短編
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手のひらにコロンと乗せられたリボンがかかった箱と、それを渡した相手の顔を見比べる。
見比べて、見比べて、見比べる。
「えーっと。
今日がなんの日か、知っている、よね?」
散々見比べられた八番隊隊長である京楽が、少し困ったように聞いた。
巷では今日はバレンタインデーである。
チョコレートメーカーの策略により現世で行われるイベントで、それを大前田製菓が尸魂界でも始めて、ずいぶん定着してきた。
だが、そのイベントが自分達に関係するかと問われれば答えは否だ。
若い隊士達は浮き足だっているようだか、自分達のような歳になればそれを眺める側になるもの。
それに霊術院で出会ってから、かれこれ100年近い付き合いになる浮竹を含めた3人の関係は、簡単に表してしまえば親友。
盟友であり、戦友であり、あげ始めたらきりがなく、一言では到底表しきれない。
辛苦を共に乗り越えた友は、唯一無二の存在だ。
そんな二人に、若者の様にチョコレート渡すかと言われれば、咲の答えはやはり否である。
彼らへの思いは誰よりも強く深い自信はあるが恋慕とは違うように思うし、義理として渡すにはあまりに距離が近すぎる。
そもそもなぜ、彼が咲にこの箱を渡すのか。
恋慕う男性にチョコレートを渡すのは女性だったはずだ。
そこでふと、咲はひとつの仮説にたどり着く。
「私は確かにチョコレートは好きだけれど、これ、本命じゃないの?
もらうのは流石に・・・」
「いんや大丈夫。
それは貰ったものじゃぁない。
そこまで木石漢でもないさ。」
「じゃあなんで?」
「うーん。
これを現世で見かけたときに、咲のことが思い浮かんだんだよ。」
「えーっと・・・どう言うことでしょう?」
「どう言うことだろうねぇ。」
今日は女性が恋慕う男性にチョコレートを贈る日で、それかお世話になっている人にお礼で渡したり、女友達の間で交換する日であるはずだ。
富も権力も人望も、全てを手に入れた隊長たるもの、この日は山のようにチョコレートをもらったりする。
毎年この時期になると、チョコレートはもうごめんだと困ったように笑っていたから、チョコレートが欲しかったという仮説は真っ先に否定される。
(いや、とても高級品で、期間限定だから気になって買ったのかもしれない。
だれが?
わざわざ?
どこで?
まさか女性ばかりの売り場で?)
いくらなんでもそれはない、やはりこの線はなしだと頭を振る。
そこでふと疑問が湧く。
「え、それならこれ、どうやって買ったの?」
「それは・・・そうだねぇ、秘密にしておこうか。」
眠そうな目が胡散臭いウインクを飛ばすから、謎が深まるばかりだ。
(最近はチョコレート以外の贈り物をする人もいるらしいし・・・チョコレートはいらないけれど、親しい私が毎年何も用意しないことを実は根に持っていたとか?)
この 3人の仲で、このイベントに便乗する必要性を感じていなかったが、彼等は違ったのかもしれない。
他の女性と違って、京楽は咲の事は呼び捨てにする事から、『女性』としての彼女たちと明確に区別されていると思っていたが、性別は一応女だ。
(それは申し訳ないことをした。)
ならば彼らにはチョコレートなどの甘いものよりも酒の方が良いに違いない。
「じゃあ、美味しいお酒でも買っていくから、今夜雨乾堂で落ち合うって言うのはどう?
あ、もちろん浮竹には今から聞いてくるよ。」
「その『じゃあ』がどっから出てきたのか分からないけれど、その必要はないよ。
今日は酒飲みの日じゃないさ。
酒はまた改めて、梅でも見ながら飲もうじゃないの。」
咲は腕を組んで考え込む。
どうやら贈り物の催促でもないらしい。
ではいったいなぜ、彼はこの小箱を渡したのか。
(あ、もしかしてチョコレートじゃなくて何か別のものが入っているとか?)
バレンタインデーに便乗していたずらでもするつもりという説を思い付く。
この歳になっても、互いの誕生日には他の二人で打ち合わせをしてどっきりをすることもある仲だ。
「開けてみてもいい?」
「もちろん。」
少し緊張しながら、慎重に箱を開ける。
中には深紅のハートがひとつだけ。
「綺麗・・・だけど、これ何?」
「でしょ、尸魂界(こっち)じゃこんな粋なものを見かけないからびっくりしちゃったんだよねぇ。
チョコレートだよ。」
「本当に!?
うわぁ素敵、宝石みたい。」
「だろう?」
どっきりではなかったことなど忘れて驚いてしまった。
現世の文化はまだ知らないことも多く、驚かされることもまた多い。
(はて、どっきりでもないとすると、なんだろう?)
咲は再び首をかしげる。
「状況を整理します。」
「はいどうぞ。」
「今日はバレンタインで、女性が恋慕う男性にチョコレートを贈る日。
これはチョコレート。
京楽はこのチョコレートを見たとき、私のことが浮かんだ。
でもバレンタインの催促ではない。」
「そ。」
やはり分からない。
これ以上はお手上げだ。
どう考えても分からない。
「えーっと、もう一回聞くけど、どう言うことか教えてもらえないかな?」
そう尋ねると彼は苦笑を浮かべた。
本当に苦い顔で、笑っている。
苦笑という言葉を考えた人は、見事だ。
なんてことはおいておいて、兎に角彼も困っているようだ。
「どう言うことだろうねぇ。」
でも聡い彼の事だ、ある程度の答えは持っているに違いない。
困っているなら助けたいが、彼が分かっているところまででも聞かねば咲では到底太刀打ちできそうにない。
「はぐらかさないで教えてよ。」
「いやぁ、ボクもさ、どうしたものかと心底困っているんだよ。
ボク達はあまりに時間を共にし過ぎたし、一緒に苦難を乗り越え過ぎたし、悲しい結末も目にしすぎた。
そしてきっとこれからもだ。
・・・君への思いを言葉にするには、あまりに、重い。」
咲は彼の言葉を心の中で繰り返した。
彼の言葉に間違いはない。
激動の時代を共に乗り越えた3人の繋がりはあまりに深い。
多くの他人の繋がりの無惨な結末に胸を痛め、そしていつか、自分達の繋がりも崩れて仕舞うのではないかと恐れたものだ。
その恐れの中で思いはまた強いものへとなり、そしてそれを表すことも恐くて、密やかなものへと変わっていった。
言葉にせずとも、そんな互いの心を誰よりも理解し合っていた。
思慮深い瞳が、鈍く光を受ける。
強い意思を持つその瞳は、切な気に歪んでおり、今まで見たどんな顔とも違って見えて、どきりとした。
それを隠すように、京楽は笠を深く被った。
「ま、気が向いたら食べて仕舞っておくれよ。」
「待って、京楽!」
咲の制止を聞かずにくるりと背中を向けて去っていく。
その背中はこれ以上の問いかけを望んでいない。
取り残された咲は手の中のチョコレートをじっと見つめる。
(私だって・・・。)
小箱をそっと、胸の前で抱き締める。
上品なチョコレートの香りと中に入っているであろうウイスキーの芳醇な香りが、ふわりと咲を取り巻いた。
拗れすぎた純情