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序章


「やぁニゲラ、もしかしてまた姫にフラれた?」

わいわいと騒がしい城下町の酒場で、傭兵たちに囲まれている身奇麗な男がひとり。こんな厳しい男たちの中にいては、まるでお前の方が姫だが――喉元まで出かかった台詞を飲み込んで、代わりにため息を吐いた。

「あーあ、旦那のお出ましかぁ。もうちょっとでデュッツに一泡吹かせられたってのによぉ」
「はは、僕に一度でも勝てたことあったっけ?」
「次は勝ってたに決まってるだろ!」

どうやらポーカーでもしていたらしい。デュッツと呼ばれた男がテーブルに放ったカードはストレート。僅かなどよめきと、悔しそうな声が上がった。
目を瞠るような手ではないが、それでもこの無粋な男たちを静かにするにはいいカードだろう。強すぎず、弱すぎず。上手くコントロールしている。
事実、彼のカードの強さはこんなものではないことをニゲラは知っている。

「デュッツ、帰るぞ」
「はいはい。じゃあ皆楽しんで。また色々聞かせてよ」

「僕の奢り」と言って、すぐ横を通ったウエイターに金を握らせる。恐らく今夜一晩中飲み食いできるほどの額ではあるのだろうが、慣れているのかウエイターはそれほど驚くことはなかった。
酒場の橙の光がデュッツの銀髪を温かく染め上げる。粗雑で騒がしいこの場に似合わない上品な顔立ちは、どこぞの貴族と言われた方が納得がいく。
デュッツ・ロウクワットはニゲラの幼馴染である。腐れ縁で、所属は違うが仕事仲間のようなものだ。酒場にいるのにも関わらず酒には手を出さない。どこか幼く、儚さすら覚える見た目に反して肝の据わった男だ。剣の腕はいいが、戦いにおいては邪道を走る乱暴者で、知恵者でもある。
長く一緒にいるが、ニゲラがデュッツについて知っていることはそれほど多くない。
二人は早々に酒場を出る。空気の籠った場所にいたからか、夜風が火照った頬に心地良い。

「さて、ニゲラ・コランバイン。僕になにか話があるんじゃない?」
「……」
「お前のことだ。その足りない頭で考えて、結局答えが出なかったんだろう。だから僕に知恵を借りに来た」
「馬鹿にするな……いや、いい。姫様が、妙なことを言うんだ」
「妙なこと?」
「聖女の力が弱まっていると」

デュッツはその言葉に思わず眉を寄せる。どう考えても国家機密である。そうそう漏らしていい話ではない。慌てて周囲を見回すが、深夜に近い時間帯なだけあって、人の通りはない。デュッツは手近な段差を見付けるとひょいとそこに飛び乗った。頭一つ分くらい離れていた身長が対等になる。その様子をぼうっと見守るニゲラの頭に、デュッツは思い切りゲンコツを落とした。
完全な不意打ちに、ニゲラは脳天を抑えて蹲る。

「何をする!」
「馬鹿は黙ってろ! まじで! 黙ってろ!」
「お前が聞いてきたんだろうが!」
「だからってここでド正直に話す内容じゃないっつってんだよ!」

聖女の力が弱まっている。
そんな話がもし外部に漏れればとんでもない事態になる。ネメルミスアは神樹と聖女の国だ。密かに敵対しようと企んでいる外国のスパイや戦争屋なんかが耳にすれば、攻め込まれるきっかけになるだろう。

「お・前・は! 何・年! 姫・の・護・衛・を! し・て・い・る・ん・だ!」

嫌味ったらしく一字一字区切って皮肉ってやる。多分その顔もかなり腹の立つものになっているはずだ。ニゲラの表情が渋くなっている。
けれどそこは鳥頭ニゲラ。姫の護衛という言葉に何かを思い出したらしく「そういえば」と脈絡なく話題を変えた。ふたりは喧嘩友達でもあるのだが、時折こういうことがある。同レベルの喧嘩にもならないのは、ひとえにニゲラが深く考えるタチではないせいである。

「お前僕の話聞いてた?」
「特務部隊が動かされるらしい」
「いやお前それも未発表なんだから余裕で機密事項だろ。何でそんなに口が軽いんだ」
「相手がお前なら別に構わないだろう?」

不思議そうに首を傾げてそんな事を言う。デュッツは馬鹿らしくなって「そうだな」と呆れた声で答えた。確かに、ニゲラがデュッツ以外に機密を漏らしたことはない。
その詳細について話し出したのは、ニゲラではなくデュッツであった。

「因みにその特務部隊だけど、どうやらバベルから人が派遣されるらしい」
「やはり知ってたか。いや、というか俺はそんな話は聞いてないが」
「僕の情報網だぞ。間違ってるわけがない」
「その自信は一体どこからくるんだ……」

デュッツは得意げに笑う。どうせ編成されるのだ。発表前ではあるが、近いうちに公表される情報でもある。

「派遣される奴はニゲラよりひとつ年下、今年22歳の男」
「へぇ、若いな」
「侮るなかれ。あの高い塔の主、アキメネス老が直々に名前を与えた男だ」
「孫なのか?」
「バッカ、そんな訳あるか。アキメネス老は独り身だぞ。つまり、自身の後継と認める程の力の持ち主ってことだよ」

高い塔――バベルの塔で若くもその才能を見出された天才が、やって来る。

「で、そいつの名前は?」
「伝説の魔法使いにあやかった名前を貰ったそうだ。ええと確か、」
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