◇第百三十一話◇崩れ落ちた足元から地獄が顔を出す
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どこか遠くで大きな音が轟いたようだった。
額の辺りに痛みも感じる。それから、不吉な予感もだ。
何か、とてつもなく悪いことが起こるような。そんな気がするのだ————。
「いつまで寝てやがんだ、クソが!!」
痛いくらいに肩を掴まれた私は、上半身を起こすようにして無理やり顔を上げさせられた。
ハッとして目を見開く。
頭はまだ混乱していた。
場所は、会議室。部屋の中央を囲むように置かれたデスクに並ぶ調査兵団の幹部や精鋭兵達が呆気にとられたような表情で私を見ている。
「あ・・・寝てました・・・・。」
会議の途中だったことをなんとか思い出し、そう呟くように答えれば、隣からリヴァイ兵長の呆れたようなため息が聞こえて来た。
ジャンがストヘス区へ出張に行った日からずっと夜になると、眠れない日々が続いている。
正確には、実際には眠ってはいる。けれど、夢の中に足を踏み入れた途端に、恐ろしい光景に襲われた私は、悲鳴と共に現実の世界へと押し出されるせいで、寝不足なのだ。
「お前が何年もかけて準備してきた作戦なんだろうが。
もっと真面目にやりやがれ。」
「…すみません。」
目を伏せて謝れば、隣から呆れたようなため息が繰り返された。
会議室の雰囲気は、最悪だ。
でもその理由はきっと、大事な会議中に私が居眠りをしてリヴァイ兵長を怒らせてしまったからじゃない。
地獄のような作戦内容が、ここにいる全員の気持ちを最低にしているのだ。
「ま…、まあ、私もこんな作戦について毎日話し合っていれば
現実逃避したくなっちゃう気持ちわかりますよ。
楽しい夢を見てた方がいいですもんね。」
「・・・・。」
どんよりとした風が吹く。
最悪な空気をどうにか切り替えようとしたモブリットの話題は、全員を余計に憂鬱にしただけだった。
やってしまったという顔をした彼の隣で、焦ったのはハンジさんだ。
「そ、そうだよな!!私も巨人の実験し放題の夢を見てる方が楽しいし!!」
「・・・・・・・・。」
盛り上げようとしたらしいが、ハンジさんにいたっては完全に的外れどころか、むしろ、これ以上ないと思っていた最悪の空気を、底の底にまで突き落とした。
だって、私達は今、その巨人が〝人間かもしれない〟という突拍子もない説を証明するための作戦について話し合っているのだ。
そして、その〝人間〟は、なぜかこの壁の中にいる人類を滅ぼそうとしているのかもしれないのだ。
優しく、愛情深い顔をして、とても自然に、私達の生活に紛れ込み、その機会を今か今かと伺っているのだとしたら、調査兵団がすることはひとつ——。
「———では、会議を続けよう。まずは、作戦のおさらいだ。
モブリット、説明を頼む。」
「はい。極秘巨人捕獲作戦班は、リヴァイ班となまえ、ハンジ班とミケ班で実行します。
なまえとハンジ班が、彼らを地下へ誘導。彼らが怪しい動きをしたときの為に、
ミケ班には先に内部に侵入してもらい、どこからでも捕獲出来るよう待機しておいてください。」
「了解だ。」
「ミケ班は、表向きは、エルヴィン団長達と共にシガンシナ区航路の設営となっています。
我々以上に極秘に動いてもらう必要がありますので、そのつもりでお願いします。」
「あぁ、分かってるよ。」
「俺達の演技力をなめんなよ、な、ナナバ!」
空気を明るく変える役に、新たにかって出たゲルガーだったけれど、ナナバに冷たい視線を向けられてしまっただけだった。
調査兵団が今まで、楽しい作戦会議をしたことなんてないのだろう。
少なくとも、私の記憶にはそんなものはない。
いつだって私達は、まるでチェス盤の駒のように、大切な仲間の命を机上に並べられた作戦案に配置してきた。
でも今回は、それとも違う。
大切な仲間であるはずの彼らの命を〝奪う〟ことを前提に、作戦案が進められているのだ。
「地下には、事前に精鋭兵達が遠征で仕掛けておいた罠と
トラップが用意してあるので、うまく鉄柵の中まで彼らを誘導するまでが第一関門です。」
モブリットの説明を聞きながら、私は作戦立案書を睨みつける。
穴だらけだった私の作戦立案書は、エルヴィン団長や幹部調査兵達の意見を取り入れることでカタチになった。
第一関門まで突破したら、ここからが本番だ。
彼らに隠された本性があるのか。それとも、心から信頼しなければならない仲間を私達が裏切っていたことが証明されるのか。
全ては、彼ら次第だ。
私達は皆、この大規模な作戦が失敗し、彼らに失望されることを願っている。
決して、私達が彼らに失望するようなことがないように————それだけを、願っている。
「我々で彼らに誘導尋問するつもりですが、状況によってはそのまま交戦も考えられます。
その場合、必要であれば・・・・。」
そこまで言って、モブリットは言葉を切ってしまった。
彼に限って、作戦内容を理解していないなんてことはありえない。
ただ、その続きを言葉にすることに、躊躇ってしまったのだ。
「その場合、彼らを殺すことを私から許可する。」
モブリットに変わって、説明を加えたのはエルヴィン団長だった。
エルヴィン団長は、モブリットの方をまっすぐに見つめて、ゆっくりと頷いた。
モブリットもまた、彼に応えるように頷き、さらに続ける。
「彼らに致命傷を与えるだけでは、我々の命を危険にさらすだけになってしまう可能性があります。
その為、彼らを仕留める必要が出た場合は、確実にとどめをさせるよう、うなじを狙い、
確実に息の・・・・・、息の、根を止めてください。」
モブリットの声は、震えていた。
それに気づいているはずの幹部も私も、彼に声をかけることはしなかった。
私達は皆、顔を伏せ、作戦立案書を両手で皴が出来るくらいに強く握り締め、唇を噛んでいたからだ。
恐ろしい会議だ。
共に命を懸けて戦い抜き、命を懸けて守ろうとしてきた仲間を〝殺す〟為の作戦を立てているのだから。
「万が一、仕留められずに彼らの逃亡を許してしまった場合ですが、作戦Bに移行します。
屋上に待機していたリヴァイ班が彼らを待ち構え、確保です。」
「そのときはリヴァイ、エレンへの巨人化の指示は私に任せてくれないか。
彼には最後の砦となって欲しいんだ。状況を見て、私が判断したい。」
「あぁ、分かった。構わねぇ。」
ハンジさんとリヴァイ兵長の話が終わるのを待って、モブリットさんがまた続ける。
「その確保もうまくいかなかった場合は、
彼らを追いかけているように装い、エルヴィン団長達が待ち構える作戦C地点まで誘導します。」
作戦C地点は、巨大樹の森の中心になる。そこには、これまで時間をかけて幹部兵達と作って来た大きな拠点と幾つも大砲が設置している。
一番の目玉は、対特定目標拘束兵器だ。巨人を倒す事ではなく、拘束する事を目的に作られた兵器で、樽に詰められた鉛付きのワイヤーを打ち出す事で巨人と周囲の物を結びつけ、巨人を拘束する。
この装置に使用されているワイヤーは特殊な張力を持っていて、このワイヤーが無数に絡みつく事により巨人の動きを封じ込めて拘束するというカラクリだ。
あえて、荷馬車のような外見にするという、彼らに怪しまれないための偽装工作にも余念がない。
そんな恐ろしい兵器と共にそこで待ち構えているのは、エルヴィン団長と数名の幹部兵、それから、シガンシナ区航路設営だと私達に騙されてやってきた多くの調査兵達だ。
彼らが、突然に現れた恐ろしい巨人に向けて大砲を発射。そこへ、エルヴィン団長の指示により、幹部達が対特定目標拘束装置を使用して、彼らを拘束するという算段だ。
恐ろしい巨人と、それを追いかける精鋭兵達の姿を見つけた調査兵達は、どれほどの恐怖を覚えるだろうか。
わけもわからず、エルヴィン団長から『撃て!』と命令をくだされる彼らの気持ちを思うと、心臓が握り潰されそうになる。
「なまえ、アルミンからの報告を皆に話してくれ。」
「…はい。」
モブリットの説明も終わり、話は私からの報告に移る。
不必要に時間をかけて、私は手元のファイルを開いた。
会議資料と作戦立案書に挟まれて入っているのは、数日前にアルミンから届いた報告書とそれから、ジャンから届いた手紙だ。
いつも、ジャンから届く手紙には、しっかり食事をとっているのかとか、居眠りばかりをして団長達を困らせていないかとか、小言ばかりが連なってる。
だから、私の心に残るのは『俺がいなくて寂しいでしょう』なんていう、勝手で自信満々で、大正解な意地悪だけだ。
ジャンが、今回の出張の本当の意味を知ったら、どんな顔をするのだろう。
怒るのかな。
私のこと、軽蔑するのかな———。
「なまえ、どうした?」
ハンジさんに心配そうに訊ねられて、ハッとする。
「いえ…っ、すみません…っ。
では、報告をします!!」
慌てて首を横に振り、改めて私は、アルミンから届いた報告書を開いた。
几帳面で真面目、そして、感覚の鋭いアルミンの報告書は、とても読みやすい。だから、疑心暗鬼になっている幹部達の頭や心にもすんなり入ってくる。
私が何度言っても納得させられなかった彼らを、ゆっくりだけれど納得させられていったと思う。
「今のところ、ジャンに怪しい動きはなく、慎重な様子見は必要になるだろうが、
彼は、〝”向こう〟とは無関係だと考えても問題なさそうだ———。」
「———ということだ。
敵を特定したとは言い切れない今の状況では、
ジャン・キルシュタインへの疑いが完全に晴れたとは断言できない。
だが、私も彼については問題なく作戦の参加が可能だと考えている。」
私の報告に続いて、団長が補足のように付け足した。
幹部達は、互いの顔を見合わせる。
どのように判断するべきか思案しているのだろう。
私もまた、団長の言葉を純粋に『嬉しい』とは思えずにいた。
ジャンを疑っているからではない。
ただ、この地獄のような作戦にジャンを参加させることについて、私はいまだに覚悟が持てていないのだ。
「私も、ジャンを作戦に参加させるのは賛成だ。」
最初に口を開いたのは、ハンジさんだった。
それは、イエスともノーとも言えなかった幹部達にとって助け舟だったように思う。
会議中の視線を一身に集めて、彼女は続ける。
「新兵だった彼が突然、副兵士長の補佐を申し出てきたときは、
ついに、〝向こう〟が動き出したのかと疑った。
だからこそあれからずっと、彼の行動を慎重に観察してきて、分かったことが幾つかある。」
「幾つか———、それは具体的になんだ?」
団長の片眉が僅かに上がり、ハンジさんに続きを促す。
ハンジさんの観察眼の鋭さならば、ここにいる全員が嫌という程に理解している。
その観察眼のせいで、隠しておきたかった秘密を幾つも見抜かれてしまった経験のひとつやふたつ、誰もが持っているからだ。
だから、私は怖かった。
ハンジさんは、ジャンは〝敵〟だとも、そうでないとも断言していない。
そして、彼女ならば、私の知らない何かに気付けたのかもしれない。
「まずひとつに、ジャン・キルシュタインは、とても優秀な補佐官だということさ。
確かに最初は、お望み通りなまえの補佐官にしたのは、怪しい彼を見張る為だった。
でもその結果、どうだった?我々のお姫様のサポートはもちろんのこと、
彼はいつだって命を張ってなまえを支え、守っている。」
「まぁ…、確かにそうだな。」
「昔はなまえに仕事を振るのは憂鬱で仕方なかったけど、
アイツが補佐になってからは、俺達の仕事の流れもスムーズになって助かってる。」
「だろう?モブリットが良く言ってるから、私も知ってるよ。」
「それは、ハンジさんも同じことが言えますけどね。」
「ん?なに?モブリット。」
「———いえ。」
「次に、ジャンの立体起動装置の実力とリーダーとしての素質は、
この調査兵団でもトップクラスということだ。
今回の作戦は、確かに精神的負担の強いものだ。
けれど、それと同様に、いつも以上に命懸けになることが予想される。
ひとりでも、実力のある調査兵が本作戦に参加してくれている方が有難い。」
「・・・まぁな。」
「ジャンの実力は俺達も認めてる。
だが、それはイコール、もし、アイツが裏切り者だったときは
手強い敵をわざわざ俺達の陣地に招き入れちまったってことになりかねない。」
苦し気にそう唇を噛んだのは、ゲルガーだった。
いつもならば彼を嗜めるナナバは、私の方を見ると、まるで『ごめんね。』とでも言うように悲しそうに首を横に振った。
ゲルガーもナナバも、ジャンを信じていないわけではない。
ただ、信じ切れていないだけだ。
それがどれほど苦しいことなのか、私にもわかる。
だから、私には彼を責められない。
だって、ここにいる誰が『仲間に敵がいるわけがない』と言い切れるだろう。
そうではないと信じながらも、敵を炙り出す作戦に思考を巡らせているのだ。
頭が、心が、どうにかなりそうだ。
「それから、ジャンが副兵士長の補佐官に立候補した理由はきっと
なまえに恋をしてたからだな。」
ハンジさんが、茶化すような口調で言う。
暗くなっていた雰囲気を少しでも変えようとしたのだろう。
彼女の思惑はうまくいき、険しい表情を浮かべていた幹部達からも笑いが零れる。
それでも結局、ジャンの作戦参加についての答えは出せなかった。
彼を疑ったからではない。
仲間を疑わなければならない苦しみを、もうこれ以上誰にも与えたくなかったのだ。
「では、今日の会議はこれまでとしよう。
今後も、慎重に監視を続けてくれ。」
エルヴィン団長の指示に、私達は重たい表情のままで頷いた。
額の辺りに痛みも感じる。それから、不吉な予感もだ。
何か、とてつもなく悪いことが起こるような。そんな気がするのだ————。
「いつまで寝てやがんだ、クソが!!」
痛いくらいに肩を掴まれた私は、上半身を起こすようにして無理やり顔を上げさせられた。
ハッとして目を見開く。
頭はまだ混乱していた。
場所は、会議室。部屋の中央を囲むように置かれたデスクに並ぶ調査兵団の幹部や精鋭兵達が呆気にとられたような表情で私を見ている。
「あ・・・寝てました・・・・。」
会議の途中だったことをなんとか思い出し、そう呟くように答えれば、隣からリヴァイ兵長の呆れたようなため息が聞こえて来た。
ジャンがストヘス区へ出張に行った日からずっと夜になると、眠れない日々が続いている。
正確には、実際には眠ってはいる。けれど、夢の中に足を踏み入れた途端に、恐ろしい光景に襲われた私は、悲鳴と共に現実の世界へと押し出されるせいで、寝不足なのだ。
「お前が何年もかけて準備してきた作戦なんだろうが。
もっと真面目にやりやがれ。」
「…すみません。」
目を伏せて謝れば、隣から呆れたようなため息が繰り返された。
会議室の雰囲気は、最悪だ。
でもその理由はきっと、大事な会議中に私が居眠りをしてリヴァイ兵長を怒らせてしまったからじゃない。
地獄のような作戦内容が、ここにいる全員の気持ちを最低にしているのだ。
「ま…、まあ、私もこんな作戦について毎日話し合っていれば
現実逃避したくなっちゃう気持ちわかりますよ。
楽しい夢を見てた方がいいですもんね。」
「・・・・。」
どんよりとした風が吹く。
最悪な空気をどうにか切り替えようとしたモブリットの話題は、全員を余計に憂鬱にしただけだった。
やってしまったという顔をした彼の隣で、焦ったのはハンジさんだ。
「そ、そうだよな!!私も巨人の実験し放題の夢を見てる方が楽しいし!!」
「・・・・・・・・。」
盛り上げようとしたらしいが、ハンジさんにいたっては完全に的外れどころか、むしろ、これ以上ないと思っていた最悪の空気を、底の底にまで突き落とした。
だって、私達は今、その巨人が〝人間かもしれない〟という突拍子もない説を証明するための作戦について話し合っているのだ。
そして、その〝人間〟は、なぜかこの壁の中にいる人類を滅ぼそうとしているのかもしれないのだ。
優しく、愛情深い顔をして、とても自然に、私達の生活に紛れ込み、その機会を今か今かと伺っているのだとしたら、調査兵団がすることはひとつ——。
「———では、会議を続けよう。まずは、作戦のおさらいだ。
モブリット、説明を頼む。」
「はい。極秘巨人捕獲作戦班は、リヴァイ班となまえ、ハンジ班とミケ班で実行します。
なまえとハンジ班が、彼らを地下へ誘導。彼らが怪しい動きをしたときの為に、
ミケ班には先に内部に侵入してもらい、どこからでも捕獲出来るよう待機しておいてください。」
「了解だ。」
「ミケ班は、表向きは、エルヴィン団長達と共にシガンシナ区航路の設営となっています。
我々以上に極秘に動いてもらう必要がありますので、そのつもりでお願いします。」
「あぁ、分かってるよ。」
「俺達の演技力をなめんなよ、な、ナナバ!」
空気を明るく変える役に、新たにかって出たゲルガーだったけれど、ナナバに冷たい視線を向けられてしまっただけだった。
調査兵団が今まで、楽しい作戦会議をしたことなんてないのだろう。
少なくとも、私の記憶にはそんなものはない。
いつだって私達は、まるでチェス盤の駒のように、大切な仲間の命を机上に並べられた作戦案に配置してきた。
でも今回は、それとも違う。
大切な仲間であるはずの彼らの命を〝奪う〟ことを前提に、作戦案が進められているのだ。
「地下には、事前に精鋭兵達が遠征で仕掛けておいた罠と
トラップが用意してあるので、うまく鉄柵の中まで彼らを誘導するまでが第一関門です。」
モブリットの説明を聞きながら、私は作戦立案書を睨みつける。
穴だらけだった私の作戦立案書は、エルヴィン団長や幹部調査兵達の意見を取り入れることでカタチになった。
第一関門まで突破したら、ここからが本番だ。
彼らに隠された本性があるのか。それとも、心から信頼しなければならない仲間を私達が裏切っていたことが証明されるのか。
全ては、彼ら次第だ。
私達は皆、この大規模な作戦が失敗し、彼らに失望されることを願っている。
決して、私達が彼らに失望するようなことがないように————それだけを、願っている。
「我々で彼らに誘導尋問するつもりですが、状況によってはそのまま交戦も考えられます。
その場合、必要であれば・・・・。」
そこまで言って、モブリットは言葉を切ってしまった。
彼に限って、作戦内容を理解していないなんてことはありえない。
ただ、その続きを言葉にすることに、躊躇ってしまったのだ。
「その場合、彼らを殺すことを私から許可する。」
モブリットに変わって、説明を加えたのはエルヴィン団長だった。
エルヴィン団長は、モブリットの方をまっすぐに見つめて、ゆっくりと頷いた。
モブリットもまた、彼に応えるように頷き、さらに続ける。
「彼らに致命傷を与えるだけでは、我々の命を危険にさらすだけになってしまう可能性があります。
その為、彼らを仕留める必要が出た場合は、確実にとどめをさせるよう、うなじを狙い、
確実に息の・・・・・、息の、根を止めてください。」
モブリットの声は、震えていた。
それに気づいているはずの幹部も私も、彼に声をかけることはしなかった。
私達は皆、顔を伏せ、作戦立案書を両手で皴が出来るくらいに強く握り締め、唇を噛んでいたからだ。
恐ろしい会議だ。
共に命を懸けて戦い抜き、命を懸けて守ろうとしてきた仲間を〝殺す〟為の作戦を立てているのだから。
「万が一、仕留められずに彼らの逃亡を許してしまった場合ですが、作戦Bに移行します。
屋上に待機していたリヴァイ班が彼らを待ち構え、確保です。」
「そのときはリヴァイ、エレンへの巨人化の指示は私に任せてくれないか。
彼には最後の砦となって欲しいんだ。状況を見て、私が判断したい。」
「あぁ、分かった。構わねぇ。」
ハンジさんとリヴァイ兵長の話が終わるのを待って、モブリットさんがまた続ける。
「その確保もうまくいかなかった場合は、
彼らを追いかけているように装い、エルヴィン団長達が待ち構える作戦C地点まで誘導します。」
作戦C地点は、巨大樹の森の中心になる。そこには、これまで時間をかけて幹部兵達と作って来た大きな拠点と幾つも大砲が設置している。
一番の目玉は、対特定目標拘束兵器だ。巨人を倒す事ではなく、拘束する事を目的に作られた兵器で、樽に詰められた鉛付きのワイヤーを打ち出す事で巨人と周囲の物を結びつけ、巨人を拘束する。
この装置に使用されているワイヤーは特殊な張力を持っていて、このワイヤーが無数に絡みつく事により巨人の動きを封じ込めて拘束するというカラクリだ。
あえて、荷馬車のような外見にするという、彼らに怪しまれないための偽装工作にも余念がない。
そんな恐ろしい兵器と共にそこで待ち構えているのは、エルヴィン団長と数名の幹部兵、それから、シガンシナ区航路設営だと私達に騙されてやってきた多くの調査兵達だ。
彼らが、突然に現れた恐ろしい巨人に向けて大砲を発射。そこへ、エルヴィン団長の指示により、幹部達が対特定目標拘束装置を使用して、彼らを拘束するという算段だ。
恐ろしい巨人と、それを追いかける精鋭兵達の姿を見つけた調査兵達は、どれほどの恐怖を覚えるだろうか。
わけもわからず、エルヴィン団長から『撃て!』と命令をくだされる彼らの気持ちを思うと、心臓が握り潰されそうになる。
「なまえ、アルミンからの報告を皆に話してくれ。」
「…はい。」
モブリットの説明も終わり、話は私からの報告に移る。
不必要に時間をかけて、私は手元のファイルを開いた。
会議資料と作戦立案書に挟まれて入っているのは、数日前にアルミンから届いた報告書とそれから、ジャンから届いた手紙だ。
いつも、ジャンから届く手紙には、しっかり食事をとっているのかとか、居眠りばかりをして団長達を困らせていないかとか、小言ばかりが連なってる。
だから、私の心に残るのは『俺がいなくて寂しいでしょう』なんていう、勝手で自信満々で、大正解な意地悪だけだ。
ジャンが、今回の出張の本当の意味を知ったら、どんな顔をするのだろう。
怒るのかな。
私のこと、軽蔑するのかな———。
「なまえ、どうした?」
ハンジさんに心配そうに訊ねられて、ハッとする。
「いえ…っ、すみません…っ。
では、報告をします!!」
慌てて首を横に振り、改めて私は、アルミンから届いた報告書を開いた。
几帳面で真面目、そして、感覚の鋭いアルミンの報告書は、とても読みやすい。だから、疑心暗鬼になっている幹部達の頭や心にもすんなり入ってくる。
私が何度言っても納得させられなかった彼らを、ゆっくりだけれど納得させられていったと思う。
「今のところ、ジャンに怪しい動きはなく、慎重な様子見は必要になるだろうが、
彼は、〝”向こう〟とは無関係だと考えても問題なさそうだ———。」
「———ということだ。
敵を特定したとは言い切れない今の状況では、
ジャン・キルシュタインへの疑いが完全に晴れたとは断言できない。
だが、私も彼については問題なく作戦の参加が可能だと考えている。」
私の報告に続いて、団長が補足のように付け足した。
幹部達は、互いの顔を見合わせる。
どのように判断するべきか思案しているのだろう。
私もまた、団長の言葉を純粋に『嬉しい』とは思えずにいた。
ジャンを疑っているからではない。
ただ、この地獄のような作戦にジャンを参加させることについて、私はいまだに覚悟が持てていないのだ。
「私も、ジャンを作戦に参加させるのは賛成だ。」
最初に口を開いたのは、ハンジさんだった。
それは、イエスともノーとも言えなかった幹部達にとって助け舟だったように思う。
会議中の視線を一身に集めて、彼女は続ける。
「新兵だった彼が突然、副兵士長の補佐を申し出てきたときは、
ついに、〝向こう〟が動き出したのかと疑った。
だからこそあれからずっと、彼の行動を慎重に観察してきて、分かったことが幾つかある。」
「幾つか———、それは具体的になんだ?」
団長の片眉が僅かに上がり、ハンジさんに続きを促す。
ハンジさんの観察眼の鋭さならば、ここにいる全員が嫌という程に理解している。
その観察眼のせいで、隠しておきたかった秘密を幾つも見抜かれてしまった経験のひとつやふたつ、誰もが持っているからだ。
だから、私は怖かった。
ハンジさんは、ジャンは〝敵〟だとも、そうでないとも断言していない。
そして、彼女ならば、私の知らない何かに気付けたのかもしれない。
「まずひとつに、ジャン・キルシュタインは、とても優秀な補佐官だということさ。
確かに最初は、お望み通りなまえの補佐官にしたのは、怪しい彼を見張る為だった。
でもその結果、どうだった?我々のお姫様のサポートはもちろんのこと、
彼はいつだって命を張ってなまえを支え、守っている。」
「まぁ…、確かにそうだな。」
「昔はなまえに仕事を振るのは憂鬱で仕方なかったけど、
アイツが補佐になってからは、俺達の仕事の流れもスムーズになって助かってる。」
「だろう?モブリットが良く言ってるから、私も知ってるよ。」
「それは、ハンジさんも同じことが言えますけどね。」
「ん?なに?モブリット。」
「———いえ。」
「次に、ジャンの立体起動装置の実力とリーダーとしての素質は、
この調査兵団でもトップクラスということだ。
今回の作戦は、確かに精神的負担の強いものだ。
けれど、それと同様に、いつも以上に命懸けになることが予想される。
ひとりでも、実力のある調査兵が本作戦に参加してくれている方が有難い。」
「・・・まぁな。」
「ジャンの実力は俺達も認めてる。
だが、それはイコール、もし、アイツが裏切り者だったときは
手強い敵をわざわざ俺達の陣地に招き入れちまったってことになりかねない。」
苦し気にそう唇を噛んだのは、ゲルガーだった。
いつもならば彼を嗜めるナナバは、私の方を見ると、まるで『ごめんね。』とでも言うように悲しそうに首を横に振った。
ゲルガーもナナバも、ジャンを信じていないわけではない。
ただ、信じ切れていないだけだ。
それがどれほど苦しいことなのか、私にもわかる。
だから、私には彼を責められない。
だって、ここにいる誰が『仲間に敵がいるわけがない』と言い切れるだろう。
そうではないと信じながらも、敵を炙り出す作戦に思考を巡らせているのだ。
頭が、心が、どうにかなりそうだ。
「それから、ジャンが副兵士長の補佐官に立候補した理由はきっと
なまえに恋をしてたからだな。」
ハンジさんが、茶化すような口調で言う。
暗くなっていた雰囲気を少しでも変えようとしたのだろう。
彼女の思惑はうまくいき、険しい表情を浮かべていた幹部達からも笑いが零れる。
それでも結局、ジャンの作戦参加についての答えは出せなかった。
彼を疑ったからではない。
仲間を疑わなければならない苦しみを、もうこれ以上誰にも与えたくなかったのだ。
「では、今日の会議はこれまでとしよう。
今後も、慎重に監視を続けてくれ。」
エルヴィン団長の指示に、私達は重たい表情のままで頷いた。