◇第九十二話◇罪を背負いたい見舞客
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その日、午後になってすぐにやってきたのは、珍しい見舞客だった。
ベッドの上から動かないように指示されているジャンの代わりに、リコがカーテンを開く。
その途端、太陽の光が一気に射し込み、思わず目を細めたジャンは、右手で目を守るようにして光から逃げた。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫っす。
薄暗い部屋に慣れてたんで、光に目が驚いちまったみたいで。」
ジャンは、瞼を何度かさする。
見舞いにやってきたリコに、カーテンを開いてくれと頼んだのは、ジャンだった。
ここ数日、太陽の光を浴びていないのは事実だ。
訓練場の声に耳を澄ますばかりのジャンを心配した母親とフレイヤが、カーテンを閉じることで、外の世界と遮断してしまったのだ。
「ならいいが。ツラくなれば、すぐに言ってくれ。」
心配そうに顔色を伺いながら、リコがベッド脇に座る。
ジャンも、腰を動かして、ベッドヘッドに寄りかかっていた身体を正しく起こして座り直した。
今日は、午後から別の見舞客が来る予定になっていたから、母親とフレイヤは気を遣って午前中までで帰って行る。
駐屯兵団の精鋭班の班長であるリコの存在は知っていたが、きちんと話したのは、事件があった日が初めてだった。
それ以来、重傷を負って昏睡状態にいたジャンは、もちろん、リコに会っていない。
親しいわけでもなく、所属する兵団も違うリコと2人きりという状況は、なんとなく気まずい。
「目が覚めたのは1週間前らしいな。
ずっと気にしていたんだ。体調はどうだ?」
「起きてすぐは身体がうまく動かなかったんすけど
だいぶ回復して、今は身体を動かしたくて仕方ねぇです。」
「まぁ、そうだろうな。
ずっとベッドの上だと暇だろう。今までずっと忙しなく働いてたなら尚更だ。
でもまぁ、今は辛抱の時だと思って、医療兵の指示を聞く方がいい。」
「そうっすね。」
言葉に、心はこもっていなかった。
リコの言う通りだ。正論だと言うことは分かっているけれど、今すぐにこの部屋を飛び出して仕方ない。
目が覚めてからずっと、なまえに会っていないのだ。
どうして彼女が会いに来ないのか、それを確かめたい。
人殺しの彼女は、面倒になってジャンのことを捨てたのだという母親やフレイヤの言葉が、耳からすり抜けているわけではない。
信じたくない、という気持ちもある。でも、信じられないという気持ちの方が強いのだ。
「本来ならば、すぐに見舞いに来なければならなかったのに、遅くなってすまなかった。
ずっと、気になってはいたんだが…。」
リコは申し訳なさそうに頭を下げた後、そこまで言うと、その先を言い淀む。
なんとなく、リコは真っ直ぐな正義を持っているような印象がある。
だから、言おうとしたのは、その正義に反することなのだろうことが想像出来た。
気にはなるが、言いたくないのなら言わなくてもいい———そう思っていると、少し待って、リコが続けた。
「私が見舞いに行くことで、ジャンが刺された事件に
駐屯兵団が関わっていると思われることを嫌った上司が、どうしても許してくれなかった。
…悪かった。それでも、私はきちんと謝らなければならなかったのに。」
本当に、すまなかった————。
リコは、スッと立ち上がると、こちらが恐縮してしまうほどに深く頭を下げた。
駐屯兵団の幹部に所属する精鋭班の班長である彼女が、被害者に頭を下げる。それはつまり、加害者の関係者だと認めることに繋がってしまう。
本当に申し訳なさそうに思っている様子のリコを見て、彼女の上司がコレを嫌ったのだということがよくわかった。
「あの人。元、駐屯兵の方だったらしいですね。」
敢えて、元を強調するように言った。
嫌味のつもりはなかったが、リコにはそう聞こえたのかもしれない。
頭を下げていたリコの方がビクリと震えるように揺れた。
「本当に、すまない…。」
「それは、何を謝ってるんですか?」
それは、素直な疑問だった。
あの日、確かに、ジャンが刺された現場にリコはいた。
刺される直前まで話していたのがリコだったから、助けられなかった責任を感じることに対して、不思議だとは思わない。責任感の強そうなリコなら尚更だ。
でも、今、目の前で深く頭を下げているリコは、もっと別のところを謝っているように見える。
「————すべて、だ。」
しばらく間を置いた後、リコは、頭を下げたままで、絞り出すように言った。
「すべて?」
「ジャンを刺したリヴ・ハーンは、元駐屯兵ということになっているが、
あの時、少なくとも私は、彼女は休職扱いでまだ駐屯兵団に所属していたと把握している。
同じ兵団に所属する駐屯兵として、彼女の変化に気づき、事件を阻止することが出来なかったことを
心から申し訳なく思っている。」
そういうことか———納得すると同時に、拍子抜けした。
何かもっと事件の奥深いところを知っているような気がしていた。
兵団というのは、清く正しい兵士達が集まっている組織だと思ったら大間違いだ、ということを、訓練兵時代に学んでいる。
縦社会の兵団組織は、まるでトカゲのしっぽを切るように、自分達の得にならないと判断した兵士をいとも容易く捨てていく。
汚いものを、あまりにも多く見過ぎたのかもしれない。
自分が刺された事件から駐屯兵団が責任逃れをしたのだと知っても、今回も今までと似たようなことが起きたのだなと思っただけで、それ以外に何も感じなかった。
「いいですよ、そんなこと。 俺は生きてるし。
そうじゃなくてもいつ壁外で死んでもおかしくねぇ兵団に所属してるんですから。
まぁ・・・死ぬのかなって思った時に、壁内で死ぬのかってなんか虚しい気持ちにはなりましたけど。」
「すまない…。」
下げた頭は上がらないまま、絞り出すように謝るリコの声を聞いて、余計なことを言ってしまったと自覚した。
責めるつもりはなかったのだ。
ただ、思っていることが口をついて出てしまうのが、昔からの悪い癖だ。
「とにかく、俺は駐屯兵団に対して何も思ってないですから、顔を上げてください。」
取り繕うような早口になってしまったけれど、もう頭を上げてほしいと思っているのは本当だ。
謝られるのは、慣れていない。
「まだ…、ある。」
リコは、頭を上げてはくれなかった。
震える声で、さらに続ける。
「まだ?」
「リブ・ハーンは、私の友人だ。」
あまり驚かなかった。
歳も近そうだし、同じ兵団に所属していれば、自然と同僚から友人関係になるのはよくあることだ。
ジャンにも身に覚えがある。
「彼女を庇うわけではないし、彼女がしたことは間違っている。人として許されないことをした。
でも…本来の彼女は、明るくて、とても優しい…美しい女性だったんだ。」
「そう、なんですか。」
正直言うと、あの事件の日の記憶は、曖昧になっていた。
恐ろしい記憶に怯えることを心が拒んでいるのかもしれない。
だから、加害者であるリブ・ハーンのことを話されても、彼女の印象もあまり覚えていなくて何と反応すればいいのか分からない。
どんな理由があるにしろ、無防備な人間を刺した女を〝優しい〟とは思えないのが素直な気持ちだけれど、友人であるリコが、全く別の印象を語ったところで、何も思わない。
リブ・ハーンは精神を病んでいたらしいし、今は然るべきところで、相応の罪を償うべく収容されていると聞いている。
ジャンからすれば、それだけで十分だった。
これ以上、リブ・ハーンを憎み、怒り、懺悔を願うこともない。
でも、リコはそうは思っていないのかもしれない。
いや、誰かに自分の罪を懺悔したかったのだろう。
震える声で、続けるのだ。
「ちゃんと、そばで支えてやっていれば、こんなことにならなかったかもしれないのに…、
あの日のことを、思い出すのが嫌で…彼女から逃げてしまったから…。
彼女にはもう…、私しか、いなかったのに…。」
リコが続けたそれに、ジャンの心臓がドクンと大きく鳴る。
暴露されたリコの罪に対して、怒りが湧いたわけではない。
リコが今、言ったそれこそが、ジャンが知りたくて仕方のないことと繋がっている———そう思ったからだ。
「あの日って、何ですか…!?
それは、なまえさんが人殺しだって言われてるのと関係あるんですか…!!」
無意識に、声が大きくなっていた。
今、ここに母親とフレイヤがいなくて本当に良かったと心から思う。
「それは…、」
「知ってるなら、教えてください!!」
言い淀むような声が、相変わらず下げられた頭の向こうに聞こえたけれど、許してやることは出来なかった。
リコの腕を力任せに掴み、叫ぶように懇願する。
深く頭を下げたまま、ピクリとも動かなくなってしまったリコから返事はない。
今、リコの腕には、強く掴まれた手からジリジリとした痛みが走っているのかもしれない。
でも、ジャンの心も、目を覚ました日からずっと、ジリジリと焼けつくような痛みが続いている。
それは今、ついに小さな発火を起こした。
痛みも、焦りも、知りたいという欲求も、もう、止まらない。
「あの日…、」
リコが、ゆっくりと顔を上げた。
「トロスト区に巨人が襲来したあの日が、すべての始まりだった…。」
ゴクリ——生唾をのみ込む音が、頭の奥から聞こえた気がした。
ベッドの上から動かないように指示されているジャンの代わりに、リコがカーテンを開く。
その途端、太陽の光が一気に射し込み、思わず目を細めたジャンは、右手で目を守るようにして光から逃げた。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫っす。
薄暗い部屋に慣れてたんで、光に目が驚いちまったみたいで。」
ジャンは、瞼を何度かさする。
見舞いにやってきたリコに、カーテンを開いてくれと頼んだのは、ジャンだった。
ここ数日、太陽の光を浴びていないのは事実だ。
訓練場の声に耳を澄ますばかりのジャンを心配した母親とフレイヤが、カーテンを閉じることで、外の世界と遮断してしまったのだ。
「ならいいが。ツラくなれば、すぐに言ってくれ。」
心配そうに顔色を伺いながら、リコがベッド脇に座る。
ジャンも、腰を動かして、ベッドヘッドに寄りかかっていた身体を正しく起こして座り直した。
今日は、午後から別の見舞客が来る予定になっていたから、母親とフレイヤは気を遣って午前中までで帰って行る。
駐屯兵団の精鋭班の班長であるリコの存在は知っていたが、きちんと話したのは、事件があった日が初めてだった。
それ以来、重傷を負って昏睡状態にいたジャンは、もちろん、リコに会っていない。
親しいわけでもなく、所属する兵団も違うリコと2人きりという状況は、なんとなく気まずい。
「目が覚めたのは1週間前らしいな。
ずっと気にしていたんだ。体調はどうだ?」
「起きてすぐは身体がうまく動かなかったんすけど
だいぶ回復して、今は身体を動かしたくて仕方ねぇです。」
「まぁ、そうだろうな。
ずっとベッドの上だと暇だろう。今までずっと忙しなく働いてたなら尚更だ。
でもまぁ、今は辛抱の時だと思って、医療兵の指示を聞く方がいい。」
「そうっすね。」
言葉に、心はこもっていなかった。
リコの言う通りだ。正論だと言うことは分かっているけれど、今すぐにこの部屋を飛び出して仕方ない。
目が覚めてからずっと、なまえに会っていないのだ。
どうして彼女が会いに来ないのか、それを確かめたい。
人殺しの彼女は、面倒になってジャンのことを捨てたのだという母親やフレイヤの言葉が、耳からすり抜けているわけではない。
信じたくない、という気持ちもある。でも、信じられないという気持ちの方が強いのだ。
「本来ならば、すぐに見舞いに来なければならなかったのに、遅くなってすまなかった。
ずっと、気になってはいたんだが…。」
リコは申し訳なさそうに頭を下げた後、そこまで言うと、その先を言い淀む。
なんとなく、リコは真っ直ぐな正義を持っているような印象がある。
だから、言おうとしたのは、その正義に反することなのだろうことが想像出来た。
気にはなるが、言いたくないのなら言わなくてもいい———そう思っていると、少し待って、リコが続けた。
「私が見舞いに行くことで、ジャンが刺された事件に
駐屯兵団が関わっていると思われることを嫌った上司が、どうしても許してくれなかった。
…悪かった。それでも、私はきちんと謝らなければならなかったのに。」
本当に、すまなかった————。
リコは、スッと立ち上がると、こちらが恐縮してしまうほどに深く頭を下げた。
駐屯兵団の幹部に所属する精鋭班の班長である彼女が、被害者に頭を下げる。それはつまり、加害者の関係者だと認めることに繋がってしまう。
本当に申し訳なさそうに思っている様子のリコを見て、彼女の上司がコレを嫌ったのだということがよくわかった。
「あの人。元、駐屯兵の方だったらしいですね。」
敢えて、元を強調するように言った。
嫌味のつもりはなかったが、リコにはそう聞こえたのかもしれない。
頭を下げていたリコの方がビクリと震えるように揺れた。
「本当に、すまない…。」
「それは、何を謝ってるんですか?」
それは、素直な疑問だった。
あの日、確かに、ジャンが刺された現場にリコはいた。
刺される直前まで話していたのがリコだったから、助けられなかった責任を感じることに対して、不思議だとは思わない。責任感の強そうなリコなら尚更だ。
でも、今、目の前で深く頭を下げているリコは、もっと別のところを謝っているように見える。
「————すべて、だ。」
しばらく間を置いた後、リコは、頭を下げたままで、絞り出すように言った。
「すべて?」
「ジャンを刺したリヴ・ハーンは、元駐屯兵ということになっているが、
あの時、少なくとも私は、彼女は休職扱いでまだ駐屯兵団に所属していたと把握している。
同じ兵団に所属する駐屯兵として、彼女の変化に気づき、事件を阻止することが出来なかったことを
心から申し訳なく思っている。」
そういうことか———納得すると同時に、拍子抜けした。
何かもっと事件の奥深いところを知っているような気がしていた。
兵団というのは、清く正しい兵士達が集まっている組織だと思ったら大間違いだ、ということを、訓練兵時代に学んでいる。
縦社会の兵団組織は、まるでトカゲのしっぽを切るように、自分達の得にならないと判断した兵士をいとも容易く捨てていく。
汚いものを、あまりにも多く見過ぎたのかもしれない。
自分が刺された事件から駐屯兵団が責任逃れをしたのだと知っても、今回も今までと似たようなことが起きたのだなと思っただけで、それ以外に何も感じなかった。
「いいですよ、そんなこと。 俺は生きてるし。
そうじゃなくてもいつ壁外で死んでもおかしくねぇ兵団に所属してるんですから。
まぁ・・・死ぬのかなって思った時に、壁内で死ぬのかってなんか虚しい気持ちにはなりましたけど。」
「すまない…。」
下げた頭は上がらないまま、絞り出すように謝るリコの声を聞いて、余計なことを言ってしまったと自覚した。
責めるつもりはなかったのだ。
ただ、思っていることが口をついて出てしまうのが、昔からの悪い癖だ。
「とにかく、俺は駐屯兵団に対して何も思ってないですから、顔を上げてください。」
取り繕うような早口になってしまったけれど、もう頭を上げてほしいと思っているのは本当だ。
謝られるのは、慣れていない。
「まだ…、ある。」
リコは、頭を上げてはくれなかった。
震える声で、さらに続ける。
「まだ?」
「リブ・ハーンは、私の友人だ。」
あまり驚かなかった。
歳も近そうだし、同じ兵団に所属していれば、自然と同僚から友人関係になるのはよくあることだ。
ジャンにも身に覚えがある。
「彼女を庇うわけではないし、彼女がしたことは間違っている。人として許されないことをした。
でも…本来の彼女は、明るくて、とても優しい…美しい女性だったんだ。」
「そう、なんですか。」
正直言うと、あの事件の日の記憶は、曖昧になっていた。
恐ろしい記憶に怯えることを心が拒んでいるのかもしれない。
だから、加害者であるリブ・ハーンのことを話されても、彼女の印象もあまり覚えていなくて何と反応すればいいのか分からない。
どんな理由があるにしろ、無防備な人間を刺した女を〝優しい〟とは思えないのが素直な気持ちだけれど、友人であるリコが、全く別の印象を語ったところで、何も思わない。
リブ・ハーンは精神を病んでいたらしいし、今は然るべきところで、相応の罪を償うべく収容されていると聞いている。
ジャンからすれば、それだけで十分だった。
これ以上、リブ・ハーンを憎み、怒り、懺悔を願うこともない。
でも、リコはそうは思っていないのかもしれない。
いや、誰かに自分の罪を懺悔したかったのだろう。
震える声で、続けるのだ。
「ちゃんと、そばで支えてやっていれば、こんなことにならなかったかもしれないのに…、
あの日のことを、思い出すのが嫌で…彼女から逃げてしまったから…。
彼女にはもう…、私しか、いなかったのに…。」
リコが続けたそれに、ジャンの心臓がドクンと大きく鳴る。
暴露されたリコの罪に対して、怒りが湧いたわけではない。
リコが今、言ったそれこそが、ジャンが知りたくて仕方のないことと繋がっている———そう思ったからだ。
「あの日って、何ですか…!?
それは、なまえさんが人殺しだって言われてるのと関係あるんですか…!!」
無意識に、声が大きくなっていた。
今、ここに母親とフレイヤがいなくて本当に良かったと心から思う。
「それは…、」
「知ってるなら、教えてください!!」
言い淀むような声が、相変わらず下げられた頭の向こうに聞こえたけれど、許してやることは出来なかった。
リコの腕を力任せに掴み、叫ぶように懇願する。
深く頭を下げたまま、ピクリとも動かなくなってしまったリコから返事はない。
今、リコの腕には、強く掴まれた手からジリジリとした痛みが走っているのかもしれない。
でも、ジャンの心も、目を覚ました日からずっと、ジリジリと焼けつくような痛みが続いている。
それは今、ついに小さな発火を起こした。
痛みも、焦りも、知りたいという欲求も、もう、止まらない。
「あの日…、」
リコが、ゆっくりと顔を上げた。
「トロスト区に巨人が襲来したあの日が、すべての始まりだった…。」
ゴクリ——生唾をのみ込む音が、頭の奥から聞こえた気がした。