◇第十七話◇勝つ為には盤面の先を読むこと
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良い香りのする紅茶と美味しそうなお茶菓子が並ぶと、テーブルの上は、とても華やかになった。
だから自然と、会話にも華が咲く。
それを先導しているのは、お喋りが大好きな母だったが、いつの間にか、父まで、まるでお酒でも入ったみたいに饒舌になっていた。
話を引き出すのがうまいジャンが、この場の雰囲気をすべて作っているように見えた。
彼はこうやって、器用に生きて来たのだろうと、上官としてとても感心している。
「それにしても、就任式で会ったときのあの17歳の男の子が、
たったの2年でこんなに立派な兵士になるなんて、思ってもいなかったわ。
エルヴィンはやっぱり見る目があるのね。」
「そうだな。副兵士長なんて言うから、
人類最強の兵士がそばについてくれるかと思っていたからな。
補佐が2年目の若い兵士だと聞いて、正直、心配で仕方がなかったよ。」
楽しそうに話す父と母の、今は違う———という言い方に、私は胸を撫でおろす。
2年前、王都ミットラスで執り行われた就任式は、調査兵としての人生の中でも特別なものだったから、今でも鮮明に覚えている。
副兵士長なんていう新しい役職だということに加えて、公に出来ない特別任務の為に、職務内容が『兵団全体の書類管理』としか説明できなかったことで、調査兵団内外から不満が出ている状態での就任式だった。
恐らく、そういう声は、憲兵OBの両親の耳にも入っていただろうけれど、それでも、わざわざ就任式に足を運んでくれた。
『あ、ジャン。私の父と母なの。』
『え!?あの有名な憲兵の!?』
エルヴィン団長に呼ばれて席を離していたジャンが戻って来たのは、ちょうど両親と話をしているときだった。
これから補佐として一緒に任務を遂行する彼を両親に会わせておきたかった私は、ちょうどいいと思って紹介した。
私の両親の噂は聞いていたらしくて、とても驚いて、兵士の大先輩でもある父と母に恐縮していたジャンが、懐かしい。
見るからに若く初々しい調査兵に、娘をよろしく頼むと言いながらも、父と母がとても不安そうにしたのには、すぐに分かった。
だから、まさか、たった2年で———。
「そうだ、ジャン。あっちで私とチェスをしないか。
最近、漸くハマってきてね。ピクシス司令が呑みに来る度に、
手合わせしてるんだよ。」
「えー、お父さん、強そうなんでやめときます。
俺、負けず嫌いなんで、勝てない勝負はしない主義なんですよ。」
「それはいいな。私も負けず嫌いなんだ。
たまには、勝てる勝負がしたい。」
「俺は負ける勝負はしたくないです。」
「ほら、こっちだっ。新しいチェスボードを買ったばかりなんだ。」
楽しみだなぁ———、なんて本当に嬉しそうにしながら、父は、負けるのは嫌だと頑ななジャンを、扉を取り外してオープンになっている隣の部屋に引っ張っていく。
そして、結局、見覚えのないチェスボードを挟んで座らされたジャンは、父にチェスを挑まれている。
(ジャンがチェスしてるのなんて初めて見るな~。)
美味しいお茶菓子をつまみながら、ソファの背もたれに寄り掛かって、チェスゲームを始めた父とジャンを眺める。
嫌々始めた割には、盤面を真剣に見ているジャンの横顔は真剣だ。
負けたくないというのは、本気だったらしい。
ジャンらしい。
むしろ、父の方が頬を緩めていて、このままではまた負けを繰り越すのではないかと、心配してしまう。
「なまえが結婚したいって連れてくる人が、ジャンくんでよかったわ。」
空になったティーカップに紅茶を注ぎながら、母がフフッと嬉しそうに笑った。
ジャンのおかげでまだあと1年の猶予が出来たことを嬉しく思う反面、嬉しそうな父と母を見れば見るほど、嘘をついてしまった罪悪感が胸に広がっていく。
娘が結婚相手を連れてくることが、そんなに嬉しいことだとは思っていなかった。
父と母が、どれくらい娘の幸せを願ってるのか、想像して分かっているつもりでいただけで、本当は現実から目を反らしていたのだと思う。
「私は、歳下過ぎるって反対されると思ったよ。」
今さらだと分かってはいても、これ以上は嘘を重ねたくなくて、私は、注いでくれたばかりの紅茶の礼を言って、本音を零した。
「ジャンくんじゃなかったら、私もお父さんも反対してたかもしれないわ。」
母は、自分のティーカップに紅茶を注ぎながら言った。
どうしてジャンなら良いのかと私が訊ねると、悪戯っぽい顔をした母が、注いだばかりのティーカップを持って、腰を上げた。
そして、わざわざ隣にやってきて腰を降ろし、内緒話でもするみたいに私の耳元に口を持ってくる。
「実はね、私達ずっとジャンくんと手紙のやりとりをしてたの。」
悪戯を話すみたいな楽しそうな母に、さっきジャンから聞いたことを教えてやると、あからさまにつまらなそうに口を尖らせた。
仕草のひとつひとつが、いつまで経っても嫌味のない少女のままなのは、彼女が貴族出身のお嬢様だったからなのかもしれない。
父と同じように、憲兵として公に心臓を捧げて職務を遂行していた姿は、想像も出来ない。
「あの日…、」
母は、ジャンの方を見ながら口を開いた。
ジャンは、結局、本気でチェスゲームに挑んでいるようだ。
「あの日?」
「就任式から帰ろうとしてた私達をジャンくんが引き留めたの。」
「ジャンが?知らなかった。どうして?」
「なまえが、私達に仕事のことを何も話してくれないからよ。」
母は、私の方を見ると、少し責めるような口調で言った。
下がった眉尻が、怒っているのではなくて、寂しそうだった。
「いつ死んでしまうか分からない調査兵団に入って、心配で堪らなかったわ。
今だってそれは変わらないけど、何よりも不安だったのは、
調査兵団でどんな風に娘が過ごしているのかが分からなかったことなの。」
母は、私を見て、悲しそうに言う。
両親が心配していることを分かっていなかったわけではない。
他の調査兵達がしているように、私も手紙を広げて、ペンを握ったこともある。
でも、綴られるのは、弱音や甘えだけで、結局、皺くちゃになるまで丸めて、机の引き出しに仕舞ってしまった。
それに、両親と昔からの付き合いであるエルヴィン団長から、私の様子を教えてもらっているようだったから、それでいいと思っていたのだ。
でも、母は、団長から見る兵士としての私ではなくて、娘の姿を知りたかったのだと続けた。
「きっと、ジャンくんには、私達の心配が分かったのね。
これからは補佐として自分が一番近くで見ているから、
なまえの様子を手紙に書いて送りますって言ってくれたのよ。」
「え、ジャンが…?」
「そうよ。それがどれくらい本気かはあのときは分からなかったけど、
あれから2年、毎月欠かさずに1度は手紙を送ってくれているのよ。」
母が嬉しそうに目を細めた。
私の知らないところで、補佐官と両親がそんなやりとりをしていたなんて、驚いた。
そして、なんだかすごく恥ずかしかった。
「どうせ、頼りない上官の愚痴ばっかりだったんでしょ。」
私は、ティーカップで口元を隠しながら、不機嫌を装った。
恥ずかしさを誤魔化していることに、母は気づいたに違いない。
クスクスと笑いながら、手紙の内容を教えてくれた。
「そうね~、今日もエルヴィン団長に怒られていたとか、
それなのにボーッとしてるから、呆れられてたとかも書いてたかしら。」
「…やっぱり。」
「後は、夕食のパンを後輩の女の子に奪われて本気で怒っていたとかもあったわね。
怒ってる間に、他の後輩の子にスープを飲まれちゃって、本気で泣いてたとか。」
「わかった。もう教えてくれなくていいよ。
どんなことをジャンが手紙に書いてたかは理解し——。」
「それから、雨上がりに出かけたときは、
ぼんやりしていて水たまりにはまってこけてびしょ濡れになったとか。」
「もういいってば…っ。」
母の話を聞いていると、恥ずかしさを誤魔化すために怒ったフリをしていたはずなのに、純粋に怒りが沸いてきた。
上官の両親に出す手紙なのだから、もう少し良いところをたくさん書いてくれてもいいと思うのだ。
どうして失敗談ばかりをわざわざ教えてしまうのか。
どれも身に覚えがあるから、違うとも言えなくて、悔しい。
「ジャンのヤなやつ。わざわざそんなことまで教えなくてもいいのに。」
私がムスッとした顔で言うと、母が可笑しそうにクスッと笑った。
「でも、私達はすごく嬉しかったわ。」
「どうして?娘の恥ずかしい失敗談ばっかり聞かされてるのに?」
「だって、それが私達の娘だもの。
エルヴィンが教えてくれるような、凛々しく戦う調査兵というのもあなたなのかもしれないけど、
私達の知っている娘は、ジャンくんの手紙にいつもいたの。」
「そっか。」
どんな顔をすればいいのか分からなくて、少し俯いた私は、またティーカップで口元を隠した。
要するに、凛々しく戦う兵士よりも、情けない失敗をしている方が私らしいと言われているのだ。
それなのに、私は、嬉しかった。
それはたぶん、両親のように強くはなれなかった娘を、それでも娘らしくて愛おしいと父と母が思ってくれているのだと、感じられたからだと思う。
「ジャンくんから手紙が届くのを私もお父さんも楽しみにしてたのよ。」
「そうなんだ。」
「誰も教えてくれなかった、兵舎でのなんでもないなまえの様子を知れて、すごく嬉しかった。
でも、私達が一番嬉しかったのは、そこじゃないんだと思う。」
両手で大切そうに包んだティーカップを眺めながらそう言った母は、とても優しい表情をしていた。
「なら、何が一番嬉しかったの?」
「ほんの些細なことだって見逃さないくらいに、
私達の可愛い娘を見てくれている人がなまえのそばにいるんだってこと。」
ふふふ———、と母は嬉しそうに笑って、紅茶を口に運んだ。
ジャンの方を見てみると、残念ながら、負けてしまったらしく、頭を抱えて悔しがっていた。
フリだとしても、恋人なのだし、結婚の挨拶をしに来たはずなのに、本気で勝とうとしていたらしい負けず嫌いのジャンが可笑しくて、私は思わずクスリと笑ってしまった。
やっとチェスで勝てた父は、すごく嬉しそうに笑って、悔しがるジャンの肩を叩いている。
(リヴァイ兵長だったら、どうだったのかな。)
ふ、と思った。
違う、本当はずっと、これがリヴァイ兵長だったら——と考えていた。
歳下の補佐官を受け入れてくれた両親なら、リヴァイ兵長が恋人だと言ったらすごく喜んでくれたんじゃないかとか、妄想してしまっていたのだ。
でも、結局は、歳下の補佐官でも受け入れてくれたのではなくて、ジャンだから、認めてもらえただけだった。
きっと、ジャンではなかったら、父と母は、約束の期限を引き延ばすことを許してはくれなかったのだろう。
ジャンはやっぱり、すごい。尊敬する。
2年の歳月をかけて、ゆっくりと、私の両親と絆を深めてくれていたのだから———。
紅茶を口に運ぶと、甘くて苦い味が胸に沁みた。
リヴァイ兵長のそばにいると香るそれが、鼻の奥から通り抜けて、ツンとした胸の痛みになって私を襲う。
これが、所謂、失恋の痛みというやつだろうか。
物語では、堪え難い痛みが永遠に続くようだと描いてあった。
でも、現実は、そうでもないらしい。
少なくとも私は、調査兵団の兵士でいられなくなるくらいならば、この〝失恋の痛み〟に苦しむ方を選ぶ。
「なまえさん!」
チェスの駒を片付けていたジャンが、私の名前を呼んだ。
意識を、現実の結婚の挨拶の続きに戻して、ジャンの方を見ると、こっちへ来るようにと手招きをされた。
「俺も勝ちたいんで、今から一緒にチェスしませんか?」
「誘い方が失礼!!」
ムカッとして怒った私に、ジャンが「まさか勝てるとは思ってないっすよね?」と平然と言い返す。
私の両親の前でもその生意気な態度を崩さないとは思ってもいなかった。
父と母も、失礼な補佐官を怒りもしないで、面白そうに笑っているから、彼も調子に乗るのだ。
「私が勝つに決まってるでしょ!
言っとくけど、私だって負けず嫌いなんだからね!」
紅茶がまだほとんど残ったティーカップを、乱暴にテーブルに置いた私は、ソファから立ち上がった。
そして、面白がっている父をどかして、ジャンと向かい合って座った。
————結果は、惨敗だった。
だから自然と、会話にも華が咲く。
それを先導しているのは、お喋りが大好きな母だったが、いつの間にか、父まで、まるでお酒でも入ったみたいに饒舌になっていた。
話を引き出すのがうまいジャンが、この場の雰囲気をすべて作っているように見えた。
彼はこうやって、器用に生きて来たのだろうと、上官としてとても感心している。
「それにしても、就任式で会ったときのあの17歳の男の子が、
たったの2年でこんなに立派な兵士になるなんて、思ってもいなかったわ。
エルヴィンはやっぱり見る目があるのね。」
「そうだな。副兵士長なんて言うから、
人類最強の兵士がそばについてくれるかと思っていたからな。
補佐が2年目の若い兵士だと聞いて、正直、心配で仕方がなかったよ。」
楽しそうに話す父と母の、今は違う———という言い方に、私は胸を撫でおろす。
2年前、王都ミットラスで執り行われた就任式は、調査兵としての人生の中でも特別なものだったから、今でも鮮明に覚えている。
副兵士長なんていう新しい役職だということに加えて、公に出来ない特別任務の為に、職務内容が『兵団全体の書類管理』としか説明できなかったことで、調査兵団内外から不満が出ている状態での就任式だった。
恐らく、そういう声は、憲兵OBの両親の耳にも入っていただろうけれど、それでも、わざわざ就任式に足を運んでくれた。
『あ、ジャン。私の父と母なの。』
『え!?あの有名な憲兵の!?』
エルヴィン団長に呼ばれて席を離していたジャンが戻って来たのは、ちょうど両親と話をしているときだった。
これから補佐として一緒に任務を遂行する彼を両親に会わせておきたかった私は、ちょうどいいと思って紹介した。
私の両親の噂は聞いていたらしくて、とても驚いて、兵士の大先輩でもある父と母に恐縮していたジャンが、懐かしい。
見るからに若く初々しい調査兵に、娘をよろしく頼むと言いながらも、父と母がとても不安そうにしたのには、すぐに分かった。
だから、まさか、たった2年で———。
「そうだ、ジャン。あっちで私とチェスをしないか。
最近、漸くハマってきてね。ピクシス司令が呑みに来る度に、
手合わせしてるんだよ。」
「えー、お父さん、強そうなんでやめときます。
俺、負けず嫌いなんで、勝てない勝負はしない主義なんですよ。」
「それはいいな。私も負けず嫌いなんだ。
たまには、勝てる勝負がしたい。」
「俺は負ける勝負はしたくないです。」
「ほら、こっちだっ。新しいチェスボードを買ったばかりなんだ。」
楽しみだなぁ———、なんて本当に嬉しそうにしながら、父は、負けるのは嫌だと頑ななジャンを、扉を取り外してオープンになっている隣の部屋に引っ張っていく。
そして、結局、見覚えのないチェスボードを挟んで座らされたジャンは、父にチェスを挑まれている。
(ジャンがチェスしてるのなんて初めて見るな~。)
美味しいお茶菓子をつまみながら、ソファの背もたれに寄り掛かって、チェスゲームを始めた父とジャンを眺める。
嫌々始めた割には、盤面を真剣に見ているジャンの横顔は真剣だ。
負けたくないというのは、本気だったらしい。
ジャンらしい。
むしろ、父の方が頬を緩めていて、このままではまた負けを繰り越すのではないかと、心配してしまう。
「なまえが結婚したいって連れてくる人が、ジャンくんでよかったわ。」
空になったティーカップに紅茶を注ぎながら、母がフフッと嬉しそうに笑った。
ジャンのおかげでまだあと1年の猶予が出来たことを嬉しく思う反面、嬉しそうな父と母を見れば見るほど、嘘をついてしまった罪悪感が胸に広がっていく。
娘が結婚相手を連れてくることが、そんなに嬉しいことだとは思っていなかった。
父と母が、どれくらい娘の幸せを願ってるのか、想像して分かっているつもりでいただけで、本当は現実から目を反らしていたのだと思う。
「私は、歳下過ぎるって反対されると思ったよ。」
今さらだと分かってはいても、これ以上は嘘を重ねたくなくて、私は、注いでくれたばかりの紅茶の礼を言って、本音を零した。
「ジャンくんじゃなかったら、私もお父さんも反対してたかもしれないわ。」
母は、自分のティーカップに紅茶を注ぎながら言った。
どうしてジャンなら良いのかと私が訊ねると、悪戯っぽい顔をした母が、注いだばかりのティーカップを持って、腰を上げた。
そして、わざわざ隣にやってきて腰を降ろし、内緒話でもするみたいに私の耳元に口を持ってくる。
「実はね、私達ずっとジャンくんと手紙のやりとりをしてたの。」
悪戯を話すみたいな楽しそうな母に、さっきジャンから聞いたことを教えてやると、あからさまにつまらなそうに口を尖らせた。
仕草のひとつひとつが、いつまで経っても嫌味のない少女のままなのは、彼女が貴族出身のお嬢様だったからなのかもしれない。
父と同じように、憲兵として公に心臓を捧げて職務を遂行していた姿は、想像も出来ない。
「あの日…、」
母は、ジャンの方を見ながら口を開いた。
ジャンは、結局、本気でチェスゲームに挑んでいるようだ。
「あの日?」
「就任式から帰ろうとしてた私達をジャンくんが引き留めたの。」
「ジャンが?知らなかった。どうして?」
「なまえが、私達に仕事のことを何も話してくれないからよ。」
母は、私の方を見ると、少し責めるような口調で言った。
下がった眉尻が、怒っているのではなくて、寂しそうだった。
「いつ死んでしまうか分からない調査兵団に入って、心配で堪らなかったわ。
今だってそれは変わらないけど、何よりも不安だったのは、
調査兵団でどんな風に娘が過ごしているのかが分からなかったことなの。」
母は、私を見て、悲しそうに言う。
両親が心配していることを分かっていなかったわけではない。
他の調査兵達がしているように、私も手紙を広げて、ペンを握ったこともある。
でも、綴られるのは、弱音や甘えだけで、結局、皺くちゃになるまで丸めて、机の引き出しに仕舞ってしまった。
それに、両親と昔からの付き合いであるエルヴィン団長から、私の様子を教えてもらっているようだったから、それでいいと思っていたのだ。
でも、母は、団長から見る兵士としての私ではなくて、娘の姿を知りたかったのだと続けた。
「きっと、ジャンくんには、私達の心配が分かったのね。
これからは補佐として自分が一番近くで見ているから、
なまえの様子を手紙に書いて送りますって言ってくれたのよ。」
「え、ジャンが…?」
「そうよ。それがどれくらい本気かはあのときは分からなかったけど、
あれから2年、毎月欠かさずに1度は手紙を送ってくれているのよ。」
母が嬉しそうに目を細めた。
私の知らないところで、補佐官と両親がそんなやりとりをしていたなんて、驚いた。
そして、なんだかすごく恥ずかしかった。
「どうせ、頼りない上官の愚痴ばっかりだったんでしょ。」
私は、ティーカップで口元を隠しながら、不機嫌を装った。
恥ずかしさを誤魔化していることに、母は気づいたに違いない。
クスクスと笑いながら、手紙の内容を教えてくれた。
「そうね~、今日もエルヴィン団長に怒られていたとか、
それなのにボーッとしてるから、呆れられてたとかも書いてたかしら。」
「…やっぱり。」
「後は、夕食のパンを後輩の女の子に奪われて本気で怒っていたとかもあったわね。
怒ってる間に、他の後輩の子にスープを飲まれちゃって、本気で泣いてたとか。」
「わかった。もう教えてくれなくていいよ。
どんなことをジャンが手紙に書いてたかは理解し——。」
「それから、雨上がりに出かけたときは、
ぼんやりしていて水たまりにはまってこけてびしょ濡れになったとか。」
「もういいってば…っ。」
母の話を聞いていると、恥ずかしさを誤魔化すために怒ったフリをしていたはずなのに、純粋に怒りが沸いてきた。
上官の両親に出す手紙なのだから、もう少し良いところをたくさん書いてくれてもいいと思うのだ。
どうして失敗談ばかりをわざわざ教えてしまうのか。
どれも身に覚えがあるから、違うとも言えなくて、悔しい。
「ジャンのヤなやつ。わざわざそんなことまで教えなくてもいいのに。」
私がムスッとした顔で言うと、母が可笑しそうにクスッと笑った。
「でも、私達はすごく嬉しかったわ。」
「どうして?娘の恥ずかしい失敗談ばっかり聞かされてるのに?」
「だって、それが私達の娘だもの。
エルヴィンが教えてくれるような、凛々しく戦う調査兵というのもあなたなのかもしれないけど、
私達の知っている娘は、ジャンくんの手紙にいつもいたの。」
「そっか。」
どんな顔をすればいいのか分からなくて、少し俯いた私は、またティーカップで口元を隠した。
要するに、凛々しく戦う兵士よりも、情けない失敗をしている方が私らしいと言われているのだ。
それなのに、私は、嬉しかった。
それはたぶん、両親のように強くはなれなかった娘を、それでも娘らしくて愛おしいと父と母が思ってくれているのだと、感じられたからだと思う。
「ジャンくんから手紙が届くのを私もお父さんも楽しみにしてたのよ。」
「そうなんだ。」
「誰も教えてくれなかった、兵舎でのなんでもないなまえの様子を知れて、すごく嬉しかった。
でも、私達が一番嬉しかったのは、そこじゃないんだと思う。」
両手で大切そうに包んだティーカップを眺めながらそう言った母は、とても優しい表情をしていた。
「なら、何が一番嬉しかったの?」
「ほんの些細なことだって見逃さないくらいに、
私達の可愛い娘を見てくれている人がなまえのそばにいるんだってこと。」
ふふふ———、と母は嬉しそうに笑って、紅茶を口に運んだ。
ジャンの方を見てみると、残念ながら、負けてしまったらしく、頭を抱えて悔しがっていた。
フリだとしても、恋人なのだし、結婚の挨拶をしに来たはずなのに、本気で勝とうとしていたらしい負けず嫌いのジャンが可笑しくて、私は思わずクスリと笑ってしまった。
やっとチェスで勝てた父は、すごく嬉しそうに笑って、悔しがるジャンの肩を叩いている。
(リヴァイ兵長だったら、どうだったのかな。)
ふ、と思った。
違う、本当はずっと、これがリヴァイ兵長だったら——と考えていた。
歳下の補佐官を受け入れてくれた両親なら、リヴァイ兵長が恋人だと言ったらすごく喜んでくれたんじゃないかとか、妄想してしまっていたのだ。
でも、結局は、歳下の補佐官でも受け入れてくれたのではなくて、ジャンだから、認めてもらえただけだった。
きっと、ジャンではなかったら、父と母は、約束の期限を引き延ばすことを許してはくれなかったのだろう。
ジャンはやっぱり、すごい。尊敬する。
2年の歳月をかけて、ゆっくりと、私の両親と絆を深めてくれていたのだから———。
紅茶を口に運ぶと、甘くて苦い味が胸に沁みた。
リヴァイ兵長のそばにいると香るそれが、鼻の奥から通り抜けて、ツンとした胸の痛みになって私を襲う。
これが、所謂、失恋の痛みというやつだろうか。
物語では、堪え難い痛みが永遠に続くようだと描いてあった。
でも、現実は、そうでもないらしい。
少なくとも私は、調査兵団の兵士でいられなくなるくらいならば、この〝失恋の痛み〟に苦しむ方を選ぶ。
「なまえさん!」
チェスの駒を片付けていたジャンが、私の名前を呼んだ。
意識を、現実の結婚の挨拶の続きに戻して、ジャンの方を見ると、こっちへ来るようにと手招きをされた。
「俺も勝ちたいんで、今から一緒にチェスしませんか?」
「誘い方が失礼!!」
ムカッとして怒った私に、ジャンが「まさか勝てるとは思ってないっすよね?」と平然と言い返す。
私の両親の前でもその生意気な態度を崩さないとは思ってもいなかった。
父と母も、失礼な補佐官を怒りもしないで、面白そうに笑っているから、彼も調子に乗るのだ。
「私が勝つに決まってるでしょ!
言っとくけど、私だって負けず嫌いなんだからね!」
紅茶がまだほとんど残ったティーカップを、乱暴にテーブルに置いた私は、ソファから立ち上がった。
そして、面白がっている父をどかして、ジャンと向かい合って座った。
————結果は、惨敗だった。