◇第百五十二話◇希望の笑顔
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その時、私は、午前中いっぱいを使って行なったライナー達の二度目の取り調べを終えたばかりだった。
午後からは、ライナー達から聞いた内容の正誤判定も含め、調査兵団の幹部陣で会議も予定している。そして、ライナー達を迎えにやってくる憲兵団を迎えるにあたっての作戦も考えなければならない。
憲兵団や王政は大反対しているけれど、調査兵団は、できれば、ライナー達の処遇は自分たちに任せてほしいと思っているのだ。
けれど、裏切り者に気づいていながらも彼らを招き入れ、ここまで共に仲間として生活をしていたのは、調査兵団の幹部である私達だ。そうして、とうとう捕えることにも成功した。いや…、成功したと言ってもいいかは分からないけれど、一応は、拘束して、取り調べができる状態にまで持って来れているのは事実だ。
自分たちの責任は、自分たちで負いたい。
「どこに行くの?」
今から食堂へ向かい、会議までは休憩をしようとしていた私とジャンの元へやって来たのは、フレイヤだった。
私とジャンに大切な話がある、と彼女があまりにも真剣に言うものだから、了承したのだけれど、なかなか目的地に辿り着かないのだ。
食堂へ向かう途中の廊下で声をかけられたあと、もう調査兵団の兵舎をだいぶ歩いている。お腹も空いたし、眠たい。
最近のフレイヤの様子なら、ミケ分隊長から様子を見るように頼まれているルルからも聞いている。
真剣に訓練に向き合って、任務も真面目にこなしているそうだ。あれほどおしゃれに命をかけていた彼女が、髪を振り乱してブレードを振っている姿を見た時は、夢でも見ているのかと思ってしまった、とルルはひどく感心していた。それから、訓練の途中で手鏡を出して、振り乱してしまった髪を直していたところを、同期の若い女兵士に指摘されて、「あなたも少しは髪型やメイクを気にしなさい!」と逆ギレしていたのだと、ルルは面白そうに笑ってもいた。どうやら、フレイヤは同期とも仲良くやっているようだ。
「もうすぐです。」
フレイヤは後ろを歩く私たちを振り返らずに言う。
一体どこへ向かうのか。彼女は、教えてくれるつもりはないらしい。
仕方ない。ついて行くしかないようだ。
それにしても眠たいーーー漏れそうになった欠伸を片手で隠したら、隣を歩くジャンに鼻で笑われた。
それからどれくらい歩いただろうか。ようやく、フレイヤの目的地に辿り着いた。
「ここです。」
そう言って、フレイヤが立ち止まったのは、訓練場だった。
ちょうど昼前だから、訓練場に調査兵達の姿はない。皆、午前中の訓練を終えて、食堂へ向かったのだろう。
その代わり、訓練場の中央には、見覚えのある夫婦が立っていた。ふっくらとした奥様とスラリとした長身の夫。彼らは、ジャンの両親だ。
「は!?なんで、母さんと父さんがーー。」
「じゃあ、私は訓練のせいでめちゃくちゃお腹空いたんで、食堂に行ってきますね!あとはよろしくお願いしまーす!」
驚く私たちを残して、フレイヤは笑顔で手を振って、駆け足で逃げるように去ってしまった。
一体、どうしてジャンの両親がーーー私とジャンは顔を合わせる。
自分達が偽物の婚約者だったことは、結局は誰にも言わないままだ。それでも、恋人として、もう一度やり直すことになったことは、いつか、ジャンの両親にも伝えなければいけないと思っていた。
ジャンとも、タイミングを見て挨拶に行こうーーーと話をしていたのだ。
「突然、すまない。驚いただろう。」
声をかけてきたのは、ジャンの父親だった。
「当たり前だろ。どうして、勝手に来たりしたんだよ。今の任務が終わって落ち着いたら会いに行くって、わざわざ手紙も送っただろ。」
ジャンが、不機嫌に言えば、母親が「ごめん。」と謝った。
でも、謝るべきは、彼女でも、ジャンの父親でもない。私だーーー。
「謝らないでください。」
私が口を開けば、ジャンたちの視線がこちらを向いた。
「私がもっと早く、ご挨拶と謝罪に伺うべきでした。
たくさんの心配とご迷惑をおかけして、本当に…、本当にすみませんでした。」
私は、精一杯の気持ちをこめて、頭を下げた。
「なまえに悪いことなんてねぇし。謝んなって。」
ジャンは苛立ったように言う。
きっと、ジャンは本気でそう思っているのだろう。
確かに、あの日、ジャンを刺したのは私じゃないし、友人達を食い散らかしたのも私じゃない。
でも、私が何も悪くない、なんてことはないのだ。
少なくとも、ジャンの両親にとっては、私はジャンを傷つけるきっかけとなった諸悪の根源に違いない。
「大切な息子さんを散々傷つけたのに、私は今、彼に支えてもらおうとしています。ジャンの優しさに甘えようとしてる。
でも、そうじゃなきゃ…、もう立っていられない…。この残酷な世界で、生きていけないんです…。
どうか、彼のそばにいることを許してください…。」
頭を下げたまま、懇願した。
いつの間にか、声が震えていた。流れ落ちそうになる涙を必死に堪えた。
私が今、どうしても失いたくないもの。それは、美味しい食事でも、ふかふかのベッドでもない。幸せな夢をみる妄想の時間だって違う。
私が今、どうしても失いたくないもの。失うわけにはいかないもの。それは、ジャンだ。彼と一緒に生きる現実が、何よりも大切なのだ。
たとえ、それがどんなに残酷な世界でも、苦しみや欺瞞だらけの現実でも、私は、ただそれだけを守るために、なんだってするだろう。
「お父様、お母様から、ジャンを奪うことだけはしないと、約束します。この命にかけて。
だから、彼が調査兵団の兵士として生きること、それから、私、のこと…。許してください…。」
「頭下げんなって!俺達がどう生きようが、俺たちの勝手だろ!
そんなことになまえの命なんてかけなくていい!」
ジャンが、私の腕を引っ張って、なんとか顔を上げさせようとする。
そして、両親に向かって、食ってかかるように怒鳴った。
「俺が、なまえを守って生きていきてぇから、調査兵団に残るって決めたんだ!
なまえは何も関係ねぇし、許してもらわなくたって、俺たちは別れねぇからな!」
私は頭を下げたまま、ジャンの怒鳴り声が、広い訓練場に響いた。
冷たい風が吹いて、私たちの頬を撫でて消えていく。
少しして、最初に口を開いたのは、ジャンの母親だった。
「ジャンがまだ、医療棟にいる頃、この場所で訓練をしている調査兵達をよく見かけていました。」
ジャンの母親は、ゆっくりとした口調で、思い出を語るように話す。
「皆、真剣な顔で、この世界の不条理と戦うために訓練をしていた。
その中に、一際、怖い顔で刃を振るってる調査兵がいた。それはもう本当に怖い顔で、普段の柔らかい印象が嘘のようで…。
まるで、人殺しのような顔をしていた彼女に、私は恐怖さえ覚えました。」
頭を下げたままだった私の肩がビクッと震えたせいだろう。
ジャンが、母親の話を遮るように、怒鳴り声をあげてしまった。
「それが、なまえだって言うのかよ!?なまえはーーー。」
「ジャン、まずは、母さんの話を聞こう。言いたいことがあるのなら、それから言えばいい。
お前の気持ちは、いくらでも聞いてやる。」
落ち着いた低い声で父親に嗜められ、ジャンが口を閉じる。
それを待っていたように、母親が続けた。
「大変な作戦だったのに、死者はたったの1人も出なかったそうですね。奇跡だって、皆んなが言っていました。
でも、私はそうは思いません。この残酷な世界で、私たちにとって都合の良い奇跡が起きたところなんて、一度も見たことがないから。」
母親が言う。
その声は物哀しく、この世界の不条理を心から憂いていた。
そうだ。この世界はひどく残酷で、私たちに対して、あまりにも冷酷だ。
ライナー達から聞いたこの世界の真実もそう。いつか、民間人もこの悪夢のような話を知ることになるのだろう。その時、私たちはまた彼らを傷つけることになってしまう。最悪な気分だ。
私たちはただ、この壁の中に住むすべての人たちが、幸せに、自由に暮らせる世界を夢見ていただけなのにーーーー。
「だから、私は気付きました。
きっと、なまえさんが、あの日のような怖い顔をして、大切な仲間を守り続けたんだろうなって。」
今、ジャンの母親が何と言ったか。私は聞き逃してしまったかもしれない。
そうではなければ、聞き間違いか。だって、まさか、私を認めてくれるようなそんな言葉が、ジャンの母親から出るなんて信じられない。
「そして、そんなすごい人に愛されてる息子のことも誇りに思いました。」
ジャンの母親の声は、とても優しかった。
顔を下げたまま、私は唇を噛む。身体に力が入り、握った拳が震える。
なんとか涙を堪えようにも、目頭が熱くて、苦しい。
「壁から落ちたなまえさんを守ったのは、ジャンだったって、フレイヤちゃんから聞いたよ。
人類最強の兵士さえ諦めるような絶望的な状況で、ジャンだけがなまえさんの生きる世界を守ろうと必死に戦ったからこそ、最後の最後に、死者が出てしまうという最悪の結末を防ぐことが出来たんだって。」
母親がゆっくりゆっくりと話す内容に、私の胸はギュッと苦しくなった。
改めて、あの日のジャンの勇気と覚悟のおかげで、今の私があるのだと実感する。
そして、そのことをジャンの両親に伝えてくれたのがフレイヤだったという事実がまた、私の胸をギュッとつかんで、離さないのだ。
「その話を聞いたとき、私は、息子が生まれてきたあの瞬間のことを思い出したよ。
生まれてきてくれたことを、ただただ心から感謝したあの瞬間を。
きっと、そのときのジャンも人殺しみたいな怖い顔をしていたんでしょう。そして、大切な人を守り切った。
ーーー私たちは今、そんな息子のことを、心から誇りに思ってる。」
顔を下げたままの私には見えなかったけれど、そのとき、ジャンの母親と父親は顔を見合わせて、優しく微笑み合っていた。
そして、ジャンは、怖いくらいに切れ長の目に力を込めて、拳を握り締め、表情筋に力を入れていた。
「な…っ、なんだよ、それ…!わざわざ、そんな恥ずかしいことを言いにきたのかよ!
やめろよな!」
ジャンがまた怒鳴っている。
でも、その声はどこか嬉しそうだ。
私も嬉しい。すごく、嬉しい。このまま顔を上げたら、不細工なくらいな泣き顔を見られてしまうくらいに、嬉しくて堪らない。
「彼女から、真実を聞いたよ。もちろん、機密事項というのは伏せていたけれど、君が、世界のために1人戦っていたのだということは理解した。」
ジャンの父親が口を開く。
そして、頭を下げたのを気配で感じた。
「悪い噂に踊らされ、私たちが知っているなまえさんを忘れてしまっていた。
本当に申し訳ない。こんな愚かな私たちのことは許してくれなくても構わない。
けれど、どうかこれからも、息子のそばにいてやってほしい。」
「本当に狡賢くて、バカな愚息だけど、なまえさんを想う気持ちだけは本物なんだよ。
母親の私が言うのもなんだけど、繊細なくらい優しくて、呆れるくらい一途な子だから、
バカなことをして傷つけることはしないと、誓って言えるよ。だからどうか…、これからもよろしくお願いします。」
母親がそう言って、頭を下げる。
「やめろって…!恥ずかしいだろ…!」
ジャンが言う。
とうとう、私は顔を上げようとした。そうして、もう一度ちゃんと、ジャンのご両親に挨拶をしようとしたのだ。
「私のほうこそ…っ。」
上げようとした頭を、ジャンの大きなて手でグイッと押し込まれてしまった。
「今は、顔上げないでください。」
私の頭を押し付けているジャンの大きな手が、震えている。
なんとなく、今のジャンの状態を察して、私はおとなしく頭を下げたままにすることにした。
それから、数分後、やっとジャンの許可が出て顔を上げたとき、私たちはみんな、真っ赤になった目を嬉しそうに緩めて、たくさん笑った。
「今度、非番の日にでもふたりで家に遊びにおいで!
おいしいオムライスを作って待ってるよ!」
ジャンの母親は、悩みも不安も吹っ切れたみたいな、嬉しそうな笑顔で手を振った。
午後からは、ライナー達から聞いた内容の正誤判定も含め、調査兵団の幹部陣で会議も予定している。そして、ライナー達を迎えにやってくる憲兵団を迎えるにあたっての作戦も考えなければならない。
憲兵団や王政は大反対しているけれど、調査兵団は、できれば、ライナー達の処遇は自分たちに任せてほしいと思っているのだ。
けれど、裏切り者に気づいていながらも彼らを招き入れ、ここまで共に仲間として生活をしていたのは、調査兵団の幹部である私達だ。そうして、とうとう捕えることにも成功した。いや…、成功したと言ってもいいかは分からないけれど、一応は、拘束して、取り調べができる状態にまで持って来れているのは事実だ。
自分たちの責任は、自分たちで負いたい。
「どこに行くの?」
今から食堂へ向かい、会議までは休憩をしようとしていた私とジャンの元へやって来たのは、フレイヤだった。
私とジャンに大切な話がある、と彼女があまりにも真剣に言うものだから、了承したのだけれど、なかなか目的地に辿り着かないのだ。
食堂へ向かう途中の廊下で声をかけられたあと、もう調査兵団の兵舎をだいぶ歩いている。お腹も空いたし、眠たい。
最近のフレイヤの様子なら、ミケ分隊長から様子を見るように頼まれているルルからも聞いている。
真剣に訓練に向き合って、任務も真面目にこなしているそうだ。あれほどおしゃれに命をかけていた彼女が、髪を振り乱してブレードを振っている姿を見た時は、夢でも見ているのかと思ってしまった、とルルはひどく感心していた。それから、訓練の途中で手鏡を出して、振り乱してしまった髪を直していたところを、同期の若い女兵士に指摘されて、「あなたも少しは髪型やメイクを気にしなさい!」と逆ギレしていたのだと、ルルは面白そうに笑ってもいた。どうやら、フレイヤは同期とも仲良くやっているようだ。
「もうすぐです。」
フレイヤは後ろを歩く私たちを振り返らずに言う。
一体どこへ向かうのか。彼女は、教えてくれるつもりはないらしい。
仕方ない。ついて行くしかないようだ。
それにしても眠たいーーー漏れそうになった欠伸を片手で隠したら、隣を歩くジャンに鼻で笑われた。
それからどれくらい歩いただろうか。ようやく、フレイヤの目的地に辿り着いた。
「ここです。」
そう言って、フレイヤが立ち止まったのは、訓練場だった。
ちょうど昼前だから、訓練場に調査兵達の姿はない。皆、午前中の訓練を終えて、食堂へ向かったのだろう。
その代わり、訓練場の中央には、見覚えのある夫婦が立っていた。ふっくらとした奥様とスラリとした長身の夫。彼らは、ジャンの両親だ。
「は!?なんで、母さんと父さんがーー。」
「じゃあ、私は訓練のせいでめちゃくちゃお腹空いたんで、食堂に行ってきますね!あとはよろしくお願いしまーす!」
驚く私たちを残して、フレイヤは笑顔で手を振って、駆け足で逃げるように去ってしまった。
一体、どうしてジャンの両親がーーー私とジャンは顔を合わせる。
自分達が偽物の婚約者だったことは、結局は誰にも言わないままだ。それでも、恋人として、もう一度やり直すことになったことは、いつか、ジャンの両親にも伝えなければいけないと思っていた。
ジャンとも、タイミングを見て挨拶に行こうーーーと話をしていたのだ。
「突然、すまない。驚いただろう。」
声をかけてきたのは、ジャンの父親だった。
「当たり前だろ。どうして、勝手に来たりしたんだよ。今の任務が終わって落ち着いたら会いに行くって、わざわざ手紙も送っただろ。」
ジャンが、不機嫌に言えば、母親が「ごめん。」と謝った。
でも、謝るべきは、彼女でも、ジャンの父親でもない。私だーーー。
「謝らないでください。」
私が口を開けば、ジャンたちの視線がこちらを向いた。
「私がもっと早く、ご挨拶と謝罪に伺うべきでした。
たくさんの心配とご迷惑をおかけして、本当に…、本当にすみませんでした。」
私は、精一杯の気持ちをこめて、頭を下げた。
「なまえに悪いことなんてねぇし。謝んなって。」
ジャンは苛立ったように言う。
きっと、ジャンは本気でそう思っているのだろう。
確かに、あの日、ジャンを刺したのは私じゃないし、友人達を食い散らかしたのも私じゃない。
でも、私が何も悪くない、なんてことはないのだ。
少なくとも、ジャンの両親にとっては、私はジャンを傷つけるきっかけとなった諸悪の根源に違いない。
「大切な息子さんを散々傷つけたのに、私は今、彼に支えてもらおうとしています。ジャンの優しさに甘えようとしてる。
でも、そうじゃなきゃ…、もう立っていられない…。この残酷な世界で、生きていけないんです…。
どうか、彼のそばにいることを許してください…。」
頭を下げたまま、懇願した。
いつの間にか、声が震えていた。流れ落ちそうになる涙を必死に堪えた。
私が今、どうしても失いたくないもの。それは、美味しい食事でも、ふかふかのベッドでもない。幸せな夢をみる妄想の時間だって違う。
私が今、どうしても失いたくないもの。失うわけにはいかないもの。それは、ジャンだ。彼と一緒に生きる現実が、何よりも大切なのだ。
たとえ、それがどんなに残酷な世界でも、苦しみや欺瞞だらけの現実でも、私は、ただそれだけを守るために、なんだってするだろう。
「お父様、お母様から、ジャンを奪うことだけはしないと、約束します。この命にかけて。
だから、彼が調査兵団の兵士として生きること、それから、私、のこと…。許してください…。」
「頭下げんなって!俺達がどう生きようが、俺たちの勝手だろ!
そんなことになまえの命なんてかけなくていい!」
ジャンが、私の腕を引っ張って、なんとか顔を上げさせようとする。
そして、両親に向かって、食ってかかるように怒鳴った。
「俺が、なまえを守って生きていきてぇから、調査兵団に残るって決めたんだ!
なまえは何も関係ねぇし、許してもらわなくたって、俺たちは別れねぇからな!」
私は頭を下げたまま、ジャンの怒鳴り声が、広い訓練場に響いた。
冷たい風が吹いて、私たちの頬を撫でて消えていく。
少しして、最初に口を開いたのは、ジャンの母親だった。
「ジャンがまだ、医療棟にいる頃、この場所で訓練をしている調査兵達をよく見かけていました。」
ジャンの母親は、ゆっくりとした口調で、思い出を語るように話す。
「皆、真剣な顔で、この世界の不条理と戦うために訓練をしていた。
その中に、一際、怖い顔で刃を振るってる調査兵がいた。それはもう本当に怖い顔で、普段の柔らかい印象が嘘のようで…。
まるで、人殺しのような顔をしていた彼女に、私は恐怖さえ覚えました。」
頭を下げたままだった私の肩がビクッと震えたせいだろう。
ジャンが、母親の話を遮るように、怒鳴り声をあげてしまった。
「それが、なまえだって言うのかよ!?なまえはーーー。」
「ジャン、まずは、母さんの話を聞こう。言いたいことがあるのなら、それから言えばいい。
お前の気持ちは、いくらでも聞いてやる。」
落ち着いた低い声で父親に嗜められ、ジャンが口を閉じる。
それを待っていたように、母親が続けた。
「大変な作戦だったのに、死者はたったの1人も出なかったそうですね。奇跡だって、皆んなが言っていました。
でも、私はそうは思いません。この残酷な世界で、私たちにとって都合の良い奇跡が起きたところなんて、一度も見たことがないから。」
母親が言う。
その声は物哀しく、この世界の不条理を心から憂いていた。
そうだ。この世界はひどく残酷で、私たちに対して、あまりにも冷酷だ。
ライナー達から聞いたこの世界の真実もそう。いつか、民間人もこの悪夢のような話を知ることになるのだろう。その時、私たちはまた彼らを傷つけることになってしまう。最悪な気分だ。
私たちはただ、この壁の中に住むすべての人たちが、幸せに、自由に暮らせる世界を夢見ていただけなのにーーーー。
「だから、私は気付きました。
きっと、なまえさんが、あの日のような怖い顔をして、大切な仲間を守り続けたんだろうなって。」
今、ジャンの母親が何と言ったか。私は聞き逃してしまったかもしれない。
そうではなければ、聞き間違いか。だって、まさか、私を認めてくれるようなそんな言葉が、ジャンの母親から出るなんて信じられない。
「そして、そんなすごい人に愛されてる息子のことも誇りに思いました。」
ジャンの母親の声は、とても優しかった。
顔を下げたまま、私は唇を噛む。身体に力が入り、握った拳が震える。
なんとか涙を堪えようにも、目頭が熱くて、苦しい。
「壁から落ちたなまえさんを守ったのは、ジャンだったって、フレイヤちゃんから聞いたよ。
人類最強の兵士さえ諦めるような絶望的な状況で、ジャンだけがなまえさんの生きる世界を守ろうと必死に戦ったからこそ、最後の最後に、死者が出てしまうという最悪の結末を防ぐことが出来たんだって。」
母親がゆっくりゆっくりと話す内容に、私の胸はギュッと苦しくなった。
改めて、あの日のジャンの勇気と覚悟のおかげで、今の私があるのだと実感する。
そして、そのことをジャンの両親に伝えてくれたのがフレイヤだったという事実がまた、私の胸をギュッとつかんで、離さないのだ。
「その話を聞いたとき、私は、息子が生まれてきたあの瞬間のことを思い出したよ。
生まれてきてくれたことを、ただただ心から感謝したあの瞬間を。
きっと、そのときのジャンも人殺しみたいな怖い顔をしていたんでしょう。そして、大切な人を守り切った。
ーーー私たちは今、そんな息子のことを、心から誇りに思ってる。」
顔を下げたままの私には見えなかったけれど、そのとき、ジャンの母親と父親は顔を見合わせて、優しく微笑み合っていた。
そして、ジャンは、怖いくらいに切れ長の目に力を込めて、拳を握り締め、表情筋に力を入れていた。
「な…っ、なんだよ、それ…!わざわざ、そんな恥ずかしいことを言いにきたのかよ!
やめろよな!」
ジャンがまた怒鳴っている。
でも、その声はどこか嬉しそうだ。
私も嬉しい。すごく、嬉しい。このまま顔を上げたら、不細工なくらいな泣き顔を見られてしまうくらいに、嬉しくて堪らない。
「彼女から、真実を聞いたよ。もちろん、機密事項というのは伏せていたけれど、君が、世界のために1人戦っていたのだということは理解した。」
ジャンの父親が口を開く。
そして、頭を下げたのを気配で感じた。
「悪い噂に踊らされ、私たちが知っているなまえさんを忘れてしまっていた。
本当に申し訳ない。こんな愚かな私たちのことは許してくれなくても構わない。
けれど、どうかこれからも、息子のそばにいてやってほしい。」
「本当に狡賢くて、バカな愚息だけど、なまえさんを想う気持ちだけは本物なんだよ。
母親の私が言うのもなんだけど、繊細なくらい優しくて、呆れるくらい一途な子だから、
バカなことをして傷つけることはしないと、誓って言えるよ。だからどうか…、これからもよろしくお願いします。」
母親がそう言って、頭を下げる。
「やめろって…!恥ずかしいだろ…!」
ジャンが言う。
とうとう、私は顔を上げようとした。そうして、もう一度ちゃんと、ジャンのご両親に挨拶をしようとしたのだ。
「私のほうこそ…っ。」
上げようとした頭を、ジャンの大きなて手でグイッと押し込まれてしまった。
「今は、顔上げないでください。」
私の頭を押し付けているジャンの大きな手が、震えている。
なんとなく、今のジャンの状態を察して、私はおとなしく頭を下げたままにすることにした。
それから、数分後、やっとジャンの許可が出て顔を上げたとき、私たちはみんな、真っ赤になった目を嬉しそうに緩めて、たくさん笑った。
「今度、非番の日にでもふたりで家に遊びにおいで!
おいしいオムライスを作って待ってるよ!」
ジャンの母親は、悩みも不安も吹っ切れたみたいな、嬉しそうな笑顔で手を振った。
