刹那/菊田
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社員旅行当日。律は社員達と共に交通機関を乗り継ぎ、登別へ向かう特急列車へと乗り込んだ。穏やかな晴れの日に当たって良かったと、隣の座席に座るインカラマッと話している。
「今の登別は新緑の季節ですね。」
「前回は冬だったもんね・・・強行突破しすぎたね。」
「でもその分、温泉が有り難かったじゃないですか。」
「それは確かに。」
律とインカラマッが笑いながら話していると、前の座席から有古がひょっこりと顔を覗かせた。
「律さん・・・申し訳ないんですけど、席を代わって貰えませんか。」
律とインカラマッは一度首を傾げたが、前の座席を見て納得する。二人掛けの座席に並んで座る有古と菊田は、二人とも体格が良い為にぎちぎちに詰まっているようだった。
「確かに可哀想。」
「ですね。」
律とインカラマッはくつくつと笑う。恥ずかしそうに眉を下げる有古を不憫に思い、律は席を代わってやった。
「俺が隣で悪いな。」
「全然。」
笑って言う菊田に、律も笑いながら答えて隣へと腰掛ける。列車に乗る直前に吸ってきたのだろう、煙草の香りが鼻を掠めた。
「窓際に座るか?」
「いえ、こっちで大丈夫です。菊田さんが通路側が良ければ代わりますよ。」
「いや、こっちでいい。」
律と菊田は他愛もない話をする。静かなトーンで交わされる、ゆっくりとした会話は心地良い。しかし半面、普段よりも近いその距離に、二人の心はそわそわと落ち着かない。
「そういや、今回の宿は佐倉が決めたんだって?」
「そうなんです。せっかくなら秘湯にと鶴見部長が言うので、カルルス温泉に決めました。」
鶴見に頼まれネットで宿を探していた律は、その宿のページから目が離せなかった。明治時代から続くと言うその宿は、正にモダンな佇まいでセンスが良い。完全に直感だが、律は何故だかここしかないと思ったのだった。
「楽しみだな。」
「完全に私の趣味ですけど。」
宿を決めた成り行きを聞き、菊田は顔を綻ばせる。和洋折衷、レトロモダンな宿の装いについて嬉しそうに語る律に、菊田は興味深そうに相槌を打った。どちらかと言えば、興味深いのは好きな物について語る彼女の方なのだがと内心思いながら。
「そろそろ腹減ったな。着いたら昼飯・・・」
会話も落ち着き少しの間無言で過ごしていたが、ふと菊田が隣を見ると、いつの間にか律は眠っていた。ゆらゆらと不安定な彼女の頭を、そっと自身の肩にもたれさせる。寝心地が良くなったのか、もぞもぞとこちらに身体を向けて擦り寄る律に、菊田は一瞬呼吸を忘れた。自分でそう仕向けたものの、些か心臓に良くない。
菊田は小さく溜息を吐くと、窓の外を見て落ち着かない心をやり過ごした。
———心地よい体温に、煙草混じりの優しい香り。
この体温と香りを知っている。そう思う律は懐かしさを覚え、それらを目一杯に感じようとする。どうしようもなく大切なあの人を、もっと近くに感じようと。それはこれ以上ない幸福感をもたらすが、しかし同時に、胸の締め付けられる様な感覚を伴った。———
「佐倉、もう着くぞ。」
低く優しい声に、律は瞼を持ち上げる。暫くぼぉっとしていたが、自分が菊田の肩にもたれていた事に気づくと、急いで姿勢を正し座り直した。
「すみませんでした・・・。」
「いいや。」
身体を縮こまらせる律に、菊田は微笑む。その柔らかく細められた目に、律は何故だか少し胸が苦しくなった。先程見ていた夢は一体何だったのだろう。朧げにしか覚えていないが、"あの人"と菊田が重なる様で、律はつい目を逸らした。