3章『やらない善意よりやる偽善。』


「……あんな理由があったんだな。」

伊藤がとなりにいる俺にすら聞こえるか聞こえない呟くようにそう言ったのを何とか聞き取る。
俺は少し反応に困って後、ただ頷いた。
昼にファミレスに入ったのにいつの間にか16時ぐらいになっていた、吉田は時間を見てハッと「ごめん!これからバイトなんす!あ、このことはおれからちゃんとかっちゃんとのぞみーるに話すからね!時間いただきましてありがとうございます〜」と、その先程までの少し重たい空気がウソのようにいつもようにカラッと笑って自分の分のお金をテーブルに置いて駆け足で去っていった。
気分としては嵐に見舞われた気持ちになった。
だってその前に話していたことは、少し重たい話だったから。
去っていった吉田の言葉をちゃんと飲み込む前に当の本人はさっさとこの場を後にしたのだ、俺だけではなく隣にいた伊藤も少し混乱していたようで「なんで最後だけ畏まるんだ」とこの場に合わない突っ込みを呟いたのである。


今、伊藤との帰り道で吉田が教えてくれた『湖越をニックネームで呼ばない理由と夏祭りの出来事の発端』を二人で話し合って自分たちなりに飲み込もう、そうお互いには口には出さないがなんとなく互いがそう思っていることにうっすら気付いて口を開ける。

「吉田は、よく話してくれたな。」
「そうだな……あいつ最初から塞ぎ込んでいたみてえだったけど、透が質問してからはすらすら話してくれたけどな。」
「塞ぎ込んでいた、か?」
「勘だけどなあ。たぶん。」

俺から見た吉田はいつも通りに見えたが、伊藤がそういうのならきっとそうなんだろうな。
でも確かに俺が前々から気になっていたことを聞いてみると言い淀んでいたのが嘘のように、吹っ切れたのか分からないが清々しく全部教えてくれた。
吉田が言ったことを思い返す。



『おれが湖越をニックネームで呼ばないのは、おれが湖越を許せないからかな。』
普段の吉田を知っていると随分と辛辣で、でも辛辣なことを言っているその表情はへにょと眉を下げていて怒られるのを待っている子どものようで少し混乱する。
吉田は続けた。
『のぶちゃんは入学してからずーっと湖越に何か言いたげに視線を送ってたんだよ。おれ入学式からのぶちゃんといっしょにいたから直接聞いたことないけどさみしそうなの知ってたんだ、でね、ついに決意したのか話しかけたっぽいんだけど……元々さみしそうにしていたのがさらに絶望感を漂わせながら教室に戻ってきて……、その日おれ声かけられなかった。その次の日からだったなぁ、教室に来なくなって……4月終わり、壊れた笑顔ですずたんを巻き込んだ事件を起こしたんだ。』
と。さらに吉田は続けた。悲しそうに目を伏せながら。
『きっと湖越が何か酷いことを言ったんだ、て、そう思った。
もうおれが話しかけてもあの笑顔でうけこたえされてさけられちゃう。
おれはもう一度不器用な表情をするのぶちゃんに会いたい。
夏祭りはちゃんとのぶちゃんとのことを湖越に聞くチャンスだ、そう思った……んだけど……』
『拒否、されたんだよな』
徐々に尻すぼみしていく吉田に俺から結論を出した、一応は問いかけるという形は保ったものの、あの夏祭りのときの二人を目撃しているのを見て順調だった、と答えを出すものはいないだろう。それに俺らは鷲尾から話を聞いていたから少しだけ知っている。
ややあってうん、と肯定される。
『お前には関係ない、て言われてね。それでついカッとなって……ああなっちゃった。
ニックネームで呼ばないのはおれのなかで湖越は友人ではなくて、おれの友だちを傷付けたヤツだから、ていう自分勝手な理由なんだ。』

ごめんね。

申し訳無さそうに眉を下げて謝られた。
湖越をニックネームで呼ばないのは吉田の線引きだったようだ。そうか、吉田も梶井と湖越が過去同じ小学校で同じクラスだったということを夏祭り地点で知らなかったのか。
否確かに俺に計画のことを持ち出したときも梶井の過去を何も知らないと言っていた、そうだった。
俺はそれにどう返していいのか分からなかった、話も聞かずに湖越を冷たくする吉田に対して湖越とはそれなりの仲を築いていると思っている俺としては思うところがないわけがない、だけど実際湖越は梶井と何かしらの関係があるというのは俺も屋上での1件があるため感じている、だが第三者である吉田が梶井とのことを聞いても拒否されたとなると俺から聞いても答えてくれないだろう、湖越と親友である叶野もちゃんとは知らない。
『あの後のぞみーるから連絡が着て……イッチたちも知ってるよね?』
『ああ……。』
湖越と梶井は湖越が叶野が通う小学校に転校してくる前まで一番の仲の良い『友だち』で……二人は同じ高校に入学したにも関わらず、叶野も知らぬ間に会っていて……『もう俺の知っている信人じゃなくなった』と言って意気消沈していた、とも。
吉田の問いに頷くとクシャ、と顔を悲しそうにも悔しそうにも歪めた。

『何がちがうんだよ、そりゃおれは今ののぶちゃんしか知らなくて小学校のときののぶちゃんがどんな感じなのかわからないけど……、今ののぶちゃんをもっと見てくれたっていいじゃん、過去に囚われないで、今ののぶちゃんを見るのはだめなのかな……、』

そう言ってぐっと手を握りしめて唇を噛みしめる吉田。
俺は言葉が出なかった。
『過去に囚われないで』その言葉が頭に重くずしりと伸し掛かった。
過去に囚われない、それが出来たらどれだけ、楽なことなのだろうか。ああ、ちがう。分かってる、吉田は俺のことを指している訳じゃないし吉田も梶井のことで本気で悩んでいてやっと聞き出せると思ったら湖越に拒否されて、過去の梶井を求める湖越に対して過去よりも今を見てほしいとそう言いたいんだと、そう分かってる。分かってるのに。
(過去に囚われているのはそんなに悪いこと、なのか)
そんな言葉で喉までせり上がってくる。
何とか飲み込むけれど、油断すると凹んでいる吉田をさらに責めてしまいそうになる自分に気付いて口を閉ざす。そんな俺のことを伊藤は痛々しそうに見ていたことには気付かなかった。

『……それぞれ譲れないこともある、俺もずっと過去に囚われきたってことになるし、そう言われちまうとその過去に囚われていた期間が無駄だと言われてる気分になってくるな。』
『あっ……ちがうっちがうんだよ、』
『分かってるさ、お前がそんなつもりで言ったわけじゃねえのは。
とにかくあまり周りが騒いでもあいつの場合意固地になっていきそうだし、少し様子を見たほうがいいかもな。』
『そうだねぇ……今回で充分わかったよ、うん、とりあえず来月まではおとなしくしまっす。……傷つけるようなこと言ってごめんね。すずたん、イッチ。』

伊藤はそれとなく咎めると、吉田は落ち込んで下を向いて伊藤だけではなく俺にも謝った。伊藤が譲れないことがあると言った際顔を上げて伊藤を見たとき隣にいた俺のことも見てしまったんだろう、きっと酷く情けない顔をしていたに違いない。


ここで一回話が終わったので吉田が携帯電話を確認するとバイトの時間になって解散となったのである。カラッとしているのは吉田のいいところではあるが、いかんせん切り替えが早すぎでついていけなかった。役者を目指している彼なのでそういうのもきっと大事なんだろう、うん、向いている気がする。一人で勝手に納得して、ふと思い至る。

「梶井は先に帰った、と言ったときなんであんなに湖越、怒ってたんだ?」

夏祭り、その場が収まったときすでにこの場にいない梶井が急用が出来たと言ったとき、何故か湖越の苛立ちの矛先が俺へと向かって……ああ、あまり言われたことは思い出さないようにしよう、悲しくなる。
俺も湖越の事情を知らずに感情的になってしまったのも良くなかったのだから。
それよりも、だ。
あれだけ梶井の話題すら避けて吉田に聞かれてもそれを断固として拒否していたにも関わらず、急用が出来たと言って帰っていく梶井を何故引き止めなかったのかと詰られたことが今考えても不思議で矛盾している、それだけは冷静になって思い返しても覆せないこと。
俺が首を傾げると伊藤もあのときのことを思い出してか眉間に皺を寄せる。

「あの態度を見る限りでは湖越も完全に梶井を割り切っているわけではねえよな……あからさまに聞かれたくなさそうに透が言われたくないことをわざわざ言葉にして、ごまかそうとしたぐらいだし……あーこのことだけは湖越も本心じゃなかったにしてもやっぱりイライラするな……」
「……正直、俺には言い返せない。」
記憶喪失にも関わらず何も責めずに変わらず親友として過ごしてくれる伊藤に、もちろん感謝してる、でも客観的に見てやはり俺は酷い人間だと思う。
伊藤のことを忘れてしまったと言ったあの日だって、俺は責められることを前提にそう告げたのに。
なのに目の前の逞しい男はそんな自分すらも受け入れてくれた、なのに俺は何も返せない。
落ち込んでいる俺にも伊藤は変わらず優しい、今だって「んなことねえよ」と否定してくれる。
俺は伊藤が否定すると分かっているから落ち込んでいるとまでは言わないけれど訳では無いけど、落ち込んでいることを伊藤が否定してくると安堵している、それと同時にまたさらに自分の嫌なところが増えた気がして何とも言えない気持ちになる。

「透が言わなくなるまでずっと否定するからな。」

言外に何回でもそうしていても良いと言われた。何度でも同じ言葉で返してくれる、と。

……いっそ、記憶を思い出す方が早いのに。鬱陶しいだろう、何回も同じことでうじうじしているくせして安全なところから出て行こうとしない俺なんて。少なくとも俺は俺が面倒だと思う。
それでも伊藤は記憶に関することに口を出さない。
むねがいたくて仕方がなくて、ぎゅっとワイシャツポケットごと握りしめた。
夏の16時過ぎ、日暮れはまだ遠く太陽は未だ輝いていて、目が痛くなった。そんな俺の隣を無言で当然のように歩いている伊藤は、太陽と同じぐらい眩しくて仕方がなかった。
45/58ページ
スキ