刹那/菊田
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辺りは既に暗くなっている。
周囲は点々と木が生えている程度で、広大な土地が広がっている。馬を走らせ続けるわけにはいかず、今日はここで野営をすると鶴見は言う。
軍の雰囲気を見せようと言われ、律は鶴見について回る。その間鶴見は律に、今の軍の状況を話して聞かせた。
鶴見率いる第7師団は、アイヌの金塊を求め、その手掛かりとなる少女を追っているらしい。いまいち理解が追いつかない律だが、なんとか情報を頭に叩き込もうと必死だった。
いくつかある焚き火のうちの一つに、鶴見は近づいて行く。その周りには兵士達が腰掛けている。鶴見に気づいた兵士達は立ちあがろうとするが、鶴見はそれを「いい。」と言って制した。地べたにあぐらを掻く兵士達の中に一人、木箱に腰掛ける男がいる。その男は律に声を掛けた。
「災難だったな。」
律は目の前の男に目を見開く。それは紛れも無く愛する男で。
平然と言ってのける菊田に、律は自分がここに居る事を知っていたのかと驚いた。しかし何より、どこか一線引いた様なその振る舞いに、ただの定食屋の娘と常連客を装わなければならないのだと悟った。
「・・・菊田さん。」
「ま、不便なことがあれば言ってくれ。」
「ありがとうございます。」
二人が言葉を交わすと、鶴見は「行こうか」と律を連れて去っていく。
「ねぇねぇ、今の誰!?」
菊田の隣に居た妙な被り物をした男は、随分階級が上の菊田に物怖じしない話し方をする。
「登別の定食屋の娘だよ。宇佐美が気に入って連れて来ちまったらしい。」
「えー!可愛い!」
きゃっきゃっとはしゃぐその男に、菊田は眉間に皺を寄せる。
「手ェ出すなよ二階堂。今は鶴見中尉の世話役だ。」
二階堂と呼ばれた男は、「えー」と不貞腐れた顔をした。
「お友達になれるかなぁ。」
にこにこと笑う二階堂を、菊田は気味悪そうに、顔を顰めて見る。菊田はその視線を、鶴見に付いて歩く律の後ろ姿へと移した。
睨む様に見据えるその目に、誰も気づくことはなかった。
「鶴見中尉っ。米が炊けました!」
「そうか、飯にしよう。」
鶴見が一つの焚き火の前に腰を下ろすと、どこからとも無く宇佐美が飛んで来た。
宇佐美の鶴見に向ける心酔の眼差しに、律は呆気に取られる。しかし宇佐美の言う通りらしく、辺りには米の炊けた香りが漂っている。
「律君、ここへ。」
「・・・はい。」
長い木箱に腰掛ける鶴見は、隣をぽんぽんと叩いた。おずおずと隣に腰掛ける律に、宇佐美はずいっと顔を近づける。
「鶴見中尉の隣に座れるなんて、光栄な事なんだぞ。」
はぁはぁと息を荒くし顔を赤らめて言う宇佐美に、律は嫌悪感を込めた視線を送る。しかしさらに興奮した様にぶるりと震える宇佐美から、律は表情無く視線を逸らした。とんだ変態だと、律は眉間に皺を寄せる。
「こらこら宇佐美、怖がっているじゃないか。」
鶴見に叱られる事が至高とでも言う様に、宇佐美は自分を抱き締めて悶えている。
「鶴見中尉、律はオムライスが得意なんですよ。」
「ほぉ。それは一度食べてみたいな。」
「律、作って差し上げなよ。多分材料揃ってるし。」
口角を吊り上げて言う宇佐美は、この状況を愉しんでいるようだった。
「得意だなんてそんな・・・。」
「良かったら作ってくれないか。」
宇佐美を睨んでいた律は、鶴見の頼みに渋々了承した。
「ねぇ律、今度また僕にも作ってよ。」
宇佐美が準備したガス七輪に向かい、律はフライパンを振るう。宇佐美は律の両肩に手を乗せ、背後からフライパンを覗き込む。
「・・・貴方でしょう。私を攫うよう仕向けたのは。」
律はフライパンを振るいながら肩を動かし、宇佐美の手を振り払った。
「自分の立場分かってんの?」
目を細める宇佐美に、律は冷めた視線を送る。
「従順だったら満足なの?」
「・・・よく分かってんじゃん。」
冷たく微笑む律に宇佐美は両手を挙げて見せ、面白そうに笑った。
律と宇佐美のやり取りを、菊田は離れた場所から見つめている。兵士たちから離れた場所で一人、タバコを吸いながら。
律が料理をする様子に、菊田は初めて彼女の手料理を食べた日の事を思い出していた。
お互いまだよそよそしかった頃。律の手料理を二人で囲んだあの時間は、今でも菊田の心を優しく、温かく、じわりと包み込む。
しかし今、その律に触れているのが自分では無いと言う事実に、菊田の心は締め付けられる。馴れ馴れしく彼女に触れる宇佐美を、殴り飛ばしてしまいたい衝動に駆られる。
遠くで鶴見が律のオムライスを頬張っている。隣にいる律は表情乏しく、絡んでくる宇佐美をあしらっている。
「律は、俺のだ。」
菊田はどうしようも無くなって、小さく言葉にして吐き出した。