3章『やらない善意よりやる偽善。』

伊藤が帰ってきた15日、16日はいつも通りにバイトをしたあとゴンさんから『君に伝えたい』の漫画を借りて読み耽っていたらやっぱり途中で変に眠ってしまった。(俺にはこういうのはまだ早いらしい。)
その次の日、本日17日は国語の補修最終日だ。
昨日いつの間にか夕方から夕ご飯の時間になるまで伊藤の部屋で眠ってしまって、夜自分の家では暑さのせいもあってなかなか寝付けず、何とか一応眠れたけれど目覚ましの音で起きると妙にかったるく頭も重くて眠くて仕方がない。
(ねむ……。)
眠気眼で目を擦りながら学校に行く準備をしてまだ午前中なのに雲ひとつない青空に輝く太陽を恨めしげに手で目を守りながら見つめ、重い足取りで駅まで歩いた。

(もういい加減、読むの諦めるべきかな……。)

『君に伝えたい』を読むと眠くなって気付かないうちに寝てしまって夜眠れないを繰り返している、今後もそんなことを繰り返してしまえば日常生活に支障が出る。ただでさえ夏休みで起床時間がバラバラになってしまっているのに。
伊藤もメールで聞いてみると鷲尾もちゃんと読んでいるのに俺だけが読めないのがなんとなく悔しくて読み続けてみたけれど、ちゃんと睡眠時間を確保して読んでみてもいつの間にか眠ってしまう。
それを見た伊藤にも「寝る前に読んだ方がいいんじゃね?」と言われてしまった、確かに。暇を見て読むよりいっそ開き直って眠る前に読むのがいいかもしれない。……そうなると改めて読もうとするときどこまで読んだか確認しないといけないがしょうがない。伊藤はちゃんとゴンさんから借りた漫画版も読み終えてついでだからと俺が買った小説版を読み始めてところだ。なんでそう夢中になって読めるのだろうか……ちょっとした疎外感を味わう。
恋愛系の小説や漫画でさえこうなのだから映画は完全に寝てしまうから辞めておいた方がいいか……。
でももう一冊の動物感動系はちゃんと最後まで読めたし、漫画だって前々から読めていたからたぶん恋愛系以外は大丈夫そう。
ちなみに伊藤は『きみとぼくのものがたり』を読みながら鼻を啜ってた。絶対に泣いていたけれど本人は否定してた、別に泣いたっていいのにな。良いストレス発散になるらしいし、と思うが決して顔を見せてくれず覗き込むのは諦めた。

「イッチ!おっは〜!!」
「……っ吉田、か。おはよう。」

ぼーっとしながら駅から学校までの道を歩いていると突然声とともに後ろから衝撃が走って驚くが、その声の正体がすぐに分かって振り返り俺より少し低いそのにこやかな笑顔を見下ろしながら挨拶を返した。
「やー久しぶりだね!!」
「……そうだな。」
メールでちょこちょこやり取りはしていたものの実際久しぶりだ。
叶野も湖越も家族と出かけたりしていて会っていないのでこのにぎやかな感じも結構久しぶりだ。伊藤や鷲尾とは遊びに行ってもこう騒がしいことはほぼ無い、静かな空気感も好きだけど、にぎやかなのも好きだ。
「今度さ〜ピアス開けようと思っててさ!」
「……どこに?」
「最初は無難に耳たぶかなっ!最終的には唇かな〜。」
吉田が、ピアス。
健全で活発な印象が強いせいか開けようとするイメージが沸かない。
「……いくつ開けるつもりなんだ?」
「え?うーん、全部で5,6個ぐらいかな?両耳と唇に開けたいんだよ〜。」
「そうか。」
等壱さんぐらい開けるのかと想像していたので、その予想範囲内の答えにホッとする。
もしも吉田がそのぐらい開けたいと言うのなら否定するつもりはないけれども。
「……イッチは、何も聞かないんだね。」
胸を撫で下ろしていると突然そう静かに言われて、一瞬何のことなのか分からなかったがすぐに
(あの花火大会のこと、か。)
思い至る。
忘れていたわけでない、むしろ理由はすぐにでも聞きたいぐらいだ。だけど
「……吉田が言いたくないなら、無理に聞くこともないか、って。」
もう少し間違えればかなりの騒ぎになってしまったかもしれないことであったし、普段の吉田とまったく違ったこと湖越への態度が違うのかとか、何故か梶井が帰った瞬間に湖越が怒ったのかとか、色々と謎が多く聞きたいことは沢山あるけれど、吉田が言いたくなければ無理に聞くこともないかとも思ったから。
落ち着いた吉田が今度細かく話すね、とは言ってくれたけれどだからといってこの場で問い詰めるのも違う気がして。
「言いたくなったら、言ってほしい。」
きっと、説明する言葉を選ぶ時間も必要だろうし、準備が出来たときに説明してくれれば、と思ったのである。
「……ん〜〜!イッチ優しすぎない!?」
「や、そんなことないだろ。気にならないわけじゃないから、説明はしてほしいとは思ってるし。」
ここで何も気にしていないとかそういうことを言えたなら吉田も気が楽になるのかもしれないと想像出来るのにそれをしようという選択をしない俺はそこまで優しい人間ではない、と思う。
「そういうんじゃなくて……、あーいや、おれも切り出そうとは思ってたの。でもタイミングってつかめなくてさぁ……。」
「そうなのか、無理はしなくていいから……」
「駄目なのよっここはちょっとは無理にでも説明しないといけないところなの!引き下がらないで!」
「わ、かった。」
気遣ったつもりだったが逆効果だったらしい。
……でも、無理にでも言わないといけないという気持ちは分かる。俺も初めて本心を伊藤にさらけ出すのがとても怖かった、だけど伝えたくなってしまった、伝えないといけない、と思ったから。
『無理しなくていい』という言葉は気遣っているというのならよく聞こえるけれど……悪く言うと甘やかしている、のかもしれない。
気遣うのも心からの本心だけどそれと同時に吉田が傷ついているのを見たくないという俺の『偽善』にもなりうる言葉なんだと気付く。追い詰めてしまうことが怖くて、つい俺が逃げようとしてしまっているのかもしれない、無意識に。
……言葉って、難しい。
言葉だけだと相手の言っている言葉が本心なのかも分からないし、そもそも自分の言葉すら『本当』なのかも俺には判断つかない。
俺の言った『無理はしないで』の言葉は人によったら『これ以上俺を巻き込まいで』という突き放しの言葉にも聞こえてしまうんだ、俺が思っていることはそういうわけじゃない。

「……それなら、今日教えて。」
「え?」
追い詰めてしまうかもしれない言葉、だけど吉田がたった今『引き下がらないで』と言った。勢いで言ってしまっただけかもしれない。
でも、そう言うのなら。吉田が少し無理をしてでも説明したいという覚悟を決めているのだとするのなら、俺は気遣いと善意と偽善の混じった言葉はもう吐かない。
「吉田が湖越のことをどう思っているのかどうかを、祭りのあの日になんでああなったのかも、教えてほしい。」
まっさらな俺の本心だけを伝えた。
気遣いとかそういうのをすべて取っ払って、聞きたいことだけを言った。真夏の朝、どこからか蝉の声の鳴る中のアスファルトの上、しばらく吉田は立ち止まってじっと俺の顔を見た。
俺も立ち止まってその大きくて少し釣り目のその瞳を見返した。
「……うん、わかった!」
いつも通りの大きくて元気な声で、でもキリッとした覚悟を決めた真剣な瞳でうなずいていたのでいつもよりも男らしい吉田がそこにいた。
「……俺も、覚悟決めないと。」
「え?何か言った?」
「ううん。……なんでもない。」

ほんの少しだけ吉田と自分に嘘をつく。吉田はしばらく首を傾げ俺の様子を伺っていたけれど、俺が何も話す気がないことを察して「まあいっか!さあ最後のほしゅーいきまっしょー!」と明るく言ってくれた。


「……うん時間になったね、最後の補修お疲れ様。
次会えるのは3日後の登校日だね、来ないと欠席扱いになるからね。短時間だからってサボらないでちゃんと来てね?」
最後の補修もいつも通り吉田と俺だけで、いつも通り普通に終わった。
「はい。」
「わかった!ちゃんと吉田は来たよーてすぐるせんせーに報告しに行くね!」
俺と違って他クラスである吉田がハイハイ!と手を上げながら岬先生にそう言うと、一瞬きょとんとした表情をしたあとクスクスと優しく笑う。
「五十嵐先生に確認取るから大丈夫だよ。」
「そっか!たつみせんせーと仲良しだもんね〜!じゃあたつみせんせにおれのことちゃんと伝えてね〜て念押しする!」
「あはは、じゃあ五十嵐先生からの報告楽しみにしようかな。じゃあ、今日はこれでお終い。お疲れ様。」
「ありがとう、ございました。」
「いえいえ、こりらこそ。じゃあさようなら。」
「さようなら。」
「バイバーイ!」

会話を終えて岬先生は一足先に教室を出ていった。

「……よっしゃ!イッチ行こう!」
「わかった。」

やる気に溢れた吉田が椅子を倒しそうな勢いで立ち上がる。
俺は携帯電話を確認しながらゆっくり立つ。
先を歩く吉田はやっぱり前向きで明るくて、彼を前にするとギラギラした太陽を目にするかのように眩しくて。
(……どんな俺でもきっと彼も『俺』と言ってくれるんだろうな。)

たとえ、今の俺が消えてしまったとしても。

ポケットに入れていた携帯電話が振動した気がしてまた取り出し確認する。
そこにはすでに俺の隣にいるのが当然となってしまった、親友の名前。

(伊藤も、そうなんだろうな。)

なぜだか、悲しい気持ちになった。
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