刹那/菊田
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「律くんとは好い仲なのかな?」
場所は礼拝堂。
刺青人皮の暗号が解けた。鶴見がそう言い、周囲が浮き立ったのも束の間。菊田は鶴見によって、弾丸を腹部に二発撃ち込まれた。
あぁ、中央の諜報員であることがバレたか。菊田は熱く焼けるような弾創を押さえながら、意外にもすんなりと現実を受け入れていた。正直中央なんざどうでもいい。ただ暴走している鶴見の事は、誰かが止めなければならないと思っていた。しかしノラ坊と再会した今、その役目はきっと彼が果たしてくれるだろうと、菊田はなんて他人任せなとは思いつつも確信めいたものを感じている。
唯一つ、心残りがあるとすれば。頭に浮かんでいた女の名前を鶴見が口にしたことに、菊田は動揺を隠せなかった。
「・・・彼女は何も知りませんよ。」
「そうだろうな。」
二人の関係まで見抜かれていたのかと、菊田は奥歯を噛み締める。
「眠っている時、菊田特務曹長の名前を呼んでいたよ。」
「っ」
「その前から薄々思ってはいたがね。」
一瞬目を見開いた菊田だったが、やがてゆっくりと目を伏せると、それは穏やかな表情で笑った。初めて見るような菊田のその表情に、鯉登と月島は息を呑む。二人の関係に気づいていた鯉登も、二人の関係に驚く月島も、心臓を鷲掴まれた様な感覚に陥った。
———礼拝堂への扉は少し開いていた。隙間から中を覗いた律の顔から、一気に血の気が引いていく。
「律の事は頼みましたよ。」
今、菊田は何と言ったのだろうか。微かに笑いながら自身の頭に銃を突きつける菊田の姿に、律は目を見開いた。次に菊田に向けて小銃を構えようとする月島をその目に捉えると、律は考えるよりも先に走り出していた。
「杢太郎さん・・・!」
律の悲痛な叫び声と同時にドン、と音がして、彼女の身体が前のめりになる。小銃を構えていた月島の表情は強張り、その顔面からは血の気が引いてゆく。
自身の胸に
「おい、嘘だろ。何で・・・」
「勝手に、人の事をっ、頼まないでください・・・!」
律の腹部からはどくどくと血が流れている。律は眉間に皺を寄せ、額に汗を滲ませながら、初めて菊田に対して声を荒げた。悲痛に歪む彼女の瞳からは、ぼろぼろと涙が溢れている。
なんて美しい涙なのだろうと菊田は場違いな事を思いながら、震える手で律の頬に触れた。
「・・・悪い。」
「許しません。」
絞り出す様な声で言う菊田に、律はふと眉を下げ微笑んだ。菊田はその様子にいつかの彼女を思い出す。猫だと言われた腹いせに、自分を揶揄った彼女の事を。菊田はかつての優しい時間に思いを馳せ、つい目を細めた。しかし次の瞬間、律は咳き込み、どす黒い血を吐き出した。そのまま菊田の胸元へと寄り掛かる律は、苦しそうに、しかし幸せそうに笑う。
「律、なぁ、勘弁してくれよ。おい・・・!」
菊田は朦朧とする律を引き寄せると、力一杯抱き締めた。
周りにいる兵士達は呆然と二人を見ている。月島と鯉登も動揺を隠せず、ただ目を見開き、立ち尽くすしかできないでいた。ただ鶴見だけは静かに二人を見下ろし、その表情から感情を読むことはできない。
「杢太郎さん、好きよ。」
律は菊田の頬に手を伸ばすと、人目も憚らず、その唇に自身の唇を寄せる。菊田は頬に添えられた律の手を取ると、しっかりと握り締めた。
「俺もだよ。」
顔を歪めて言った菊田は、もう一度彼女を抱き締める。こんな結末なら、出会わない方が良かったのだろうか。そう思う半面、彼女と出会わなかった世界線など、最早考えたくもない。なんて身勝手なのだろうかと、菊田は自身を嘲り、目を伏せた。
「悪い、俺のせいだ。」
冷たくなってゆく律を懸命に抱き寄せ温めながら、菊田は言う。その微かに震えている声に、きっと泣いているのだと律は思った。
「貴方の居ないこの時代に、私の居場所は無いの。」
どうせなら泣き顔を見てやろうと顔を上げた律は、思ったよりも情けなく歪んでいる菊田の顔に口元を緩めた。彼の瞳から溢れ落ちる温かい雫が、律の頬を優しく濡らす。
「貴方に出会えて良かった。」
そう言って微笑む律の身体が、薄らと透けていることに菊田は気づいた。あぁ、帰るのか、と菊田は思う。元の時代に帰って、弾創など無かったことになってくれ。菊田は必死にそう願った。
「来世でまた会えたら、一緒になってくれるか?」
菊田は自身の胸元に頭を預け、息も絶え絶えの律に聞く。
「当たり前です。」
辛うじて、しかし嬉しそうに目を覚めて答えた律の頭を引き寄せながら、菊田は愛おしそうに笑った。
「待っててくれ。」
低く優しい菊田の声が聞こえた後、律の身体は突然の浮遊感に見舞われた。遠のく意識の向こうで、一つ銃声が聞こえた気がした———。
*
律は気づくと、登別の宿に居た。友人と取っていた部屋の畳に座り込み、身体の節々は強張っている。いつの間に眠ってしまっていたのだろうかと、律は首を傾げた。立ち上がろうと畳に手をつくと、何かが指先に触れる。
「何これ・・・。」
友人の物かとも思いながら、律は黒い小さな巾着を開けた。紅い菊の花のあしらわれた陶器の器に、また一つ首を傾げる。
「口紅・・・?」
どう見てもこの時代の物ではないそれは、しかし何故か大切な物のような気がする。律が紅い菊を眺めていると、部屋の扉が開いた。
「律ちゃん、散策しましょ・・・泣いてるんですか?」
「え・・・。」
インカラマッに言われて、律は初めて自分の目から涙が流れていることに気づいた。
「なんか夢を見てた気がする。」
「夢ですか。」
不思議そうに涙を拭う律は、まだ夢の延長にいるようで。どこかぼんやりとしている律に、インカラマッは首を傾げた。
「あ、これインカラマッの?」
差し出された律の掌に乗る陶器の器に、インカラマッは首を横に振る。
「覚えが無いんですか?」
「んー、大切な物な気はするんだけど・・・。」
「じゃあ、大切に持っておくといいですよ。」
「それも占い?」
「そんな気がするだけです。」
「何それ。」
ふふっと笑うと、律は紅を丁寧に鞄に仕舞い、インカラマッと共に部屋を出た。