3章『やらない善意よりやる偽善。』

本屋に入って気まずくなった鷲尾と何となく分かれて、買い物を終えたら入り口近くで待ち合わせようと約束してそのまま別々に店内を回った。
漫画本は1階、文庫本が2階にあり俺はエスカレーターへと向かった。
(……浮かれすぎたな。)
俺にもああいう話が出来るという喜びからつい舞い上がってしまったことを反省しながらゆるりと本を眺めた。
『普通』が分からないからついに憧れてこれが『普通』なんだと舞い上がって距離を詰めすぎてしまった。
そもそも普通ってなんなんだろうな……。
誰もが一回は考えてしまうが、最終的に正確で具体的な答えに行き着かない人間の永遠の疑問を普通に感じながら一ノ瀬は色々とりどりの本の装丁を眺める。

(……そういえば、こうして本屋に長い時間いたこと無かったな。)

伊藤とちょっと都心のほうに遊びに行く最中に欲しい雑誌とかあるがあるってたまに本屋に行くこともあるけれど、こうして2階まるまる本屋であるところは来たことがなかった(ビルのなかにあって1フロアの半分も無いところばかりで)し、その買い物も伊藤が目当てのものを買ったらすぐ終わる。
特に興味があるという訳ではなかった。
だって漫画喫茶行って好きに読むことが出来るから。
だけど、たまにはこうして動物の写真だったり癖のある不思議なイラストの表紙を見てどんな本なのか想像するのも楽しい。
漫画は少しずつ読むようになったけれど本は未だ読んでいないからここでいくつか買っても良いのかもしれない、伊藤がいなくてその部屋で過ごしていて手持ち無沙汰になっているから丁度いいように思える。
そう考えて気になった表紙の本を手にとって冒頭だけ読んでを繰り返し厳選した結果一冊選んで、もう一冊は何も見ずにその題名だけを見てレジへと向かった。
一冊は捨てられた犬と傷ついた青年の話、もう一冊が先程鷲尾が漫画を買うと言っていた『君に伝えたい』の文庫版で、つい衝動的に買ってしまった。
正直動物ものも恋愛ものも初めてだからそれぞれどういう感情が芽生えるのか俺にも想像出来なかったが、少しでも理解出来ればいいと思ってのことだった。
絵で見るよりも文字でみたほうが何となく勉強な気もしたからである。
集中して選んでいたせいか、携帯を開いてみると結構な時間が経っていたことに驚く。
連絡こそないものの既に買う物が決まっていてさっぱりとしている性格である鷲尾なので既に目当ての物を買っていて結構待たせている可能性が高く、急いで動く階段を歩いて下った。

エスカレーターを下って、ぐるっと回ったところに本屋の出入り口がある。
走ると周りに迷惑をかけてしまうので気持ち早足で向かう。
出入り口近くになって鷲尾の姿が無いかキョロキョロと周りを見回せば、すぐに探していた人物の姿を見つけた。
見つけた、けれど。
その近くに見慣れない人物がいて、何やら鷲尾と話しているようだった。
(誰だろう、友だち……は今までいなかったと言っていたが……。)
鷲尾と話している相手が小中の同級生とか塾仲間とかも想像出来たけれど……その相手が少し、いや結構激しい格好をしているせいかそんな感じには申し訳ないが見えなかった。
(あれ……メッシュって言うんだったか?)
伊藤と同じぐらいの金髪にこめかみ部分に赤い色が入っている、この真夏の日も真上にある暑い時間なのにも関わらず全身黒い服を身に纏っている男性が真面目そうな男子高校生に絡んでいる、客観的に見るとそうとしか思えない光景である。
証拠に周りも通り過ぎ様に2人とチラチラと見ていて「誰か呼んだほうがいいんじゃない?」「あれカツアゲ、だよな?」と話し込んでいる男女が近くで話しているのも聞こえた。
様子を伺ってみると、特に見知らぬ男性が敵意を持って話している訳でも鷲尾はいつも通りの態度なので見る限り特に問題が起こっているという訳では無さそうだ、喧嘩とかしたことないからこういうときどういう対応するべきなのか分からないので良かった。
内心ホッとしながら2人に近寄り声をかけた。
特に相手に害は無さそうだし、近づいても大丈夫だろう。
まぁ、害があっても声はかけるつもりだったが、争わないに越したことは無いだろう。
「鷲尾、ごめん。待たせたな。」
あえて相手のことには触れず、とりあえず鷲尾にだけ声をかけてみた。
2人はこちらを向いて
「あ、あー!そうだ『鷲尾』だっ!」
鷲尾が俺に反応する前に見知らぬ男性が食いついてきて驚いてしまう俺に気づかないようでずんずんと俺に近づいてきた、と思いきやガシッと手を取られる。
「いやぁー俺の名字と近くて確か鳥の名前があったような〜ていう記憶はあったんだけどな!出て来なくてよ〜ありがとうな!つかすごい綺麗な顔してるなぁ!あんた、名前は?」
「、一ノ瀬透。」
勢いに圧されて警戒する間もなくつい聞かれるがままに名前を言ってしまった。
知らない人に、とは思ったけれど癖のある容姿とは真逆に毒気の無い雰囲気が吉田を思い出させて警戒する必要もないか、と思えてしまう。不思議だ。
「おー!一ノ瀬ね!俺和久井 友沙(わくい ゆうさ)な!よろしく!」
「ああ、確かそういう名前だったか……。ところで一ノ瀬が困ってるから放してやってくれ。」
「あ、ごめんごめん!」
手を取られたままで困っていると鷲尾が助け船を出してくれた。
えっと……和久井、にパッと手を放され謝られる。
「いや平気だ、ところで2人はどんな関係なんだ?」
どういう関係性なのか気になって聞いてみる。
お互い顔を見合って少し考えて

「一瞬だけクラスメイトだったヤツ。」
だな。
だねー。
と口を揃えて言われた。

……一瞬、とは……?




「立ち話もなんだしー」と和久井からの提案で本屋から移動した。
移動している最中に詳しく2人から話を聞けた。

「話したことって1回はあった、よな?」
「むしろその1回しかない。」
「ありゃまぁそーだっけか?」
「ああ、だがお前その3日後いなくなったな。」
「行かなくなるちょっと前に話しただけかー、俺良く覚えてたなあ!名前忘れてたけど。」
「まぁ僕も名前忘れていたから何も言わないが。」

和久井と鷲尾がリズミカルに話しているのを俺はただ聞くだけである。
要約するとどうやら元々2人は同じ中学校だったが、1回しか話したことはなく和久井はすぐ学校に行かなくなったようだ。
名前もお互い忘れていたようだったけれど、それでも存在自体は忘れていなかったみたいだ。
だから俺が鷲尾の名前を呼んで和久井がしっくり来た様子で、和久井が俺に自己紹介してくれて鷲尾も思い出したようだったのか。納得する。
「……そうか、僕のこと覚えていたのか。既に僕のことを忘れたものだと思ってた。」
1回しか話したことのない自分のことを覚えていた和久井に心底驚いているような、でも少し嬉しそうな響きでそうつぶやいた。
「隣の席で疲れた顔で授業中はおろか休み時間もずっと勉強してるヤツがいたらそりゃーなぁ。まぁ俺も色々あったから名前を忘れちゃっていたけどな!」
和久井はあっさりと笑ってそう言ったあと「ところでー」と切り出し俺の方を見た。
「こんな美形さんと鷲尾はどんな関係で?」
「友だちだが。」
「もうちっと細かくおしえてちょーだい!」
鷲尾が端的に答えれば直様そう言われて鷲尾は眉を寄せる。それしか答えようがない、と言っているようだったがそれでも何とか絞り出そうと少し黙ったあと。
「……同じ高校で、同じクラス。」
「えーそれだけ?あの鷲尾がどうして一ノ瀬と友だちになってこうして一緒にいるのか聞きてぇー。」
渋々答えたけれどそれでもなお食い下がる和久井。
色々あっての結果なのでちょっと言いにくいところがある、なにか言おうとして口を開こうとして鷲尾がじっと俺のことをまじまじと見てきてなんだろうかと困惑して何も言えなくなった。そのあとすぐふいっと俺からも和久井からも視線を外して
「……初めて圧倒的な頭脳の差を見せつけられその上他者に対する配慮もある人間として出来ていて僕が初めて尊敬に値する人間だ。」
そう好意的な意見を一直線に伝えてくれた。
多少は鷲尾に嫌われてはいないという自覚はあって嫉妬されている部分があるのも知ってはいたけれど、そういうふうに俺のことを思っていたのは初めて聞いた。
鷲尾も言う気は無かったみたいだったから俺が知らないのも無理はないのだろうけれど……。
嬉しいと思うと同時に、俺はそこまで大層な人間ではないとも思ってしまう。
今だって自分のことばかりで伊藤に我慢をさせている結果になっているのに。
自分を認めてくれた嬉しさと実際は違うという卑屈さに胸が板挟みになった、胸が、苦しくなった。
真っ直ぐな鷲尾の言葉を聞いてそう感じてしまって素直に喜ぶことができない自分に苛々する。
「え、一ノ瀬って鷲尾より頭いいの?!」
軽い声が聞こえた。
思考に耽りそうになったところでその声が鼓膜を響かせ、ほんの少し忘れていた和久井のことを思い出した。……突っ込むところ、そこなのか。鷲尾も俺と同じことを思っていたようでどこか呆れた目で和久井を見ていた。
そんな視線など気にしていない和久井は俺に近寄る。
「すっげー!やばいなぁ鷲尾ってめっちゃ頭いいんだぜ?」
「それは……知ってる。努力家というのも。」
「授業でも全力で休み時間全て使って1人で勉強して家帰ってもきっと勉強してきたんだろうなぁーて想像出来るぐらいだし、孤独の戦いだよな!そんな鷲尾が尊敬に値する友だちが出来て、もう俺嬉しく思っちゃってさぁ。」
鷲尾は驚いたのか目を見開いて和久井を見た。
和久井はその視線に気付いているのか気付いていないのかただ俺を見てニコニコと笑っている。
「……その割には名前忘れて……。」
「まあそれとこれとは別として!」
「和久井、黙れ。」
「えっ俺褒めたのに!?」
多分これは鷲尾の照れ隠しだ。
父親がかなり厳しいと話のなかでそう察するようなことを言っている。
たぶん、褒められ慣れていないんだと思う。勘、になってしまうけれど。
鷲尾がこちらを見ずに歩いている、視界に俺らが写っていないことを和久井はキョロキョロ確認するように見て、そっと俺に
「ありがとな、一ノ瀬。」
と、さっきのおちゃらけたような雰囲気とは逆に穏やかにそう耳打ちされた。
「……俺は何もしてない。」
和久井からわざわざ礼を言われるようなことなんて何もしてない。
たぶん、友だちになったこととかそういうことを指しているんだろうけれど、俺は本当に何もしてない。
最終的にすべてを判断したのは鷲尾自身の力だ。
俺の否定を彼はいやいやと首を振ってさらに否定する。

「例えば鷲尾自身が素晴らしい力を持っていたとしてもさぁ、それを認めて後押ししてくれる人がいないとその力は持ち腐れになることのほうが多いんだぜ?
確かに鷲尾は強くて1人で立てるような力があったとしても、独りじゃあ限界になる。
誰でも1人でも支えてくれるような人がいて、ようやく立ち上がる勇気を持てるヤツのほうが圧倒的に多い、俺もあのときは自分のことで精一杯で隣の席の鷲尾に気にかける事もできなかったから。」
……話の最中、和久井の笑顔のなかに陰りがほんの少し見えた。
進学校に通い、すぐに行かなくなったと言った目の前の彼も何か事情があるのだろう。
そこは今深堀りするべきではないのだろう、きっと和久井は今その辺の事情の話をしたいというわけではない、のだろう。想像しか出来ないけれど、和久井はピンと真っ直ぐに伸びた鷲尾の背を眉を寄せ苦しそうに見つめていたからきっとそうなんだ。
「……余裕が出てきたときにふと思ったんだ。
隣に座っていた疲れて切羽詰まった顔をしてたあの眼鏡はどうなったんだろう、あんときもっと話しかけておけばよかったかな、て。」
まるで、後悔しているようだった。
さっき1回しか話したことがないと言ってて名前もお互い忘れていた。
お互いそのことをなんとも思っていないように見えたけれど、少し違ってた。そう見せていただけだった。
「俺が出来ないこと、あのときしようともしなかったことをしてくれた一ノ瀬に俺が勝手に感謝してる。あーそんだけっ!」
暗い感じになってしまった自分を恥じるようにわざとらしく明るく振る舞ってそう言った和久井。どこか居心地が悪そうだ。きっと、後ろめたかったんだろう。
鷲尾が苦しそうにしているのを知りながらもそのまま辞めてしまったことを後悔……してるのかもしれない。俺は和久井じゃないから分からないけれど、たぶん。
今和久井は俺に勝手に感謝してると言っていた。
それなら、俺も勝手に和久井に自分の意見を言ってしまおう。
「……俺は鷲尾じゃないから分からないけれど、でも鷲尾は多分和久井に感謝してると思う。」
俺の返しが予想外だったのか、その目が丸くなってきょとんとしている。
「おれ?俺こそ何もしてねえよ。つか何も出来なかったってさっき言ったじゃねえか。」
少し苛立っているような声。
それは俺に向けてなのか自分に向けてなのか……はたまた他の誰かなのかは俺には分からない。だけど言わせてほしい。
「行動には移せなかったのは確かなんだろうけどでも多分行動に移すだけが支えになる訳ではない。
鷲尾は自分のことをずっと1人だったと言ってた、気にかけてくれるような同級生はいなかったって。だけど、違ったことがさっき分かったから……自覚していないだけで嬉しくて感謝もしてるんじゃないか、と思う。」
「どういう……。」
「だって、ずっと鷲尾を気にしてたんだろ?一言しか話していない隣の席のクラスメイトのことを何年も。」
少なくとも目の前の和久井は口ぶりからして学校に行かなくなってしばらくしてからだとしてもそれでも年単位の長い時間鷲尾のことをずっと気にしてたんだ。
たった1回しか話さず、名前も忘れていた、ただ隣の席だっただけのクラスメイトのことを和久井は覚えていた。
それは友愛じゃなくて自分が何も出来なかった後悔から切り離すことの出来なかった記憶として残っていたことだったとしても。
ずっとかつての同級生の鷲尾の存在のことを和久井は忘れずに覚えていた。たとえ何も行動にできなかったとしてもそれでも……。
「さっき自分のことを覚えていた和久井に驚きながらも嬉しそうだったのは多分、そういうことだと思う。……まぁ、俺が勝手にそう感じてるだけ、だけど。
和久井からして苦い記憶だったとしても、それでも独りだと言っていた鷲尾にとって1人でも自分のことを覚えていてくれた存在を知ることが出来て……嬉しかったんだと思う。」

存在を認めてもらえる喜びは俺も痛いほど分かる、から。
前の一ノ瀬透の記憶がなくても俺は俺だと言ってくれるひとが1人でもいれば、少しずつでも強くなれる。
それだけで救われることもある。想ってくれていた事実があれば、それだけで。
だから……。
「そこまで自分を責めなくても良い。」
和久井の見開いたその目を見てゆっくりそう言った。
だって、ずっと無理して苦しそうに以前の叶野のように笑っているから。
気になってしょうがなかった。
俺の言葉に和久井は目頭を押さえ、空を見上げる勢いて顔を仰け反らせ、
「あ”〜……やっべ一ノ瀬に惚れそう!」
と、少し離れて歩いていた鷲尾にも聞こえるぐらいのわざとらしいぐらいの大きな声でそう言われて驚いて肩が跳ねた。
「はぁ!?」
そして何故かそれに素早く反応したのは鷲尾だった。
「うっそぴょーん!ぎゃはは!騙されてやんの!」
「おまえっ」
「……そういえば、どこに向かって歩いているんだ?」
このままでは経験上長くなりそうな雰囲気を察して、疑問を投げかける。
流れで歩いていたけれど、今俺たちはどこに向かって歩いているのだろうか。そんな疑問が今更生まれて問いかけた。
そういえば、と話に夢中になっていて俺同様に気が付かなった鷲尾が首を傾げたほぼ同時に

「え?スタジオ。」

と、もう決めていたことを何故今聞くの?と不思議そうに俺を見る和久井に、鷲尾と俺はキョトンと目を丸くしてしまった。

……スタジオ……?
聞き慣れない単語を頭のなかで繰り返した。
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