短編
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「おい待て。」
尾形は通り過ぎようとする律の手首を掴んだ。何も言わずに振り向いた律は、冷めた目をしている———。
時は遡って三日前。
律と尾形は職場の同僚で、恋人同士。周囲にはあまり知られずに付き合っている。
「ねぇ律ちゃん、そろそろ俺とデートしない?」
「そろそろって何ですか。」
酔った白石が例の如く律に絡んでいるが、軽く笑ってあしらわれている。
仕事終わり、律は職場の三人と共に飲みに来ていた。白石、杉元と、尾形の姿もある。
「んもう、ずっと受け流してるじゃん俺の事!結構ガチなのよ俺!」
「結構ガチ・・・。」
「ちょ、白石さんいい加減セクハラすよ。」
「いでっ。」
律に絡む白石を杉元が止めに入る。先輩である白石の頭を、杉元は容赦なくポコンと殴った。
「ははぁ。」
清々しい拳に、尾形は笑ってオールバックを撫で付ける。もう何度となく繰り返されたこのやりとりは、最早茶番と化していた。
間も無く店の閉まる時間になり、飲み会はお開きとなる。一同は店を出て駅へ向かって歩く。華金なこともあり、駅へと続く商店街にはまだ人が多く賑わっている。
「尾形ちゃーん、もう一軒行かね?」
「・・・終電逃したら嫌だから。」
白石に絡まれている尾形を他所に、律と杉元は少し前を並んで歩く。
「律さ、明日暇だったらどこか行かない?映画とか・・・ご飯だけでもいいしさ。」
「え?デート?」
「そうだよ。」
突然の提案に笑って返したが、杉元の目は真剣そのもので、律はつい目を逸らした。
「ごめん私・・・」
「知ってるよ。」
「え?」
「知ってる。」
微かに笑った杉元は、ちらりと後ろの尾形に目をやった。
「ちゃんと律を口説くこと伝えたから。」
「・・・え?」
「俺にしときなよ。」
話している間にも、四人は駅に着く。律と杉元に続き、白石をスルーし続けた尾形は無事改札を潜ってくる。
「律、後で連絡するから。」
「え、え、何?何の話!?」
誘いに対して首を縦に振らず、言葉を濁していた律に声を掛けると、杉元は騒ぐ白石を引きずって行った。律と尾形はそれを見送ると、他二人とは反対ホームへの階段を登る。
「うち来るだろ。」
「行かない。」
「は?おい、」
律は尾形の方を見ず、丁度来た電車に乗り込んだ。
「何怒ってんだよ。」
「それが分からないことにも腹立つ。」
車内の扉横に寄りかかる様にして立つ律に、尾形は向かい合う。間も無くして扉が閉まると、電車はゆっくりと走り出した。車体が揺れ、尾形は律の横の手すりに掴まる。尾形が顔を覗き込んでも、律は横を見て目を合わせようとしない。
「だから何だよ。」
律は連絡すると言った杉元に、顔色ひとつ変えなかった尾形を思い出す。
「私のこと大して好きじゃないでしょ。」
「・・・は?」
「私が杉元に口説かれても気にならないんでしょ。」
「お前なぁ。」
呆れた様に溜息を吐く尾形に、律は更に腹を立てる。それ以上口を開こうとしない律の頬に触れようとした尾形の手は、彼女によって振り払われた。
「律。」
行き場を無くした手を下ろした尾形は#NAME2###の名を呼ぶが、反応は無い。律が感情的になる様子をあまり見たことの無かった尾形は、ただ彼女の様子を伺うしかできないでいる。
膠着状態のまま、律は電車を降りていってしまった。勿論尾形は引き留めたが、意思の固い律になす術なく。
一緒に過ごすはずだった週末、尾形は「おい」とか「まだ怒ってんのか」だとかメッセージを送ってみたものの、律からの返信は無かった。
杉元には連絡を返しているのだろうか。そんなことを思い杉元に確認しようと思ったが、もし本当にデート中だったら?飲み会の後、杉元が律をデートに誘っているのには気付いていた。しかしまさか律が誘いに乗るとは思わなかったし、実際あの場で首を縦に振る様な素振りはなかったはずだ。
尾形は折角の週末を悶々と過ごした。
月曜の朝、出社して律と顔を合わせた尾形は「おい」と声をかけたが、当の彼女は「おはよう」と薄く笑ってすぐに行ってしまった。周囲から見れば普通に見える程度の挨拶だったが、恋人である尾形からすれば、背筋にひやりとしたものを感じずにはいられなかった。
そして冒頭に戻る。
昼休みに入り、財布だけ持ってどこかへ行こうとする律の手首を掴んだ尾形は、その冷めた表情に嫌な汗をかく。
尾形は周りに誰もいないタイミングを見計らって声を掛けたが、廊下の角の方から話声が聞こえてきて我に帰る。
「話そう。」
尾形は掴んでいた手首を離すと、律の背中をとんと押し、隣を歩く様誘導した。律は相変わらず何も話さないが、素直に隣を歩き出したことに尾形はほっとした。歩き出した二人は、廊下の角からやってくる男性社員二人とすれ違う。
「やっぱあの二人付き合ってんのかな。」
「え、俺狙ってたのに・・・。」
「いやいや、どちらにせよ杉元もいるだろ。手出しできないって。」
後ろから聞こえて来る小さな声は、しっかりと尾形の耳に届いた。尾形がちらりと隣を盗み見ると、律は聞こえているのかいないのか、感情の読めない顔で歩いている。
尾形と律は、会社のすぐ傍にあるこぢんまりとした喫茶店に入った。あまり社員達がランチに使うことがないらしいその店は、二人にとって穴場だった。
一番奥のテーブル席。尾形が手前側の椅子を引いて座ると、律は奥のソファに腰掛けた。とりあえずオーダーを済ませるが、律は相変わらず口を閉ざし、グラスの水に口を付けている。怒っていてもどこか絵になる律を尾形はぼんやりと眺めつつ、先程の男性社員達の会話を思い出していた。
「俺がお前を大して好きでも無いと思うか。」
諭す様に静かに切り出す尾形に、律は漸く視線を上げた。その静かな目は、感情とは裏腹に澄んでいる。
「そう思える様なことをしたでしょう。」
「杉元か。」
「わかってるじゃない。」
また視線を下げた律は、弄ぶ様にコップの水滴を指でなぞり出す。尾形は無意識にその手元を見つめる。
「売り言葉に買い言葉だった。」
「ふぅん。それで私が口説かれても良かったんだ。」
「・・・悪かった。」
タイミング悪く、二人の元に食事とコーヒーが運ばれて来る。この場合、良いタイミングなどないのだろうが。律が食事に手をつけ始めると、尾形もそれに倣う。しかしあまり進まない。
「売り言葉に買い言葉なのは分かってたけど、私ってその程度なんだなと思ったらなんか悲しくなっちゃって。」
律はふと肩の力を抜くと、寂しそうに笑った。その様子に、尾形は胸がつかえる感覚を覚える。
「違う。」
尾形は食事の手を止めると立ち上がり、律の隣に移動した。驚く律を他所に、尾形は彼女を包み込む。
「百之助、ここ会社のすぐ傍・・・。」
「嫌だった。」
動揺する律を抱き締める腕に力を込めると、尾形はそのまま口を開く。
「お前を誰かにやる気なんてさらさら無かったから気に留めなかったが、実際、口説かれてるだけでも嫌だった。他の男がお前を見てるだけでも不快だ。」
普段飄々としている尾形が真っ直ぐな言葉を向けて来ることに、律は驚いた。身体を少し離すと、眉間に皺を寄せた尾形と目が合う。
「お前が思っている以上に、俺はお前に入れ込んでる。」
尾形は気まずそうに視線を逸らすと、律の後頭部に手をやり、自身の肩口に引き寄せた。
「好きだ。」
切羽詰まった様な低い声が、律の耳から頭に響く。
「百之助・・・。」
律が尾形の広い背中に腕を回すと、尾形はもう一度、安堵した様な声で「好きだ」と呟いた。尾形は律の頭に頬を擦り寄せると、一度身体を離す。律のその優しげな瞳に、尾形は胸がじんわりと温かくなるのを感じる。
尾形は律の頬に手を添え、親指で撫でると、その唇にキスを落とした。
「百之助、ここ外っ」
「いい。」
「良くな———」
周囲を見回す律の顎を掴むと、尾形はもう一度キスを落とす。頬を染めて眉を下げ、何か言いたそうに見て来る律に、尾形は「はは」と小さく笑った。
「見られるくらいが丁度いい。」
それからと言うもの、尾形は律に好意を向ける男達に対し、あからさまな牽制を行う様になった。あえて付き合っていることを公表することはないものの、尾形の態度から、その事実が社内に広まるのはあっという間だった。
「週末は杉元と出かけたのか。」
仲直りをして喫茶店を出る頃、尾形は思い出した風を装って口を開いた。正直、ずっとそれが気になっていて仕方がなかった。
「出かけないよ。」
人の心を見透かした様に笑う律に、尾形は顔を逸らして「そうか。」と答えた。
「でも私案外モテるみたいだからなぁ。油断しないでね。」
悪戯っぽく笑う律は、会社ですれ違った二人組の話をばっちり聞いていたらしい。尾形が律の脇腹を軽く摘むと「冗談だよ、好きよ。」と笑うものだから、尾形もつられて笑う。
「今夜泊まりにいく。」
「月曜なのに?」
「週末まで待てねぇ。」
並んで歩く尾形は、そう言いながら律の手首をすりっと撫でた。
「早めに寝るなら・・・。」
「それは約束できないな。」
二人は控えめに指を絡ませ合う。
大通りに出るまでの、ほんの少しの間だけ。