◇第百四十二話◇哀しくて、優しすぎる真実がもたらしたもの
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なまえが目を覚ました日から2日ほど時を遡る————。
エレン、アルミン、ミカサを除いた104期の調査兵達は、ハンジに連れられて巨人研究所にやって来ていた。
調査兵団兵舎の端に作られた巨人研究所には、一部の調査兵しか知らない地下室がある。
極秘実験を行う為に利用することが多いが、実は地下牢にもなっている。
ハンジが104期の調査兵達を連れて来たのは、その地下牢だった。
何の為に利用されていたものなのかは定かではない。
もう何十年も開くことのなかった地下牢には今、3人の人間が収容されている。
いや、人間と呼ぶべきなのかも分からない。
2人は、ジャン達も知っての通り、あの悪夢の日、壁門を蹴り破り多くの命を奪った諸悪の根源、超大型巨人と鎧の巨人————ベルトルトとライナーだ。
そしてもう1人。ジャン達が壁外調査に向かう前日に、協力者の憲兵と数名の精鋭調査兵に捕らえられていたアニ・レオンハート。彼女もベルトルトとライナーと同じく、裏切り者だったのだ。
彼らは狭い地下牢に別々に収容されていた。別々とはいえ、隣の牢とは薄い壁で仕切られているだけだ。声をかければ喋ることも出来るだろうし、互いの息遣いも聞こえてくるかもしれない。
けれど、格子の向こうにいる彼らは、尋問以外は一日のほとんどをただ静かにじっと過ごす。牢屋の端に座り込んで膝を抱えて座り込んで、ただひたすら時間が過ぎるのを待っているのだ。
牢の前にはハンジ班のメンバーが並んでいる。
牢のそばにはデスクが用意されていて、モブリットが座っていた。
不審な動きがあればすぐに対応できるようにということなのだろうが、今のところそんな様子はない。
けれど、尋問に対して協力的というわけでもないようで、彼らはずっと黙秘を貫いているらしい。
そこで、協力をしてほしい———と、ジャンら104期調査兵達が呼ばれたというわけだ。
「ライナー、ベルトルト、アニ。今日はジャン達を連れて来たぞ。」
ハンジに連れられて104期調査兵達がやって来たことに気付いたモブリットが立ち上がる。
モブリットが声をかけたが、ライナーもベルトルトも何の反応も示さなかった。
濁った瞳は何も映さず、耳も聞こえていない。
生命維持機能だけがなんとか働いているだけで、他のすべてが壊れてしまったみたいだ。
たった数日、会っていないだけなのに、まるで別人のようだ。
「こんな状態でさ、何を聞いてもうんともすんとも言わないんだよ。
これ以上、黙秘が続けば拷問するしかなくなるっていうのに……
まるで、それを望んでいるみたいだ。」
ハンジは大きくため息を吐いた。
ジャン達は、何も言えなかった。
ライナーとベルトルトは人類の敵だ。最大の仇である。
彼らのせいで、たくさんの命が失われた。
恨んでいないと言えば嘘になる。
正直、彼らには恨みも怒りも憎しみもある。
けれど———共に過ごした日々の温かさが、心から彼らを恨ませてくれないのだ。
拷問をして、人類が味わった苦しみを思い知らせてやりたい。
そう思うのと同時に、彼らを傷つけたくないとも思ってしまう。
やるせない気持ちになっているのは、ジャン達だけではない。
だからこそハンジは、拷問という最終手段になる前に、104期の調査兵達に、彼らの心に訴えかけて欲しいと頼み込んできたのだろう。
「エレンが、お前のことをぶっ殺してやるってブチギレてるぞ。」
最初に口を開いたのは、コニーだった。
ジャン達よりも先に地下牢にやってきたのは、エレンとミカサ、アルミンだった。
特別巨人捕獲大作戦に最初から参加していた3人は、早い段階で地下牢に来ていた。
鎧の巨人が蹴った大岩の下敷きになって母親を亡くしたエレンは、昔から巨人に対する憎しみが人一倍強い。
地下牢に来た時も、ベルトルトとライナーへの怒りで手をつけられない状態だったらしい。彼らに裏切られていた———という悔しさもあるのだろう。
なんとかアルミンが宥めて、ミカサとリヴァイが止めたと聞いたが、そのままにしていたら巨人化して握り潰しそうだったという話だ。
でも、エレンの怒りは、ジャンにもよく分かる。
今すぐに彼らをぶん殴りたい。
どうしてあんなことをしたのだと、怒鳴りつけてやりたい。
でも、さっき、彼らは拷問を望んでいるようだとハンジが言ったように、彼らは殴られようが、罵られようが、抵抗しないのだろう。
むしろ、そうしてくれと願っているのだろう。
それが———許せない。
「なぁ、どうしてあのとき、お前らは俺を助けに戻って来たんだよ。」
コニーの言葉にも反応のない彼らに、ジャンは訊ねた。
けれど、やはり、先ほどと同じように、ライナーとベルトルトからは何の反応もない。
そうなるだろうと分かっていたことだ。
だから、ジャンは気にすることなく続ける。
「俺達のとこに戻って来なければ、お前達はあのまま逃げきれただろう。
こうして地下牢に入れられて、拷問される心配もねぇ。
そんなこと、お前らは分かってたはずだろ。だから、必死に逃げようとしたんじゃねぇのか。」
成績優秀だったライナーとベルトルトは、訓練兵時代からとても頭の良いコンビだった。
けれど、あの行動はどう考えても失策だ。
そのせいで今、こんな狭い地下牢に入れられて、仲間だった調査兵達に監視される羽目になった。
どうして————あのとき、逃げて行ったはずの鎧の巨人が戻ってくるのを見て、大勢の調査兵が驚いた。
鎧の巨人が、なまえとジャンを襲っていた巨人を殴り倒したときもそうだし、落ちていくなまえとジャンをベルトルトが助けたときもそうだ。
まるで、仲間だった彼らが戻ってきてくれたみたいだった。
さっきまでの地獄が嘘だったみたいだった。
でも、そんなはずはない。あの悪夢の日に大勢の命が失われた事実も、その張本人がライナーとベルトルトであるという事実も永遠に変わらない。
ライナーとベルトルトは、陰で仲間を裏切っていた。
それが現実だ。
けれど———。
「お前ら、俺を死なせたくなかったんだよな。友達の、俺を———。」
「違う。」
初めて、ライナーが反応を見せた。
牢屋の隅で、相変わらず、両膝を抱えて俯いている。
けれど、捕えられてから初めて言葉を発したことに、ハンジ班は驚きを隠せなかった。
エレンのこともあって、これ以上、104期調査兵を刺激するのは良くないと考えるメンバーもいたのは確かだが、やはり、彼らを連れてきたのは間違いではなかった。
「お前らがどんなに否定しても、あの人は分かってるんだ。」
「———あの人?」
ライナーが首を傾げる。
「なまえさんですよ。」
答えたのは、サシャだった。
どういうことだ———とでも言うように、僅かに眉を顰めたライナーに、今度はクリスタが答える。
「私達もあのときは必死だったし、何が起こったのかも分からなくて気づかなかったんだけどね。
よく考えたら、私達はずっと、安全な場所でなまえさんに守られてたの。」
「まぁ、コニーだけは勝手に突っ走って、お前らのとこまで行っちまってたけどな。」
クリスタに続けて、ユミルが意地悪く口の端を上げる。
「俺、リヴァイ兵長にめちゃくちゃ怒られた。
なまえさんが、すげぇ心配してたんだぞって。」
コニーが困ったように頭を掻いた。
「私達だけじゃありません。なまえさんはあのとき、あなた達の確保はリヴァイ兵長達に任せて
自分は最後尾で調査兵みんなの命を守ることを最優先に動いていました。
それがどうしてか、ジャンを助けるあなた達を見て、クリスタ達とも話して、今漸く分かったんです。」
サシャの言葉に、クリスタとコニーが頷いた。
「————何が、分かったって言うの……?」
今度は、口を開いたのはベルトルトだった。
ゆっくりと顔を上げた彼は、どこか不安気な印象を受ける。
けれど、ジャン達には、もう永遠に見えないと思っていた期待に縋っているように見えた。
「あの時、なまえさんが必死に私達や仲間を守っていたのは、ライナー、ベルトルト、アニ、
あなた達の為だったんです。
あなた達が捕まった時に、仲間が死んだと知ったら悲しむから。」
「自分達が仲間を殺したんだって知ったら、
きっとあなた達は、自分達を死ぬほど恨んで苦しんでしまうから。」
「お前らも良く知ってるだろ。あの人は、純粋とか素直とか、優しいを通り越してバカなんだよ。
だから本当にやっちまったんだ。あの地獄みてぇな作戦で、調査兵から犠牲者は1人も出てねぇ。
ウケるだろ。信じられねぇぜ!」
ハハハッとユミルが渇いた笑い声を出す。
また、いつものやつだ。彼女はいつだっていちいち意地の悪い言い方をする。
けれど、本当に信じられないくらい馬鹿な作戦だ。
調査兵団兵舎に帰還後、気づけば104期調査兵で集まっていた。誰が言い出したのかも覚えていないけれど、たぶん、誰も1人ではいられなかったのだ。
そこで、ポツリ、ポツリと互いの胸の内を話していくうちに、ジャン達はこの作戦の本当の意味に気が付いた。
最終的には殺すのも辞さない覚悟で挑んだというのに、あの作戦は最後までライナーとベルトルトの心を守ることを優先に考えられてもいた。
矛盾だらけで、なまえらしい。
けれど、気づいてしまったら、ライナーとベルトルトに教えてやらなければならないと思った。
あの作戦は自分達を守るためのものだったと知れば、きっと彼らの心は少しは救われるだろうから———。
けれど、ライナー達はまだ何を言われているのか分かっていないような様子だ。
混乱しているように見える。
そんな彼らを前に、コニーは耐えきれず泣き出した。
「お前ら、バ…カだな…!バカの俺にも分かったぞ…!
どこに、人を殺してぇと思う人間がいるんだよ…!」
コニーは、泣きながら悲鳴のように叫ぶ。
まるで、あの日からずっと、ライナーとベルトルト、アニが抱えてきた苦しみを共に背負っているかのようだ。
そんな彼の姿が、自分達の苦しみと重なったのだろうか。
ベルトルトは、まるで息をすることを忘れたかのように、息苦しそうに喘ぎ、ライナーは息を忘れたように動かなくなった。
抱えた両膝に顔を埋めて微動だにしなかったアニの両肩が僅かに震えている。
「なまえさんは、それが自分の正義の下だったとしても
仲間を死なせてしまった苦しみを誰よりも知ってる。
そうやって、自分を責め続けて生きてきた人だから。」
ジャンがそう付け足すと、ライナー達はハッと目を見開いた。
なまえの周りで蠢く悪い噂を思い出したのだろう。
ライナー達がどうして巨人になって人類に攻撃を仕掛けてきたのか——彼らが何も話さない以上、ジャン達には分からない。
どちらにしても、ライナー達の状況となまえでは話が違う。
けれど、結果は同じだ。
自分の行動が、誰かの死に繋がった———この事実は、変わらないのだ。
アニは、相変わらず両肩を震わせている。時々、聞こえてくる息苦しそうな呼吸音には、涙の音も混じっている。
「なまえさんは今、意識が戻らず眠り続けています。」
サシャの言葉に、ライナー達は驚いた様子だった。
ハンジ達から聞いていなかったらしい。
勢いよく顔を上げたアニは、涙で真っ赤になった目を見開いて、焦ったように口を開いた。
「どうして!?大丈夫なの!?」
必死に訊ねたのはアニだったけれど、ライナーとベルトルトもとても心配そうにしている。
「分かりません。」
サシャが首を横に振ると、「そんな…。」とベルトルトが絶望的に呟いた。
「でも、今のところ身体に問題はねぇんだ。
きっと…、いや絶対ぇ目を覚ます!」
コニーが力強く言う。
それでも、ライナー達は不安そうだ。
「だから、お前ら。黙秘し続けるのはいいけどよ、
なまえさんが目を覚ましたら、彼女にだけはちゃんと話せよ。
最後までお前らを信じて仲間でいてくれた人だ。」
「——分かった。」
力強く答えたライナーだったけれど、必死に涙を堪えているのか目が真っ赤だ。
アニはまた両膝に顔を埋めて肩を震わせているし、ベルトルトは声を上げてわんわんと子供みたいに泣きじゃくる。
「ちなみに、カッコつけてなまえさんを助けるつもりだったのに
ライナー達にいいところ全部持っていかれたジャンは、相変わらずフラれたままだよ。」
クリスタが余計なことを付け加える。
何が面白かったのか、アニがブッと吹き出した。
「おい!泣きながら笑うんじゃねぇよ!!」
ジャンが怒鳴った。
怒りからなのか、羞恥心からなのか。顔が真っ赤だ。
「どうするんですか、目が覚めたら告白するんですか?」
「リヴァイ兵長は人間としても男としてもとても魅力的な人だし
どこにも勝てる要素はないけど、私達はジャンの味方だからね。」
「クリスタ、本当のことを言い過ぎだろ。ククッ。」
「———泣いてない。」
「仕方ねぇよ、ユミル。バカの俺にでも分かるぞ。
ジャンに勝ち目はない。」
「うっせぇな、お前ら!!」
騒がしいジャン達に混ざって、ポツリ———と小さく反論したアニの声が彼らに聞こえたかは定かではない。
顔面に全神経を集中させて、瞬きひとつせずに涙を堪えているライナーの顔は怖すぎて気持ち悪いし、その隣の牢やでわんわん泣き喚くベルトルトはうるさいし、なかなかカオスだ。
けれど、こんなカオスの中で、”いつもの”104期を見つけたハンジ達は、顔を見合わせると少しだけ笑った。
エレン、アルミン、ミカサを除いた104期の調査兵達は、ハンジに連れられて巨人研究所にやって来ていた。
調査兵団兵舎の端に作られた巨人研究所には、一部の調査兵しか知らない地下室がある。
極秘実験を行う為に利用することが多いが、実は地下牢にもなっている。
ハンジが104期の調査兵達を連れて来たのは、その地下牢だった。
何の為に利用されていたものなのかは定かではない。
もう何十年も開くことのなかった地下牢には今、3人の人間が収容されている。
いや、人間と呼ぶべきなのかも分からない。
2人は、ジャン達も知っての通り、あの悪夢の日、壁門を蹴り破り多くの命を奪った諸悪の根源、超大型巨人と鎧の巨人————ベルトルトとライナーだ。
そしてもう1人。ジャン達が壁外調査に向かう前日に、協力者の憲兵と数名の精鋭調査兵に捕らえられていたアニ・レオンハート。彼女もベルトルトとライナーと同じく、裏切り者だったのだ。
彼らは狭い地下牢に別々に収容されていた。別々とはいえ、隣の牢とは薄い壁で仕切られているだけだ。声をかければ喋ることも出来るだろうし、互いの息遣いも聞こえてくるかもしれない。
けれど、格子の向こうにいる彼らは、尋問以外は一日のほとんどをただ静かにじっと過ごす。牢屋の端に座り込んで膝を抱えて座り込んで、ただひたすら時間が過ぎるのを待っているのだ。
牢の前にはハンジ班のメンバーが並んでいる。
牢のそばにはデスクが用意されていて、モブリットが座っていた。
不審な動きがあればすぐに対応できるようにということなのだろうが、今のところそんな様子はない。
けれど、尋問に対して協力的というわけでもないようで、彼らはずっと黙秘を貫いているらしい。
そこで、協力をしてほしい———と、ジャンら104期調査兵達が呼ばれたというわけだ。
「ライナー、ベルトルト、アニ。今日はジャン達を連れて来たぞ。」
ハンジに連れられて104期調査兵達がやって来たことに気付いたモブリットが立ち上がる。
モブリットが声をかけたが、ライナーもベルトルトも何の反応も示さなかった。
濁った瞳は何も映さず、耳も聞こえていない。
生命維持機能だけがなんとか働いているだけで、他のすべてが壊れてしまったみたいだ。
たった数日、会っていないだけなのに、まるで別人のようだ。
「こんな状態でさ、何を聞いてもうんともすんとも言わないんだよ。
これ以上、黙秘が続けば拷問するしかなくなるっていうのに……
まるで、それを望んでいるみたいだ。」
ハンジは大きくため息を吐いた。
ジャン達は、何も言えなかった。
ライナーとベルトルトは人類の敵だ。最大の仇である。
彼らのせいで、たくさんの命が失われた。
恨んでいないと言えば嘘になる。
正直、彼らには恨みも怒りも憎しみもある。
けれど———共に過ごした日々の温かさが、心から彼らを恨ませてくれないのだ。
拷問をして、人類が味わった苦しみを思い知らせてやりたい。
そう思うのと同時に、彼らを傷つけたくないとも思ってしまう。
やるせない気持ちになっているのは、ジャン達だけではない。
だからこそハンジは、拷問という最終手段になる前に、104期の調査兵達に、彼らの心に訴えかけて欲しいと頼み込んできたのだろう。
「エレンが、お前のことをぶっ殺してやるってブチギレてるぞ。」
最初に口を開いたのは、コニーだった。
ジャン達よりも先に地下牢にやってきたのは、エレンとミカサ、アルミンだった。
特別巨人捕獲大作戦に最初から参加していた3人は、早い段階で地下牢に来ていた。
鎧の巨人が蹴った大岩の下敷きになって母親を亡くしたエレンは、昔から巨人に対する憎しみが人一倍強い。
地下牢に来た時も、ベルトルトとライナーへの怒りで手をつけられない状態だったらしい。彼らに裏切られていた———という悔しさもあるのだろう。
なんとかアルミンが宥めて、ミカサとリヴァイが止めたと聞いたが、そのままにしていたら巨人化して握り潰しそうだったという話だ。
でも、エレンの怒りは、ジャンにもよく分かる。
今すぐに彼らをぶん殴りたい。
どうしてあんなことをしたのだと、怒鳴りつけてやりたい。
でも、さっき、彼らは拷問を望んでいるようだとハンジが言ったように、彼らは殴られようが、罵られようが、抵抗しないのだろう。
むしろ、そうしてくれと願っているのだろう。
それが———許せない。
「なぁ、どうしてあのとき、お前らは俺を助けに戻って来たんだよ。」
コニーの言葉にも反応のない彼らに、ジャンは訊ねた。
けれど、やはり、先ほどと同じように、ライナーとベルトルトからは何の反応もない。
そうなるだろうと分かっていたことだ。
だから、ジャンは気にすることなく続ける。
「俺達のとこに戻って来なければ、お前達はあのまま逃げきれただろう。
こうして地下牢に入れられて、拷問される心配もねぇ。
そんなこと、お前らは分かってたはずだろ。だから、必死に逃げようとしたんじゃねぇのか。」
成績優秀だったライナーとベルトルトは、訓練兵時代からとても頭の良いコンビだった。
けれど、あの行動はどう考えても失策だ。
そのせいで今、こんな狭い地下牢に入れられて、仲間だった調査兵達に監視される羽目になった。
どうして————あのとき、逃げて行ったはずの鎧の巨人が戻ってくるのを見て、大勢の調査兵が驚いた。
鎧の巨人が、なまえとジャンを襲っていた巨人を殴り倒したときもそうだし、落ちていくなまえとジャンをベルトルトが助けたときもそうだ。
まるで、仲間だった彼らが戻ってきてくれたみたいだった。
さっきまでの地獄が嘘だったみたいだった。
でも、そんなはずはない。あの悪夢の日に大勢の命が失われた事実も、その張本人がライナーとベルトルトであるという事実も永遠に変わらない。
ライナーとベルトルトは、陰で仲間を裏切っていた。
それが現実だ。
けれど———。
「お前ら、俺を死なせたくなかったんだよな。友達の、俺を———。」
「違う。」
初めて、ライナーが反応を見せた。
牢屋の隅で、相変わらず、両膝を抱えて俯いている。
けれど、捕えられてから初めて言葉を発したことに、ハンジ班は驚きを隠せなかった。
エレンのこともあって、これ以上、104期調査兵を刺激するのは良くないと考えるメンバーもいたのは確かだが、やはり、彼らを連れてきたのは間違いではなかった。
「お前らがどんなに否定しても、あの人は分かってるんだ。」
「———あの人?」
ライナーが首を傾げる。
「なまえさんですよ。」
答えたのは、サシャだった。
どういうことだ———とでも言うように、僅かに眉を顰めたライナーに、今度はクリスタが答える。
「私達もあのときは必死だったし、何が起こったのかも分からなくて気づかなかったんだけどね。
よく考えたら、私達はずっと、安全な場所でなまえさんに守られてたの。」
「まぁ、コニーだけは勝手に突っ走って、お前らのとこまで行っちまってたけどな。」
クリスタに続けて、ユミルが意地悪く口の端を上げる。
「俺、リヴァイ兵長にめちゃくちゃ怒られた。
なまえさんが、すげぇ心配してたんだぞって。」
コニーが困ったように頭を掻いた。
「私達だけじゃありません。なまえさんはあのとき、あなた達の確保はリヴァイ兵長達に任せて
自分は最後尾で調査兵みんなの命を守ることを最優先に動いていました。
それがどうしてか、ジャンを助けるあなた達を見て、クリスタ達とも話して、今漸く分かったんです。」
サシャの言葉に、クリスタとコニーが頷いた。
「————何が、分かったって言うの……?」
今度は、口を開いたのはベルトルトだった。
ゆっくりと顔を上げた彼は、どこか不安気な印象を受ける。
けれど、ジャン達には、もう永遠に見えないと思っていた期待に縋っているように見えた。
「あの時、なまえさんが必死に私達や仲間を守っていたのは、ライナー、ベルトルト、アニ、
あなた達の為だったんです。
あなた達が捕まった時に、仲間が死んだと知ったら悲しむから。」
「自分達が仲間を殺したんだって知ったら、
きっとあなた達は、自分達を死ぬほど恨んで苦しんでしまうから。」
「お前らも良く知ってるだろ。あの人は、純粋とか素直とか、優しいを通り越してバカなんだよ。
だから本当にやっちまったんだ。あの地獄みてぇな作戦で、調査兵から犠牲者は1人も出てねぇ。
ウケるだろ。信じられねぇぜ!」
ハハハッとユミルが渇いた笑い声を出す。
また、いつものやつだ。彼女はいつだっていちいち意地の悪い言い方をする。
けれど、本当に信じられないくらい馬鹿な作戦だ。
調査兵団兵舎に帰還後、気づけば104期調査兵で集まっていた。誰が言い出したのかも覚えていないけれど、たぶん、誰も1人ではいられなかったのだ。
そこで、ポツリ、ポツリと互いの胸の内を話していくうちに、ジャン達はこの作戦の本当の意味に気が付いた。
最終的には殺すのも辞さない覚悟で挑んだというのに、あの作戦は最後までライナーとベルトルトの心を守ることを優先に考えられてもいた。
矛盾だらけで、なまえらしい。
けれど、気づいてしまったら、ライナーとベルトルトに教えてやらなければならないと思った。
あの作戦は自分達を守るためのものだったと知れば、きっと彼らの心は少しは救われるだろうから———。
けれど、ライナー達はまだ何を言われているのか分かっていないような様子だ。
混乱しているように見える。
そんな彼らを前に、コニーは耐えきれず泣き出した。
「お前ら、バ…カだな…!バカの俺にも分かったぞ…!
どこに、人を殺してぇと思う人間がいるんだよ…!」
コニーは、泣きながら悲鳴のように叫ぶ。
まるで、あの日からずっと、ライナーとベルトルト、アニが抱えてきた苦しみを共に背負っているかのようだ。
そんな彼の姿が、自分達の苦しみと重なったのだろうか。
ベルトルトは、まるで息をすることを忘れたかのように、息苦しそうに喘ぎ、ライナーは息を忘れたように動かなくなった。
抱えた両膝に顔を埋めて微動だにしなかったアニの両肩が僅かに震えている。
「なまえさんは、それが自分の正義の下だったとしても
仲間を死なせてしまった苦しみを誰よりも知ってる。
そうやって、自分を責め続けて生きてきた人だから。」
ジャンがそう付け足すと、ライナー達はハッと目を見開いた。
なまえの周りで蠢く悪い噂を思い出したのだろう。
ライナー達がどうして巨人になって人類に攻撃を仕掛けてきたのか——彼らが何も話さない以上、ジャン達には分からない。
どちらにしても、ライナー達の状況となまえでは話が違う。
けれど、結果は同じだ。
自分の行動が、誰かの死に繋がった———この事実は、変わらないのだ。
アニは、相変わらず両肩を震わせている。時々、聞こえてくる息苦しそうな呼吸音には、涙の音も混じっている。
「なまえさんは今、意識が戻らず眠り続けています。」
サシャの言葉に、ライナー達は驚いた様子だった。
ハンジ達から聞いていなかったらしい。
勢いよく顔を上げたアニは、涙で真っ赤になった目を見開いて、焦ったように口を開いた。
「どうして!?大丈夫なの!?」
必死に訊ねたのはアニだったけれど、ライナーとベルトルトもとても心配そうにしている。
「分かりません。」
サシャが首を横に振ると、「そんな…。」とベルトルトが絶望的に呟いた。
「でも、今のところ身体に問題はねぇんだ。
きっと…、いや絶対ぇ目を覚ます!」
コニーが力強く言う。
それでも、ライナー達は不安そうだ。
「だから、お前ら。黙秘し続けるのはいいけどよ、
なまえさんが目を覚ましたら、彼女にだけはちゃんと話せよ。
最後までお前らを信じて仲間でいてくれた人だ。」
「——分かった。」
力強く答えたライナーだったけれど、必死に涙を堪えているのか目が真っ赤だ。
アニはまた両膝に顔を埋めて肩を震わせているし、ベルトルトは声を上げてわんわんと子供みたいに泣きじゃくる。
「ちなみに、カッコつけてなまえさんを助けるつもりだったのに
ライナー達にいいところ全部持っていかれたジャンは、相変わらずフラれたままだよ。」
クリスタが余計なことを付け加える。
何が面白かったのか、アニがブッと吹き出した。
「おい!泣きながら笑うんじゃねぇよ!!」
ジャンが怒鳴った。
怒りからなのか、羞恥心からなのか。顔が真っ赤だ。
「どうするんですか、目が覚めたら告白するんですか?」
「リヴァイ兵長は人間としても男としてもとても魅力的な人だし
どこにも勝てる要素はないけど、私達はジャンの味方だからね。」
「クリスタ、本当のことを言い過ぎだろ。ククッ。」
「———泣いてない。」
「仕方ねぇよ、ユミル。バカの俺にでも分かるぞ。
ジャンに勝ち目はない。」
「うっせぇな、お前ら!!」
騒がしいジャン達に混ざって、ポツリ———と小さく反論したアニの声が彼らに聞こえたかは定かではない。
顔面に全神経を集中させて、瞬きひとつせずに涙を堪えているライナーの顔は怖すぎて気持ち悪いし、その隣の牢やでわんわん泣き喚くベルトルトはうるさいし、なかなかカオスだ。
けれど、こんなカオスの中で、”いつもの”104期を見つけたハンジ達は、顔を見合わせると少しだけ笑った。