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「お互い忙しいだろ。」
同棲している恋人、菊田の今年の誕生日は平日だった。しかも火曜と、週の始まりの方。律も菊田も仕事が忙しく、当日は休みが取れなかった。
折角の誕生日なのにと目を伏せる律の頭に手を置くと、菊田は「ありがとな」と頬を緩ませた。
「菊田さん、確認お願いします。」
菊田の誕生日当日。律はいつも通り出勤している。職場の上司でもある菊田に、書類の確認を頼みに来た。
「おぅ。」
菊田はにこりと笑うと作業の手を止め、受け取った書類に目を通し始める。律は自分のデスクに戻ると、パソコンと向き合った。
同じベッドで目覚めた今朝一番に、律は菊田に「おめでとう」と伝えた。柔らかく笑って抱き締められたその時間は、ほんの束の間。ひやりとした空気に菊田の体温が心地良く、布団から出るのが惜しかった。
本当は旅行にでも行ってちゃんと祝いたかったと、律は小さくため息をついた。
昼休み、菊田は杉元と共に社員食堂に居た。律はそこから少し離れた席で、インカラマッと共にランチを取っている。
「菊田さん誕生日っすよね!」
食事を終え喫煙所に向かう菊田を杉元が呼び止めた。
「はいこれ。」
屈託のない笑顔で杉元が手渡したのは、菊田が好んで吸っている銘柄の煙草だった。
「おぉ、ありがとな。」
よく覚えてたなと杉元の頭をわしゃわしゃ撫でる菊田は、嬉しそうに目を細めている。
「複雑な表情ですね。」
つい菊田の方を眺めていた律は、インカラマッの声にはっとした。
「どんな表情してた?」
「微笑みつつも、憂いを帯びてました。」
目尻を下げて言うインカラマッは、律の心情などお見通しなのだろう。
律は眉を下げ笑うと、「当たり」と肩を上げて見せた。
食事を終えてインカラマッと別れた律は、オフィスに戻るためエレベーターに乗り込む。誰も乗って来ないことを確認し、扉を閉めようとボタンを押す。すると閉まろうとしていた扉から、ぎりぎりのところで滑り込んで来た人物に驚いた。
「セーフ。」
「・・・アウト。挟まれてたけど。」
一度扉にしっかり挟まれた菊田に、律は可笑しそうに笑う。
「いてて・・・このエレベーター、容赦ないな。安全機能どうなってんだ。」
「勢いすごかったね。大丈夫?」
心配しつつも笑いの止まらない律の頬に手を伸ばすと、菊田は彼女の顔を上に向かせ、ちゅ、と触れるだけのキスを落とした。
目を丸くした律は、愛おしそうに微笑む菊田と目が合った。惜しみなく愛を含ませたその視線に、律は顔に熱が集まるのを感じる。いつまで経ってもこうやって、この人は心を揺さぶってくる。付き合うようになって、間もないわけでもないと言うのに。
律がつい目を逸らすと、頭上からふっと笑い漏れた息が聞こえた。
エレベーターが目的のフロアに到達したらしく、ポーンと柔らかい音が鳴った。
「あーぁ、早く終わらねぇかなー。」
エレベーターを降りながら言う菊田は、先ほど挟まれた肩の辺りをさすっている。目的地の同じ律も、菊田の後に続く。
「大丈夫?」
周囲に聞こえないよう声を抑えて言う律に、菊田は振り返り、悪戯っぽく口角を上げた。
「お陰様で。」
自らの手の甲を唇に押し当てて見せる菊田に、律は呆れなのか羞恥なのか、両方がない混ぜになった様な表情で眉間に皺を寄せる。
軽く睨まれた菊田は寧ろ愉しそうに笑うと、自分のデスクへ戻って行った。
「菊田ニシパ、何かしましたね。」
昼休みが終わり、菊田の元へ書類を持って来たインカラマッが囁いた。
菊田が顔を上げると、インカラマッは含みのある目をして笑っている。そして菊田の視線を促すように、デスクに居る律をちらりと見た。
一見普段と変わらずにパソコンに向かう律だが、ふと目を伏せると、軽く握った手を口元に寄せている。
「駄目ですよ。」
菊田はインカラマッの言っている意味を理解した。憂いを帯び、どこか色っぽい律の様子に危機感が生まれる。
気まずい表情を見せる菊田に、インカラマッは呆れながらも愉し気な微笑みを残し、自分のデスクへ戻って行った。
「同じ職場っつぅのは拷問だな・・・。」
良い面もあるけれどと、菊田はちらりと律に目をやり、誰にも聞こえない声で呟いた。
"先に帰っててくれ"
定時をとうに過ぎた頃、菊田は律にメッセージを送った。暫く残業していた律もそろそろ帰れる頃だろうと視線を向ければ、丁度ひと段落したようで伸びをしているところだった。彼女は明るくなった画面に気づきスマートフォンを手に取ると、ちらりとこちらを見た。手伝えることがないかと返して来た律に何もない事を伝えると、彼女は諦めて帰り支度を始める。
「お先に失礼します。」
ちらほら残っている社員達に声を掛ける律に、それぞれが「お疲れ」と返している。菊田も彼女と目が合うと、にこりと笑いかけた。
だいぶ遅くなってしまったなと、菊田は壁に掛かっている時計を見上げた。椅子を引きひとつ伸びをすると、帰り支度を始める。
すっかり暗くなった外へ出ると、冷たい風を全身に受け、菊田は首をすくめた。日付を超える前には帰れそうだと、半ば諦めたように小さく笑った。
マンションの部屋の前に着くと、菊田はすっかり冷えてしまった手で鍵を取り出す。感覚の鈍った指先にやや手間どいつつも、がちゃりと音が鳴った。扉を開ければ温かな灯りと空気に身を包まれ、菊田はほっと息をついた。
手を洗いリビングに入ると、コトコトと心地よい音と共に、いい匂いが漂ってくる。それらに導かれるようにして足を進めれば、鍋を覗く律の背中があった。菊田は鞄をそっと置いて足音を立てずに近づくと、彼女を背後から包み込む。
「わっ!びっくりした・・・!」
「ただいま。」
びくっと肩を上げた律は菊田を見ると、鍋をかき混ぜていたヘラを置いた。
おかえりと言った律の頭に頬を寄せると、菊田はシャンプーの香りに目を閉じた。
「お風呂沸いてるよ。」
自身の前に回された腕がひやりと冷たいことに気づき、律は菊田の手を包み込む。
菊田は目を細めそれを眺めると、「ありがとう」と名残惜しそうに離れて行った。
菊田が風呂を出ると、脱衣所にグレーのスウェットが準備されていた。いつも準備を忘れ、裸で出て来がちな菊田の為に律が置いてくれた様だった。確かに忘れがちなのもあるが、そのまま彼女にちょっかいをかけるのが愉しくて直す気がないことを、菊田は黙っている。
「ご飯食べよ。」
リビングへ戻ると、テーブルに料理が並べられている。振り向いた律はふわりと笑った。
「随分手が込んでるな。」
「白状すると、一部はお惣菜です。」
タルタルソースの添えられたエビフライを指さすと、律は肩を少し上げて見せる。
菊田はつい笑うと、隣に並べられたビーフシチューを見た。
「こっちは作ってただろ。」
「ふふ。」
目尻を下げる律の腰に腕を回すと、菊田はもう片方の手で彼女の前髪を掻き上げ、その額に口付けた。そのまま身体を抱き寄せると、律も菊田の胸元に手を添え身を委ねる。
スウェット越しに感じる菊田の筋肉質な身体と温もりに、律は心地よくなり目を閉じる。うっかり微睡みそうになっていると、少し身体を離した菊田に唇を奪われた。だんだん深くなっていく口付けに、律は焦りを感じる。胸元を押して離そうとするが、より一層深く求められしまう。
「はぁっ」
漸く唇が離れ、息を吸い込む律に、菊田はその頬を指の背でするりと撫でた。
もう一度顔を近づけようとする菊田に、律は焦ってその胸元を押し返した。
「ケーキもあるの!」
菊田は目を丸くすると、嬉しそうな、しかし悔しそうな顔をした。
「しょうがねぇな。」
どさくさに紛れて律の服の裾から侵入させていた手を名残惜しそうに下ろすと、菊田は大人しくテーブルにつく。
「何ケーキかな。」
しかし愉しそうに言いながらビーフシチューの匂いを嗅ぐ菊田に、律は口元を緩めた。
食後にショートケーキを出せば、菊田は食べさせてくれと口を開けねだった。律は呆れつつも笑い、その口元にフォークを運んでやる。
「こういうのも悪くねぇな。」
今日も明日も仕事だが、しかしだからこそ沁みるものがある。疲弊した心身に、甘いケーキと愛しい恋人の存在が、じわりと溶け込んでくる。
「プレゼントは週末に買いに行こうね。」
フォークを菊田に返し自分もケーキを食べながら、律は笑った。穏やかに笑う彼女に、菊田は目を細める。
「もう充分だよ。」
菊田はじわりと心が温かくなるのを感じながら、ケーキを口に運んだ。
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