にいる。
だが、3人組のもう1人であるアルミンの姿が見えないし、彼らが揃って腰に立体起動装置を装着しているところを見ると、リヴァイ班の訓練の後のようだ。
「同じ調査兵団でも配属が違ぇとなかなか会わねぇからな。」
ジャンは、抱える書籍を持ち直しながら、立ち止まった。
壁外調査中に顔を合わせはしたはずだが、ゆっくりと話をするのは、確かに久しぶりかもしれなかった。
唯一巨人化出来る人間であるエレンは、調査兵団に入団したその日から、リヴァイの監視下の元、リヴァイ班に所属している。
もしかしたら、人類で最も巨人を恨んでいるかもしれないエレンは、巨人を前にすると我を忘れて、とても危険な行動をすることが多々ある。
まぁ、何年経っても昔から変わらず〝死に急ぎ野郎〟ということだ。
そのエレンのお守り役として、同期で唯一リヴァイ班に配属されたのが、訓練兵団を首席で卒業したミカサだ。
類まれない身体能力の持ち主で、今では、ミケに次ぐナンバー3の戦闘力で調査兵団を引っ張ってくれているエリート中のエリートだ。
ミケの分隊に所属し、副兵士長の補佐官をしているジャンは、分隊が違うどころか、リヴァイ班配属で、分隊に所属すらしていない彼らとは、あまり顔を合わすことはない。
それに、お互いに調査兵としての実力をそれなりに認められるようになって、毎日忙しくしている。
それこそ、壁外調査中に彼らの活躍を見聞きする程度だ。
但し、彼らの幼馴染でもあり、明晰な頭脳と豊富な知識による凡人なら考えも及ばない作戦を立案することで、今では団長の右腕として書記官を務めているアルミンとは、お互いに忙しい合間を縫って会う時間を作っているようだった。
「お前、そろそろ髪切れよ。似合ってるとでも思ってんのか。
陰気な雰囲気が、余計陰気になってんぞ。」
挨拶もそこそこに、久しぶりに会った同期の疲れたような顔を見て、ジャンは眉を顰めた。
トロスト区奪還作戦のとき、エレンが初めて意味も分からず巨人化してしまってから4年が経過し、19歳になった彼は、すっかり変わってしまった。
あの頃の暑苦しいほどの正義感を掲げていた少年はなりを潜め、どこか達観したような目で残酷な世界を見るようになったのだ。
巨人化出来る唯一の人間として、民間人だけではなく仲間からも、化け物のような扱いを受けて来たのが原因かもしれない。
きっと、同じ4年間を過ごしていても、エレンは自分達が見ずに済んだものまで、見せられてきたのだろう——。
そう思うと、彼のことをジャンは不憫に感じることもある。
だからと言って、無駄に伸びた髪をオールバックにして後ろでひとつに結んでいるヘアースタイルは許せないし、好きではない。
なぜなら、若い女兵士達が『エレンさん、今日も素敵。』なんて目を輝かせて騒いでいる黄色い声が、いろんなところから聞こえてくるからだ。
どうやら、昔からジャンと反りの合わないエレンは、順調にイケメンに育ってしまったらしい。
エレンの長髪が気に入らない理由は、他にもある。
隣にいるミカサのショートカットだ。
自分はカッコつけて髪を伸ばしているくせに、ミカサには、立体起動装置に髪が絡んだら危ないからとか言って、長くて綺麗だった黒髪をバッサリ切らせたことも、今でもまだ許してはいない。
巨人討伐中も変わらずぼんやりと夢を見てよく叱られているなまえでさえ、10年間、一度も立体起動装置に髪を絡めたことがないと言っていたのだ。
きっと、身体能力の高いミカサなら、腰よりも長く髪を伸ばしたとしても、そんなヘマはしないはずだ。
「うるせぇ。お前の顎髭もどうにかしろ。似合ってねぇ。」
エレンが、これでもかというほどに眉を顰めた。
「はぁ?似合ってます~。」
「それなら俺も、長髪が似合ってます~。」
いつもの喧嘩が始まりかけたところで、ついにミカサが止めた。
エレンはまだ言いたいことがありそうだったが、書籍を抱えた格好のままでは分が悪いジャンは、素直に身を引いた。
「よう、お前ら。」
「懐かしいメンバーだね。何の話してるの?」
そこへやってきたのは、ライナーとベルトルトだった。
「コイツのうざってぇ髪を早く切れと指摘してやってた。」
「コイツの顎髭がくそ似合わねぇことを教えてやってた。」
ジャンとエレンが同時に言って、互いの顔を指さした。
相変わらずな彼らの様子に、ライナーとベルトルトは思わず苦笑を漏らす。
彼らも、今では調査兵団の立派な精鋭兵だ。
その戦闘力を〝奇行種〟に見込まれてしまい、強引に分隊に引き入れられた後は、暴走するハンジによって巻き起こされる危険な巨人討伐任務にて、ハンジ班の護衛役をさせられている。
それなりに不憫な精鋭兵のうちの1人だ。
「そういえば、ジャン。お前また、リヴァイ兵長に
上官を甘やかしすぎだと叱られたらしいな。」
ライナーが咎めるような口調で言った。
それに続いたベルトルトに、無理をしたらいつか本当に死んでしまう、と本気で心配されてしまう。
「あ~…、適当に手を抜いてるから問題ねぇよ。」
そう答えたジャンだったけれど、心配をしたベルトルトだけではなく、エレン達もその言葉を信じていないのは、彼らの空気から伝わって来た。
それでも敢えて、気づいていないフリをして、話を変えた。
「それで?お前らが、ついに結婚を決めたって
若いのから噂で聞いたけど?どうなんだ?」
ジャンは、意地悪く細めた目でエレンとミカサを交互に見て、からかうように口の端を片方だけ上げた。
そうなのか——、と驚いたライナーとベルトルトからも興奮気味に聞かれて、思いきり眉を顰めているエレンを見て、ジャンは、さまぁみろと心の中で舌を出した。
「するかよ、まだ19だぞ。誰だよ、そんなありもしねぇ噂を流してるやつは。」
エレンが不機嫌に言うと、ミカサがそれに続いた。
「そう。まだ結婚はしない。早くても来年。
この前、俺が必ず壁外を奪還してみせるから、
そしたら結婚しようとエレンが——。」
「はぁぁぁあ!?なんで、ここで言うんだよ!?
しかも、よりにもよってコイツらの前で!!馬の前で!!」
まさかのミカサの衝撃発言に、エレンが顔を真っ赤にして怒り出した。
こういうエレンを見ると、普通の19の男だと思えて、安心するのは、きっとジャンだけではない。
ニヤニヤとしながらエレンをからかいだしたライナーも、素直に心から「おめでとう!」と言っているベルトルトも、同じ気持ちなのだろうと思う。
「へぇ、俺が、ねぇ。調査兵団でも、人類最強の兵士でもなくて、
俺が、壁外を必ず奪還してくれんのか。」
ジャンが意地悪く言えば、エレンが悔しそうにギリリと歯を鳴らした。
そして、目を吊り上げて声を荒げる。
「あぁ、そうだ!!お前でもなくてな!!
俺が!!巨人なんかこの世から全て駆逐してや・・・・っ!?」
「どいてくださーーい!!どいて、どいてーーー!!」
エレンの肩を乱暴に押しのけて、見覚えのあるポニーテールが駆け抜けていった。
その隣には、いきなりの成長期によって長身男子の仲間入りを果たしたついでに、とうとう坊主まで卒業してしまった短髪もいる。
「待ちやがれ!!昼飯泥棒!!!」
廊下の向こうから必死に追いかけながら怒鳴っているのは、コニーの所属班の班長であるゲルガーだった。
サシャの班の班長であるナナバも、彼と一緒に怖い顔で走っている。
昼飯泥棒呼ばわりされたサシャとコニーを見てみると、確かに彼らの兵団ジャケットの不自然に膨らんだポケットからは、パンが半分ほど覗いていた。
「へっへ~ん!!早いもん勝ちっすよーーーー!!」
飛び跳ねるように後ろを振り向いたコニーが、右目の下の皮膚を指で引っ張り、舌を出して、小馬鹿にしたような顔で言った。
「お前らぁぁぁぁああ!!今日という今日は、絶対に許さねぇからなぁああああ!!」
「ゲルガー!私は向こうから先回りするよ!!挟み撃ちだ!!」
「おう!!頼んだぜ!!」
左の渡り廊下へと曲がったナナバを見送ったゲルガーが、風のような速さで駆け抜けていった。
「なんだ、ありゃ。」
ライナーが呆気にとられた様子で零した。
「ビックリしたね。」
ベルトルトはまだ目を見張っている。
だが、恥ずかしながら彼らと同じミケの分隊に所属しているジャンにとっては、サシャとコニーが何かしらの悪戯をしては班長であるゲルガーとナナバに追いかけられているのを見るのは、初めてのことではなかった。
毎度毎度飽きないものだ、と呆れもする。
あれでも一応は、調査兵団では精鋭兵と呼ばれ、それなりに後輩兵士から憧れられているのだから、驚きだ。
「よ~、皆さん、お揃いで。兵舎の廊下なんかで同窓会でもやってんのか?
しけてんな~。」
小馬鹿にしたような声に振り向けば、ユミルが意地悪く口の端を上げていた。
いつものように隣にいるクリスタは、4年経っても、久しぶりに見ても、相変わらず可愛い。
嬉しそうな笑みを浮かべて、嬉しそうに駆けよって来た。
「みんなが集まってるのなんて、久しぶりに見たよ~。」
「あぁ、偶々だがな。」
答えたのは、相変わらず、クリスタに恋をしているライナーだ。
そろそろ諦めればいいのに、間抜けなほどに鼻の下を伸ばしているから、ユミルに恐ろしい顔で睨まれている。
元々はミケの分隊に所属していた彼女達だが、2年前の大幅な配属替えで、ディルクの分隊に移動した。
不思議なほどに動物に好かれるクリスタは、相棒のユミルと一緒に、ディルクの分隊で精鋭兵として危険な任務を遂行しながら、新兵達に乗馬の指導を行っていると聞いたことがある。
「アルミンとサシャとコニーもいたら、全員勢揃いだな。」
ユミルが、ククッと喉を鳴らした。
だから、ミカサが、サシャとコニーについては、さっき、先輩兵士のパンを盗んで逃げて行ったことを教えてやると、驚いたように目を見開いた後に、腹を抱えてゲラゲラと笑いだした。
「今日は偶々だったが、偶にはこうして同期同士集まって懐かしい話をするのもいいかもな。」
「うん、そうだね。なんだか、時間が戻ったみたいで嬉しいよ。」
ライナーとベルトルトが言った。
あぁ、同じことを考えていたんだ——。
そう思ったのは、ジャンだけではなかったのだろう。
エレンやミカサ、クリスタ、ユミルでさえも、嬉しそうに口の端を上げ、そして、切なげに眉尻を下げた。
流れた時間は、もう二度と戻らない。
それを、嫌というほどに思い知った4年間だった。
でも、エレンから久しぶりの懐かしいセリフをすべて聞くことは出来なかったけれど、懐かしいメンバーの姿を見ると、まるで時間が戻ったようで、ほんの少しだけ、ジャンから現実を忘れさせた。
これからまた10年後も、こうしてくだらないことで喧嘩をしたり、笑い合えたらいい——。
そんな風に思う程度には、同期の彼らを大切な仲間だと、想っている。
無事に帰還を果たせた調査兵達を待っていたのは、壁外調査での任務報告や被害報告、並びに、それに伴う改善策についての書類作成だ。
それも、今回が特別なわけではない。いつものことだ。
だが、その合間を縫っての訓練も休むことは出来ない調査兵達は、壁外調査での目を背けたい現実で疲れた心に、身体的な疲れも加わることになる。
その結果、毎度のことながら、兵舎内のあらゆるところから愚痴や悲鳴が聞こえていた。
そんな中、書庫から見つけて来た必要な書籍を数冊抱えて兵舎の廊下を歩くジャンは、疲れた顔をしている仲間達を横目に確認しながら、目的の部屋を目指していた。
「はぁ~…、今夜も徹夜だ…。眠り姫はいいよなぁ。
きっと、毎晩しっかり寝てるんだぜ?」
「なんなら、朝からずっと寝てるんじゃねぇの?
なんてったって、眠り姫だからな。」
馬鹿にしたような笑い声が、ジャンの耳に届く。
それは、今、彼が目指している部屋の主の噂話だった。
先日の壁外調査での若い兵士達の陰口が蘇る。
あのときは、彼らが彼女のことを、兵団には必要のない兵士だとまで言いだしたから、思わず言い返してしまったが、〝眠り姫〟というおかしな異名をそのまま素直に受け取って、彼女のことを本当にいつも眠っているだけの怠け者だと思っている兵士は少なくない。
先日の壁外調査での出来事は、そう珍しいことではなかったのだ。
それに、まぁ、彼らが言っていることもあながち間違いではない。
彼女は実際、よく寝ている。
壁外に出れば、公に心臓を捧げた兵士らしく任務を遂行するものの、基本的に仕事に対してやる気のない彼女は、書類仕事を平気で溜めて、ベッドに潜り込む。そして、仕事を終わらせてから寝てくださいと叩き起こそうとする部下の声が全く聞こえていないような顔をして、幸せそうに夢の世界へと旅立つのだ。
でも、彼女が〝眠り姫〟だと呼ばれるようになったのは、決して、〝よく寝ている〟からではない。
そもそも、〝眠り姫〟という異名は、悪口や陰口ではなく、同期のナナバ達が、親しみを込めて呼び始めたのが始まりだ。
この残酷な世界で、いつも笑顔を絶やさずにゆっくりとした時間軸の中で生きている彼女が、ナナバ達には、まるで夢の世界の住人のように見えたのだ。
この世界に存在するありとあらゆる書籍を読み漁るほどの読書好きの彼女は、訓練兵時代から、大好きな妄想をしては、友人達にありえない夢のような世界の物語を語って聞かせていたのだそうだ。
そんなとき、彼女の読みかけの本を適当に開いたゲルガーが、〝眠り姫〟というワードを見つけ、それを聞いたナナバが、いつも幸せそうに夢を見ている彼女にピッタリの言葉だと言い出したのが、本当の〝眠り姫〟の誕生秘話である。
「よう、ジャン。久しぶりだな。」
廊下の向こうから、すれ違い様に声をかけて来たのは、訓練兵時代からの同期であるエレンだった。
隣には、ジャンの初恋の君であるミカサも一緒にいる。
だが、3人組のもう1人であるアルミンの姿が見えないし、彼らが揃って腰に立体起動装置を装着しているところを見ると、リヴァイ班の訓練の後のようだ。
「同じ調査兵団でも配属が違ぇとなかなか会わねぇからな。」
ジャンは、抱える書籍を持ち直しながら、立ち止まった。
壁外調査中に顔を合わせはしたはずだが、ゆっくりと話をするのは、確かに久しぶりかもしれなかった。
唯一巨人化出来る人間であるエレンは、調査兵団に入団したその日から、リヴァイの監視下の元、リヴァイ班に所属している。
もしかしたら、人類で最も巨人を恨んでいるかもしれないエレンは、巨人を前にすると我を忘れて、とても危険な行動をすることが多々ある。
まぁ、何年経っても昔から変わらず〝死に急ぎ野郎〟ということだ。
そのエレンのお守り役として、同期で唯一リヴァイ班に配属されたのが、訓練兵団を首席で卒業したミカサだ。
類まれない身体能力の持ち主で、今では、ミケに次ぐナンバー3の戦闘力で調査兵団を引っ張ってくれているエリート中のエリートだ。
ミケの分隊に所属し、副兵士長の補佐官をしているジャンは、分隊が違うどころか、リヴァイ班配属で、分隊に所属すらしていない彼らとは、あまり顔を合わすことはない。
それに、お互いに調査兵としての実力をそれなりに認められるようになって、毎日忙しくしている。
それこそ、壁外調査中に彼らの活躍を見聞きする程度だ。
但し、彼らの幼馴染でもあり、明晰な頭脳と豊富な知識による凡人なら考えも及ばない作戦を立案することで、今では団長の右腕として書記官を務めているアルミンとは、お互いに忙しい合間を縫って会う時間を作っているようだった。
「お前、そろそろ髪切れよ。似合ってるとでも思ってんのか。
陰気な雰囲気が、余計陰気になってんぞ。」
挨拶もそこそこに、久しぶりに会った同期の疲れたような顔を見て、ジャンは眉を顰めた。
トロスト区奪還作戦のとき、エレンが初めて意味も分からず巨人化してしまってから4年が経過し、19歳になった彼は、すっかり変わってしまった。
あの頃の暑苦しいほどの正義感を掲げていた少年はなりを潜め、どこか達観したような目で残酷な世界を見るようになったのだ。
巨人化出来る唯一の人間として、民間人だけではなく仲間からも、化け物のような扱いを受けて来たのが原因かもしれない。
きっと、同じ4年間を過ごしていても、エレンは自分達が見ずに済んだものまで、見せられてきたのだろう——。
そう思うと、彼のことをジャンは不憫に感じることもある。
だからと言って、無駄に伸びた髪をオールバックにして後ろでひとつに結んでいるヘアースタイルは許せないし、好きではない。
なぜなら、若い女兵士達が『エレンさん、今日も素敵。』なんて目を輝かせて騒いでいる黄色い声が、いろんなところから聞こえてくるからだ。
どうやら、昔からジャンと反りの合わないエレンは、順調にイケメンに育ってしまったらしい。
エレンの長髪が気に入らない理由は、他にもある。
隣にいるミカサのショートカットだ。
自分はカッコつけて髪を伸ばしているくせに、ミカサには、立体起動装置に髪が絡んだら危ないからとか言って、長くて綺麗だった黒髪をバッサリ切らせたことも、今でもまだ許してはいない。
巨人討伐中も変わらずぼんやりと夢を見てよく叱られているなまえでさえ、10年間、一度も立体起動装置に髪を絡めたことがないと言っていたのだ。
きっと、身体能力の高いミカサなら、腰よりも長く髪を伸ばしたとしても、そんなヘマはしないはずだ。
「うるせぇ。お前の顎髭もどうにかしろ。似合ってねぇ。」
エレンが、これでもかというほどに眉を顰めた。
「はぁ?似合ってます~。」
「それなら俺も、長髪が似合ってます~。」
いつもの喧嘩が始まりかけたところで、ついにミカサが止めた。
エレンはまだ言いたいことがありそうだったが、書籍を抱えた格好のままでは分が悪いジャンは、素直に身を引いた。
「よう、お前ら。」
「懐かしいメンバーだね。何の話してるの?」
そこへやってきたのは、ライナーとベルトルトだった。
「コイツのうざってぇ髪を早く切れと指摘してやってた。」
「コイツの顎髭がくそ似合わねぇことを教えてやってた。」
ジャンとエレンが同時に言って、互いの顔を指さした。
相変わらずな彼らの様子に、ライナーとベルトルトは思わず苦笑を漏らす。
彼らも、今では調査兵団の立派な精鋭兵だ。
その戦闘力を〝奇行種〟に見込まれてしまい、強引に分隊に引き入れられた後は、暴走するハンジによって巻き起こされる危険な巨人討伐任務にて、ハンジ班の護衛役をさせられている。
それなりに不憫な精鋭兵のうちの1人だ。
「そういえば、ジャン。お前また、リヴァイ兵長に
上官を甘やかしすぎだと叱られたらしいな。」
ライナーが咎めるような口調で言った。
それに続いたベルトルトに、無理をしたらいつか本当に死んでしまう、と本気で心配されてしまう。
「あ~…、適当に手を抜いてるから問題ねぇよ。」
そう答えたジャンだったけれど、心配をしたベルトルトだけではなく、エレン達もその言葉を信じていないのは、彼らの空気から伝わって来た。
それでも敢えて、気づいていないフリをして、話を変えた。
「それで?お前らが、ついに結婚を決めたって
若いのから噂で聞いたけど?どうなんだ?」
ジャンは、意地悪く細めた目でエレンとミカサを交互に見て、からかうように口の端を片方だけ上げた。
そうなのか——、と驚いたライナーとベルトルトからも興奮気味に聞かれて、思いきり眉を顰めているエレンを見て、ジャンは、さまぁみろと心の中で舌を出した。
「するかよ、まだ19だぞ。誰だよ、そんなありもしねぇ噂を流してるやつは。」
エレンが不機嫌に言うと、ミカサがそれに続いた。
「そう。まだ結婚はしない。早くても来年。
この前、俺が必ず壁外を奪還してみせるから、
そしたら結婚しようとエレンが——。」
「はぁぁぁあ!?なんで、ここで言うんだよ!?
しかも、よりにもよってコイツらの前で!!馬の前で!!」
まさかのミカサの衝撃発言に、エレンが顔を真っ赤にして怒り出した。
こういうエレンを見ると、普通の19の男だと思えて、安心するのは、きっとジャンだけではない。
ニヤニヤとしながらエレンをからかいだしたライナーも、素直に心から「おめでとう!」と言っているベルトルトも、同じ気持ちなのだろうと思う。
「へぇ、俺が、ねぇ。調査兵団でも、人類最強の兵士でもなくて、
俺が、壁外を必ず奪還してくれんのか。」
ジャンが意地悪く言えば、エレンが悔しそうにギリリと歯を鳴らした。
そして、目を吊り上げて声を荒げる。
「あぁ、そうだ!!お前でもなくてな!!
俺が!!巨人なんかこの世から全て駆逐してや・・・・っ!?」
「どいてくださーーい!!どいて、どいてーーー!!」
エレンの肩を乱暴に押しのけて、見覚えのあるポニーテールが駆け抜けていった。
その隣には、いきなりの成長期によって長身男子の仲間入りを果たしたついでに、とうとう坊主まで卒業してしまった短髪もいる。
「待ちやがれ!!昼飯泥棒!!!」
廊下の向こうから必死に追いかけながら怒鳴っているのは、コニーの所属班の班長であるゲルガーだった。
サシャの班の班長であるナナバも、彼と一緒に怖い顔で走っている。
昼飯泥棒呼ばわりされたサシャとコニーを見てみると、確かに彼らの兵団ジャケットの不自然に膨らんだポケットからは、パンが半分ほど覗いていた。
「へっへ~ん!!早いもん勝ちっすよーーーー!!」
飛び跳ねるように後ろを振り向いたコニーが、右目の下の皮膚を指で引っ張り、舌を出して、小馬鹿にしたような顔で言った。
「お前らぁぁぁぁああ!!今日という今日は、絶対に許さねぇからなぁああああ!!」
「ゲルガー!私は向こうから先回りするよ!!挟み撃ちだ!!」
「おう!!頼んだぜ!!」
左の渡り廊下へと曲がったナナバを見送ったゲルガーが、風のような速さで駆け抜けていった。
「なんだ、ありゃ。」
ライナーが呆気にとられた様子で零した。
「ビックリしたね。」
ベルトルトはまだ目を見張っている。
だが、恥ずかしながら彼らと同じミケの分隊に所属しているジャンにとっては、サシャとコニーが何かしらの悪戯をしては班長であるゲルガーとナナバに追いかけられているのを見るのは、初めてのことではなかった。
毎度毎度飽きないものだ、と呆れもする。
あれでも一応は、調査兵団では精鋭兵と呼ばれ、それなりに後輩兵士から憧れられているのだから、驚きだ。
「よ~、皆さん、お揃いで。兵舎の廊下なんかで同窓会でもやってんのか?
しけてんな~。」
小馬鹿にしたような声に振り向けば、ユミルが意地悪く口の端を上げていた。
いつものように隣にいるクリスタは、4年経っても、久しぶりに見ても、相変わらず可愛い。
嬉しそうな笑みを浮かべて、嬉しそうに駆けよって来た。
「みんなが集まってるのなんて、久しぶりに見たよ~。」
「あぁ、偶々だがな。」
答えたのは、相変わらず、クリスタに恋をしているライナーだ。
そろそろ諦めればいいのに、間抜けなほどに鼻の下を伸ばしているから、ユミルに恐ろしい顔で睨まれている。
元々はミケの分隊に所属していた彼女達だが、2年前の大幅な配属替えで、ディルクの分隊に移動した。
不思議なほどに動物に好かれるクリスタは、相棒のユミルと一緒に、ディルクの分隊で精鋭兵として危険な任務を遂行しながら、新兵達に乗馬の指導を行っていると聞いたことがある。
「アルミンとサシャとコニーもいたら、全員勢揃いだな。」
ユミルが、ククッと喉を鳴らした。
だから、ミカサが、サシャとコニーについては、さっき、先輩兵士のパンを盗んで逃げて行ったことを教えてやると、驚いたように目を見開いた後に、腹を抱えてゲラゲラと笑いだした。
「今日は偶々だったが、偶にはこうして同期同士集まって懐かしい話をするのもいいかもな。」
「うん、そうだね。なんだか、時間が戻ったみたいで嬉しいよ。」
ライナーとベルトルトが言った。
あぁ、同じことを考えていたんだ——。
そう思ったのは、ジャンだけではなかったのだろう。
エレンやミカサ、クリスタ、ユミルでさえも、嬉しそうに口の端を上げ、そして、切なげに眉尻を下げた。
流れた時間は、もう二度と戻らない。
それを、嫌というほどに思い知った4年間だった。
でも、エレンから久しぶりの懐かしいセリフをすべて聞くことは出来なかったけれど、懐かしいメンバーの姿を見ると、まるで時間が戻ったようで、ほんの少しだけ、ジャンから現実を忘れさせた。
これからまた10年後も、こうしてくだらないことで喧嘩をしたり、笑い合えたらいい——。
そんな風に思う程度には、同期の彼らを大切な仲間だと、想っている。