第2部
お化け達が某小学校へ赴くにはまだ早い、23時。小学校近くの公園のベンチで一人黄昏れる口裂け女。そこは盲目の男性と交際していた際の、唯一の逢瀬の場所であった。
交際していた期間は短く、早い別れとなってしまったが、口裂け女にとっては記憶に深く刻まれた大切な思い出なのだ。
そこへ何食わぬ顔で注射男が公園へやって来た。口裂け女は途端に眉間に皺を寄せる。
口裂け女「何しに来たの。」
注射男「口裂けさん、毎月この日になるとここに一人で来てたんで⋯。でも今日、ですよね。付き合ってた人の命日。」
口「分かっているんならさっさとお行きなさい。」
注「俺にも弔わせてくださいよ。本気で口裂けさんに惚れた者同士なんで⋯あー!!すみません調子に乗りました!!消えます!!」
口「⋯⋯そう、別に構わないわ。好きになさい。」
口裂け女は命日だけではなく 月命日となる度にこの公園へ訪れ彼を悼んでいた。都市伝説の怪異となってから 生きている人間と深く関わり合う事などなく、今までは怪異として人間を襲い、時に命を奪う立場。それが恋情を抱き、ましてや死に直面する事も初めてだった。
ただ黙ってベンチに座る口裂け女とその傍で立ち尽くす注射男。同じ空間に居る事を許されたものの、会話をしても良いのか否か。僅かな数分の沈黙が途方もなく永遠の様に長く感じた。
口「⋯あの人と付き合っていた時⋯大雨で3日間会えなくなる前にね⋯、こんな事を言われたのよ。」
先に沈黙を破ったのは口裂け女だった。盲目の男性とのある日の会話を静かに話し始めた。
『実は貴女の事は、私が子供の頃から知っていました。あの頃はまだ目が見えていたから、本で見てとても怖かったのを覚えています。』
口『あら。それは都市伝説冥利に尽きるわね。怖がって貰えて光栄だわ。』
『⋯だから貴女は私よりずっと長く生きてきた筈です。そしてきっとこれからも、私が居なくなった後でも、ずっと。』
口『ふふ。だとしたら私は、よぼよぼのお婆さんかも知れなくてよ。』
『そんな事はないですね。貴女に初めて触れた時感じた、若々しく綺麗な肌は本物でしたから。目に写せなくても、貴女は綺麗なお顔立ちの人だと分かりますよ。』
突然 愛する口裂け女と交際していた男性との惚気話が始まり注射男は複雑な気持ちになった。しかし相手は亡くなってしまった人物。ツッコミを入れたくても入れられない状況に、出かかった言葉を飲み込むしかなかった。そんな注射男の心境など露知らず、口裂け女は続ける。
『⋯たとえ今は杖を使い、時々出会う親切な方に手助けをして貰っていたとしても、もしかしたら不慮の事故が有るかも知れない。目とは別に他の病が見つかるかも知れない。
貴女と出逢ってそう日数が経っていないのに 突然交際を申し込み、快く受け入れてくれたにも関わらず⋯自分勝手で本当に申し訳ないです。
でももし私がここに来れなくなってしまった後はどうか、貴女は自分の幸せの為に前向きに生きて欲しいです。』
口「⋯会えなくなる前⋯あの人が亡くなる前の最後の会話だったわ。」
注「え⋯?」
口「あの時は私も浮かれていたのか、人間の死になんて鈍感になっていたのか⋯。何の取り留めのない会話だと思っていたわ。⋯でもあの人はきっと、自分の死期が見えていたと思うの。」
注「物事を直接目に映す事は出来なくても、見えない何かを感じ取ってた⋯って事なんですかね。」
口「多分ね。最期に霊体となって会いに来てくれたけれど⋯ あの時の会話を思い出すときっと、自分を忘れて幸せになって欲しいって意味もあったのかも知れないわ。」
注「人間より長く生きるから⋯いつまでも自分に縛られて欲しくないって事か⋯。」
口「正直に言うとね。あの人が天に上がった後。飲んで笑って終わりなんて言ったけれど⋯、」
中「はい。暫く落ち込んでましたよね。」
口「流石ストーカーね。結局テケテケ達にも気遣わせて心配かけてしまったわ。」
情を抱いてしまった相手ともう二度と逢瀬を交わす事は出来ない。普段は気丈に振舞っている口裂け女でも気持ちを切り替える事はそう簡単では無かったのだ。
今までの彼女であれば、そもそも生きている人間を相手に情を抱く事など有り得ない事。お化け達との交流を重ねた事で少なからず人間の心を再び持ち始めたのか。心境の変化があったのか。
注「⋯⋯やっぱり、忘れられないですか?」
先程まで途切れず言葉を紡いでいた口裂け女だが、注射男の発言に口を閉じた。忘れられない。これが未練がましいと言う事なのか、ただ亡くした命を偲びたいだけなのか、上手く言葉にする事が出来なかった。
口「⋯正直言って、彼を好きでいたのが本当の自分かどうかも分からなかったの。」
注「本当の自分⋯?」
口「私には⋯私と、あと二人の姉の魂が入っている。その三つの魂のどれかが彼に惹かれていたと思っていたわ。」
注「え!!?」
突然の口裂け女の告白に注射男は目を見開いた。今までどれだけストーキングを続けても知り得なかった、突然の新情報に驚きを隠せない。
口裂け女の都市伝説には実は彼女が三姉妹であったという説がある。三姉妹の長女は整形手術の失敗で、次女は交通事故が原因で口が裂けた。そして何事もなく無事であったという事で姉二人から妬まれ口を裂かれたのが三女だという。
一説では三姉妹で現れ「三人の中で誰が一番綺麗?」と問うパターンもあるようだ。
口「今まで感じた事のない感情だったから⋯と言うのもあるけれど、自信がなかった。だから一度も“好き”と言えないまま後悔ばかりして⋯滑稽だわ。」
口裂け女とここまで長く会話をする事も珍しい上に突如降りかかったあまりの情報の密度に頭の中がパンク寸前であった注射男。然し俯く口裂け女に言葉をかけずにはいられなかった。
自分に向けられたかった感情を誰かに向ける、恋をする口裂け女を遠からず近からず見ていたのは注射男自身だ。
注「あの人を好きだったのは、間違いなく貴女本人だと思います!だってあの人と一緒にいた口裂けさんは、今まで見た事ないくらい綺麗でした⋯!それに凄く可愛くて⋯!!」
口「⋯本当にそう見えていて?」
注「正直悔しかったですよ!!俺にも口裂けさんにあんな表情させられたらって⋯!」
ずっと焦がれていた。口裂け女が愛おしい眼差しで自分を見つめてくれたら。少し恥ずかしそうに微笑んでくれたら。会えない時は今何をしているか、と自分の事を考えてくれたら。
あの時見た口裂け女の表情はどれも本物だった。
口裂け女は胸元に手を当て目を閉じた。すう、と静かに一呼吸置いた。あの感情は私自身のものだった。改めて実感した。ゆっくり目を開き注射男に視線を向けた。
口「⋯ええ。私自身があの人を好きだった。彼を好きだった気持ちは忘れない。」
口裂け女は心のどこかできっかけを欲していたのだ。見えそうで見えない感情を、誰かに後押しして欲しかった。
本当は自分に自信が無い。それを分厚いプライドで押し固めて誤魔化し続けた。そして自分の中にある姉二人の魂のせいにすらした。簡単に素直に自分の気持ちに向き合えなかった。
だがこの日、やっと自分の気持ちを認められた。それは想像をしていたよりも遥かに心が清々しく、なんて愛おしい感情なのだろうか。
もう会う事は出来ない彼。怪異と成り果ててしまった口裂け女が人間の頃には抱く事の無かった感情を与えてくれた。これは口裂け女にとっても今までにない成長とも言えるのだ。
注「⋯そ、それにしても驚きましたよ〜!まさか口裂けさんが三姉妹だったなんて!」
口「ふふ。貴方が好きだのなんだの言っていたその口裂けさんは、どれかしらね?」
緊張感漂う雰囲気に耐えきれなくなった注射男がおちゃらけた様に笑い沈黙を破った。そしていつもの調子に戻った注射男を口裂け女は更にいつもの様にからかい始める。
それは単なるからかいに過ぎない言葉だったが、注射男が出した返答は、口裂け女を驚かせながらも 何よりも心に残るものとなった。
注「どれも何も⋯、俺が三人分愛します!!」
口「あら、堂々と三股宣言?」
注「違⋯!いやでもその、口裂け女さんそのものを⋯!なんて言うか、えーっとですね⋯、」
───姉二人に口を裂かれた後、私が二人を殺した。
殺した姉達は私に取り憑き 眠れない程に「私の方が綺麗でしょ」と呪いの言葉を浴びせてきた。
だから姉達が満足するまで、私が聞いて回ってあげる事にした。「私は綺麗?」って。
良くも悪くも人を魅了し取り入って、強欲なのは長女譲り。
運動が得意で速く走れて、負けず嫌いで傲慢なのは次女譲り。
唯一凡人だったのは私の方。けれど誰よりも姉達が羨ましくていつも嫉妬していた。姉達の名前も私の名前も覚えていないけれど、素直になれないのは、きっと私そのもの。
でももし彼を好きだったのが、姉二人のどちらかだったら。
長女だけだったなら、目の不自由な彼を利用して優しい自分を見せていただけかも知れない。もし次女だけだったなら、彼が居なくなった後でも誰にも弱い所なんて見せなかったかも知れない。
でも私は⋯あの人は哀れだから優しくしてあげようだとか、利用してやろうとも考えた事はなかった。ただ公園で会って世間話をするだけで楽しかった。あの人が居なくなった後も悲しみに耐え切れず泣いた。
だから凡人らしくただ悲しみに暮れて、今でも月命日の度にこうして思い出の場所に訪れて弔っていたのね。
三姉妹であった事は あの子達と深く親しくなる前に話したことはあったけれど、「口裂けさん」と呼んで慕ってくれるあの子達に これ以上の過去の話をして、重いものは背負わせたくないの。
あの子達とのこれからの穏やかな日々に、人間だった頃の私の話は要らない。
でも、貴方は違うんでしょう?三姉妹の悪い所を凝縮して成り果てたのが、この都市伝説"口裂け女"なのだから。
そんな私達そのもの、三人分の魂を愛してくれるんでしょう?
注「えーと⋯、どうかしましたか?口裂けさん⋯?」
口「どうもしないわ。そろそろ行きましょ。あの子達が待ってるわ。」
時は0時を過ぎ、弔いの日が終わった。口裂け女はスクッとベンチから立ち上がり、注射男と共に某小学校へ向かい歩みを進める事にした。
「自分の幸せの為に前向きに生きて欲しい」と遺した盲目の彼の言葉は、 そう今すぐ簡単に切り替えられるものではないにしても、口裂け女の心を後押しし、「三人分愛する」と言う注射男の言葉は、自分の感情に向き合う事、そして素直になる事を受け入れられる様に 口裂け女の心を優しく包み込んでくれたのであった。
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