◇第二十九話◇可愛い僕の小鳥にキス
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少しだけ贅沢な仕様の貸切馬車に乗って、ウォール・ローゼの観光地になっている公園通りの街路樹を回る。
誰かがつけた滲みの残るワインレッド色のシートは、柔らかいとも硬いとも言えない絶妙な座り心地で、黒く塗られた車体は、ところどころ色が剥げて、古い木が剥き出しになっている。
私がいつも妄想しているような夢の世界の馬車とは大違いで、お世辞にも『素敵』だとは言えない。
でも、それで構わなかった。
座っている場所なんて、どこだって良いのだと思えた。
赤くなり始めた夕陽が、街路樹の木々が舞い散らせる緑色の葉を染める。
昼間、来たときとはまた違った風景に様変わりしているその美しさは、車窓に手をついてはりつく私の心を躍らせた。
遊歩道を寄り添って歩く恋人達のすぐそばを、小さな子供達が走り抜けていく。
若い夫婦は、ベビーカーの中で楽しそうに両手を空に突き出す赤ん坊の笑顔を覗き込む。そして、パパが愛おしそうに抱き上げると、ふっくらと柔らかそうな小さな唇にキスをした。
お揃いの白い髪が素敵な老夫婦が、手を繋いで時計台を見上げている。
あぁ、なんて素敵な光景だろう————。
「あ!見て、ジャン!!」
私は、車窓の外を指さした。
「ん?」
ジャンは、座席に片手をつくと、私側の車窓に上半身を寄せるように前のめりになって、向こうの景色を覗き込む。
車窓に張りつくように外を眺める私のすぐ隣にジャンの横顔がやってきて、指さした先を視線で追いかけた。
そこにあるのは、街路樹に並ぶ一本の木で、太い枝に鳥の巣がちょこんと乗っている。
「あそこの木に鳥の巣があるの。
でね、ほら!!小鳥がいる!!」
「あぁ、本当っすね。」
「お腹すいたのかなぁ?一生懸命、口開いて鳴いてて、可愛いねっ。」
一緒に窓の外を眺めるジャンに、私は笑顔を向けた。
子供みたいにハシャいでいたと思う。
だって、朝から、私はすごく楽しかった。
活気に溢れたトロスト区の街並みを歩いて、美味しいものをたくさん買って、シートの上で楽しいお喋りをしながら食べた。
大きな芝生の広場は他に誰もいなくて、私達以外の笑い声がしかしないほどに穏やかで、まるで、平和な世界が私達だけのものになったみたいだった。
美味しいものをたくさん食べた後は、大好きなお昼寝をして、好きな時に起きて、今度は馬車を貸し切って、美しい風景を散歩している。
本当のことを言うと、デートなんて、私には向いていないと思っていた。
ひとりきりで部屋でダラダラ過ごせるのが一番だったから。
他人と一緒にいても、気を遣うだけで疲れるに決まってる。
実際、普段はそうなのだ。
でも、街を歩き回るのだって、デートでしてみたいと思っていたピクニックだって、全然趣味じゃないボロボロの貸切馬車だって、こんなに楽しい。
もしかしたら、私はデートに向いているのかもしれない。
だって、すごく不思議だけど、妄想なんてしていないのに、残酷な現実を忘れてしまうくらいたくさん笑った今日が、調査兵団に入団してからの10年の日々の中で、一番楽しい。
でも、ハシャぐ私が可笑しかったのか、ジャンはクスッと笑った。
「本当に可愛いっすね。」
「ね!いつか、小鳥、飼ってみたいな~。」
赤い空を見上げながら、私は、ここが壁の中に閉じ込められた鳥籠のような世界だってことも忘れて、軽い気持ちで願いを口にした。
自然と緩む頬が、私はすごく嬉しかった。
すると、不意に、私の唇に、ジャンの唇が重なった。
それはほんの一瞬触れるような、そんなキスだった。
「また…!もう、なんでジャンはそうやって勝手にそういうことするの。」
驚いて、叱るように言うと、ジャンは平然とした顔で答える。
「言ったじゃないですか。可愛いって。」
「小鳥が可愛いのと、私にチューするのとは、話が違うでしょ。」
「何言ってんすか。俺が可愛いと思ったのは、なまえさんですよ。」
「な…!?」
「で、可愛いものには、キスしたくなるものでしょ。
だから、これは不可抗力っす。」
ジャンの背中の向こうにある車窓から赤い夕陽が射していた。
そして、口の端を上げるジャンを赤く照らす。
ノスタルジックな淡い赤と影が、彼をひどく大人に見せた。
私も、赤く染まっているのだろうか。
赤い、夕陽のせいで。
「私は赤ちゃんと一緒ってこと?
今度からは、ジャンのことパパって呼んでやるから。」
頬を膨らませれば、ジャンは、一瞬キョトンとした後に、楽しそうに笑った。
「なら、俺はなまえさんのこと、ベイビーって呼べばいいっすか?」
膨らんだ私の頬を片手でつまんで、ジャンがケラケラと笑う。
頭の回転の速さが違うのは知っているし、言い返したってすぐに意地悪が戻ってくるのは、もう分かってる。
でも、このまま口で負けて黙り込むだけなんて悔しい。
「うっさい!」
ジャンの両頬を両手で摘まんで引っ張ってやった。
想像していなかった反抗に驚いたらしく、馬鹿にしたみたいな笑い声がピタッと止まった。
勝った———。
そう思ったのに、私はまた、ジャンにキスされてた。
今度はほんの一瞬だけ触れるようなキスではなくて、腰を抱き寄せられて、うなじ辺りに添えられた手に顔をすくい上げられるようにして、唇を押しつけられていた。
でも、甘いお菓子を食べていない私の咥内を舌が這いまわることもなくて、ただしっかりと唇を押しつけるようなキスだった。
そうやって、強引にキスをしてきたくせに、離れるときはそっと、ゆっくりと、慈しむみたいにするから、怒り方が分からなくなってしまう。
それに、赤い夕陽は、相変わらず、ジャンを背中から照らしていて、それが妙に柔らかい空気を運んでくるのだ。
まるで『こういうのもいいんじゃないの?』なんて勝手なことを、赤い夕陽の妖精が言っているみたいだった。
でも———。
「なんでいつも、そんなことするの。」
ジャンの胸板を押すようにして、私は身体を離した。
何を考えているのか、私にはサッパリ分からなかった。
それに正直、知りたいとだって、思わないのだ。
私の我儘に付き合わせて恋人のフリをさせているのは分かってる。
そして、勝手かもしれないけれど、ジャンとは、上官と補佐官という居心地のいい関係を壊したくないのだ。
上官の我儘に付き合わなければならない中で、ジャンが新しい遊びを見つけたのなら、今回のこのことについては、ダメだとは言わない。
恋人ごっこを楽しむつもりなら、それでいいと思ってる。
嫌々しているわけじゃないのなら、それはそれで助かる。罪悪感を減らす材料になるし、むしろその方が気が楽なくらいだ。
でも、ジャンにキスをされる度、私は、大切なものを奪われて行っているような気がして、怖くなる。
ジャンのキスが嫌なんじゃない。
ジャンのキスで、私がずっと大切に守っていた何かが消えていくのが、嫌なのだ。
それはたとえば、思考だとか、夢だとか、10年間一途に想い続けて来たリヴァイ兵長への恋、とか—————。
「彼女がすぐそばにいるのに、キスしねぇ彼氏なんていないですよ。」
「私は、ジャンの彼女じゃないよ。」
右手で払いながら言って、ジャンも、勝手なキスも振り払う。
でも、私の右手首は、ジャンの大きな手に捕まえられて、痛いくらいに強く握られた。
驚いて目を見開く私を、睨むようなジャンの目が見下ろす。
「彼女ですよ。」
「ちが———。」
「フリだって、なまえさんは今、俺の彼女です。
そういうつもりで生活しないと、すぐにボロが出るって忠告しましたよね。」
「…ごめん。分かってるよ。」
目を反らして、本当は分かっていないくせいに、理解しているフリをする。
それで納得するはずなんかないのに、ジャンの手が離れて、私の右手は自由になった。
「だから、仕方ないんですよ。
可愛い彼女を見たら、彼氏はキスしたくなってしまうもんでしょう?」
ジャンが、まるで私を慰めるみたいに、頭に大きな手を乗せて髪を撫でる。
「知らないよ。彼氏なんていたことないし。」
座席に両手をついて、私は投げ出した靴のつま先を見ながら、拗ねた様に言う。
不憫な上官が可笑しかったのか、ジャンはクスッと笑った。
「少なくとも俺は、そうなんですよ。」
「へぇ。」
「だから、なまえさんは大変ですね。」
「なんで?」
不思議に思って、私はジャンの方を向いて訊ねた。
「いつも可愛いから。四六時中、俺にキスされちまう。」
私の髪を撫でていたジャンの手が、ゆっくりと滑るように降りてきて頬に触れた。
赤い夕陽に背中を照らされるジャンは、やっぱりどこか、いつもとは違って見えた。
そして、切れ長の瞳が少しだけ細められて、彼は、私を見つめながら言う。
「ほら、今だって、赤く染まるなまえさんは、世界一可愛い。
また、キスしていいですか?」
「…っ、ダメだよ…!」
「それは、残念だな。」
「もう、キャラが変わりすぎて困るんだけどっ。」
頬に触れているジャンの手を振り払いながら、私は目を反らす。
そんな私を、ジャンがクスッと笑う。
「顔、真っ赤っすよ?
今日の夕陽は、俺が見た中で一番赤いんですかね。」
「そうっ。」
目を反らしたままの私を、ジャンがクスクスと笑う。
もう、耳まで熱い。いっそ、痛い。
「恋人のフリのなまえさんに、四六時中キスするようなことしないんで、
心配しなくていいですよ。」
「してない、そんな心配。」
むぅっと頬を膨らませる。
「あー、でも覚えててくださいよ。」
ジャンはそう言うと、私の顔を覗き込んだ。
そして———。
「俺が他の女の本当の恋人になってから、
キスして欲しくなっても、遅いですからね。
惚れてる女以外に触れるようなこと、俺はしないんで。」
後悔しないようにしてくれって言われたって、私は、後悔する気なんかない。
私はただ、調査兵団に残りたいだけだから。
好きな人は、相変わらずリヴァイ兵長で、失恋だってこうやって強く乗り越えられてる。
ジャンは私の大切な補佐官で、それ以上でも以下でもない。
そして、ジャンにとって私もそのはずで、万が一にでも、私が想像するのとは違う感情を彼が抱いていたら、私達の関係は壊れてしまう。
そして、そんなこと、私も、きっとジャンも望んでいない。
それに、恋愛ごっこを楽しんでる年下の男の子に振り回されるのだって、本当は面白くないくらいなんだから。
誰かがつけた滲みの残るワインレッド色のシートは、柔らかいとも硬いとも言えない絶妙な座り心地で、黒く塗られた車体は、ところどころ色が剥げて、古い木が剥き出しになっている。
私がいつも妄想しているような夢の世界の馬車とは大違いで、お世辞にも『素敵』だとは言えない。
でも、それで構わなかった。
座っている場所なんて、どこだって良いのだと思えた。
赤くなり始めた夕陽が、街路樹の木々が舞い散らせる緑色の葉を染める。
昼間、来たときとはまた違った風景に様変わりしているその美しさは、車窓に手をついてはりつく私の心を躍らせた。
遊歩道を寄り添って歩く恋人達のすぐそばを、小さな子供達が走り抜けていく。
若い夫婦は、ベビーカーの中で楽しそうに両手を空に突き出す赤ん坊の笑顔を覗き込む。そして、パパが愛おしそうに抱き上げると、ふっくらと柔らかそうな小さな唇にキスをした。
お揃いの白い髪が素敵な老夫婦が、手を繋いで時計台を見上げている。
あぁ、なんて素敵な光景だろう————。
「あ!見て、ジャン!!」
私は、車窓の外を指さした。
「ん?」
ジャンは、座席に片手をつくと、私側の車窓に上半身を寄せるように前のめりになって、向こうの景色を覗き込む。
車窓に張りつくように外を眺める私のすぐ隣にジャンの横顔がやってきて、指さした先を視線で追いかけた。
そこにあるのは、街路樹に並ぶ一本の木で、太い枝に鳥の巣がちょこんと乗っている。
「あそこの木に鳥の巣があるの。
でね、ほら!!小鳥がいる!!」
「あぁ、本当っすね。」
「お腹すいたのかなぁ?一生懸命、口開いて鳴いてて、可愛いねっ。」
一緒に窓の外を眺めるジャンに、私は笑顔を向けた。
子供みたいにハシャいでいたと思う。
だって、朝から、私はすごく楽しかった。
活気に溢れたトロスト区の街並みを歩いて、美味しいものをたくさん買って、シートの上で楽しいお喋りをしながら食べた。
大きな芝生の広場は他に誰もいなくて、私達以外の笑い声がしかしないほどに穏やかで、まるで、平和な世界が私達だけのものになったみたいだった。
美味しいものをたくさん食べた後は、大好きなお昼寝をして、好きな時に起きて、今度は馬車を貸し切って、美しい風景を散歩している。
本当のことを言うと、デートなんて、私には向いていないと思っていた。
ひとりきりで部屋でダラダラ過ごせるのが一番だったから。
他人と一緒にいても、気を遣うだけで疲れるに決まってる。
実際、普段はそうなのだ。
でも、街を歩き回るのだって、デートでしてみたいと思っていたピクニックだって、全然趣味じゃないボロボロの貸切馬車だって、こんなに楽しい。
もしかしたら、私はデートに向いているのかもしれない。
だって、すごく不思議だけど、妄想なんてしていないのに、残酷な現実を忘れてしまうくらいたくさん笑った今日が、調査兵団に入団してからの10年の日々の中で、一番楽しい。
でも、ハシャぐ私が可笑しかったのか、ジャンはクスッと笑った。
「本当に可愛いっすね。」
「ね!いつか、小鳥、飼ってみたいな~。」
赤い空を見上げながら、私は、ここが壁の中に閉じ込められた鳥籠のような世界だってことも忘れて、軽い気持ちで願いを口にした。
自然と緩む頬が、私はすごく嬉しかった。
すると、不意に、私の唇に、ジャンの唇が重なった。
それはほんの一瞬触れるような、そんなキスだった。
「また…!もう、なんでジャンはそうやって勝手にそういうことするの。」
驚いて、叱るように言うと、ジャンは平然とした顔で答える。
「言ったじゃないですか。可愛いって。」
「小鳥が可愛いのと、私にチューするのとは、話が違うでしょ。」
「何言ってんすか。俺が可愛いと思ったのは、なまえさんですよ。」
「な…!?」
「で、可愛いものには、キスしたくなるものでしょ。
だから、これは不可抗力っす。」
ジャンの背中の向こうにある車窓から赤い夕陽が射していた。
そして、口の端を上げるジャンを赤く照らす。
ノスタルジックな淡い赤と影が、彼をひどく大人に見せた。
私も、赤く染まっているのだろうか。
赤い、夕陽のせいで。
「私は赤ちゃんと一緒ってこと?
今度からは、ジャンのことパパって呼んでやるから。」
頬を膨らませれば、ジャンは、一瞬キョトンとした後に、楽しそうに笑った。
「なら、俺はなまえさんのこと、ベイビーって呼べばいいっすか?」
膨らんだ私の頬を片手でつまんで、ジャンがケラケラと笑う。
頭の回転の速さが違うのは知っているし、言い返したってすぐに意地悪が戻ってくるのは、もう分かってる。
でも、このまま口で負けて黙り込むだけなんて悔しい。
「うっさい!」
ジャンの両頬を両手で摘まんで引っ張ってやった。
想像していなかった反抗に驚いたらしく、馬鹿にしたみたいな笑い声がピタッと止まった。
勝った———。
そう思ったのに、私はまた、ジャンにキスされてた。
今度はほんの一瞬だけ触れるようなキスではなくて、腰を抱き寄せられて、うなじ辺りに添えられた手に顔をすくい上げられるようにして、唇を押しつけられていた。
でも、甘いお菓子を食べていない私の咥内を舌が這いまわることもなくて、ただしっかりと唇を押しつけるようなキスだった。
そうやって、強引にキスをしてきたくせに、離れるときはそっと、ゆっくりと、慈しむみたいにするから、怒り方が分からなくなってしまう。
それに、赤い夕陽は、相変わらず、ジャンを背中から照らしていて、それが妙に柔らかい空気を運んでくるのだ。
まるで『こういうのもいいんじゃないの?』なんて勝手なことを、赤い夕陽の妖精が言っているみたいだった。
でも———。
「なんでいつも、そんなことするの。」
ジャンの胸板を押すようにして、私は身体を離した。
何を考えているのか、私にはサッパリ分からなかった。
それに正直、知りたいとだって、思わないのだ。
私の我儘に付き合わせて恋人のフリをさせているのは分かってる。
そして、勝手かもしれないけれど、ジャンとは、上官と補佐官という居心地のいい関係を壊したくないのだ。
上官の我儘に付き合わなければならない中で、ジャンが新しい遊びを見つけたのなら、今回のこのことについては、ダメだとは言わない。
恋人ごっこを楽しむつもりなら、それでいいと思ってる。
嫌々しているわけじゃないのなら、それはそれで助かる。罪悪感を減らす材料になるし、むしろその方が気が楽なくらいだ。
でも、ジャンにキスをされる度、私は、大切なものを奪われて行っているような気がして、怖くなる。
ジャンのキスが嫌なんじゃない。
ジャンのキスで、私がずっと大切に守っていた何かが消えていくのが、嫌なのだ。
それはたとえば、思考だとか、夢だとか、10年間一途に想い続けて来たリヴァイ兵長への恋、とか—————。
「彼女がすぐそばにいるのに、キスしねぇ彼氏なんていないですよ。」
「私は、ジャンの彼女じゃないよ。」
右手で払いながら言って、ジャンも、勝手なキスも振り払う。
でも、私の右手首は、ジャンの大きな手に捕まえられて、痛いくらいに強く握られた。
驚いて目を見開く私を、睨むようなジャンの目が見下ろす。
「彼女ですよ。」
「ちが———。」
「フリだって、なまえさんは今、俺の彼女です。
そういうつもりで生活しないと、すぐにボロが出るって忠告しましたよね。」
「…ごめん。分かってるよ。」
目を反らして、本当は分かっていないくせいに、理解しているフリをする。
それで納得するはずなんかないのに、ジャンの手が離れて、私の右手は自由になった。
「だから、仕方ないんですよ。
可愛い彼女を見たら、彼氏はキスしたくなってしまうもんでしょう?」
ジャンが、まるで私を慰めるみたいに、頭に大きな手を乗せて髪を撫でる。
「知らないよ。彼氏なんていたことないし。」
座席に両手をついて、私は投げ出した靴のつま先を見ながら、拗ねた様に言う。
不憫な上官が可笑しかったのか、ジャンはクスッと笑った。
「少なくとも俺は、そうなんですよ。」
「へぇ。」
「だから、なまえさんは大変ですね。」
「なんで?」
不思議に思って、私はジャンの方を向いて訊ねた。
「いつも可愛いから。四六時中、俺にキスされちまう。」
私の髪を撫でていたジャンの手が、ゆっくりと滑るように降りてきて頬に触れた。
赤い夕陽に背中を照らされるジャンは、やっぱりどこか、いつもとは違って見えた。
そして、切れ長の瞳が少しだけ細められて、彼は、私を見つめながら言う。
「ほら、今だって、赤く染まるなまえさんは、世界一可愛い。
また、キスしていいですか?」
「…っ、ダメだよ…!」
「それは、残念だな。」
「もう、キャラが変わりすぎて困るんだけどっ。」
頬に触れているジャンの手を振り払いながら、私は目を反らす。
そんな私を、ジャンがクスッと笑う。
「顔、真っ赤っすよ?
今日の夕陽は、俺が見た中で一番赤いんですかね。」
「そうっ。」
目を反らしたままの私を、ジャンがクスクスと笑う。
もう、耳まで熱い。いっそ、痛い。
「恋人のフリのなまえさんに、四六時中キスするようなことしないんで、
心配しなくていいですよ。」
「してない、そんな心配。」
むぅっと頬を膨らませる。
「あー、でも覚えててくださいよ。」
ジャンはそう言うと、私の顔を覗き込んだ。
そして———。
「俺が他の女の本当の恋人になってから、
キスして欲しくなっても、遅いですからね。
惚れてる女以外に触れるようなこと、俺はしないんで。」
後悔しないようにしてくれって言われたって、私は、後悔する気なんかない。
私はただ、調査兵団に残りたいだけだから。
好きな人は、相変わらずリヴァイ兵長で、失恋だってこうやって強く乗り越えられてる。
ジャンは私の大切な補佐官で、それ以上でも以下でもない。
そして、ジャンにとって私もそのはずで、万が一にでも、私が想像するのとは違う感情を彼が抱いていたら、私達の関係は壊れてしまう。
そして、そんなこと、私も、きっとジャンも望んでいない。
それに、恋愛ごっこを楽しんでる年下の男の子に振り回されるのだって、本当は面白くないくらいなんだから。