帰らないで、が言えた夜

「送ってくれて、ありがとう」

マンションの前でそう告げると、雷蔵は「うん」と微笑んだ。

「じゃあ、またね」

手を上げた彼に、私も笑い返す。けれど、その手が下りるより先に、鍵を持っていないほうの手が動いていた。離れていこうとする指先へ、そっと触れる。

雷蔵の手が止まった。

「……どうしたの?」

驚いたように私を見る目は、どこまでも優しかった。何でもないと言って、手を離せばいい。それなのに、触れた指先の温度を知ってしまったら、もうできなかった。

「……帰らないで」

ようやく声にすると、雷蔵の目がわずかに見開かれた。触れているだけだった彼の手がゆっくりと返され、指と指が絡む。逃がさないように、それでいて痛くない強さで握られた。

「……よかった」

すぐそばでこぼれた声は、甘く掠れていた。

「今夜はまだ、君を離さなくていいんだね」

絡んだ指に、さっきより少しだけ強く力がこもった。
5/5ページ
スキ