幸せ


ナルトは立ち尽くしていた。
ほんの数秒の間に表情が目まぐるしく変わる。
驚いて眼を見開き、それを凝視し、その者の名前を呼んだ。
そこに肉体があるようでない、不鮮明なようで鮮明な姿。

「ネジ……お前……」





◇◇◇


そこにいるはずのない者がそこにいるのに慣れてきた頃。
まさか成仏できてないのだろうか、という考えに至る。

「なあ、お前の好きなもんってなに? 一緒に食べに行こうぜ!」

ナルトはネジにニカっと笑ってみせると、腹を軽く撫でるようにしてお腹が空いた事を告げる。
どうすれば成仏してくれるのか分からないのでナルトはとりあえずネジに好物を食べさせようとした。
ネジは腕を前で組み考えるような仕草を取る。

「好きな物はにしんそばなんだが……オレはそれよりも……。ああ、お前は腹が減っているんだろう? お前の食べたい物に合わせるぞ」

ナルトは肩をガクッと落とすしかなかった。

「いやさぁ、せっかくだしよ、お前の食べたいもん食べようぜ! な?」

「オレは……、いや、やっぱりなんでもない。 いいから早く一楽に行くんだろう?」

ネジは何かを言い掛けて、言葉を飲み込んだ。
ネジの胸中ではナルトとならどんな物でも美味いということだ。
ナルトは頭をガシガシと掻いてみせて、ハアと大きな溜息をついた。

「お前ってば頑固なの変わんねーよな。 本当に一楽でいいのか?」

「ああ」

生前のネジと食事を共にしたことは数える程しかないが、ナルトは久し振りに隣で自分と同じラーメンを啜るネジを見て懐かしい気持ちに浸る。

(ネジってば、意外とラーメンも好きなんかな……。本当にスゲー、意外だけど)

暫くして二人は腹一杯になり、一楽を出た。

「なあ、なんかやりたいこととかねえの?」

ナルトはネジのやりたいことに、とことん付き合ってやろうと思うのだった。

(何考えてるのか分からないヤツだけど、コイツには感謝することがいっぱいあるからな……)


────ナルトはいつしか追い抜いてしまった身長ゆえに上から見下ろす形でネジの言葉を待った。

「いや、特にないな」

ナルトの眉と目元がピクリと動く。

「本当にか……?」

「ああ、ない」

「じゃー、言うけどよ。なんでお前ってば成仏してねえんだ?」

ナルトの単刀直入な質問にネジは硬直した。
無表情だった顔を険しい顔にしてネジも口を開いた。

「オレがいては何かまずいのか?」

ナルトは、ああダメだ、と一旦言い返す事をやめて心を落ち着けるために眼を閉じた。
このまま口論にでもなるのは嫌だ。
ネジを良い気分で成仏させてやんだろ、ここで言い返すのはダメだとナルトは冷静を務める。
小さく息を吐いてから、ナルトは先程よりは幾らか穏やかに、しかし真剣な表情になる。

「オレはお前に安らかに変えるべきところに帰ってほしいんだ。そのために何ができんのかなって思ったんだよ」

先程とは打って変わり、穏やかな表情で諭すようなナルトにネジは、少しだけ自分を恥じる。
そして迷った。

しかしナルトの思いを叶えるにはこれを言う他ない。

「ナルト、すまなかったな。お前の思いに気付けずにいた。オレの願いはここでは言えない事だから場所を変えてほしい」

そう、ここは街中。
先程一楽を出たばかりであったのを思い出す。

「分かった。オレん家でもいいか?」

「ああ、助かる」



◇◇◇

ナルトの家に入ると、ネジの心には急激に懐かしさが溢れ出してきた。
この部屋の狭さも、この部屋の匂いと、ローテーブルとシングルベッド。
相変わらずキッチンテーブルに置いてあるいくつかのカップラーメン。
窓辺から射す夕日が眩しくて、そして感傷に浸らせてくれた。
ネジはゴクリと覚悟の唾を飲み込み、ナルトの名前を呼んだ。
急かさず、ネジから言ってくれるのを待っていたナルトはようやくか、ネジに向き直った。

「大丈夫か、お前? 顔赤くね?」

ネジの白い顔は、真っ赤に染まっていた。
これより、ずっとずっと抑えてきた言葉を告げようとしているのだからネジは、当たり前だろうと叫びたくなる。

それも言えないのだが。

「大丈夫だ……。 これからオレが何を言っても引くなよ」

「え? うん」

「強く、抱いてほしい。それから……! 口付けをしてくれれば嬉しい……!」

ネジは早口で捲し立てるかのように願いを告げた。

「え?」

ナルトは言葉の意味を理解するのに、頭を一度真っ白にしてしまった気がした。
そうしてようやく真っ白になった頭が言葉の意味を理解できたのだった。





(今日一日、本当は楽しかったんだ。苦手だと思ってたネジだけど、やっぱりコイツは仲間だし、たまによく分かんねえところも、久し振りに会うと面白いって思えたし……。 久し振りに声を聴けたのも、動く表情を見れた事もスゲー嬉しかったんだよな、オレってば……)

ここまでの出来事をなんともなしに振り返ると、ナルトの心に急激にネジへの懐かしさと恋しさが押し寄せてきたのだった。

ナルトは少しの希望と願望を込めて口を開いた。

「抱き締めてキスすれば、お前は消えなくて済んだりしないか……?」

なんてな、と言いたかったがやめた。

「成仏出来ないだろうな……」

ネジは笑いながらそう言った。
本当は自分を思ってそう言ってくれただけだとナルトは知っていた。
しかし、その言葉を鵜呑みするかのようにナルトはネジの体を掻き抱いて唇を奪った。

(嘘に決まっているだろう、そんなことされたら嬉しさで消えてしまう。ナルトは相変わらずバカだ……)

ナルトの真意を知ってか知らずか、ネジは心の中でぼやく。



触れたネジの唇は熱くて柔らかくて生々しいのが、とても嬉しかった。
長い髪を掻き分けて、そこから腕を通して背中を包むように抱く。
仲間を消したくない、もう二度とあんな寂しい思いをするのはごめんだ。
目の前に現れた仲間に、蘇ったネジへの思いが、とめどなく溢れ出してきてナルトはたまらなかった。

ネジはナルトの思いを受け入れるかのように、ナルトの首に腕を回した。
そして白い手のひらでナルトの後ろ髪に触れた。
金髪を撫でるようにして感触を確かめる。
ナルトもつられて、ネジの黒髪に触れた。


男のくせに長ったらしいこの髪が揺れる姿を、もう見れなくなるのだ。

生前のネジの、長い髪を風に揺らして歩く何気ない姿や、長い髪を振り乱して戦う姿がナルトの頭の中を支配する。







◇◇◇



(────消えたくない……!)

やがてナルトのとめどなく溢れる想いが、ついにネジの自制心を壊して、突き動かしてしまった。
ネジは、腕をナルトの首から解くと、力を込めてナルトの体から抜け出した。

「ッ、ネジ……?」

「……消えたくないって思ってしまったんだよ。このままこんなことされ続けていたら、オレは……、消えてしまう……」

ナルトは、はっとして気付く。
なぜネジは消えるなどと思っていたのだろうか。

あの時、ネジをここに置いておきたいって言ったじゃねーか……。
いつからココにネジを置いておくことを忘れてたんだ?

確かに姿そのものは消えてしまう。
だが、どちらとも、そうして事実から目を背けて都合の良い夢に逃げるわけにはいかない。


ネジは帰らなければいけない。


ナルトは己から距離を取ろうとするネジの体を捕まえようとした。
再び抱き締めて唇を重ねようとするために。


「なぜお前はオレを消そうとするんだ……!?」

ナルトはトンと、自身の胸を叩いてみせた。
真剣な顔から一変し、快活な笑顔になる。

「お前には帰るべき場所があんだろ。それに、オレの此処もお前が帰る場所だ!」




抵抗を止めたネジの体をナルトは再び、強く抱き締めて、僅かに噛み締める唇に己の唇を重ねた。

「んっ……」

舌を取られてネジはくぐもった声を洩らした。
体が消えかかっていくのを実感したが、もうネジは後悔も怖さもなかった。あるのはただ満たされた心だけ。

『こんなに幸せでいいんだろうか』などと問えばナルトに軽く怒られながら、『いいに決まってんだろ!』と、でも言われそうだ。
唇を塞がれて言えない分、ネジはおもしろおかしさに胸の中で笑った。

なぜ唇を塞がれてこんなに嬉しいのか、きっと昔のネジならば理屈的に考えれば理解しがたいことだ。
しかし理屈を超えてナルトのことを好きになってしまって死んだネジが、そんなことを考えるのは不毛なのだ。

体が消えかかる。

ナルトはその最後の瞬間まで離す気などない。
だが、せめてこれだけは絶対に言わなくてはいけない。
ネジはナルトの胸を叩いて唇を離すように訴えた。

「……はあっ……」

離れたところから銀の糸が引いた。
口元に落ちたそれをネジは指で拭う。
そして呼吸を整えてから、ふっ、と口角を上げるのみの、いつもの控えめな微笑みに変わる。



ナルトに救われるまで自分の運命はなんて不幸なのだろうか、このまま籠の中で死を待つのみの定められた人生だとしかネジには思えなかった。
だが決してネジは不幸なんかじゃなかった。

(なぜなら……ナルト、お前にオレは……!)

胸に熱いものが込み上げてきて、柔く微笑むネジの淡く白い瞳がナルトを映したまま僅かに潤む。
目の前の青い瞳は、ただじっとそれを見守った。


「お前が……、オレに、運命に囚われることの無い、自由な生き方を示してくれた…だからオレは、幸せな人生を全うできたつもりだ……」

「お前に出会えて良かったよ。……お前に出会えた事こそがオレの幸せだったんだ……!」

込み上げてきた言葉が口を突いて出た。
否。それこそ、生きていた頃から只々ずっと言いたかったんだ。


(……どうか、お前の未来が、これからも幸せであるように。そう願うよ。ナルト……)





◇◇◇


あの時、自分を庇って倒れかけたネジは、己の腕の中で体を支えられて肩に凭れていた。
それで逆を向いていたネジの最期の表情を見ることができなかった。
だが、きっとあの時のネジもこのような表情をしていたのだろうと、ナルトは消えかかるネジの微笑んだ顔から目が離せなかった。

ナルトは腕の中できらきらと輝き、天に昇る光をずっと眺めていた。




THE END




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