3章『やらない善意よりやる偽善。』


登校日なので授業は無く、出席だけ取って今日から少しずつ本格的に授業が始まるまでに身体を慣らしておくように、と締めて今日の学校の用事は終わった。部活動がある生徒はそのまま残っていたが、俺たちは特に学校には用事はないのでそのまま帰ることになったのだが……鷲尾と別れてすぐ俺は叶野を呼び止めた。

「話したいことがあるんだが、時間はあるか」と。
「うん?いいよ」

叶野は驚きながらも快く承諾してくれた。

「伊藤は先に帰っていてくれ。」
「おう、またバイトでな。」

伊藤は俺がこれから話そうとしていることを知っていてか何も言わずただ後でバイトで会おうとだけ。叶野も

「誠一郎は先に帰ってて〜ちょっと俺は一ノ瀬くんと雑談してから帰る〜」
「おー、わかった。……気をつけてな?」
「わかってます……。」

と湖越に声をかければ何の躊躇いもなく頷いて伊藤と二人で高校最寄り駅まで歩いていく、二つの背中を見送った。
「立ち話もあれだし、ちょっと移動しよっか〜」
と叶野の提案に頷いて促されるままに歩みをすすめる。
帰りに使う道と逆の道を歩いていくと少し大きな公園があった。夏休み中であろう小学生に混じって俺達と同じ学校と思しき男子生徒がちらほらいた、俺が自宅から駅まで歩くまでにある公園よりは大きな公園は金はないが時間がある学生が使うのにもうってつけだな、と納得する。
「あ、あそこあいてるね。」
叶野が指をさす先には自販機が隣においてあって後ろには大きめの木々たちがあり丁度日陰になっているベンチがあった、この炎天下自販機の隣で木の陰に隠れられるベンチに誰もいない、来るタイミングが良かったらしい。遠慮なく座ると後ろの木々たちにひっついている蝉たちの音が響くが、直接日光に当たるよりはましだ。近くにあった自販機でペットボトルの紅茶を買って口をつける。冷たい液体が喉を通る感覚が心地よい。

「ふぃ〜、生き返った〜……。あっ俺に話ってなにかな?」
「叶野は……吉田から話、聞いてる……よな?」
「……夏祭りの、ことだよね?」

緩やかで穏やかな空気が少し張り詰めるのが分かる。
子どもの声と野太いきっと俺らの学校の生徒であろう男子高校生の騒がしい声が聞こえる、苦情にならなきゃいいな……なんて、少し現実逃避。

「ああ、端的にどう思う?」
「どう思う?!え、ええ〜と……吉田くんからすると誠一郎に梶井くんに謝ってほしい、のかなぁって……」
「それは多分違うと思う。」
「えっ」

叶野が意見してくれたのにも関わらずそれを尊重するどころか否定する自分に少しの嫌悪感。
けれど今はそれに気にしていることは出来ない、緊張で胸がいっぱいだからだ。


「梶井と湖越に、仲良くしてほしいんだと、おもう。」


きっと、いや絶対にそうだ。
いや、否定しておいてあれだけど吉田としては確かに何か言ってしまったことを一言謝ってほしいのかもしれないけれど、それだけではないんだろう。謝るだけではなく、あの素であろう梶井にもう一度会うにはきっと湖越と和解するのが一番なのだ、きっとそれは吉田も梶井も望んでいることだ。湖越は……どう思っているのか俺には分からない。だけど、叶野なら、小学校からの親友であり空気も読める叶野なら、和解できるよう上手くやれるんじゃないかって、そう思った。唇を湿らせて、叶野を見つめて、誘う言葉をだす。

「だから、どうだろうか。」
「湖越と梶井の和解を、一緒に手伝ってくれないだろうか。」

声は震えていないだろうか、手は緊張から炎天下にも関わらず冷たくなってしまっている。
蝉の音も今の俺の耳には聞こえなくなった、それに疑問を抱く余裕もない、俺の言葉の返答を、ただ黙って待った。
しばらくして、叶野は口を開く。苦しそうな表情を浮かべながら、

「……本心を言うと快く引き受けて手伝ってあげたいんだけれど……ごめん。」
と。
「……そうか。」
叶野の細い声は掻き消されることはなくちゃんと俺の耳に届いた。届いたと同時にあの最後の叫びだと言わんばかりの蝉の音がまた耳に入ってくる。
……断られてしまった。
湖越と梶井が和解できるよう手助けして欲しい、そう叶野に俺は言った。その提案に目を見開いて驚いていたようだったが、俺の目を見て本気なのだと察したようで合わせていた視線を逸らして考える素振りをしたあと、もう一度ゆっくり目を合わせ……断られた。
静かで言葉遣い自体は穏やかで優しいのだが、この決定は覆すことは出来ないという強い意志を感じて俺はただその回答に頷いた。
納得さえしていた。
叶野が手伝ってくれるか否かは半々かな、と最初から思っていたから驚きはしない。
驚かない俺に叶野はフフ、と苦笑い。

「吉田くんからすると、誠一郎は梶井くんを突き放したひどい人間だと思っているんだよね、そう思うのは人それぞれのことで、仕方のないことでもあるのは分かるよ。
……だけどね、俺から見た誠一郎はすごく優しい人なんだ。」

叶野は青空を見上げて懐かしそう目を細めて続ける。

「謝ることを強要されたときには庇ってくれていじめのことを真っ先に気付いてくれて……不登校の俺を励ましてくれた。もしかしたら、誠一郎からしても綺麗な友情ではないのかもしれないけれど……それでも、俺からすると恩人であり、一番の親友なんだ。」
だから、叶野は目を閉じてすぐに開けて俺を射抜く。
普段の温和で優しい空気感はそのままにでもその瞳は覚悟を決めた男らしい意志の宿った瞳をしていた。
「俺は誠一郎の一番の味方でいたい。
本音を言うと俺も、梶井くんのことも吉田くんのことも気になるんだけど……、梶井くんの話題を出すと誠一郎、悲しそうで苦しそうにするんだ、本当につらそうにしていてこれ以上踏み込めば壊れちゃいそうで……。だから、ごめん。
和解させるための協力は今のところはできそうにないや。
俺は誠一郎一人で梶井くんと話せるようになるまで……支えたいんだ。」
夏祭り、湖越たちが帰った後弱々しく自信がなさそうなのが嘘のように自信に溢れた堂々とした答えだった。やっぱり叶野は男らしい。
(……叶野らしい答え、だ)
誰かを傷付けたくないし出来ることならきっと和解したほうが良い、親友が苦しむのは叶野にとって一番苦しいと判断したようだ。
元々断られても何も言うつもりは無かったが、そこまでの覚悟を見せられてしまえば食い下がるなんて選択肢も思いつきもしない。
叶野の覚悟に水を差す気にもならず、ただ頷いて返せば苦笑される。

「でも、応援してるよ。……なんて言うのは、ずるいかな。」
自嘲する叶野に首を振って否定する。
そんなことはないって少しでも伝わって欲しい。
「叶野にとって湖越が大事な親友って分かった。……俺も、当事者が伊藤だったら、たぶん叶野と同じようにしていたと思う。」
叶野たちも俺にとってとても大切な友だちだけど、もしも伊藤が湖越の立場であれば叶野と同じようにしていたし、梶井の立場であれば湖越にあたる人に吉田のような態度を取ってしまう可能性は……高い。
優先順位、とかではないと思う。
ただ自分のなかで伊藤が一等大事、それだけ。

「応援してると言ってくれるだけでも、救われる。……このまま、湖越を支えてほしい。」

叶野も出来ることなら梶井と和解してほしいと伝わったから。もしかしたらこれから俺は湖越を傷つけてしまうかもしれないから……叶野が湖越を支えてくれるのなら、少し安心する。

「断られているのに清々しいね、俺からすると一ノ瀬くんはちょっと眩しいよ。
……俺も一ノ瀬くんみたいになりたかったなぁ。」
「?叶野は凄いのに?」
俺みたいに、と言われてもピンと来ない。
俺なんかより色んなものを持っていて色んなことを知っている叶野は凄いな、とつい先程思っていたから余計によくわからない。
首を傾げる俺に

「……すごくないよ。俺は、ぜんぜん。
一ノ瀬くんのようには、なれない。」

そう言った叶野の表情は笑っているのに泣き出しそうに見えた、声をかけたかったのに何も言えなくなってしまった。


あの後、すぐにいつも通りの笑顔で「そろそろ帰ろっか」と叶野から切り出されて、これ以上何も話せないだろうと判断した俺は考える前に頷いていた。
駅までの帰り道何か話したようなような気もするけれどよく覚えていない、覚えているのは強い日差しが肌を焼いていく感覚だけ。駅までは一緒でも方面は違う、「またね、宿題ちゃんとやるんだよ〜」と言いながら手を振って階段を下っていく叶野の背中をみてじわじわと後悔した、叶野の言葉を否定しなかったことに。そんな自分にため息を一つ吐いた。
丁度そのとき、

「……あー……、俺って、ほんとう、さいていだなぁ。」

階段を下りきった叶野が苦しそうに胸ぎゅうっとおさえつけて悲しそうにその表情を歪ませた。

(でも整理出来なかった、だってそりゃそうだよ、やっと俺昨日自分の気持ち受け止めたところなんだから。好きになったって、自分が傷つくの、分かっているのに。)
今日だって、鷲尾くんは俺と話しているのに無意識に離れた一ノ瀬くんに目を追っているのをみてしまった。胸が締め付けられる。だけど、卑怯な安堵も覚えていた。
だって、一ノ瀬くんは伊藤くんのことしか見ていないし伊藤くんも一ノ瀬くんしか見ていない、勿論、恋愛的に。
否定していても傍から見ればどうしたって互いを想い合っている深い仲の2人にしか見えない。
まだ鷲尾くんは自分の気持ちに自覚していないけれど、伊藤くんと一緒にいる一ノ瀬くんをみて苦しそうにしているのだから、一目瞭然だった。
だから、たとえ鷲尾くんが自覚したところで一ノ瀬くんが鷲尾くんのことをそういう対象としてみることはないんだと、安心している。ああ、俺は好きな人の恋すら応援できない、叶わない恋だと安堵すら覚えている、なんて醜い人間なんだろう。
いいなぁ。一ノ瀬くんは、鷲尾くんに好かれていて、自覚は無いけれど好いた人にちゃんと好かれていて……。
一ノ瀬くんが心底羨ましくて、自分の醜さが酷さが際立って苦しくて、体の中はぐちゃぐちゃだ。
そんな浅ましい気持ちを持っている自分では一ノ瀬くんのような綺麗な気持ちで誠一郎たちの和解のお手伝いなんて出来るわけがない。
もちろん、誠一郎への確かな友情もあるけれど、それと俺のこの醜い感情がどっちが大きいのかなんてもう考えたくない。
俺は結局目を逸らすことを選んだ。これでは前とは変わらない。人間、分かっていても簡単に変えられないこともあるんだと、痛感する。

(一ノ瀬くんが、顔だけが綺麗な内面が酷い人なら、よかったのに。ああ、でもそれだと鷲尾くんは一ノ瀬くんを好きにはならないのかな。
外も内も綺麗だから皆焦がれる、本来ならば俺が一ノ瀬くんを羨ましいと思うこと自体、烏滸がましいことだ。)

そこまで考えて、ずんとさらに気が重くなる。


……俺自身の意見を大事にしてほしいと言ってくれた、今の俺が息をしやすくしてくれた優しい友達になんてことを……、


後悔からか胸が締め付けられた、くるしい。
悍ましい自分に吐き気がしそうだ。

最低だ、ほんとうに、おれは。

自己嫌悪に線路へと飛び出したくなる衝動を抑えて、電車を待った。




帰り道は悶々とした。
否定したかったことを出来なかった自分が不甲斐ない。
けれど、後日何の脈絡無く叶野は凄い人だと言うのもいまさらとしか捉えてくれないだろう。
大事な友だちと何か少しずつすれ違っている気がして、焦りを覚える。
この感覚は叶野だけじゃなくて、伊藤以外のみんなに少し感じ始めている。
不仲ではない、だけどちゃんと噛み合っていない、何とか回ってはいるが、部品が少し違っていてちゃんと歯車が合っていないような、不思議な感じ。
……大事なのにな、みんな。
初めてちゃんと出来上がったんだと胸を張って言える交友関係、みんな大事でこの縁を大切にしたいのに、上手くいかない。原因が分かりやすく見えていれば対処も考えられるんだが、これは感覚でしかないのでどうしていいのか分からない。
そんなことを考えていたらすぐに自分の最寄り駅、また一つため息を吐いて電車を降りた。


「おはようございます。」
「おはよう〜透ちゃん!」

バイトであり今日のお昼はこちらで食べると言っていたとおりゴンさんの店に行くと快く出迎えてくれる。
いつも通りふりふりの格好をして元気にその大きな身体をくねらせているゴンさんにホッと安心する。純粋に一人の子どもとして接してくれることがこんなに安心感があるのかと思う。
無意識に入っていた肩の力が知らず識らずのうちの抜けてよくよく店内を見渡して首をかしげる、いつもゴンさんの仕込みの手伝いをしている伊藤の姿が無かったのである。

「すずめちゃんをお探しかしらん?学校から帰ってきて自分の部屋に荷物置きに言ったまま戻ってこないのよねぇ、いつもなら着替えてすぐに降りてくるのに……ちょっとわたし手が離せないから様子見てきてもらってもいいかしらん?」

何故か戻ってこない伊藤も不思議だが、自分の荷物は伊藤の部屋に置かせてもらっているしバイト用に汚しても良いTシャツに着替えるためにも一回俺も二階へ行かないといけなかった。
伊藤の様子を見るついでの自分の用事も済ませようとスクールバックを持って二階へ上がる。
階段を上っていても伊藤の部屋の扉をノックしても考えてしまう。
少し力を抜くことは出来たものの、さっきの考え事は未だに頭の中でぐるぐるしていて、気は晴れないままだった。
だが、
「っ?」
扉を開けて、すぐ床に座り込み項垂れている伊藤の姿に驚いて鬱々とした考え事は一瞬で消えてしまう。
驚きすぎて目を擦って改めて見ても状況は変わらず、伊藤は微動だにしていない。
「……どうしたんだ?」
戸惑いながらも声をかける、このままにしておくという選択肢は無い。
俺から声をかけない限り動きそうにない、と判断してのことだった、挨拶は無しに単刀直入に何故固まっているのか問いかける。
俺の声にピク、と身体を震わしたあと、ギギギ……、と油がさされていない錆びついたロボットのようなぎこちなさでこちらを振り返る伊藤。
「……透、どうしよう」
その手には宿題に出されていた数学冊子と少し皺ついた理科のプリント……って、あの……まさか……まさかだよな?

「シュクダイ、オワッテナイ」

絶望に染まり過ぎたせいか片言の伊藤の言葉を聞いて思わず天を仰いだ。
あまり勘は良くないくせにこういうときは当たる、否項垂れた姿とその手に持つものでそう推理出来てしまったのだ。
ちなみにこれは夏休み残り6日の出来事である。
伊藤は理数の宿題をすっかりすっぽ抜けていたらしい。
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