◇第九十三話◇悲劇を生んだ眠り姫の悪夢
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————850年。
壁の中に築かれた安寧を突如として奪われた危機感は、残念なことに、人類から確実に薄れ始めていた。
そしてまた、人類は、壊れた壁と巨人の襲来を目の前にして、自分達がいかに愚かだったかを嫌でも思い知らされる。
次こそは壁内を守るため、駐屯兵団が日々磨いてきた砲台も、苦しいながらも続けてきた訓練も、巨人を前にした途端に、壊れた玩具のような役立たずになり果てるしかなかった。
なぜなら、その巨人に立ち向かうはずの駐屯兵達の心が、必ず勝利するという覚悟に追い付かない。
それでも、兵士達は、訓練兵から駐屯兵の精鋭まですべてが集められ、民間人を内門まで避難させるため、巨人を討伐するように命じられる。
武者震いとは違う。恐怖により、手が震え、超硬質ブレードがカタカタと小さな音を立てる。脚が震え、屋根の上に真っ直ぐ立つのもやっとだ。
どんなに必死に立ち向かったところで、仲間達が、次々に命を落としていく。
前衛では精鋭班達が戦ってくれているはずだった。
それなのに、中衛を任されている若い駐屯兵達の前に、巨人達が列をなして現れるのだ。
今すぐ逃げ出したい。それが無理なら、このまま恐ろしい現実から目を閉じて死んでしまう方がマシなのかもしれない————覚悟もままならないうちに巨人討伐をさせられることになってしまった訓練兵だけではなく、駐屯兵の気持ちまでも、後ろ向きなままで重なりかけている。
トロスト区の街の一角で、大きな手に握られているのは、まだ2年目の若い駐屯兵だった。
ギョロリとした気持ちの悪い目が彼をとらえ、涎を引き延ばしながら開いていく大きな口は、この世の終わりに続いているような暗闇を広げる。
彼と班を組んでいる仲間は、運よく、まだ誰ひとりとして戦死してはいなかった。
助けられるのは自分達しかいない————そんなことは、班員達にもよくわかっていた。
でも、震える手と震える足が、動かない。
心が『諦めよう。』『逃げよう。』と叫ぶ。
これまで、人類は巨人に勝利したことがないのだから、それも仕方がないのだろう。
人類が巨人に勝利するだなんて、普通は考えられない。
だから、人類は、戦うのではなく、3つの壁を築いて、自分達の身を守ることにしたのだ。
でも、唯一、巨人に勝利して、世界を取り戻そうとしている異端者達の集団がある。
それが、調査兵団だ。
頭脳明晰で指揮官として仲間からの信頼も厚いエルヴィン・スミスと〝人類最強の兵士〟と呼ばれる人間離れした戦闘力を持つリヴァイを筆頭に、変人だが戦闘力と命を懸ける覚悟だけは人並外れた者ばかりが集まる巨人殺しのスペシャリスト達だ。
だが、残念ながら、彼らは今、普段から任務としている壁外調査に出ている。
もしかすると、勘の鋭いエルヴィンあたりが、トロスト区への巨人襲来に気づいていくれるかもしれない。
だが、彼らが戻ってくるのを待っていたら、内門は破壊され、人類はまた、壁をひとつ失い、活動領域を後退しなければならなくなるだろう。
今、このとき、世界で最も〝巨人討伐に適している〟のは、駐屯兵団の兵士達なのだ。
『あんなものに人間が勝てるものか!』
どこか遠くから、大きな怒りが聞こえてきた。
それが、自分の声だと気づいたときに、死に行く後輩の成長をずっと見守ってきた班長は、ハッとする。
今、巨人に命を奪われようとしている若い駐屯兵は、訓練兵時代に、優秀な成績は残せなかった。
憲兵団には入れなかったが、それでも、あの悪夢を繰り返さないために、最前線のトロスト区駐屯兵として、壁を守るのだと、静かな闘志を燃やして、日々の任務を誰よりも真面目にしていた。
今だって、班長達が尻込みしているときに、彼は真っ直ぐに立ち向かったのだ。
その結果、巨人に捕まえられて、食われそうになっている。
確かに、あんなものに人間は勝てないのかもしれない。
でも、彼は、間違っていたのだろうか。
彼はただ、公に心臓を捧げた兵士らしく、覚悟を持って戦おうとしただけだ。
それなら、公に捧げた心臓を、自分の為に守ろうとして、戦うことを躊躇している班長達が間違っているのだろうか。
いや、違うのだ。
そんなことは、どうでもいい。
今このとき、何が正しいかどうかなんて、正直、必要ないのだ。
「いやぁぁあああっ。」
大きな手が動き、口の中に少しずつ彼の身体が入っていこうとする。
死にたくないと泣き叫ぶ彼を、仲間達は、死なせたくない。
それだけは、今ここにある確かな事実であり、正解なのだ。
(動け…!動け、俺の身体、動け…!動いてくれ…!!
————動けよ!!!)
班長は、震える自分の脚を必死に叩く。
周りを見て見れば、同じ班の仲間達も、似たようなことをしてた。
そして、動かない身体と、情けない自分の弱い心に、悔し涙を流している。
あぁ、もうダメだ———巨人が、大切な仲間の身体を口の中に放り込もうとしている。
(すまん…っ。)
班長は、グッと唇を噛んで瞼を閉じた。
夢を語っていた若者の眩しい笑顔が、瞼の奥に鮮やかに浮かんで、心臓が握り潰される。
そのときだった。
すぐ耳元で、立体起動装置がガスを吹かすシュッという音が聞こえたのだ。
同じ班の誰かが、動けたのか———班長は、すぐに目を開いた。
視界の中央で踊るように宙を舞っていたのは、白と黒の自由の翼だった。
長い髪を靡かせる美しい背中が、太陽の光を浴びて、煌々と輝き、眩しさに思わず目を細めてしまう。
調査兵団は、壁外調査に出ていてトロスト区にはいないはずだ。
帰ってきたのかとも思ったが、あまりにも早すぎるから、その可能性は薄い。
一体、どういうことなのか————いないはずの彼女の姿に、班長だけではなく、他の仲間達も唖然としていた。
彼女は、一撃で巨人のうなじを削いで倒すと、大きな手から滑るように地面へと落ちていく若い駐屯兵をすくいあげるようにして受け止めた。
そして、激しくなりがちな立体起動装置の扱いも優雅に、班長らがいる屋根の上に、まるで女神が舞い降りるかのように、ゆっくりと、そっと、降り立つ。
彼女に屋根に降ろされた若い駐屯兵は、顔色を真っ青にして吐き始める。
嗚咽を上げて泣きながら、吐き続ける彼の背中を、仲間がさするのを見ながら、班長は彼女に声をかけた。
「助かったよ…、俺はコイツの班長で、本当なら俺が———。」
「彼、右脚が折れてる。たぶん、左肩も。
内門の奥に医療スペース出来てるからそこに連れて行ってあげて。」
彼女はそれだけを早口で言うと、また自由の翼を広げて宙を舞い上がった。
この日、駐屯兵団の精鋭班達が、前衛で必死に巨人に立ち向かっているとき、逃げ腰になっていた駐屯兵達の多くが、自由の翼を広げ、踊るように宙を舞っては、仲間達を守るように剣をふるうお姫様の姿を見た。
壁の中に築かれた安寧を突如として奪われた危機感は、残念なことに、人類から確実に薄れ始めていた。
そしてまた、人類は、壊れた壁と巨人の襲来を目の前にして、自分達がいかに愚かだったかを嫌でも思い知らされる。
次こそは壁内を守るため、駐屯兵団が日々磨いてきた砲台も、苦しいながらも続けてきた訓練も、巨人を前にした途端に、壊れた玩具のような役立たずになり果てるしかなかった。
なぜなら、その巨人に立ち向かうはずの駐屯兵達の心が、必ず勝利するという覚悟に追い付かない。
それでも、兵士達は、訓練兵から駐屯兵の精鋭まですべてが集められ、民間人を内門まで避難させるため、巨人を討伐するように命じられる。
武者震いとは違う。恐怖により、手が震え、超硬質ブレードがカタカタと小さな音を立てる。脚が震え、屋根の上に真っ直ぐ立つのもやっとだ。
どんなに必死に立ち向かったところで、仲間達が、次々に命を落としていく。
前衛では精鋭班達が戦ってくれているはずだった。
それなのに、中衛を任されている若い駐屯兵達の前に、巨人達が列をなして現れるのだ。
今すぐ逃げ出したい。それが無理なら、このまま恐ろしい現実から目を閉じて死んでしまう方がマシなのかもしれない————覚悟もままならないうちに巨人討伐をさせられることになってしまった訓練兵だけではなく、駐屯兵の気持ちまでも、後ろ向きなままで重なりかけている。
トロスト区の街の一角で、大きな手に握られているのは、まだ2年目の若い駐屯兵だった。
ギョロリとした気持ちの悪い目が彼をとらえ、涎を引き延ばしながら開いていく大きな口は、この世の終わりに続いているような暗闇を広げる。
彼と班を組んでいる仲間は、運よく、まだ誰ひとりとして戦死してはいなかった。
助けられるのは自分達しかいない————そんなことは、班員達にもよくわかっていた。
でも、震える手と震える足が、動かない。
心が『諦めよう。』『逃げよう。』と叫ぶ。
これまで、人類は巨人に勝利したことがないのだから、それも仕方がないのだろう。
人類が巨人に勝利するだなんて、普通は考えられない。
だから、人類は、戦うのではなく、3つの壁を築いて、自分達の身を守ることにしたのだ。
でも、唯一、巨人に勝利して、世界を取り戻そうとしている異端者達の集団がある。
それが、調査兵団だ。
頭脳明晰で指揮官として仲間からの信頼も厚いエルヴィン・スミスと〝人類最強の兵士〟と呼ばれる人間離れした戦闘力を持つリヴァイを筆頭に、変人だが戦闘力と命を懸ける覚悟だけは人並外れた者ばかりが集まる巨人殺しのスペシャリスト達だ。
だが、残念ながら、彼らは今、普段から任務としている壁外調査に出ている。
もしかすると、勘の鋭いエルヴィンあたりが、トロスト区への巨人襲来に気づいていくれるかもしれない。
だが、彼らが戻ってくるのを待っていたら、内門は破壊され、人類はまた、壁をひとつ失い、活動領域を後退しなければならなくなるだろう。
今、このとき、世界で最も〝巨人討伐に適している〟のは、駐屯兵団の兵士達なのだ。
『あんなものに人間が勝てるものか!』
どこか遠くから、大きな怒りが聞こえてきた。
それが、自分の声だと気づいたときに、死に行く後輩の成長をずっと見守ってきた班長は、ハッとする。
今、巨人に命を奪われようとしている若い駐屯兵は、訓練兵時代に、優秀な成績は残せなかった。
憲兵団には入れなかったが、それでも、あの悪夢を繰り返さないために、最前線のトロスト区駐屯兵として、壁を守るのだと、静かな闘志を燃やして、日々の任務を誰よりも真面目にしていた。
今だって、班長達が尻込みしているときに、彼は真っ直ぐに立ち向かったのだ。
その結果、巨人に捕まえられて、食われそうになっている。
確かに、あんなものに人間は勝てないのかもしれない。
でも、彼は、間違っていたのだろうか。
彼はただ、公に心臓を捧げた兵士らしく、覚悟を持って戦おうとしただけだ。
それなら、公に捧げた心臓を、自分の為に守ろうとして、戦うことを躊躇している班長達が間違っているのだろうか。
いや、違うのだ。
そんなことは、どうでもいい。
今このとき、何が正しいかどうかなんて、正直、必要ないのだ。
「いやぁぁあああっ。」
大きな手が動き、口の中に少しずつ彼の身体が入っていこうとする。
死にたくないと泣き叫ぶ彼を、仲間達は、死なせたくない。
それだけは、今ここにある確かな事実であり、正解なのだ。
(動け…!動け、俺の身体、動け…!動いてくれ…!!
————動けよ!!!)
班長は、震える自分の脚を必死に叩く。
周りを見て見れば、同じ班の仲間達も、似たようなことをしてた。
そして、動かない身体と、情けない自分の弱い心に、悔し涙を流している。
あぁ、もうダメだ———巨人が、大切な仲間の身体を口の中に放り込もうとしている。
(すまん…っ。)
班長は、グッと唇を噛んで瞼を閉じた。
夢を語っていた若者の眩しい笑顔が、瞼の奥に鮮やかに浮かんで、心臓が握り潰される。
そのときだった。
すぐ耳元で、立体起動装置がガスを吹かすシュッという音が聞こえたのだ。
同じ班の誰かが、動けたのか———班長は、すぐに目を開いた。
視界の中央で踊るように宙を舞っていたのは、白と黒の自由の翼だった。
長い髪を靡かせる美しい背中が、太陽の光を浴びて、煌々と輝き、眩しさに思わず目を細めてしまう。
調査兵団は、壁外調査に出ていてトロスト区にはいないはずだ。
帰ってきたのかとも思ったが、あまりにも早すぎるから、その可能性は薄い。
一体、どういうことなのか————いないはずの彼女の姿に、班長だけではなく、他の仲間達も唖然としていた。
彼女は、一撃で巨人のうなじを削いで倒すと、大きな手から滑るように地面へと落ちていく若い駐屯兵をすくいあげるようにして受け止めた。
そして、激しくなりがちな立体起動装置の扱いも優雅に、班長らがいる屋根の上に、まるで女神が舞い降りるかのように、ゆっくりと、そっと、降り立つ。
彼女に屋根に降ろされた若い駐屯兵は、顔色を真っ青にして吐き始める。
嗚咽を上げて泣きながら、吐き続ける彼の背中を、仲間がさするのを見ながら、班長は彼女に声をかけた。
「助かったよ…、俺はコイツの班長で、本当なら俺が———。」
「彼、右脚が折れてる。たぶん、左肩も。
内門の奥に医療スペース出来てるからそこに連れて行ってあげて。」
彼女はそれだけを早口で言うと、また自由の翼を広げて宙を舞い上がった。
この日、駐屯兵団の精鋭班達が、前衛で必死に巨人に立ち向かっているとき、逃げ腰になっていた駐屯兵達の多くが、自由の翼を広げ、踊るように宙を舞っては、仲間達を守るように剣をふるうお姫様の姿を見た。