序章
静寂の中で本をめくる音だけが響く。揺らめくろうそくの火がジジと音を立てて、終わりが近い事を告げた。
ようやく顔を上げた彼女は美しく、まだ少女と呼んでも差し支えないような風貌をしている。それでも今年二十歳となるのだから驚きだ。
随分と読み耽ってしまっていたらしい。凝り固まった肩を軽く揉みほぐしながら立ち上がった。外は既に暗くなっている。
いくら読んでも、どれほどの蔵書を手に入れようと、彼女の望む答えはない。小さくため息を吐くと、髪と顔を覆い隠すためのヴェールを被った。そのまま真っ白なドレスを翻して部屋を出る。
少し先にある簡素な扉を開けば、溢れ出る眩い光に思わず目を細めた。
まるで陽光。もう夜のさなかだというのに、そこはいつでも昼間のように明るい。
この空間の中央に腰を据える神樹の影響である。
その神樹の樹液はあらゆる傷や病を癒し、また、大きく広げられた枝葉が指し示す先は、守護の力によって守られるのだという。
聖女はその力を分け与えられた存在だった。樹液の代わりとなる血には癒しの力が宿り、その指先が触れたものは守護の力によって守られる。
もっとも、神話の時代では聖女の役割が少しばかり違っていたようなのだが、本で読んだだけなので詳細は分からない。
そんな神樹も、ある出来事によって五百年ほど前に一度力を失ってしまった。今は力を取り戻している最中なのだが、それでは彼女の願いには間に合わない。早く力を取り戻してもらわねば、彼女――この国ネメルミスアの姫であり、聖女と呼ばれるローウェル・エルムの切なる願いは叶えられないのだから。
「姫様」
「ニゲラ、」
呼ばれて振り返る。ローウェルの護衛騎士のひとりだ。ニゲラと呼ばれた彼は、真っ黒の髪に真っ黒の瞳をした、そうそう見ない美丈夫である。
「マグノリア女王陛下がお呼びです」
「そう、今行くわ」
ローウェルはそっと神樹から離れると、入口から動こうとしないニゲラへと歩み寄った。神樹の間が閉められる直前、誰かが笑うような声がする。ハッとして振り返るも、神樹はただ黙ってそこに鎮座するだけだった。