3章『やらない善意よりやる偽善。』


「あらぁ、だいぶ降ってるわねぇ……昼はあんなに晴れてたのにん」

ゴンさんは店の外を覗き込みながらそう言っていたから俺も外を横目で見てみると、ゴンさんが言ったとおり、土砂降りとまではいかないまでも結構な大雨だった。洗濯物を早めに取り込んで正解だったなと自分の判断を心のなかで褒めながら視線を時計を向ける。
見ると18時過ぎてもうすぐ長い針が3を差すところ。透はもう家に着いただろうか。
放課後細山と二人三脚の練習をするから先に帰っててくれと言われたのでその通りにしたが……放課後残っていてもいいけれど18時までに帰るようにと言われていたし、規則を基本的には守る透のことだからすでに学校を出ているとは思うが……、さっき雨降ってきたけれど大丈夫か?とメールしたけれど返ってこない。客から見えないところでこっそりと確認してみるが未だに返信無し。
練習で疲れて返信どころではないのかもしれない。初めて心置きなく楽しめる体育祭に透は張り切っているようだから、もしかしたら電車の中で眠ってしまっているのかもしれないし、とっくに家に帰ってぐったりしているのかもしれない。
様々な可能性を頭の中で思い浮かべてみた。

……でも、なんだろうか。
透のことを考えれば考えるほどに胸辺りがざわつくし、可能性を思い浮かべれば思い浮かべるほどに違和感を覚える自分に首をかしげる。なんだろう?しばらく考えてみて……一つの可能性に行き当たり、それには何の疑問もなくむしろなるほど!と馴染んだ。
となれば後は行動あるのみ。

「ゴンさん、ちょっと俺出ます。」
「あら?そう?気をつけてねん!」
「うっす」

俺の突然の行動に驚きながらも快く見送ってくれる。
今人もあまりいないし、平日のど真ん中かつ雨も降ってきたのでこれからあまり人は来ないだろうと予想していたのだろう、引き止められられることはなかった。
エプロンを外し携帯電話と財布だけを持って裏口から外へ出た。
雨の多さと水たまりの大きさに怯んだが、すぐに立ち直り自分の黒い傘をバサッと開いてそれからお客さん用に、といくつか置いてあるどこにでもある素っ気ない透明の傘を持ちこっちは開かず閉じたままに持ち手を手首に引っ掛けて駅のほうへと向かう。


今日透が傘を持ってきていなかった。
折りたたみ傘を持っていない透が手ぶらで学校に来ていると言うことは確実に傘がない、ということにさっき気付いた。すでに多少は濡れているかもしれないが、きっとないよりはマシだろう。そう考えて迎えに行こう、と思い至った。
これは勘だが、透はまだ家には帰っていないから、持っていってやろうと即行動に移した。
万が一帰っていたら透のことだから俺からメールが着たことに気付いたらすぐに返信が来るだろうし、もしも眠っていたのならまあ仕方がない、メールも来ず19時ぐらいまで待ってもいないのなら家で眠ってしまったのだろうと諦めよう。
ほとほと俺は透に対して甘いが、今まで離れていた大事な親友のためなので何の苦でもないし、むしろ当然のように感じられる……そこまで考えて叶野に俺と透の距離が近すぎると言われたことを思い出してしまう。

(……四六時中共にいても苦ではなくむしろ心地よさすら感じていたのは、親友だから、そう思っていたが叶野たちは違うらしい。)

機嫌が降下した俺に対して叶野は色々事情があって八つ当たりしちゃったごめんと謝られたが、でも周りの俺らを見る目が叶野たちを見る目と違うことには気付いていた。
叶野たちは叶野たち、俺らは俺ら、そう思ってきたが……実際、どうなんだろうか。
俺は6年前離れ離れになったあの日からずっと透がここに帰ってくることを渇望してた。
ときには透を憎んだこともあった、ゴンさんのおかげでまた純粋に帰ってきてほしいと思えて、今年になって漸く透が帰ってきてくれた。
当の本人である透は俺のことどころか家族のことすらも忘れてしまっていたが、記憶喪失でもなんでも約束が果たされたことが嬉しくて仕方がなかった。
大事な大事な親友、傷つける奴は絶対に許さない。
今までにないほど自分が通るに対して過保護になっているということは理解しているが、親友だから仕方ない、そう割り切った気持ちだった。
透が大事で大切なことは何一つ変わらない、この先どんなことがあろうとも俺だけは絶対に味方である!そう胸を張って大声で宣言出来るほど俺の中で透は絶対的存在であり裏切るなんて想像出来ないし、そんなことを想像する自分自身を殺したくなるほどだ。
透に幸せになってほしい、そう願うのは本当で当然である。
傷ついてほしくない、優しいところにいてほしい、慈しみたい、そう思う。
そう思う心に嘘なんてない、のに。

(……けれど、それが他人の手によって透が最高に幸せになると考えると、何故かムカムカしてくるんだ。)

勿論誰かの手が透を壊そうとする奴は怒るだろうし、許されるなら地の果てまで追いかけ回して殺してほしいと懇願されるまで嬲りたいと思うのが普通だとして……逆に誰かの手によって透が幸せになることを想像すると、怒りとはまた違う感情を覚える。
最近で言うなら、他校の女子が透に告白しているのを見る度に苛立ちを覚えるようになった。
透を好きになった理由を聞いてもいないのに律儀に言うものだから尚更イライラする。
(誰も彼もが透の外見ばかり)
やれ笑った顔が好きとか、やれ端正な顔立ちに一目で心奪われただとかそこらの男子高校生に比べ品があってだとか……透とちゃんと話したこともねえくせに、よくそんなこと言える。
透は昔から現実主義なところがあって、当時から一目惚れがよく分からないと首を傾げていた。
俺はどちらかと言うと一目惚れに憧れを持っていた方だったからその辺の価値観は当時は合わなかった。あのときは素敵だと思ったんだけどなぁ……。
だけど透と再会して、透が告白されるのを見てからは一目惚れという言葉がいかに愚直なものなのだとよく分かった。無責任なのだ、その容姿に対してのみ惚れた腫れただの都合のいいことを言うことが。
ただ自分の理想を相手に押し付けているに過ぎないのだと。
キラキラと愛くるしい大きな真ん丸な瞳で透を映しながら、その実彼女たちは【一ノ瀬透】という人間を見ていない。
ただ理想の男性図を透に映しているだけに過ぎない、第一印象だけで透はこういう人間だという思い込みで見ている。
最初こそ透が指摘してきたように心配なだけだったが段々と透を見ているようでその実、全く見ていない彼女たちへ苛立ちを覚えるようになっていった。
少なくとも1ヶ月はちゃんと中身を見れるように話しかけ続けるぐらいの気概をみせてほしい。

傘を畳んで改札口の前で透の姿を探しながらそんなことを考えていた。

携帯電話を開く、返信は未だなし。
時刻は18時半を過ぎようとしているところだった、壁に寄りかかり目当ての人がいないか確認のため改札を出る人々を眺める。
あと30分、待ってもいないのなら帰ろう。
そう心の中で決めて片手に携帯電話を持ったまま暇つぶしがてら先程の思考の続きをしよう。目で透を探しながらも考えてみる。

ーーーもし、透の全てを見た上で好きと言ってくる女子が現れたとて、その告白を受け入れて所謂恋人同士になって……俺がいるところにその女子が入って、その女子にだけ見せるような透の表情を向ける。
俺にも見たことの無い表情を。
そこまで想像して……苛立ちを覚えた。

何故だ?

……俺にもわからねえ……。
自分のことながらよくわからない。
透の全てが好きだと言う人間が現れるのはいい事で、好き合うのもいい事、互いに互いを大切にし合うような関係性はきっと見ているだけで幸せになれるはずで。
透が幸せになっているのだから、親友である俺はそれを祝福するべきだ。
なのに、俺の気持ちを裏切って透が誰かと笑い合っているのを想像するだけで……腸が煮えくり返りそうになるほどの吐き気を覚える。
ちがう。
いもしない、俺の妄想の中で透に笑いかけていた女を何度も殴打する。
勿論透には見えていないところで、透は綺麗な笑顔のままでいてほしい、男前でたまに頑固で、でも友達思いで、家族思いの優しさと男らしさを兼ね備えた人間のままでいてほしい。
俺のことを『親友』だと、そういってほしい。

……ヂリッ!

「……?」

そこまで考えて、何か胸の奥が焦げたついたような感覚と音が聞こえた気がした。
どういうことだと首を傾げ、謎の音と違和感の正体を追おうとしたがその前に視界の端に望んだ待っていたその姿を見つけて直ぐに忘れてしまった。

「透っ」

改札口からふらっと出てきたその姿を見て、心配になって駆け出して名前を呼んだ。
周囲の注目を集めてしまったけれどどうだってよかった、それよりも透が気になったから。

少し離れたところから見ただけで全身雨のせいで濡れていたのが分かって、風邪をひいてしまうと心配になったのもあったけれど、それよりも気になったのがずっと透が俯いていることだった。
雨のせいで長い前髪がピッタリと肌に張り付いてしまった上に俯いていることから全くその表情が分からなかったが、そんな透の様子に妙に焦りを覚えた。

その細い身体が頼りなく映るのは濡れているせいか?悲しげに見えてしまうのは、俯いているからか?
分からない、だから俺は透の名前を呼んだ。
駅構内で俺の声は良く響いた。
俺の声は周囲が振り返るほどの大きな声で、勿論透にも聞こえていたようでピタリと立ち止まった。
透に近づいてもうすぐ真正面に着きそうなところでその俯いていた顔を上げた。

「い、とう」

顔色の悪く青ざめていて、唇の色も青くなってしまっていた。
寒いのか震えている声で俺の名前を呼んだ透のその灰色の瞳は、俺をゆらゆらと映していた。
無意識に触れたむき出しになっている右手に触れると驚いた。
白い手がいつもよりも酷く冷たくて、氷に触れているみたいだったのだ。

「、とにかく、移動しよう、冷えただろっ」
「でも、」
「いいから!風邪引く!」

躊躇う透の腕を痛くない程度に引っ張りながらゴンさんのところへ連行した。
意識せず繋いだ手は話されることはなく、握られたままだった力ない手が俺の左手をきゅっと締め付けられたのを感じて、握り返されたのだと理解して顔が熱くなった。
胸の方まできゅぅうっと締め付けられたような感覚に襲われた。でも、心地よさすら感じるものだった。

俺がここにいることを透が認識したとき、緊張状態だったのか上がっていたその肩が、安堵したかのように力が抜けて下がって、俺の名前を呼んだその吐息のような声が確かに安心から来ていたことも思い浮かべて頭が沸騰しそうになる。
調子の悪そうな透を引っ張りながらそんなことを考えているなんて、知られたら幻滅されてしまうかもしれない。
(、ごめん)
なのにこの嬉しさが抑え込むことは出来なくて、俺の顔が見えていないことを良いことに心の中で謝罪しながらも唇を噛みながらも口角が上がったままになってしまった。
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