◇第三十話◇いつか君は恋に奪われる
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デートの翌日、私は、ジャンを探して兵舎中を歩き回っていた。
今月末までの納期だったはずの書類を、急遽、団長に提出しなければならなくなったのだ。
でも、その書類がどこにあるか分からない。
終わらせているのかすらも分からない。
ていうか、それがどんな書類なのかも分からない。
探すべき書類も分からない私が、失くしたものを見つけられるわけがない。
だから、私のことを私よりも知っているジャンに書類の行方を聞きたいのに、こんな時に限って、いつもそばにいるはずの頼りになる補佐官は、朝からミケ分隊長に借り出されてしまっている。
誰に行方を聞いても、『訓練場で指導してた』『技巧室で立体起動装置の装備確認をしていた』『巨人研究所へ行くと言っていた』だとか皆が違う場所を教えてくれるから、本当に文字通り、兵舎の中を隅から隅まで歩き回ってクタクタだ。
どうやら、ミケ分隊長は、私よりも人使いが荒いらしい。私の可愛い補佐官に、あれやこれやといろんな仕事を頼んでいるようだ。
でも、私だって困っているのだ。
ミケ分隊長のために働いていないで、私がなくした書類を見つけて貰わないと、流石に団長に怒られてしまう。
でも、昼食の後から、お昼寝もしないで兵舎を歩き回り、廊下に赤い夕陽が射して来たのに、私は未だにジャンを見つけられずにいる。
これは、物語によく出てくる〝神隠し〟というやつじゃないか————。
そんなことを考えながら、最後に聞いた情報を元に資料室へと向かう。
そこにもジャンがいなかったら、部屋に戻ってお昼寝をして、現実逃避しよう。
資料室は、書庫や技巧室の並ぶ廊下をさらにずっと歩いた先にある。
廊下の窓も途中からなくなるせいで少し薄暗くなっていて、夜になると不気味な雰囲気になるから、普段はあんまり好んで行きたいとは思わないところだ。
それに、最近は、どうしても必要なときにはジャンが一緒に行ってくれていたから、1人でここに来るのはすごく久しぶりだった。
歩いているうちに、さっきまで聞こえていた調査兵達の声が次第に遠のいていって、私はじぶんの身体を抱きしめるようにして、小さく身震いをした。
廊下の影から、無念に命を引き取った同胞が、私の命を欲しがってやってくるんじゃないかとか、怖い妄想をしてしまって、泣きそうだった。
でも、団長に怒られるのも、嫌なのだ。
我慢だ。
やっと資料室に辿り着いた私は、扉を開く前にゆっくりと深呼吸をした。
扉を開いた途端に、全身血だらけの同胞が私を———。
一旦、余計な妄想をしてしまう思考を停止して、私はそっと扉を開く。
資料がぎっしりとつめこまれた棚が何列にも並ぶ資料室は、壁にも棚が敷き留められていて、圧迫感を感じる。
「——————。」
「————。」
棚の奥から、誰かが話すような声が微かに聞こえて来た。
お互いに小声で話しているのか、その内容までは聞き取れない。
でも、この薄暗い資料室に、私以外の誰かがいるというのはとても心強かった。
ホッとして、大きく息を吐く。
ジャンかもしれないと思いながらも、仕事をしている誰かの邪魔をしてはいけない、と私は静かに幾つも並ぶ棚を抜けて奥へ向かった。
「なまえさんよりも、ジャンさんが、好きです…!!」
最後の棚を抜けて、資料室の一番奥にやってきた私が見たのは、フレイヤの熱烈な告白だった。
ジャンとフレイヤは、壁沿いで向き合って立っていた。
「結婚なんて、嘘ですよね…!?しないでください…っ。
嫌だ、私…っ。見てるだけで、いいから…っ、他の人の、ものに…っ、ならないで…っ。」
資料を片手に持つジャンのジャケットの裾を、フレイヤが握っている。
頬を赤く染めた彼女は、大きな瞳に浮かぶ涙を必死に堪えているようだった。
でも、今にも涙を零してしまいそうなその瞳は、とても強く、ただひたすらに、ジャンを見つめていた。
そんな彼女を、長身のジャンが見下ろしていて、互いを見つめ合う彼らの横顔は、まるで、小説の中の恋人達のワンシーンみたいに見えた。
ジャンが、首の後ろを右手で擦りながら、少しだけ眉尻を下げて口を開いた。
告白の返事をしようとしたのだろうけれど、それが答えになる前に、彼は、視線の奥に私を見つけてしまった。
ジャンと目が合って、私はやっと、自分が邪魔者だと気づいた。
この場を去って、若い彼らの2人きりにしてやるべきだったのだ。
謝ろうとしたのだけれど、それよりも先に、ジャンは、彼女ではなくて、私に声を掛けた。
「なまえさん、今日は会うの初めてですね。
俺がいなくても、ちゃんと真面目に仕事してました?」
ジャンが言う。彼は、いつも通りだった。
まるで、数秒前に受けた熱烈の告白が、夢かなにかだったのかもしれないと錯覚してしまいそうになったくらいだ。
でも、告白は現実にあったもので、フレイヤは、邪魔者の私の存在を知ると、大きな瞳を顰めるように歪めた。
その拍子に、大粒の涙が幾つも零れ落ちて、頬を伝っていく。
その涙をサッと右腕で拭って、彼女が地面を蹴った。
「邪魔です…っ!」
棚と棚の間の狭い隙間に立つ私の肩を押して、フレイヤが走り抜けていった。
資料室に、彼女が立てた足音が響く。
そして、扉が激しく閉まる音を最後に、また、資料室にはいつも通りの気味の悪いほどの静けさが戻った。
「俺のこと探してたらしいですね。
これ終わったらなまえさんの部屋に行くつもりだったんですよ。」
ジャンは、手に持っていた資料を棚に戻しながら言う。
本当に、熱烈な告白が、記憶から抜け落ちてしまっているみたいだった。
「えっと…、そんなことより、ねぇ、彼女のこと追いかけなくていいの?」
「どうしてですか?」
棚から、別に資料を取り出したジャンは、それを開いて確認しながら、私に訊ねる。
資料の文字を読むジャンの視線は、右へ左へと動くけれど、彼女が出て行った扉は追いかけない。
本当に、どうして彼女を追いかけるべきなのかが、分からないのだろうか。
でも、恋愛の経験なんて、10年間叶わない片想いをしていたくらいしかない私にだって、分かる。
たぶん、彼女は、ジャンに追いかけてもらいたいはずだ。
そして、抱きしめて『俺も好きだよ』と言ってもらえたら、彼女の涙は、嬉しい意味に変わって———。
「だって…、ジャンのことが好きって…。」
「そうみたいですね。」
「泣いてたよ?」
「知ってます。」
「本当に、追いかけないの?」
「…追いかけて欲しいんですか?」
目を通していた資料のファイルから顔を上げて、ジャンが私を見た。
私に訊ねているジャンの目は、すごく冷たくて、怖かった。
だから、思わず私は首を横に振ってしまう。
「そういうわけじゃ、なくて。」
「なら、この話はもう終わりです。」
ジャンはピシャリとそう言って、読んでいたファイルも、パタン、と閉じてしまう。
物語は終わり——。
まだ結末も来ていないのに、急に本を閉じられてしまったみたいだった。
「でも、」
「なまえさんが珍しく資料室に来るなんて、何があったんですか?
いつもここは怖ぇからって来たがらないのに。」
「え…っと、団長から今日中に書類を提出して欲しいのがあるって言われて…。」
「それで、自分で書類をまとめるために資料を探しに来たんですか。
俺がいなくてもしっかり仕事してたんですね、感心です。」
「いや…そうじゃなくて…。その書類が見つからない…ていうか
どの書類かも分かんないから、ジャンに探してもらおうと思って…。」
いつもなら平気でお願い出来るのに、すごく申し訳ないことをしているよう気がして、私は自分の腕を握りしめて、目を伏せながらボソボソと喋った。
でも、そんな私を、ジャンは呆れるでも怒るでもなく、クスリと笑った。
そして——。
「何の書類ですか?」
ジャンが訊ねる。
一緒に探そうと思ってくれたようで、ホッとした。
「団長は、観光地だった頃の巨大樹の森についての
パンフレットがどうのって言ってたんだけど…。」
「あ~、あれですね。分かりますよ。」
「ほんと!?」
「もう終わってあるんで、すぐに提出できますよ。」
「よかったぁ~。」
胸を撫でおろした私は、漸く、本当に安心して、身体の力が抜けた。
今月末までの納期だったはずの書類を、急遽、団長に提出しなければならなくなったのだ。
でも、その書類がどこにあるか分からない。
終わらせているのかすらも分からない。
ていうか、それがどんな書類なのかも分からない。
探すべき書類も分からない私が、失くしたものを見つけられるわけがない。
だから、私のことを私よりも知っているジャンに書類の行方を聞きたいのに、こんな時に限って、いつもそばにいるはずの頼りになる補佐官は、朝からミケ分隊長に借り出されてしまっている。
誰に行方を聞いても、『訓練場で指導してた』『技巧室で立体起動装置の装備確認をしていた』『巨人研究所へ行くと言っていた』だとか皆が違う場所を教えてくれるから、本当に文字通り、兵舎の中を隅から隅まで歩き回ってクタクタだ。
どうやら、ミケ分隊長は、私よりも人使いが荒いらしい。私の可愛い補佐官に、あれやこれやといろんな仕事を頼んでいるようだ。
でも、私だって困っているのだ。
ミケ分隊長のために働いていないで、私がなくした書類を見つけて貰わないと、流石に団長に怒られてしまう。
でも、昼食の後から、お昼寝もしないで兵舎を歩き回り、廊下に赤い夕陽が射して来たのに、私は未だにジャンを見つけられずにいる。
これは、物語によく出てくる〝神隠し〟というやつじゃないか————。
そんなことを考えながら、最後に聞いた情報を元に資料室へと向かう。
そこにもジャンがいなかったら、部屋に戻ってお昼寝をして、現実逃避しよう。
資料室は、書庫や技巧室の並ぶ廊下をさらにずっと歩いた先にある。
廊下の窓も途中からなくなるせいで少し薄暗くなっていて、夜になると不気味な雰囲気になるから、普段はあんまり好んで行きたいとは思わないところだ。
それに、最近は、どうしても必要なときにはジャンが一緒に行ってくれていたから、1人でここに来るのはすごく久しぶりだった。
歩いているうちに、さっきまで聞こえていた調査兵達の声が次第に遠のいていって、私はじぶんの身体を抱きしめるようにして、小さく身震いをした。
廊下の影から、無念に命を引き取った同胞が、私の命を欲しがってやってくるんじゃないかとか、怖い妄想をしてしまって、泣きそうだった。
でも、団長に怒られるのも、嫌なのだ。
我慢だ。
やっと資料室に辿り着いた私は、扉を開く前にゆっくりと深呼吸をした。
扉を開いた途端に、全身血だらけの同胞が私を———。
一旦、余計な妄想をしてしまう思考を停止して、私はそっと扉を開く。
資料がぎっしりとつめこまれた棚が何列にも並ぶ資料室は、壁にも棚が敷き留められていて、圧迫感を感じる。
「——————。」
「————。」
棚の奥から、誰かが話すような声が微かに聞こえて来た。
お互いに小声で話しているのか、その内容までは聞き取れない。
でも、この薄暗い資料室に、私以外の誰かがいるというのはとても心強かった。
ホッとして、大きく息を吐く。
ジャンかもしれないと思いながらも、仕事をしている誰かの邪魔をしてはいけない、と私は静かに幾つも並ぶ棚を抜けて奥へ向かった。
「なまえさんよりも、ジャンさんが、好きです…!!」
最後の棚を抜けて、資料室の一番奥にやってきた私が見たのは、フレイヤの熱烈な告白だった。
ジャンとフレイヤは、壁沿いで向き合って立っていた。
「結婚なんて、嘘ですよね…!?しないでください…っ。
嫌だ、私…っ。見てるだけで、いいから…っ、他の人の、ものに…っ、ならないで…っ。」
資料を片手に持つジャンのジャケットの裾を、フレイヤが握っている。
頬を赤く染めた彼女は、大きな瞳に浮かぶ涙を必死に堪えているようだった。
でも、今にも涙を零してしまいそうなその瞳は、とても強く、ただひたすらに、ジャンを見つめていた。
そんな彼女を、長身のジャンが見下ろしていて、互いを見つめ合う彼らの横顔は、まるで、小説の中の恋人達のワンシーンみたいに見えた。
ジャンが、首の後ろを右手で擦りながら、少しだけ眉尻を下げて口を開いた。
告白の返事をしようとしたのだろうけれど、それが答えになる前に、彼は、視線の奥に私を見つけてしまった。
ジャンと目が合って、私はやっと、自分が邪魔者だと気づいた。
この場を去って、若い彼らの2人きりにしてやるべきだったのだ。
謝ろうとしたのだけれど、それよりも先に、ジャンは、彼女ではなくて、私に声を掛けた。
「なまえさん、今日は会うの初めてですね。
俺がいなくても、ちゃんと真面目に仕事してました?」
ジャンが言う。彼は、いつも通りだった。
まるで、数秒前に受けた熱烈の告白が、夢かなにかだったのかもしれないと錯覚してしまいそうになったくらいだ。
でも、告白は現実にあったもので、フレイヤは、邪魔者の私の存在を知ると、大きな瞳を顰めるように歪めた。
その拍子に、大粒の涙が幾つも零れ落ちて、頬を伝っていく。
その涙をサッと右腕で拭って、彼女が地面を蹴った。
「邪魔です…っ!」
棚と棚の間の狭い隙間に立つ私の肩を押して、フレイヤが走り抜けていった。
資料室に、彼女が立てた足音が響く。
そして、扉が激しく閉まる音を最後に、また、資料室にはいつも通りの気味の悪いほどの静けさが戻った。
「俺のこと探してたらしいですね。
これ終わったらなまえさんの部屋に行くつもりだったんですよ。」
ジャンは、手に持っていた資料を棚に戻しながら言う。
本当に、熱烈な告白が、記憶から抜け落ちてしまっているみたいだった。
「えっと…、そんなことより、ねぇ、彼女のこと追いかけなくていいの?」
「どうしてですか?」
棚から、別に資料を取り出したジャンは、それを開いて確認しながら、私に訊ねる。
資料の文字を読むジャンの視線は、右へ左へと動くけれど、彼女が出て行った扉は追いかけない。
本当に、どうして彼女を追いかけるべきなのかが、分からないのだろうか。
でも、恋愛の経験なんて、10年間叶わない片想いをしていたくらいしかない私にだって、分かる。
たぶん、彼女は、ジャンに追いかけてもらいたいはずだ。
そして、抱きしめて『俺も好きだよ』と言ってもらえたら、彼女の涙は、嬉しい意味に変わって———。
「だって…、ジャンのことが好きって…。」
「そうみたいですね。」
「泣いてたよ?」
「知ってます。」
「本当に、追いかけないの?」
「…追いかけて欲しいんですか?」
目を通していた資料のファイルから顔を上げて、ジャンが私を見た。
私に訊ねているジャンの目は、すごく冷たくて、怖かった。
だから、思わず私は首を横に振ってしまう。
「そういうわけじゃ、なくて。」
「なら、この話はもう終わりです。」
ジャンはピシャリとそう言って、読んでいたファイルも、パタン、と閉じてしまう。
物語は終わり——。
まだ結末も来ていないのに、急に本を閉じられてしまったみたいだった。
「でも、」
「なまえさんが珍しく資料室に来るなんて、何があったんですか?
いつもここは怖ぇからって来たがらないのに。」
「え…っと、団長から今日中に書類を提出して欲しいのがあるって言われて…。」
「それで、自分で書類をまとめるために資料を探しに来たんですか。
俺がいなくてもしっかり仕事してたんですね、感心です。」
「いや…そうじゃなくて…。その書類が見つからない…ていうか
どの書類かも分かんないから、ジャンに探してもらおうと思って…。」
いつもなら平気でお願い出来るのに、すごく申し訳ないことをしているよう気がして、私は自分の腕を握りしめて、目を伏せながらボソボソと喋った。
でも、そんな私を、ジャンは呆れるでも怒るでもなく、クスリと笑った。
そして——。
「何の書類ですか?」
ジャンが訊ねる。
一緒に探そうと思ってくれたようで、ホッとした。
「団長は、観光地だった頃の巨大樹の森についての
パンフレットがどうのって言ってたんだけど…。」
「あ~、あれですね。分かりますよ。」
「ほんと!?」
「もう終わってあるんで、すぐに提出できますよ。」
「よかったぁ~。」
胸を撫でおろした私は、漸く、本当に安心して、身体の力が抜けた。