過去編


「8歳の誕生日おめでとう、花子ちゃん。」


あたしはお母さんが大好きだった。優しくて、ご飯も美味しくて、綺麗で、かっこ良くて。



『わぁ、可愛いお洋服!ありがとうお母さん!大事にするっ!』



お母さんは小学校で先生をやっている。あたしの通ってる小学校じゃないけれど、だけど立派に先生をしているお母さんに憧れてて、あたしも大きくなったらお母さんみたいな先生になりたいなと思っていた。



「お夕飯は花子ちゃんの大好きなものにするからね。手洗ってらっしゃい。」

『はぁーい!』



お父さんは、なんでか分からないけど初めからいない。だからお家に一人寂しく残されないようにと、お母さんは忙しいのに毎日日が暮れる前に早く帰って来てくれた。

どうしても遅くなる日は朝のうちに言ってくれたから、その日は少し寂しいけどお母さんが頑張っていると思えば待っていられた。





────だけど、あの日は。待っても待っても、お母さんは帰って来なかった。




『お母さん遅いなぁー⋯。』



いつもならとっくに帰って来る7時。もう7時過ぎているのに、お母さんはまだ帰って来ない。遅くなる日はちゃんと朝から言ってくれるし、置き手紙とかも残してくれていたのに。

もしかして、何か事故があったのか。心配でたまらなくなった。時計を見るともう8時前。こんなに暗いと悪い人が外にうろついているかも知れない。でも、お母さんが心配で、いてもたってもいられない。不安で不安で仕方がない。


あたしはとうとう家を飛び出した。



『はぁ⋯っ、はぁ⋯、』


お母さんの働いてる小学校は隣町。電車で二つ先の駅へ行く。電車の乗り方は前にお母さんと一緒に乗ったからなんとなく分かる。とにかく早くお母さんに会いたい。


でも、ここで乗るはずの電車は正しくなくて。お母さんの小学校とは反対側の電車に乗ってしまっていた事に気が付けなかった。


『お、お母さん⋯?』



降りた先は知らない駅。真っ暗で知らない町。たちまち怖くなった。乗る電車を間違えてしまった、そう気付いた時にはもう既に襲い。電車は行ってしまった。震える肩を押さえ込んで、明るい場所を目指して暗い道を進む。




「何⋯、お嬢ちゃん、一人なの?」


『え⋯?』



そして突然、見知らぬ誰かに声を掛けられた。大柄の男の人。ニヤニヤと不気味に笑う顔が街頭に照らされる。


────怖い。



たまらず走り出した。確か最近、近くの町であたし位の年の子が誘拐されたとか、殺されたとか、そんな事件があったらしい。学校でも気を付けるよう言われていた。


怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。



『はぁっ、はぁっ、はぁっ』



お母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん..⋯!



男があたしを追いかける。あたしはただ走る。不安と恐怖で涙が滲んで、前がよく見えない。何処かお店でも何でもいい。明かりの見える場所はないか。
ひたすら走って走って、学校らしき建物が見えてきた。あそこに逃げれば⋯



『誰か!誰か助けて!』



大きな玄関のガラスを叫びながら叩く。男が近付いてくる。必死でドアを引くとガラガラと勢い良く開いた。この際学校の中に逃げ込んで、どこかに隠れてやり過ごそう。


『はぁっ⋯はぁっ⋯』


足がガクガク震える。もう走れない。心臓の音が身体全体に響く。遠くでカツン、カツンと靴音が聞こえた。早くどこかに隠れて⋯



『トイレ、なら⋯』



壁に手を付いてふらふらしていると、目の前に“女子トイレ”と書かれたプレートが現れた。ここに逃げれば、あの男もきっと見過ごして帰っていくかも知れない。男の人は女子トイレに入ってはいけない、そう学校で教わったから。



『はぁ⋯っ、はぁっ⋯』



ふらつく足を引っ張って、三番目のトイレの個室に身を潜めた。便座の蓋に両足を抱えて座って、靴音が消えるのを待った。



────カツン、カツン、カツン⋯




『⋯⋯ッ!!』



────カツン、カツン、カツン⋯⋯



口を塞いで、震える身体を抑え、じっと男が消えるのを待つ。



────カツン、カツン、カツン⋯⋯




靴音はだんだん近付いている。ここで男がトイレに入って来たら、ここで音を立ててしまったら⋯



「お嬢ちゃーん?」



『⋯⋯ッ!!』



「おじさんは怖くないよー?一人じゃ危ないから一緒に帰ろーねぇ?」



知らない人にはついて行くな。幼稚園児の頃から教えられたこの言葉。そう簡単について行ってたまるか。




「お嬢ちゃーん。ここに居るのかな?」



(⋯やだ、入って来ないで!!)




男はあたしが隠れてるトイレに入って来た。逃げるので必死で鍵を掛けるのを忘れてた。でもこのトイレには窓がない....
今から鍵を掛けたって逃げれる場所がない⋯! でももしここでドアを⋯



────ガチャ


「みーつけたぁ。」




開けられたら⋯⋯





『いやッ、⋯ッ!!』




悲鳴を上げる直前に、腹部に銀色に光る何かが当たった。でもそれは“当たった”んじゃなくて、正しくは“刺さった”だ。男に刃物で刺された。

ゴボッと、血を吐き出しそのまま崩れ落ちた。男は満足気に笑み去っていった。




お母さんから誕生日プレゼントで貰ったばかりの、大好きな赤い服と白いブラウスが⋯血で汚れちゃった⋯⋯



『⋯おか⋯⋯ぁ⋯さ⋯⋯、』



新しいお洋服を汚しちゃって、ごめんなさい。帰ったら謝らないと、でも痛くて動けない。声も上手く出ない。
帰ったら、また学校のお話しをしながらご飯食べて、本を読んで、一緒に寝たいのに⋯

お母さんと、もっと一緒にいたいのに⋯



お母さん⋯




『⋯お⋯⋯か、⋯ぁ⋯さ⋯⋯⋯』





それがあたしの最後の言葉。お母さんの笑顔を思い出した瞬間、あたしはそのまま眠りに落ちた。


あたしは、三番目のトイレで死んだ。






「はーなこさん!遊びましょ!」



何日?何ヶ月?何年?あたしはこのトイレから出られずしばらく経った。あたしは“お化け”になったみたい。お母さんに会えないから?だからきっとこんな姿になったのよ。

最近、この小学校で【三番目のトイレに女の子のお化けが出る】と噂になっているみたいだ。毎日ここの生徒があたしを探しに来る。名前まで、どこで覚えたの?
【トイレの花子さん】だなんて、カッコ悪いったらありゃしない。



────ガチャ


『⋯⋯なに⋯』


「出たー!」

「きゃー!!」




『⋯⋯なんなの⋯』



毎日これだ。おかげでこの一階の女子トイレには誰も寄り付かなくなった。先生達も入らないように、と呼び掛けてる様で、もうすっかり化け物扱いだ。

誰も使わないからトイレはどんどん汚くなって、ここから出られないあたしにとっては地獄も同然。仕方ないし暇だから掃除をするようになった。昔から掃除が上手いと褒められていた。

【トイレの花子さんが一階のトイレを掃除してる】、そんな噂も立つようになった。


あれから更にしばらく。


「はーなっこさん!あーそびましょ!」



誰かが三番目の個室をノックした。ここで顔を出せば逃げるクセに。仕方なく少しだけドアを開けた。



『なに⋯』

「遊びましょ!」


一人の女の子。2年生くらいか⋯、ニコニコしてて、“お化け”のあたしを怖がらない。これならまぁいいか。本当に遊びに誘ってるみたいだし。



『⋯で、何して遊ぶの?』



「じゃーねぇ⋯、おままごと!」



久しぶりに、同じ位の年の子と遊んだ。おもちゃなんてここにはないから全部身振り手振りで、だけどそこに本当に家具や食器があるように見えて、楽しかった。久々に笑った気がした。




「あっ、もうこんな時間!」



気が付けば、下校時間の放送が流れていた。外も夕日でオレンジ色に染まっている。



「お母さん心配しちゃう!」




お母さん⋯

会いたくて、会いたくて必死で、探してて⋯






『そうよね⋯あんた達には、帰る場所があるんだもんね⋯⋯』




遊びが終わったらこの子は帰ってしまう。この子が大好きなお母さんの元へ帰ってしまう。あたしもこんなにお母さんが大好きなのに、こんなに会いたいのに、こんなに探していたのに。



「じゃーまたね!花子さん!」



あたしは、もう生きてないから⋯お化けだから⋯もしお母さんを見つけても抱き締めてもらえないの⋯?
何も知らず幸せそうに笑うこいつらは、大好きなお母さんに毎日抱き締めてもらえるんだ⋯⋯



「また遊ぼうね!」



『いいわよ、ここでずーっと⋯遊んでいましょ⋯』






「きゃあぁああ!!!」




あたしは女の子の首に手をかけていた。気が付いたら女の子は倒れていた。




『あ⋯は⋯あはは、⋯はははは⋯⋯』




お母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん⋯⋯



皆はいいよ。羨ましいよ。家に帰ったらお母さんがいるんだもの。あたしは帰れない。お母さんを見つけられない。

だったら⋯






────あたしと遊んだ奴ら皆、家に帰れなくしてあげる






『あははははははは⋯!!』










【トイレの花子さん】








END
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