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本丸の管理人6

「鶯丸」
 呼びかけに応じて姿を現したのは、その名にふさわしく、鶯色をまとった青年。
「なんだ、鶴丸。朝から元気だな」
 静かに目を開けたその男は、自分のじっとしていられない性格に付き合ってくれる、唯一の刀だ。物であれという主の命に沿いつつも、鶴丸が退屈に押しつぶされそうになった時には、他愛のない会話に付き合ってくれる。
「見せたいものがあるんだ」
 正座で座る彼の前に、どっかりと胡坐をかき、手に持った皿を差し出す。不思議そうな目でそれを見つめる様子がおかしくて、鶴丸国永は笑う。
「これは?」
「握り飯だ。俺が握った」
 ぱっと、驚いたように、鶯丸が顔を上げた。新鮮な反応に浮足立つ心を抑え、その不格好な握り飯が載った皿を、彼の目の前に置く。
「食べてくれ」
「俺が?」
「他に誰が居るんだ」
 そうか、と一度頷いて、鶯丸はそっと皿を手に取った。しげしげと眺めてから、また自分の前に置く。鶴丸は、ワクワクと、その様子を見つめていたが、一向に食べ始める気配が無く、しびれを切らして声をかける。
「変なものを入れたわけじゃないぜ」
「あぁ。いや、そういう訳じゃない。ただ……これを食べたら、もう還れないのかと思っただけだ」
 鶯丸は二つの握り飯から顔を上げ、鶴丸の瞳を見た。鶴丸は、呆然と、その目を見返す。予想していなかった言葉に、返す言葉を失った。
「……悪かった。気にしないでくれ」
 鶯丸は、ふいと目をそらし、握り飯を手に取った。
「あ」
 無意識に手が伸びて、でも間に合わなくて、鶯丸はそれを一口かじった。とたんに、握ってあったはずのそれはほどけて、ぼろっと零れ落ちる。二人は数秒見つめ合い、それから、鶯丸が耐え切れない、というように笑いだした。
「下手くそだ」
「……初めてだからな」
「たぶん、俺の方が上手い」
「その自信はどこから来るんだ」
 おかしそうに、手の中でくずれた握り飯を口に運ぶ鶯丸を見て、鶴丸国永は思う。お前は、還るつもりだったのか。この身と、心を捨てて。もしかしたら、主が死んだ時点で、そう望んでいたものは、他にもいたのかもしれない。
 果たして、自分の行いが、何かそういった意味を持つのか、本当のところ鶴丸にはわからなかった。でも、どっちみち、還れるわけがない。主は死の間際に命じたではないか。これからも戦い続けろと。変わらず、敵を切りつづけろと。この身が折れる、その日まで。



 私と北嶋さんの作戦は、おおむね順調に進んでいるように見えた。こんのすけの号令で、食事が用意された広間に、毎朝6振が集合する。食べたり、食べなかったりは、正直まちまちだ。特に、初期刀の山姥切国広は、食事に手を付ける気は無いようで、いつも他の刀が食事をする傍らで、うつむきがちに座っているだけだった。
 しかし、彼らはこの時間を通して、自然とお互いに言葉を交わすようになった。そのためか、私が初めて目にした時よりずっと、人間らしい表情を浮かべるようになった気がする。
 これは思っていたよりも早く、新しい審神者と引き合わすことが出来るかもしれない。北嶋さんにそう言われて、ほっとした。どうやら長々と、契約違反の片棒を担がなくても済みそうだ。私の任期も、当初予定されていたとおり。ああ、でもそうしたら、もう二度と鶴丸さんにも会えないんだなあなんて、ふと浮かんだ考えに、少し焦った。
 鶴丸さんは、毎朝食事に顔を出していた。朝食作りの参考に、こんのすけが撮った映像を北嶋さんと確認するけれど、つい彼の様子ばかり目で追ってしまう。いつだって楽しそうだけれど、卵焼きがある日の方が嬉しそうだったなとか。お味噌汁の具は豆腐が好きなのかなとか。小さな彼の変化を見つけては、心の隅に記録する。
 北嶋さんには内緒にしているのだが、鶴丸さんは最初の日以来、台所にも度々現れて、朝食の用意を手伝ってくれている。おにぎりを握るのも、すっかり上手になった。おかげで、当初考えていたよりも、色々なものを提供することが出来ている。焼き鮭や、甘い卵焼き、簡単な煮びたしとか。だから、これは悪いことではないのだと、自分に言い訳をして、彼が来るのを強く止めなかった。まあ、私が止めたところで、効果があったかはわからないけど。
 朝日が差し込む台所で、彼と他愛もない話をしながら、料理をするのは楽しかった。彼が新しいことを知って、喜んだり、驚いたりするのが、嬉しかった。いつの間にか、あの白い神様に、随分肩入れしてしまっている自分を、否定することは日に日に難しくなっている。
 あんまり、良いことではないと思いつつ、そのうち終わることだから、とも思う。
 この本丸にはいずれ新しい審神者がやってきて、彼の退屈な日常も終わる。私はこの本丸を去り、彼は私のことなど綺麗さっぱり忘れるだろう。
 白い神様と交わした言葉や、過ごした時間は、私の中にだけ、大切な思い出になって残る。きっとこの先も、何度も取り出して眺めたくなるような、特別な時間になる予感がしている。
 だから、今だけは。そんな風に思う自分を、ついつい許してしまうのだ。

 掃除をしたり、雨漏りを調べたり、痛んだ畳の入れ替えを頼んだり、前任の審神者の遺品を段ボールに詰めている間に、毎日はあっという間に過ぎていった。
 その間、毎日違う審神者と、その近侍の刀剣男士と顔を合わせた。男性、女性、どちらかわからない人、明るい人、寡黙な人、子どもから老人まで。こんなに多くの審神者に会うのは初めてで、正直面白かった。妙な面を着けた「政府職員」に興味を持つ審神者も居て、そういう時は、少し言葉を交わしもした。
 初日に三日月宗近を連れて現れた審神者の次にやってきたのは、柔道着に身を包んだ、大柄で、筋骨隆々の男性だった。玄関に迎えに出た私に、よろしく頼む! と耳が痛くなるほどの大声で言い、がははと笑う傍らで、小さな小さな短刀の秋田藤四郎が、にこにこと笑っていた。
 後でこんのすけから聞いた話によると、彼は全員を前に、大声で宣言したそうだ。
「俺はちまちまと細かい指示をするのは苦手だ。なので、お前たちと一緒に出陣する。よろしく頼む!」
 基本的に大きなリアクションを示さない刀剣男士たちも、さすがに戸惑っていたようだが、彼はまったく気にせず、さあさあと刀たちを追い立てて時空転移の門へ向かった。その後を、慣れた様子で秋田藤四郎がついていく。
 彼は夕方、泥だらけになって刀剣男士たちと共に帰還し、全員の手入れを済ませて帰っていった。私は、こんな審神者もいるのだなと驚きとともにそれを見送った。
 
「あははは、やだ、そんな審神者、そうそういませんよ」
 けらけらと、私の話に笑ったのは、次の日に来た女性の審神者だった。40代くらいだろうか、人当たりが良く、物慣れた雰囲気が、この仕事を長く続けていることを感じさせる。物静かで神々しい太郎太刀を従えながら、本人は大変話し好きらしい。良い話相手を得たとばかりに、私を捕まえて中々解放しようとしなかった。
「随分霊力が低いのでしょうね。まあそれを補う体力があるのだから、問題ないのかしら」
 くすくすと、まだ笑っている彼女は、白い紙を人型に切ったものを男士たちに持たせ、それを通じて彼らの動きを把握しているらしい。彼女の広げた手のひらの上で、ただの紙だったそれはぴんと立ち上がり、ゆらゆらと揺れた。
「俗に、式神と呼ばれるようなものです。私の霊力を込めています」
 興味深く覗き込む私に、彼女はあれこれと説明をしてくれる。私は背後にこんのすけの厳しい視線を感じながら、好奇心に負けて彼女の話に聞き入っていた。
「ところで、あなたはどうしてこちらでお仕事をされていらっしゃるの?」
 にっこりと笑って、彼女は唐突に私へと疑問を向けた。私は予想外の質問に、咄嗟に言葉が出ない。
「政府の方が1日中、しかも毎日通って本丸でお仕事をされているなんて、大変興味深いです。神酔いは、なさいませんのよね?何か特別な訓練でも、受けていらっしゃるのですか?」
 私は、内心冷や汗をかいた。私が「正規職員」で無いことに、薄々勘付いているのかもしれないが、ここはしらを切りとおすしかない。私は勢いに気圧されながらも、田舎育ちで、あやかしに囲まれて育ったから慣れているだけだということを、なんとか答えた。それでも彼女の興味は失せないようで、じりじりと間合いを詰められる。
「ふうん、そうなんですか。それにしたって、大変でしょう、神様相手に仕事するのは。ほら、ここは審神者様が亡くなっているわけですし
……何か、辛いこととか、変わったことはございませんか? この本丸について、何か聞いたりは?」
 不穏な気配に、なんだか落ち着かない。距離を取るようにじりと下がり、首を横に振る。
「いえ、まだ配属されたばかりなので、何もわからなくて……すいません」
「……そうですか。でも、まだこのお仕事はしばらく続くのでしょう? 何か困ったことがありましたら、こちらにご連絡くださいな」
 彼女は着物の袂から、名刺を一枚取り出した。「絹」という彼女の名前(もちろん、本名ではないだろう)と共に、「審神者ネットワーク代表」の文字が印字されている。疑問を込めて彼女を見返すと、彼女はさらに笑みを深くした。
「審神者の労働問題の解決、地位向上に向けて、微力ながら活動させていただいておりますの。このご時世、みんなで団結いたしませんと。ここで出会ったのも何かのご縁。ぜひ仲良くしてくださいませ」
 彼女は口元を隠し、上品に微笑んだ。切れ長の目が細められて、狐の面を付けいてるのは私のほうなのに、なぜか狐に化かされたような気持ちになる。名刺持参とは、準備が良い。恐らく、こういった仕事を引き受けることで、人脈を広げているのだろう。考えてみれば、彼らは一日自分の本丸を空けてまでこちらに来ているわけで、それぞれに目的があって、この仕事を引き受けているのかもしれないなと思う。
 ちらりと目をやるが、太郎太刀はやはり静かに傍にたたずんでいるだけだった。

「そりゃあこんな変な本丸、金でも貰えなけりゃ来るわけがないだろう」
 白い布で顔を隠した、まだ少年とも呼べるくらいの年齢に見える審神者は、つっけんどんに言い放ち、ごほごほと咳き込んだ。傍に控えていた篭手切江が、その言いぐさをたしなめながらも、気遣わし気にその背を撫でる。少年は私の運んだ麦茶を一息に飲み干すと、くそっと悪態を付きながら、目の前のディスプレイを睨んだ。三面開いた大きな画面には、刀剣男士たちに取り付けた小さなカメラから送られてくる映像が映し出されている。その映像を見ながら、体内内蔵型の端末をとおして、彼らに指示することが可能らしい。
「本丸経営は、お金がかかるのですか」
「さぁ。金が欲しい理由なんて、人それぞれなんじゃないか。僕だって、薬代を稼ぐ必要がなければ、わざわざこんな」
「主」
 また篭手切江にたしなめるように呼び掛けられ、彼はばつが悪そうに口をつぐんだ。
 この本丸は、他の本丸から見ても変わっていたのだなと思う。昨日来た代理の審神者も、この少年も、詳しいことは知らないようだけれど。他の本丸の刀剣男士たちは、程度はあれど、みんな感情が見え隠れしていて、どこか人間らしい。この本丸の刀剣男士たちと、姿形が同じ者もいるのに、まるで別人のように見える時がある。演練や研修で顔を合わせれば、滲み出る異質さは、どうしたって隠しきれないだろう。他の本丸に比べて優秀であれば、なおさら。
 もう少し話を聞いてみたかったけれど、私からこの本丸のことを話すのはどの程度許されているのか、判断がつかず口をつぐむ。
 私が逡巡してる間に、遠くうごめく、時間遡行軍の黒い影がカメラに映りこんだ。少年の幼い横顔に緊張が走る。私はその姿に言い知れぬ恐怖を覚えながら、彼の仕事を邪魔しないよう、そっと自分の仕事へと戻った。


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