◇第九十九話◇私は貴方に、許されたい
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倒れたティーカップから零れた紅茶は、デスクの上で散らかる書類を濡らし、茶色く染めるだけに留まらず、縁から滴り落ち、木の床にまで染みを作っていく。
部屋中に散らばった洋服のせいで、足の踏み場もない。クローゼットは開いたままで、そこに詰め込まれていたブランケット類が雪崩を起こしている。
握り潰したせいでグシャグシャになってしまった作戦提案書は、ゴミ箱の中に捨ててしまった。
作りかけのまま台無しになった書類も、足の踏み場のない部屋も、ジャンが刺される前と同じのはずだ。
そうなるように、手当たり次第に散らかした。
わけもわからずに、なにやら奇声を上げて、溜まっていたすべてを吐き出すように叫んだような気もする。
そうして作り上げた見慣れた部屋だけれど、同じじゃない。違う。
ここで馬鹿みたいに立ち尽くしている私はもう、大好きな妄想もできそうにないし、部屋を出て行ったジャンはもう、呆れた顔をして叱ってはくれないどころか、戻ってくることもないのだろう。
私が、壊した。壊してしまった。
勝手な期待と己惚れと、愚かな妄想のせいで、ジャンの心を傷つけて、修復不可能にしてしまった。
(や、だ…。行、かないで…。)
あれから、どれくらい経ったのだろう。
ただ、途方もなく汚く部屋を眺めていた私の心が零したのは、去っていくジャンに言えなかった言葉だった。
それは、今さら、何の意味もなく、そもそも、伝えたところで届くこともない。虚しい懇願だ。
でも、それなら、どうすればいいのだろう。
久しぶりに会えたのに、ジャンの顔さえ、うまく見られなかった。
私を罵るとき、どんな顔をしていたのだろう。
私を死ぬほど嫌いだと言ったとき、どんな風に眉は吊り上がって、口元が歪んでいたのだろうか。
とても悲しい。苦しい。
でも、ちゃんと見ていればよかったと思っている。
きっと私は、どうかしているのだ。
だって、その瞬間のジャンだって、私にとっては、美しくて、愛おしかったはずだと思っているから———。
「…っ、ジャン…ッ。」
散らばる服を踏み荒らし、私は部屋を飛び出した。
ジャンを追いかけなければならない。
理由、そんなものはない。
会いたい————。
ジャンが好きだ————それだけで、私は何でも出来る気がしていた。
今も、それだけで、私は走ってる。
就寝時間が近づいて人気のない寂しい廊下をひたすらに走る私は、勢いが止まらないままに角を大回りに曲がって、宿舎の玄関ホールをも走り抜けた。
ここをまっすぐに、ただ真っすぐにひたすらに走れば、きっとジャンに会える。
それからのことは、それから考えればいい。
これが私達の最後になるというのなら、真摯に受け止めよう。
嫌だけど、死んでしまいそうなほどに苦しいけれど、それがジャンの為になるのだとなんとか自分を納得させることくらいならできる。
涙でグシャグシャで前なんてろくに見えないし、混乱しているせいなのか脚がもつれてうまく走れないけれど、大切な人を見つけることくらいならできる。
生きているのだから、これからなんだって出来る。
生きているのだから、まだ大丈夫。
私は、生きている。
だから、間違いを犯しても、何度でもやり直せる。私が殺した彼とは違って———。
『ヒトゴロシ。』
次第に速度を落としていた足は、冷たい瞳が脳裏に蘇ったことで、終に止まる。
そして、小刻みに震え始めた。
いつの間にか、医療棟の前にある庭に来ていた。
生い茂る木々が、カサカサと揺れて不気味な音を出している。
冷たい夜風が肌を刺して、凍えるほどではないけれど、少しだけ、痛い。
身体の震えが、止まらない。
心の痛みが、止まらない。
「た、すけて…。」
立っているのもつらいけれど、支えてくれる騎士はいない。
寒いのかい、と心配して、抱きしめてくれる王子様もいない。
こんな夜に羽織も何も着ないまま外に出るなんて馬鹿ですかって、呆れた顔をするジャンにはもう、きっと二度と、会えない————。
「ジャン…っ。許して…っ。」
誰も支えてくれない身体は、自分の両足で必死で踏ん張って支えた。
少しだけ寒いから、自分の両腕でなんとか強く抱きしめる。
でも、悲鳴を上げる心は、自分ではどうすることもできないのだ。
だからどうか、許してほしい。
誰が慰めてくれても、私はなにも悪くなかったなんて、思えない。どんな状況でも、相手が誰でも、仕方がない、で殺されてもいい命なんてない。
私はずっと、自分を責めてきた。自分を苛めてきた。
どうすればこの罪を償えるのか、ずっと考え続けてきた。
その度に、誰がどれほど後悔して償おうが、失くした命は戻らないのだと思い知らされる。
もう苦しい。逃げたい。でも、そんなズルいことを考える自分が、許せない。
だから、誰か、私を許してほしい。
弱い私を、許してほしい。
大丈夫だよって、君はそのままでいいんだよって、震える心を抱きしめて。
その罪も全て含めて、君が恋しいよって、愛してほしい。
妄想の世界じゃなくて、現実で。
騎士や王子様じゃなくて————。
「ジャン…っ。ひとり、に、しないで…っ。
ジャン…っ。ジャン…っ。」
生い茂る木々が夜風に揺れて、恐ろしい音を立てるその真ん中で、私は、震える声で、ジャンの名前を呼び続けた。
求め続けた。
「なまえ!」
私の名前をまっすぐに呼ぶ低い声が、冷たい夜風を切る。
それはまるで、愛する人を傷つけるすべてを許さないと叫ぶみたいに、力強いのに、ひどく優しくて。
その瞬間に、鎮まった空気は、どこかとても懐かしい風になり、安心してとでもいうように、温かく私を包みこんだのだ。
部屋中に散らばった洋服のせいで、足の踏み場もない。クローゼットは開いたままで、そこに詰め込まれていたブランケット類が雪崩を起こしている。
握り潰したせいでグシャグシャになってしまった作戦提案書は、ゴミ箱の中に捨ててしまった。
作りかけのまま台無しになった書類も、足の踏み場のない部屋も、ジャンが刺される前と同じのはずだ。
そうなるように、手当たり次第に散らかした。
わけもわからずに、なにやら奇声を上げて、溜まっていたすべてを吐き出すように叫んだような気もする。
そうして作り上げた見慣れた部屋だけれど、同じじゃない。違う。
ここで馬鹿みたいに立ち尽くしている私はもう、大好きな妄想もできそうにないし、部屋を出て行ったジャンはもう、呆れた顔をして叱ってはくれないどころか、戻ってくることもないのだろう。
私が、壊した。壊してしまった。
勝手な期待と己惚れと、愚かな妄想のせいで、ジャンの心を傷つけて、修復不可能にしてしまった。
(や、だ…。行、かないで…。)
あれから、どれくらい経ったのだろう。
ただ、途方もなく汚く部屋を眺めていた私の心が零したのは、去っていくジャンに言えなかった言葉だった。
それは、今さら、何の意味もなく、そもそも、伝えたところで届くこともない。虚しい懇願だ。
でも、それなら、どうすればいいのだろう。
久しぶりに会えたのに、ジャンの顔さえ、うまく見られなかった。
私を罵るとき、どんな顔をしていたのだろう。
私を死ぬほど嫌いだと言ったとき、どんな風に眉は吊り上がって、口元が歪んでいたのだろうか。
とても悲しい。苦しい。
でも、ちゃんと見ていればよかったと思っている。
きっと私は、どうかしているのだ。
だって、その瞬間のジャンだって、私にとっては、美しくて、愛おしかったはずだと思っているから———。
「…っ、ジャン…ッ。」
散らばる服を踏み荒らし、私は部屋を飛び出した。
ジャンを追いかけなければならない。
理由、そんなものはない。
会いたい————。
ジャンが好きだ————それだけで、私は何でも出来る気がしていた。
今も、それだけで、私は走ってる。
就寝時間が近づいて人気のない寂しい廊下をひたすらに走る私は、勢いが止まらないままに角を大回りに曲がって、宿舎の玄関ホールをも走り抜けた。
ここをまっすぐに、ただ真っすぐにひたすらに走れば、きっとジャンに会える。
それからのことは、それから考えればいい。
これが私達の最後になるというのなら、真摯に受け止めよう。
嫌だけど、死んでしまいそうなほどに苦しいけれど、それがジャンの為になるのだとなんとか自分を納得させることくらいならできる。
涙でグシャグシャで前なんてろくに見えないし、混乱しているせいなのか脚がもつれてうまく走れないけれど、大切な人を見つけることくらいならできる。
生きているのだから、これからなんだって出来る。
生きているのだから、まだ大丈夫。
私は、生きている。
だから、間違いを犯しても、何度でもやり直せる。私が殺した彼とは違って———。
『ヒトゴロシ。』
次第に速度を落としていた足は、冷たい瞳が脳裏に蘇ったことで、終に止まる。
そして、小刻みに震え始めた。
いつの間にか、医療棟の前にある庭に来ていた。
生い茂る木々が、カサカサと揺れて不気味な音を出している。
冷たい夜風が肌を刺して、凍えるほどではないけれど、少しだけ、痛い。
身体の震えが、止まらない。
心の痛みが、止まらない。
「た、すけて…。」
立っているのもつらいけれど、支えてくれる騎士はいない。
寒いのかい、と心配して、抱きしめてくれる王子様もいない。
こんな夜に羽織も何も着ないまま外に出るなんて馬鹿ですかって、呆れた顔をするジャンにはもう、きっと二度と、会えない————。
「ジャン…っ。許して…っ。」
誰も支えてくれない身体は、自分の両足で必死で踏ん張って支えた。
少しだけ寒いから、自分の両腕でなんとか強く抱きしめる。
でも、悲鳴を上げる心は、自分ではどうすることもできないのだ。
だからどうか、許してほしい。
誰が慰めてくれても、私はなにも悪くなかったなんて、思えない。どんな状況でも、相手が誰でも、仕方がない、で殺されてもいい命なんてない。
私はずっと、自分を責めてきた。自分を苛めてきた。
どうすればこの罪を償えるのか、ずっと考え続けてきた。
その度に、誰がどれほど後悔して償おうが、失くした命は戻らないのだと思い知らされる。
もう苦しい。逃げたい。でも、そんなズルいことを考える自分が、許せない。
だから、誰か、私を許してほしい。
弱い私を、許してほしい。
大丈夫だよって、君はそのままでいいんだよって、震える心を抱きしめて。
その罪も全て含めて、君が恋しいよって、愛してほしい。
妄想の世界じゃなくて、現実で。
騎士や王子様じゃなくて————。
「ジャン…っ。ひとり、に、しないで…っ。
ジャン…っ。ジャン…っ。」
生い茂る木々が夜風に揺れて、恐ろしい音を立てるその真ん中で、私は、震える声で、ジャンの名前を呼び続けた。
求め続けた。
「なまえ!」
私の名前をまっすぐに呼ぶ低い声が、冷たい夜風を切る。
それはまるで、愛する人を傷つけるすべてを許さないと叫ぶみたいに、力強いのに、ひどく優しくて。
その瞬間に、鎮まった空気は、どこかとても懐かしい風になり、安心してとでもいうように、温かく私を包みこんだのだ。