3章『やらない善意よりやる偽善。』

暑苦しくて目を覚ます。
外を見ればすでに明るかったけれど時間を見ればまだ8時で、この暑さであるということに軽く絶望する。
扇風機をかけて眠っているものの、冷房がなく窓もそこまで大きくない狭いアパートの2階では家庭用扇風機ではこの真夏ではやはり限界がある。
汗でTシャツが肌にはりついて不愉快だったのでシャワーを浴びてそのまま顔を洗って着替えてしまおうと布団から這い出た。
「……。」
癖で携帯電話を開くと新着メールが1件入っててすぐについ開いた。
伊藤から、だったから。
メールが届いたのはつい30分前だった。
『おはよう、まだ寝てるとは思うけど暇だったからついメールしちまったわ。今日も暑いな。熱中症には気をつけろよ。』
いつも通りの伊藤からのメールだった。
何となく安堵してしまうのはきっと伊藤が無意識に心配だったからだろう、まぁ伊藤からすればすでに乗り越えている問題だろうから無意味な心配かもしれないけれど……そう思いながら返信する。
『おはよう、暑くて今さっき起きた、今から汗流しに風呂行くところだ。伊藤も気を付けて。』
仲の良くない家族とともに移動している伊藤が心配にもなったけれど、現状報告と熱中症を案じるだけに留めた。もう大丈夫なんだと言われているのにさすがにくどい気がしたから。
送信ボタンを押して着替えを引っ張り出して今度こそ風呂場へ向かった。

……今日からしばらく伊藤に会えない日が続く、のか。
そう考えるだけで憂鬱な気持ちになりながら冷たい水を頭からぶっかけた。
午後からバイトだったけれど、このままバイトに行く時間になるまで家にいたら暑さで死んでしまうかもしれないので朝飯を買いに行くついでに少しぶらっとしたり店にいたりして時間を潰してから店に行こう。
冷たい水を浴びたことで少し冷静になってこのあとどうするかの算段をつける。
よく今日までこの家で何とかなっていたな、と自分に感心する。
どうせこの暑さでは髪もすぐかわくだろうと服に滴ることがないぐらいに拭って水に濡れたまま、携帯電話と財布だけ持って外に出た。
……外気に触れるだけ室内よりはましかもしれないけれど、まだ午前中だというのに酷い熱気が肌を触れて嫌になる。げんなりした気持ちになりながら部屋の扉を施錠した。



「すずめちゃんいないのさみしいわねぇ〜。」
「……そう、ですね。」

今日はお客さんも少なく繁忙時間にも関わらず空席が目立つ。
ゴンさんもこうして俺に話しかけてくるぐらい暇らしい。
やはりというか、話題は今この場にいない伊藤のことになった。

……あのあと、近くにあった自販機でスポーツドリンクを買っていつでも水分補給出来るようにして、まだそこまで腹も減ってなかったからブラブラと公園に行ったり駅前までの道をわざと遠回りしてみていつもなら15分ぐらいで着く道をその倍の時間をかけてみたりして、それからコンビニで適当にパンを買って外で食べた。
夏休みということもあってかまだ9時を過ぎたぐらいにも関わらず、行き交う人は結構多い。
平日の朝よりは少ないけれど。
見る限り俺と同じように学生が多いように感じた。
この間俺らが海に行ったように着いたらすぐに泳げるように既に水着をきている俺と同い年ぐらいの数人が笑い合っているグループや夏故に肌の露出の多い中学生ぐらいの女の子が足早に駅へと歩いているのをぼんやりと眺める、すでにパンは食べ終わった。
これからどうするか。
そう思いながら携帯電話を確認するのを辞められない。
伊藤とのメールはずっと続いてる。
あっちも退屈なのかメールを返せばすぐ返ってくるが繰り返しになってる。
今明確に何かしたいと思うのが伊藤とのメールだけ、だ。
(……今だって、昨日伊藤とここで話していたときはもっと時間が早く感じたのにな、と思ってしまう。)
正確に言うと今だけじゃなくて、ずっと続いてる。
バイトに行けば伊藤に会える当たり前の日と違って今日から数日とはいえ会えないんだ。
そう思うと何だか、胸に穴が開いたような空虚感に襲われる。
『いつ帰ってくる?』
謎の空虚感に襲われて思ったことをすぐに聞いてしまう、女々しいと自己嫌悪に陥る間もなくすぐに返信が着た。
『出来る限り早く帰ってくるつもりだけど、たぶん15の昼ぐらいになるな。』
今日を除いて4日後帰ってくるということになる。
単純計算をして、ずんと気が落ちて行くのを感じる。
4日、あと4日間、かぁ……そんなに会えないの、いやだな。
そうは思っても簡単には帰れるような距離でもないし我儘を言って困らせたいというわけじゃないから、何も言えなくて当たり障りのない返事しか出来なかった。
謎の空虚感は酷くなる一方で、この感覚は何なのかもやもやしながらバイトしている最中ゴンさんにたった今『寂しいね』と言われてようやくこの空虚感が『寂しい』という感情なのだと納得した。
確かに昨日伊藤自ら今日からしばらくいないことが嫌だなと率直に思ったけれど、寂しいっていうのがどういうものなのか知らなかった、こんなに虚しくなるものなんだって初めて知った。
左心房がズキズキと痛んで無意識に左手で擦ってしまったのをゴンさんはどんな表情で見ていたのか俺には分からない。

「……そういえばぁ、透ちゃんの家ってエアコン無いんだっけ?」
「あ、はい。扇風機はありますけど。」
突然そんなことを聞かれてなんだろうかと内心首を傾げながらも肯定する。
「扇風機だけって正直きつくなぁい?」
「……キツい、です。」
今日だって朝暑くて起きたぐらいだったし汗が不愉快でシャワー浴びてきたのだ。
扇風機では無理がある、正直生ぬるい風に鬱陶しささえ感じる。
ゴンさんの店も忙しい時は暑くて仕方ないけれど、冷房は効いているし休憩時間とかお客さんがいないときとかはかなり快適だ。
……仕事を終えてまかない食べたらまたあの閉め切って暑いあの家に帰らないといけないことを考えると気が重いな。
今から家に帰るのが憂鬱になっていく俺に
「あらぁ!それならすずめちゃんの部屋借りたらどうかしらん?」
「……はい?」
耳を疑うような提案をされて困惑する俺に天晴と言わんばかりの笑顔をゴンさんは向けていた。



「ふむ、そういう理由で今ゴンさんのところにいるんだな。」
「だから今日伊藤の部屋から出てきたんだ、なんか変な感じがする。」
昨日のことを鷲尾に話しながらコーラを一口飲んでから出来る限り大きく口を開けてハンバーガーを頬張る、気を付けて食べたけれど後ろから挟んである具材が出てきてしまいどうしても苦戦を強いられてしまう。こういうのの上手い食べ方ってないものだろうか。
「結構大きいな、それ。」
「ハンバーグ2枚とベーコンとレタスとトマトが入ってるからな。」
「……よく食べるな。」
俺からすると鷲尾の白身魚のフライバーガーは物足りない気がするけれど、まぁどれくらいで満足するかとかどんなものを食べたくなるのか人それぞれだろうと心の中だけでそう呟いてハンバーガーの向きを変えてはみ出たほうを齧りついた。

今鷲尾と2人で家や学校の最寄り駅よりもう少し栄えている離れた街へ遊びに来ている。
みんなで海に行った帰り道、電車で移動中鷲尾から俺と2人で遊びに行きたいと誘ってくれたことがあった。
具体的な日程とか場所とか全く決めていなかったが、昨日の夜鷲尾からいきなりですまないが12日の明日はどうだろうかとメールが来てそれを快諾した。
『とおるちゃんならすずめちゃんの部屋を自由に使っていいわよん!』
と戸惑う俺を半ば強引にバイトが終わったら4日分の着替えや歯ブラシを持ってまたここに来るよう言われ強引とはいえ約束したから言われた通り荷物をまとめて来ると伊藤の部屋を案内されて俺を置いて夜ご飯は20時からだからそれまで自由にしててちょうだい!と部屋から出て行ってしまい、部屋の主がいない部屋に1人取り残されて居心地が悪く、隅で体育座りしているときに鷲尾からそんなメールが来たのでありがたかった。
何となく、伊藤に部屋を借りていることを伝えにくくてそれを隠しているというのも後ろめたくてメールしてるだけで居心地の悪さがどんどん増していっていたから鷲尾からのメールは誤魔化す言い訳になった。勿論鷲尾と遊びに行くのを楽しみにしていたのは本心である。
すずめちゃんのお布団を使ってねと言われるがままに、敷布団の上に寝っ転がり夏用の薄手の毛布を身に包ませ冷房をかけて眠ったおかげで暑苦しくて途中で起きることもなく寝起きから汗で服が濡れることもなく快適だったが、腹の底がもぞもぞするような落ち着かなさはどうしても消えなかった。
(明日鷲尾と遊びに行くから寝ろ。何も気にせず眠ってしまえ。)
と昨日寝る前に何度自分に言い聞かせたのか覚えていない。
何とか遊びに行くからと強引に気にしないようにしながら眠りについて、今日もあまり意識しないよう意識しながら準備して鷲尾との待ち合わせ場所へと向かったのだ。
……伊藤の部屋に泊まるのがあと今日入れて3回あるという現実をどうするべきか、どう受け入れてどう処理するのかも考えないといけないことだが……。

「鷲尾が行きたい本屋ってどこにあるんだ?」

今俺の目の前にいるのは鷲尾でありこれから時間を共にするのも鷲尾である。
一旦伊藤のことは置いておくことにして、今この瞬間を楽しもう。違うこと考えたら鷲尾にも失礼だしな。
まだ何をするか決めていなかったけれどさっき飯を食べ終えたら本屋に行きたいと言っていたのでその話題を振ることにした。
「ああ……ここに行きたくて。」
「どこだ?」
鷲尾はハンバーガーを片手に携帯電話をカチカチと操作してここだと言われたが画面が小さくよく見えず鷲尾のほうに身を乗り出す、と
「っ」
何故か距離を近づけた分、驚いたように遠ざけられてしまった。
「?ああ、悪い。汗臭かったか?」
家を出る前にも消臭スプレーをかけたし、さっきもウェットシートで汗を拭いたけれど……臭うだろうか?自分の着ているTシャツに鼻を寄せて嗅いでみた。……少し、臭いかも?
「っや、そういうわけではない、突然近くに一ノ瀬の顔が近くにあって驚いただけ、だ。」
「そうか?」
いきなり近づいた訳でもそこまで近い距離でも無かったと思ったけれど……まぁ、驚かせてしまったのは申し訳なかったな。
それにしても冷房が効いている店内で食べているのに何故鷲尾の顔は赤いのだろうか、そんな熱いものを食べている訳でもないのに。
いつもと違って挙動不審になる鷲尾に首を傾げる俺、鷲尾は冷静になろうとしてか飲み物を飲もうとカップを手を取った。

あ、そのカップ。

「鷲尾、それ俺のコーラ。」
「ブハッ!?」

そう指摘する頃にはすでに遅く鷲尾は苦手である炭酸を飲んでしまい、吹き出してしまった。
むせて苦しかったのかかわいそうになるほど顔をさらに赤くして咳き込んでいる。
ポケットティッシュを渡しつつ口直しに、と今度こそ鷲尾自らが頼んだコーヒーを手渡した。
(もう少し飲み物の距離を離すべきだったな、悪いことをした。)
吹き出して咳き込んでいる理由が誤って俺の苦手である炭酸飲料の代表格と言っても過言ではないコーラを飲んでしまったこと以外にもあるとは考えもつかなかった俺はただそう反省するだけだった。
(一ノ瀬の、一ノ瀬の飲んでたやつ、さっき口つけてた、炭酸で口内痛い、気管に入って痛い、けど、一ノ瀬の飲んでたやつに僕が口を……?あ、ああああああ!口内痛いのに、勿体ない!て、なぜ僕はそんな発想になる!気持ち悪い!!)
まさか鷲尾の脳内が色々な要因でパニクっていたことには気づくことは出来なかった。



鷲尾が落ち着くのを待って呼吸が安定して出来るようになってもう歩いて問題ないと判断して席から立ち上がり店を後にし、本屋へ向かった。
直射日光にアスファルトの照り返しが相まってせっかく冷めていた身体はすぐに熱を持った。
暑さのあまりつい無言になりそうだったけれど何とか会話する。
隣を歩く鷲尾も茹だるような暑さにうんざりした表情を浮かべてる。
「いつもどんな本を読んでいるんだ?」
「……辞書ばかりだ。物語があるのは教科書ぐらいなものだ。
今までそう言った本を読む時間があるなら勉強していたから。」
「そうか、そういえば俺もここに来る前はそうだったな……。」
俺も伊藤に勧められるまで物語性のあるものは本はおろか漫画だって読んだことが無くて鷲尾に言ったとおり俺もそうだった。
時間さえあれば机に向かって勉強をしていた記憶がある。
本から学べることがあると神丘学園にいたとき国語の先生がそう言っていたことをふと思い出す。当時は良く分からなかったけれど今は何となく分かる気がした。
「何を買うつもりなんだ?」
「『君に伝えたい』という名の漫画本だ。」
「……叶野に何か言われたか?」
「何故分かった?」
(やっぱり……。)
『君に伝えたい』というのはタイトル通り恋愛もので原作は少女漫画だ、俺も読んだことないけれど秋ぐらいに実写映画化されるらしく昨日テレビを見ていてそれのCMが流れる度にゴンさんが大はしゃぎで思いっきり肩を叩かれてジンジンと痛んだのを思い出す。ちなみに今も少し痛かったりする。
「この間叶野とメールしててこの漫画の話になったがタイトルも知らんと返信したら……これ知らないとかまじでヤバいって言われて腹立ったから買いに行こうと思ってな。」
「そうか……。」
こう言うとあれかもしれないけれど、鷲尾が漫画しかも恋愛ものを買うとは想像出来なかったが理由を聞くと納得する。相変わらず叶野は鷲尾に容赦が無い。
「内容は知ってるのか?」
「知らん。一ノ瀬は知ってるのか?」
「俺も読んだ訳じゃないけれど恋愛ものっていうのは聞くかな。」
「ふむ……今までの僕が知ろうとしなかった未知の領域だな。」
(あ、やっぱりそうなのか。)
予想通りの鷲尾に何となくホッとする。
……叶野ではないけれど、鷲尾がこれを読んだときの反応が気になった。
いや、俺も恋色沙汰とは無縁の生活を送ってきて前も今の学校も男子校でバイト先も伊藤とゴンさんだけだが。
女の子と接する機会はあと数年は無いだろうし、それに現状自分のことで精一杯でありそういうのを気にする余裕もない。
……でも、クラスメイトの沼倉とかの反応を見る限り恋愛とか彼女の有無を気にするのが健全なのだろう。
もし、記憶のこととかが解決したら俺も気になるのだろうか?あまり想像出来ないな……。
今のところはこうして友だちと遊んでいる時間の方が有意義だと思う。
「……一ノ瀬は、本当に今まで誰かと付き合ったりしたことが無いのか?」
「本当だ。俺も鷲尾みたいに時間さえあればずっと勉強してたし、男子校だし俺にはまだ恋愛沙汰に興味を持つところまで行ってない。」
もしかして疑われているのだろうか。
今までもクラスメイトに良く問われることだが、その度否定する。
前は全寮制の男子校今は自宅から通学だが結局男子校だ、そもそも出会いがないしクラスメイトのように関心もないことを伝えた。
そのことを伝えれば大体納得してくれていたけれど鷲尾は納得行っていないようだ。
「神丘は全寮制の男子校でしかも山奥で閉鎖的な空間だ、そのなかではそういったことに発展することはないのか?一ノ瀬に興味を持つ奴も多いんじゃないか?」
それはあれか、男同士の恋愛の有無を聞かれている、という解釈で良いのだろうか。
鷲尾から珍しく好奇心を感じて聞きたいことをちゃんと答えてあげたいのは山々だったのだが……。
「……周囲ではもしかしたらそういうこともあったかもしれないけれど、前の学校にいたときは今みたいに気軽に話せるような友だちはいなかったから、分からない。
それに俺に興味を持っているような人はいなかったよ、勉強教えてくれと言われるぐらいで。」
鷲尾の期待に沿うことが出来なくて申し訳ないが、俺自身周囲に心を閉ざしていた時期で本当のところ何も話そうとせず表情を出さない俺のことをあのときのクラスメイトや担任教師がどう感じていたのか分からない。
ちゃんと声をかけられたのは勉強のことぐらい(何故か保健体育という随分ピンポイントだったけれど、それも九十九さんに言われた通りに断ってしまったが)で、それ以外は義務的なやり取りだけだった。
「そんなものか。」
「少なくとも俺の認識では。鷲尾はどうだったんだ?中学は共学……だったか?」
前に中学は進学校というのは聞いていたけれど、共学かどうかまで聞いていなかったことに気付いて聞いてみると「そうだが。」と頷かれてホッとして遠慮なく
「鷲尾だって背もあるし頭が良くて少し目つき悪いけれど顔も良いし、普通に好意を抱かれそうだけど、そういうことは無かったのか?」
「……一度だけまぁ、告白というものを1学年下の女子にされたことはあるが。」
「おぉ。」
なんだ、あるんじゃないか。
告白をされたことのない俺より断然豊富と言って良いんじゃないか。
そう思ったが
「そんなことに気を取られている余裕などない、と断った。」
鷲尾の続く言葉に少し浮ついた気持ちがズンと下がる。
「……まぁ、そうか。」
きっとそう言われた女の子はさぞ傷ついたんだろうけれど、鷲尾の過去の話を聞いているから俺から全面的に責めることも出来ない。
1番にならないといけないとかそういうのは俺にはちょっと分からないけれど、でもそれが当時の鷲尾にとって自分自身を父親に認めてもらうためにやってきたことだから否定したりなんてできない、かな。
父親、か。
伊藤の話を聞く限り俺の父親も母親も俺のことを大事にしてくれていたとは聞くけれど、どうだったんだろうか。
鷲尾のようにプレッシャーをかけられたりしたんだろうか。
「でも、今俺の恋愛事情を気にしたってことは鷲尾は気になるようになった、ことか?」
「……そう、なるのだろうか。」
「へぇ……俺より先に進んでるな。」
考え込み自信の無さそうな鷲尾だが、誰かの恋愛が気になっているということはきっとそういうことなんだろう。
事情の違いはあるけど、何となく『恋愛』というものが上級者向けに見えて雲の上の出来事のように感じる俺にとって気になっているという地点ですでに俺より鷲尾のほうがずっと先に向かっているように見える。
「誰か気になる人とかいるのか?」
俺にとって本当に軽い気持ちで疑問に思ったことを口に出しただけだった。
鷲尾がこんなに興味を持っているのだから、そういった意味で気になる人が出来たということなのかもしれない。
もしいるとしたら男だらけの環境で誰に好意を抱いたんだろう、塾の子とかだろうか?
内心少しワクワクしながらもいつもどおりに聞いたつもりだった。
『普通の男子高校生らしい』会話をしていることに少し気分が高揚していた。
だから

「っいない!」

思わぬ強い口調で否定され驚いてしまった。
鷲尾の発した声は予想以上に大きくて俺だけではなく、通行人も驚かせてしまってジロジロと見られてしまう。
「鷲尾?」
目が合った人に軽く会釈して様子を伺うようにそっと声をかけると、ハッと自分が大きな声を出してしまったことに気が付いてバツが悪いようで俺から視線を逸してしまった。
「っすま、ない。」
「いや、俺も悪かった。言いたくなかったら言わなくて構わないから。」
決して無理に聞き出したくてそう言ったわけでもないが、答えを強制しているように感じさせてしまったのかもしれない。
鷲尾が誰か気になった人がいたのか本当にいないのか俺には分からないけれど、誰かに言いたくないのであればこれ以上聞くべきではないだろう。
「あ、本屋に着いた。」
「……ああ。」
あからさまに話を逸してしまったけれど、本当に目当てだった本屋に着いたのでとにかくこの話題をこの場で終わらせたかった。鷲尾も異論はないようで流されてくれた。
少し気まずい空気のなか、冷房の効いた本屋のなかへと入った。

「あれ?あいつって……?」

鷲尾が大きな声を出したので周りにいたほとんどの人がこちらを振り返り、怪訝な表情をしながらも本屋へと消えていった高校生二人組を追いかける気はなく驚いたねーと声をかけたりそのまま俺らの存在を忘れた人たちのなか、唯一1人だけ俺らのほうを首を傾げながらじっと見つめ立ち尽くす誰かがいた。
その誰かは顎に手をやり少し迷ったあと俺らを追いかけるように軽い足取りで本屋の中へと入っていった。
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