3章『やらない善意よりやる偽善。』

「鷲尾、これ貸す。」
「……なんだ、これは?」

25日は登校日。
伊藤とは夏祭り前と同様ほぼ一緒に過ごしている間にいつの間にか登校日になっていた。
補修に行っていてちょこちょこ制服を着ていた俺とは違い伊藤は大体一ヶ月ぶりの着用だったので「なんか変な感じだ」と言いながらワイシャツの襟のところをぐいぐい引張っていた。
雑談したりぼーっとしたりを繰り返しているうちに学校に到着、夏休みという長期休みのせいか少し身体がだるいというか重い感じがしたのは俺だけではなくみんな同じみたいで、眠気眼だったり「あーもうすぐ学校始まるなぁ」「俺宿題まだ終わってねぇ!」「ウケる」など学校開始を憂う声や宿題を終えていないことに嘆く声を聞きながら教室へ。
教室に入って自分の席に荷物を置いた伊藤はキョロキョロと見回し誰かを探しているかと思えば、自分の鞄に入っていた薄い四角いものを取り出しすでに席に着いていたであろう人物のもとへスタスタと迷うこと無く歩いていく、俺も遅れてススっとその後ろをついていく。

挨拶もなしに突然伊藤は鷲尾の机に取り出したものを置いて貸すとしか言わないので、鷲尾は怪訝そうな顔で席に着いたまま伊藤と机に置かれたものを交互に見た。

「おはよう鷲尾」
「……おはよう、一ノ瀬。これはなんだ?」
「鷲尾がギターやドラムに興味を持っているから伊藤の聞いてるやつを貸してみたらどうだ?て言った。」
「なるほどそういうことか……」

鷲尾は俺の説明に伊藤の突然の行動に納得して伊藤が置いたそれらを改めてまじまじと見つめる。鷲尾の机に置いたもの、それは伊藤が好んでよく聞いているロックバンドのCD(×3)である。

「これベストアルバムな、とりあえず1週はしてくれよ。」
「……随分分厚いな」
「ベストアルバムだからなこれに2枚入ってる、ああでも好きかどうかわかんねえならこっちからのほうがいいか?こっちはシングルで3曲しかねえから。」
「ふうん、伊藤のおすすめはあるのか?」
「そうだなぁ……」
おすすめ、と聞かれ伊藤は悩ましそうにうーんと唸った。考え始めて少しすると明るい声が夏休み中の登校を憂いて湿った空気の教室のなか響いた。
「おはっよー!みんな久しぶりっ!集まって何してんの?」
「叶野か、おはよう」
連絡はとっているものの叶野も地元の友達と遊んだり家族でお出かけとかで忙しそうでなかなかタイミングが合わず結局夏祭り以来会えていなかったので叶野も久しぶりだ。
鷲尾を囲うようにしている俺たちに首を傾げてそう聞かれて挨拶してすぐここにいる答えを出す。

「伊藤が自分の好きなロックバンドを鷲尾におすすめしているところ」
「伊藤くんロック好きなんだねえ、へー……お、これ俺も好きなやつじゃん。」

鞄も置かずに鷲尾の机に散らばっているCDを覗き込むと、まだ話題に出ていなかったもう1枚のCDを持ち上げてまじまじと見た、鷲尾はそんな叶野を少し意外そうに見つめる。

「叶野もよく聞くのか?」
「うん、うちの両親が音楽が好きでさ、ロックとかアーティストやジャンル問わずに色々聞いてるよ。パンクやらジャズやらニューエイジやらなんやら」
「へぇ……。」

なんだろう、ニューエイジって……それもジャンルなのか?
疑問があるものの叶野は音楽にも精通しているらしい。
幅広い知識があるのってすごいよな。両親の見識が広いんだろうな、勉強だけはなくいろんなことを知っていてかつ空気が読めて運動もできてノリもいい叶野ってすごくないか?すごいよな。
俺の友人で本当に良いのかと不安になるほど叶野って知れば知るほどにすごい人だな……何かと幅広い知識を持っている叶野に尊敬の意を抱いていると伊藤は悩みながらもついにおすすめを絞り出した。

「このディスク1のこの5番目と8番目、11番……」
「ふむふむ」
「いや、でもこれも……」
「おお、俺も知らないやついっぱいある!俺にも教えてー」
「ああこれも捨てがたいな……」
「結局全部じゃないか」
「本当に好きなんだねえ、あれ?そういえばわっしーってこういうの好きだっけ?」
「最近触れる機会があってな、」

「……。」

話に入れず無言に鳴る俺に気にせずトントンと進んでいく会話。
正直に言ってしまうとこうして楽しそうに3人が話しているのを見て聞いても、ロックが云々関係なく音楽に興味が持てなかった。
少し悩んだが、話に入れないし興味のないことに時間を割くのもな、と考えて、これ以上俺がここにいても仕方がないな、と判断して、そろっと3人の輪から離れて自分の席に戻ろうとすると、ふと目が合う人物がいた。

「あ、湖越。おはよう」
「……はよ」

教室に入って早々に俺たちのところに来た叶野とは違い、湖越はすでに自分の席に座っていた。話をしていたせいで叶野たちが入ってきたのに気付けなかった。俺らに挨拶もせずに席についていた、目が合ったので普段どおりに挨拶をしてみると気まずそうに目を細めながらも無視はされなかった。
湖越もあの一件以来で、どう俺らと顔をあわせるべきか悩んでいたのだとひと目で分かるほどにいつもと違って挙動不審。
叶野は湖越に自分の知っていたことを俺らに教えたということを知っている、だが叶野は吉田自身の事情はすでに聞いているのだろうか、叶野はこのことを湖越に言ったのだろうか?
たった今目の前でどうしていいのか分からずに困ったような表情を浮かべている友人はどこまで知っているのか未知数だ、このことを聞いてもまあ良いのかも知れない。
俺は湖越に理不尽に怒鳴られて記憶喪失のことを詰られたのだから、聞いたって構わないのだろう、湖越は梶井のことを聞かれる可能性の危惧しているのかあの日のことを俺から責められることに怯えているのか判断は出来なかった、どうしていいのか分からないと表情が訴えているのが辛うじて分かっただけ。
だから。

「宿題、」
「、」
「終わったか?」

俺に言ったことは既に反省している友人をこれ以上俺は責めるつもりはないし、梶井のことも今は俺からは何も言うことはないと判断して、クラスメイトの雑談を真似てそう聞いた。
会話のバリエーションがまだ少なくて叶野のように気遣っているのがバレない気遣いは俺にはまだまだ難易度が高くて、ぎこちなくなってしまったけれど、俺が湖越に求めているのはいつも通りの会話なのだと、普段どおりに接してほしいんだと、分かってくれればそれで良い。
その意図は正しく相手に伝わったようで湖越は戸惑いながらも俺と目を合わせて『いつも通り』に話そうとしてくれた。

「ああ、何とか。……一ノ瀬は?」
「そうか、俺も終わってる。……もうすぐ学校が始まるな。」
「ああ、ちゃんと起きれるか不安だな、」
「それな……」
「……」
「……」

湖越が俺に聞き返して、ぽつりと話題を振ってみるとまた返してくれたが、それに同意してしまえば次にどう言葉を出して良いのか分からなくなってしまった、それは湖越も一緒だった。
今まで至って俺は湖越と二人きりであまり話したことが無いために、どう話題を繋げていくべきか分からず、ここでお互いに会話が止まってしまった。
……俺一人で何とか話そうとしたにしては上出来、ということにしておこう。このまま別れて自分の席に戻ろうと今度こそ脚を進めようとしたが、肩周りが突然重くなって拘束されて動けなくなってしまい、この場に止まるしかできなくなってしまった。
(?)
何事かと思えば視界の端に映ったのは人工的で艶のない金髪……ああ、伊藤が俺の肩を抱いているのかと気付く。もう一本の手は湖越に向かって新しい携帯電話を差し出しており、伊藤の行動を理解できていない湖越はしぱしぱと何度か瞬きを繰り返す。

「はよ、湖越。お前のアドレスも教えろ」
「…おはよう、あれ、前にも教えなかったけか?」
「いろいろあってぶっ壊れて書い直した。」
「何があったんだ?……いいよ、分かった」
「おーさんきゅ」

挨拶をそこそこに。
伊藤はすぐに本題へと入る、携帯電話を突き出してくる謎も解け、二度目のアドレス交換するするべく湖越も携帯電話を取り出して操作して、自身の携帯電話と伊藤の携帯電話が重なる。
鷲尾と叶野は音楽についていの話を続行しているようだったので伊藤だけこっちに来たようだ、『湖越も』という伊藤の発言から予想するに鷲尾たちともすでに交換済みなんだろう。
吉田ともメニューとともに置かれていたあの間違い探しに挑戦する前に交換していたから……これで俺が知っているなかでは伊藤の友だちとアドレス交換が出来たということなる。
何の障害も無くて良かった。
突然教えてもらった叔母の連絡先をどうするべきか悩んでいたけれどとりあえず登録だけすることにした、と結局俺の意見通りにしていた。
「もう壊したくねえな」そう言う伊藤は悲しそうとも嬉しそうとも取れないなんとも言えない笑顔だったけれど、どんな感情だったのだろうか、もしかすると自分でも形容しがたいものだったのかもしれない。
「お、きたきた。」
湖越の連絡先が新たな携帯電話に無事にやってきたようだ。
「俺のアドレスと番号も送るな」
「わかった。」
次は伊藤のアドレスを湖越の携帯電話に送るため再度カツっと無機物な音を立てあわせた、と同時に

「あの日のこと。」
「……っ」

肩を抱かれている俺と目の前の湖越にしか聞こえない程度の声量で切り出す伊藤。
湖越は伊藤の低い声にピクリ、と逞しくて厚い肩を震えた。伊藤が怒っているのではないかと勘違いしているようだった。そんなことはないよ。
伊藤が本当に怒るときはどこまでも感情がない平坦な声になるから、違う。

「透も俺も気にしてねえからな。……あいつのことも今んとこは深く追求する気もねえから安心しろ。」

何でも無い表情と声で言葉にはしていないが『もうあの日のことを引きずるな』と『とりあえずは梶井のことも聞く気もない』と伊藤はそう言った。
湖越からするともしかしたらあの日のことよりも梶井関連のことを聞かれるのが嫌なのかもしれない、詰めていた息を吐いたのは伊藤が言葉を出し終えてからのことだったから。そんなに、いやなのだろうか。そんなに梶井が嫌い、なのだろうか。
今のところは、と不確定なのはやはり気にならないわけではないという意志の現れである。
それに息を吐いたということは……否、想定で物を語るのは、よくないよな。
冷静になろう、湖越には気付かれないように息を吐く。このまま想像してしまえば俺の湖越の見方が変わってしまいそうになってここで思考は意図的にストップする。

「……わかった、ありがとう。」
「おう、じゃあそろそろ先生来そうだし戻るべ」
「うん」

伊藤がこのまま移動するので肩を組まれている俺も移動することになる、実際教室の壁掛時計を見ればもうすぐ本鈴が鳴る時間だったので抵抗せずに伊藤とともに席に戻る。
鷲尾と叶野のほうを見るとどうやら白熱しているようでまだまだ語っている、言い合っているようにも見える二人は俺からするとやはり仲良しにしか見えなくて、少し荒んだ心が安堵に満たされた。……もっと、湖越と関わりたいな。
今はどうしても吉田から梶井のことを聞いたばかりでつい肩を持ってしまいそうになる、けれどきっと湖越にも色々事情があるんだと思うから。
同じ小学校で同じクラスだった梶井のことを転校先の友だちの叶野にも話しているぐらい気にかけている友だちを何の理由もなく避けたりするような人とは俺には思えないから。
俺では力になれないかもしれないけれど、それでも少しでも分かりあえたら……一番、いいよな。
それをほんの少しだけ気付かれない程度に手助けするのは、そんなに悪いことではない、よな。
湖越と梶井を『少しでも和解させたい』と。
自発的にこうしたい、と思うは初めてのことかも知れない。
勿論結局の所は本人たちの意志に委ねることになるので俺から絶対こうするべきだと押し付けるつもりはない、何の計画もない、たった今ふと思いついたことだ。
それでもこっそりと決意する。
いつか分かるといい、湖越が何故梶井を避けているのにも関わらず完全に離れていくのは嫌そうな理由も、梶井が迷子になった子どもが誰かに助けを求めるような表情の理由も。
心の中だけで細やかに意気込む。がんばろう、なにをどうするかはこれから考えるけれど。



「すまない」
最後に言った謝罪は岬先生が教室に入ってきてクラスの皆に挨拶する声によってかき消され誰の耳にも届かなかった。
どこまでも頼りない、誰に対してなのか分からぬ嫌悪も含んだ謝罪は和やかな教室の空気に霧散してしまった。
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