刹那/菊田
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「律君。ゆっくり過ごせたかい。」
「鶴見中尉。はい、ありがとうございます。」
第7師団が滞在する街の宿。そろそろ夜も更けようとしている。
眠る前にと厠を済ませた律が部屋へ戻ろうとすると、着流し姿の鶴見と鉢合わせた。
「石鹸の香りがするね。」
頭に鼻先を近づけて言う鶴見に、律はどぎまぎとする。
律が自身の境遇を話してからと言うもの、鶴見はどこか柔らかくなった。以前のねっとりとした探る様な振る舞いは無くなり、時折甘える様な様子すら見られる。
「一緒に眠らないか。最近はいつも律君が隣に居たから、なんだか少し寂しくてね。」
「何を仰いますか。偶にはゆっくりお休みください。普段眠りが浅いでしょう。」
「律君が居てくれた方が眠れそうなんだが・・・好いた相手でも居るのかな?」
細められた鶴見の目の奥が、鋭く光った。久しぶりに見たその探る様な視線に、律はぞくりとする。
「・・・そんなところです。」
「元居た時代に?」
律は頷きとも取れる様に小さく首を傾げると、曖昧に笑って見せた。
「そうか・・・すまなかったね。大人しく一人で眠るとしよう。」
鶴見は一瞬哀し気に目を伏せたが、次の瞬間には余裕の笑みを見せ、律の頬に触れる。猫を撫でる様に触れてくる鶴見に、律は小さく肩を揺らした。
「予定通りに進めば、明日には目的地に着くからね。」
「はい。」
柔らかく律の頬を撫でていた手を、鶴見は名残惜しそうに下ろした。
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
部屋へ戻る鶴見を見送ると、律はほっと息を吐いた。優しくなったとは言え、鶴見には睡眠薬と思われる薬を嗅がされた事もある。目的の為には手段を選ばず、冷酷にもなるその男に、緊張せずにはいられない。何なら今の優しさすらも、裏があるのではないかと疑ってしまう。そう思っておいた方が身の為だろうと、律は気を引き締めた。
自分も部屋へ戻ろうと、律は暗い廊下を歩き出す。どこかの部屋では酒盛りをしているのか、夜更けだと言うのにガヤガヤと楽しそうな声が響いている。兵士達が束の間の休息を楽しんでいるのだと思うと、律はつい微笑んだ。
廊下の角に差し掛かった時、律は大きな人影とぶつかりそうになった。
「わっ」
息を潜める様に隠れていたその影に、律は驚き、心臓がばくばくと早打つ。その影は律に手を伸ばすと、包み込む様に抱き締めた。
「律。」
「・・・杢太郎さん?」
突然の事に頭が追いつかなかった律だが、囁くその声を聞いて安堵する。
「鶴見中尉に気に入られちまったか。」
「・・・見てたんですか。」
律は菊田の背中に手を回した。兵士達の笑い声を遠くに聞きながら、心は菊田の体温に囚われている。
「こうなったのは俺のせいだ。ごめんな。」
「何でそうなるんですか。助けて貰って、感謝しかありません。」
律の後頭部を引き寄せ、抱き締める腕に力を込める菊田に、律はその胸元へと頬を擦り寄せた。
「・・・元居た所に、好いた奴がいたのか?」
態とらしく言う菊田の顔は見えないが、きっと笑っているのだろうと律は思った。
「馬鹿。」
小さく笑って言う律に、菊田もふっと笑う。菊田は堪らなくなって、彼女の頭に頬を擦り寄せた。
「はぁ・・・一緒に寝てぇな。」
「ん・・・。」
菊田は律を抱き締めたまま、小さく頷いた彼女の髪を撫でる。
「石鹸の匂いがする。」
「ふふ、くすぐったい。」
髪の匂いを嗅ぎながら頭に唇を寄せてくる菊田に、律は小さく笑った。
その時、廊下を歩く不規則な足音が聞こえてきた。きっと酔っ払った兵士のうちの一人が、厠に来たのだろう。
角を曲がった所に居る二人は厠からは見えないが、抱き締め合ったまま息を潜める。
そのうち厠の戸を開き、閉じる音がした。
「ずっとこうしてるわけにもいかねぇな。」
菊田はもう一度律を力強く抱き締めると、名残惜しそうに離れていく。薄暗くて顔はよく見えないが、律は寂し気な表情で菊田を見ている。菊田は律の頬に手を添えると、その唇に優しい口付けを落とした。
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
ゆっくりと頬から離れていく手を、律は掴んでしまいたくなるがぐっと堪える。
彼の言う様に、一緒に眠れたらどれ程良いか。抱き締め合って眠り、彼の温もりに包まれながら朝を迎えることが出来たなら。そうあれたなら、どれ程幸せだろうかと律は思う。
二人は別の方へ歩き出すと、それぞれの部屋へと戻っていく。互いの足音を未練がましく聞きながら。