刹那/菊田
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「止んだな。」
砲撃が止み、そして駆逐艦も動きを止めた。
鯉登の声に律は彼の胸元から顔を上げる。それと同時に、律の後頭部に置かれていた鯉登の手が退いた。
「有難うございました。」
律は鯉登の傷口を抑えたまま、目を伏せる。
「構わん。こちらこそ礼を言う。律と言ったな。」
「はい。」
「まだ震えている。」
自身の傷口を抑える律の手に、鯉登は片手を重ねる。「止血はもう充分だろう」と言うと、彼女の片方の手を取り握った。未だ小刻みに震えの残るその手がそれでも果敢に自分を救おうとしたのかと思うと、鯉登は居た堪れなくなる。震えを収めようと、律の手を握る手に力を込めた。
「大丈夫です、有難うございます。情けないところを見せてしまいました。」
「そうか。」
律が手を引くと、鯉登の手は簡単に離れた。律は鯉登の傷口に固定してあったガーゼをそっと捲り、止血具合を確認する。
気丈に振る舞う律の様子を、鯉登はただ黙って見つめた。
その時、バタバタと足音が聞こえた後、部屋の扉が開かれた。
「律。」
扉から顔を覗かせた菊田は、一瞬動きを止める。
「鯉登少尉殿。ご無事で。」
「あぁ、迷惑を掛けた。」
この状況で考える事ではないと理解しつつも、密室で二人きり、上半身を露わにした美丈夫の肌に触れている律に、菊田は息が止まりそうになった。しかし蒼白と言っていい律の顔面に、菊田は眉を下げる。
「菊田特務曹長、律に用事か。」
「えぇ、鯉登少尉殿も。我々は今から連絡船に移り、アシㇼパ達の捜索に向かいます。鯉登少尉殿はこのまま駆逐艦に残り、療養に励むようにと鶴見中尉からの命令です。律も其方に同行するようにと。」
「え、でも・・・。」
でもも何もない事は、律が一番よく解っていた。何の役にも立たないどころか足手纏いになるであろう律が、捜索に加わる理由は無いと。
「律。そっちの方が安全だ。判るだろう。」
「・・・はい。」
弱々しい声で答えた律に、菊田は口元を固く結んだ。
「では、俺はこれで。」
敬礼する菊田を、律は見つめるしかできないでいる。
菊田はその目をじっと見返すと、踵を返して扉を出て行った。
「見送りに行け。」
「え。」
「これが最後かも知れないぞ。」
「っ。」
鯉登の真剣な眼差しに背中を押されるようにして、律は部屋を飛び出す。
「待って!」
廊下の少し先を小走りに進んでいた菊田が振り向き、驚いた表情を見せる。走ってくる律を胸に受け止めた菊田は、辺りを見回し誰も居ない事を確認すると、すぐ傍にあった船室に入り扉を閉めた。
暗い船室には幸い誰も居ないようで、菊田は律を力強く抱き締める。
苦しいくらいに抱き締められて、しかし律も縋るようにその胸にしがみついた。
「ご無事で。」
「あぁ、待っててくれよ。」
連絡船に移らねばならない菊田には時間が無く、会話はたったのひと言ずつ。しかし苦しいくらいの抱擁とその搾り出したような声色に、二人の全てが詰まっていた。
名残惜くも身体を離すと、菊田は優しい眼差しで律の頭を撫で、足早に船室を出て行った。
一人暗い船室に残された律は、その場に崩れ落ちる様に膝をつく。身体に残る菊田の体温を無くさない様にと自身の身体を抱き締め、声を殺して嗚咽を漏らした。
鯉登は一人ベッドに横たわったまま、先程の二人を思い出していた。
律の縋る様な眼差しや、菊田の彼女へ向ける言葉尻の柔らかさ、互いの熱の籠った様な視線。極め付けに、菊田を必死に追いかける律の行動とその表情。
きっとそう言う事だろうと、鯉登はぼんやりと天井を見つめた。