刹那/菊田
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律は窓の外をぼぉっと眺めていることが多かった。人と話す時は明るい印象を見せるが、ふと気づくと遠い所を見ている。そんな時の彼女はどこか違う場所に居る様で。きっと彼の事を想っているのだろうと鯉登は薄ら思いながら、今も窓の外を見ている様で見ていない律を眺めていた。
「付きっきりでなくていいぞ。もう傷はだいぶ癒えた。」
鯉登の病床脇の椅子に座っている律は、窓の外にやっていた視線を鯉登へ移す。不意に話しかけられた律は、きょとんとした表情を見せた。
「すみません、休まりませんでしたか。」
「そう言う訳ではないが、ずっと座っているのも暇だろう。」
「暇だからこうしていると言うか。」
鶴見達と離れ、律は小樽の病院で療養している鯉登達と共に居る。しかし病床人でもない律は、やる事もなく暇を持て余している。
やる事がないと考え事が多くなってしまって良くないとは思いつつ、律は菊田の無事をひたすら祈る日々を過ごしていた。
「でも、ずっと傍に居られると、休まるものも休まりませんよね。何かあれば看護師さん達も居ますし。」
「看護師?看護婦の間違いだろう。」
「・・・あ。」
そうだった、と律は思った。この時代ではそう呼ぶのだったと。
「私の居た時代では、看護婦は女だけの職業ではないんです。ですから看護師と呼ぶんです。尤も、それも最近の事みたいですけど。」
「そうなのか。」
何故第7師団と行動を共にしていたのか、何者なのかと聞かれた時に、律は自身の境遇について鯉登に話していた。勿論菊田の事は伏せ、鶴見に話した通りに。
ここで関わっている面々には、その内容が知れ渡っている。鶴見に話してしまった今、もう隠す必要は無いだろうと思っての事だった。信じて貰えたかどうかは分からないが、案外受け入れられており、鶴見が受け入れた話だという事が大きいのだろうと律は思う。
「鯉登少尉、変わりありませんか。」
「あぁ、体調はだいぶ良い。」
鯉登と律が話していると、月島が病室にやって来た。月島は律にぺこりと頭を下げると、その隣に椅子を引いて来て腰掛ける。
「律さんに感謝ですね。傷の処置をして貰った上に、こうして面倒まで見て貰って。」
「いえ、私は何も・・・元はと言えば月島軍曹殿が・・・」
律が言いかけた時、二階堂がものすごい勢いで病室に駆け込んで来た。
「律ー!オムライス!オムライス作って!」
元気よく病室を駆け回る二階堂を、一同は真顔で迎え入れる。メタンフェタミンという薬を打つ様になった二階堂はもうかれこれ数日はこの調子な為、慣れてしまっている。
「二階堂くん、病院で騒がない。オムライスは昨日も作ったでしょ。」
「えー、ケチー!!」
「ケチじゃありません。」
二階堂を嗜める律を、鯉登と月島は眺める。彼女はきっと、元来こういう性格なのだろうなと二人は思った。
「オムライス、美味しかったです。」
「美味しかったですねー。」
二階堂に続いて、家永とインカラマッが病室に入って来た。家永の診察に
この面々は本来敵同士であるということを知って驚いたが、律はこの時間に救われていた。この関係がずっと続けば良いのにと、律は切に願う。
「どうかしましたか。」
「え?」
家永が鯉登の診察を始め、各々が好きに過ごす中、月島が律に問いかけた。
「暗い顔をしていたので。」
「・・・そうですか?」
微笑んで誤魔化す律に、月島は「いえ、勘違いならいいです。」と視線を鯉登の方へと逸らした。
厳格な月島は、しかし人をよく見ており、よく気づく。優しい人なのだろうとなんとなく感じているが、律は月島の前ではやや緊張する。ボロが出てしまわない様にと気を引き締めた。菊田の弱みになるわけにはいかない。足手纏いになりたくは無いと。
鯉登は菊田との関係に気づいてしまっただろうかと、律は不安に思っていた。しかしあれ以来その事に触れてこない鯉登に、自分から話題を振るのは憚られた。話題を振って仕舞えばすなわち、肯定を示す事になってしまうだろう。もしいつか聞かれたらその時に否定すれば良い。
「では次は律さん。触診しますね〜。」
考え込んでいた律が顔を上げると、目の前に家永の顔があった。家永の手が律の顔を挟む様に触れる。律が驚いてその綺麗な顔を眺めていると、家永はがっぽりと口を開けた。
「ひっ。」
引き攣った声が出た律を、月島が家永から引き離す。
「いい加減にしろ。本当に刺青人皮にしてやろうか。」
青筋を浮かべた月島は、律の両肩を後ろから掴み、自身の胸元に引き寄せている。
「冗談ですよ。律さんのお顔って綺麗だから、つい食べちゃいたくなるでしょう?」
ふふふと上品に笑う家永に、律は引き攣った笑みを浮かべた。人を喰らう凶悪犯だという彼女(実際は男、しかも年老いているという)に、律は何度となくこういった戯れを受けている。自身を後ろから抱きしめる様にして庇う月島に、律はちらりと視線を寄越す。すると月島は慌てて律から身を引いた。
「あ、す、すみません。」
「いえ、ありがとうございます。」
鶴見中尉から、護る様にとでも言われたのだろうか。月島が家永から律を庇うのも、これが何度目か分からないくらいだった。
目尻を下げて笑う律に、月島は眉を下げた。それをじとっと見つめる鯉登がいる。
「おい月島、ちょっと距離が近くないか。」
「はぁ?」
「手を出すなよ。」
「何言ってんですか。」
「しらばっくれおって。」
ぐちぐちと言う鯉登に、月島は心底呆れた顔を返した。
律が目を細めなんとも言えない表情で二人を眺めていると、ちょんちょんと肩をつつかれた。振り返るとインカラマッがにっこりと笑っている。
「動きました。」
「えっ。」
インカラマッが指差した彼女の膨れた腹に触れると、律は耳を当てる。
「・・・わっ、ほんとだ。」
律は目を閉じ、その胎動を感じる。たまにぽこりと動く様子に、じわりと胸が温かくなる。
「愛しいですね。」
目を閉じたまま呟く律に、インカラマッは目を細め微笑んだ。
「律さんもいずれ、大切な人との子を宿すのでしょうね。」
「・・・そうなれたらいいですね。」
起き上がって微笑む律は、どこか寂しそうに見えた。
「大切な人って誰!?」
部屋を走り回っていた二階堂が、興味津々と言った様子で律に詰め寄る。
「誰なんだろうねぇ。」
笑って首を傾げる律に周囲は何も言わず、ただ彼女を見つめていた。