微熱/菊田
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出張当日。律は風邪を引いた杉元の代わりに月島と共に新幹線に乗り、取引先の会社へ赴いた。道中ある程度打ち合わせを済ませた事もあり、プレゼンは思ったよりもスムーズにこなすことが出来た。その後の質疑応答や会議は月島が殆ど対応したが、お飾りでいる訳にもいかず。答えられる範囲は律も対応した為、終わった後は重たい疲労感に襲われた。
夕方頃に会社を出ると手近なカフェで会議内容についてまとめ、その後は元々予定されていた取引先との懇親会にお呼ばれした。今回杉元の代打で来た律は先方からすれば目新しく、注目の的となってしまった。質問攻めにあったり飲まされそうになれば「お手柔らかに」とやんわりフォローしてくれる月島に、律は心から感謝した。
なんとか場を取り繕いつつ過ごし、居酒屋を出た頃には二一時を回っていた。
「大変だったよな。助かった。」
先方と別れ、少し歩いた先に取ってあるビジネスホテルへと向かう。月島が庇ってくれたとはいえ、程々に酒が入り火照った頬を夜風が撫でてゆく。
「殆ど月島さんに対応して貰っちゃいましたけど。」
「いや、助かったよ。杉元よりずっと安心感がある。」
月島はこの場にいない杉元への揶揄いを含んで笑う。
「あとさっきも、色々とフォローありがとうございました。」
「あぁ。」
若い男性社員を思い浮かべた月島は、苦笑いをこぼした。彼は先ほどの懇親会でやたら律に話しかけ、隙あらば連絡先を聞き出そうとしていた。やんわりと牽制した為阻止できたが、そこそこにしつこいタイプだったなと遠い目をする。
「菊田さんにも釘を刺されたしな。」
「え?」
「懇親会があるって言ったら心配してた。」
「それは、どう言う・・・。」
律の視線を受け、しかし月島は一瞥するだけでまた前を向く。彼女のやや上気した頬は、酒のせいだけだろうか。
「さあな。」
俯き思考を巡らせているらしい彼女に、月島は「連絡しとけ」と呟いた。
ホテルに着くとチェックインを済ませ、部屋のカードキーを受け取る。同じフロアでエレベーターを降りると、それぞれ二つ離れた扉の前で立ち止まった。
「明日食いたいもん考えとけよ。」
「楽しみにしてます。おやすみなさい。」
「あぁ、おやすみ。ゆっくり休め。」
「月島さんも。」
会話を交わした後、各々の部屋へと入ってゆく。
律は小さなスーツケースを部屋に入れるのに手間取り、そのうちに扉が閉まり暗闇に包まれる。慌ててカードキーを壁に設置された規定の場所へと差し込めば、ぱっと部屋に灯りが灯った。
スーツの上着をハンガーへ掛け、荷物を放り出すとベッドへと腰掛ける。暫く考えたのちにスマートフォンを手に取ると、"無事に終わりました"と菊田へメッセージを送った。月島に連絡をと言われたがこれで良いのだろうかと思いつつ、一先ず疲れた身体を癒そうと湯船に浸かることにした。
三十分程して風呂から上がると、菊田から着信が入っていた。時刻は二十二時になろうとしている。折り返して良いものか悩んだが、急ぎの用である可能性もある。またベッドへ腰掛け通話ボタンを押せば、相手は割とすぐに出た。
「すまん、寝てたか?」
低く心地良い声が耳を擽る。電話口なので当たり前ではあるが、思ったよりも近いその声にどきりとする。
「いえ、お風呂に入ってました。すみません、直ぐに出られなくて。」
「いや、急に悪かった。遅くまでお疲れ様。無事に終わったようで良かったよ。」
「ありがとうございます。殆ど月島さんが対応してくれたので助かりました。」
「そうか。」
「何かありましたか?」
「ん?」
「電話だったから、急ぎの用かと思って。」
「あぁ、いや、そう言う訳じゃないんだが・・・連絡くれたから、つい。」
「そうなんですね。その、月島さんから心配して下さってたって聞いたので・・・。」
「あー・・・。」
菊田は昨日の月島とのやり取りを思い出す。今回の出張でのスケジュールに懇親会が含まれていると知り、彼女を面倒な奴から庇ってやれと月島に釘を刺したのだった。そこには"彼女に変な虫が寄り付かないよう目を光らせておけ"という意味合いが含まれていたのだが、きっと聡い月島は汲み取っただろう。
「酒が入ると面倒なことが増えるからな。大丈夫だったか?」
「はい、そこも月島さんにフォローして頂いちゃいました。」
「・・・何かあったのか?」
「お酒を代わりに断って頂いたりとかですよ。」
「そうか・・・それなら良かった。」
自分が傍に居られれば、その役割は自分のものだったのに。菊田は不毛だと思いつつも、そんな考えが頭を過ぎる。
「心配してくださってありがとうございます。」
「当たり前だろ。」
ふっと笑うようなその声は優しく、律はむず痒くなった。それは部下を思い遣るという意味でなのだろうか。
「疲れてるとこ悪かったな。明日の移動に備えてゆっくり休め。」
「菊田さんこそ、お疲れのところありがとうございました。」
「いや、声が聞けて安心したよ。おやすみ。」
「・・・おやすみなさい。」
暫くの沈黙の後に菊田が通話を切ったのを確認すると、律はベッドへと上体を投げ出した。ぼふっと音を立て、布団に沈み込む。
声が聞けて安心した、と言うのは、やはり部下としてなのだろうか。それにしたって、そんな言い方をされて仕舞えば勘違いする人だって出て来るだろうに。
色男の軽卒とも取れる振る舞いに溜息を溢しつつも、心震えているのを認めざるを得ない。期待しては駄目だと自身に言い聞かせながら、しかし低く柔らかな"おやすみ"の声を引きずっている。
布団へ潜り目を閉じれば、彼の優しい声と表情とが浮かび、じわりと身体が温まる。緩やかに上がる心拍数に、その夜はなかなか寝付けなかった。