3章『やらない善意よりやる偽善。』

叶野は何故かゴンさんとずっと話しているし隣にいるのに口を割らない伊藤に突如走り出した理由を聞こうとするのを諦めてゴールのほうをチラッと見た。
その後携帯電話を見れば、俺たちがゴールしてから15分ほど経っている。
吉田たちがそろそろ戻ってくるか、そう思い折りたたみ式の携帯電話をパチリと閉める。
「っ……の、!!……!!」
「う……せ!」
「……、……。」
と同時に、遠くから大きな声が聞こえてくる。
聞き覚えのある声、だがこんな険しい声を上げるのを聞いたことがなくて違う人か、と一瞬思ったが俺たちと伊藤たちのすぐ吉田たち3人が並んでいたので、間違いないんだろう。
不穏な空気を感じて俺は声が近づいてくるゴールを凝視する。
そして、ゴール地点から出てきたのは

「お前には関係ねえって言ってんだろ!」
「関係なくない!おれだって聞く権利ぐらいあるでしょ!?」
「お前ら落ち着け、みんな驚いている。」

外れてほしかった予想の通り、荒々しく言い争う声とそれを宥める声。
他の客は騒がしいのを迷惑そうに遠目で見ながら巻き込まれたくないと言わんばかりにそそくさと移動してしまった、残ったのは3人の関係者である俺たち。
ちゃんと他の2人の表情は見ていないからわからないが、きっと俺と同じように驚いていた表情を浮かべているだろう。
言い争っていたのは湖越と……吉田だった。
表情豊かでコロコロ変わるけれどいつも朗らかに笑っていて明るくこっちを元気にしようとしてくれる力強いものを感じていた。だけど今は眉を逆ハの字に上げ小柄で身長も体格も圧倒的な差があるのに、それに臆することもなく大きな目をギョロッと睨みあげて大きく口を開け湖越に食って掛かる。
周りの見えていない湖越と吉田に、鷲尾は辺りを見回しながら冷静に指摘する。
言い争う声は湖越と吉田のもので宥める声は鷲尾だった。
いつから言い争っていたのかわからないが、鷲尾の表情に疲労が見え隠れしており結構な時間2人はこうなっていたのが分かった。

「鷲尾は黙ってろ!!」
「かっちゃんごめん、もうちょっと。」

制止しようとする鷲尾に苛立ちを隠すこと無く怒鳴る湖越と鷲尾には何とか冷静に対応しながらもその表情は怒りのものに近い。
2人の態度に鷲尾は隠すこと無く思いっきりため息を吐いた。

「……さっきもそう言われてずっと黙ってた、騒がしい五月蝿いと思いながらそうしてほしいのなら、と叶野たちが出発してから不穏な空気を醸し出し肝試しが始まってすぐ言い争いが始まってから僕はずっと我慢していた。
だが、お前らの言い争いは止むことなく堂々巡り。
これ以上この場での言い争いは何も生み出さない、非生産的だ。
言い争いたいのなら2人でどこかでやるなり時間を置くなりしてからやってくれ。
僕らを巻き込むんじゃない。
ここはお前らが騒ぐためのところではない。周りの人間の迷惑も考えろ。
他の人間の気分を害してもいいと言い切れるほどお前らのその不毛な言い争いはなにか益になるのか?
祭りに参加している他の客にもスタッフにも迷惑をかけていい道理はどこにあるんだ?」

言い争いは肝試しスタートしたところから始まり、伊藤たちが肝試しに出発する前からすでに不穏だったと。
その間、鷲尾は一緒に行動をともにしたのか。
眉を寄せ肩を組み、じとりと湖越と吉田を見ながらイライラしているのか我慢の限界だったのかとかく不愉快であり迷惑だと空気でも言葉でも正論に伝えてくる。
よほど苛立っていたようだ。
結構長く、いやかなり長い時間待ってくれていたな……。
この言い争いとともにずっと一緒にいないといけないのは結構きついとおもう。

「……チッ」
「……ごめんなさい。」

鷲尾の正しい怒りと正論にようやく冷静になったのか、2人を辺りを見る。
シンとして空気のなか、俺らに見られていることに気づいて湖越は未だ怒りは冷めやらないようだったけれど吉田は素直に頭を下げて謝った。
……やっぱり、納得はいっていないようだったが。
それにしても2人は何を言い争っていたんだろうか。
あれだけ激しく、普段は冷静な湖越と感情変化は激しくともそれは他の人を攻撃したりするような人間はない吉田が言い争うぐらいだ、よっぽどのことがあったんじゃないか?
いつもとは違う2人に首を傾げる。
「あー……とりあえず、もう花火も始まっちゃうし移動しよっか!」
2人は静かになったが変な空気になってしまった、それから抜け出そうと叶野が明るく声をかけたのを合図に移動を開始する。
重たい空気感、少し息苦しいけれど花火自体は楽しみだ。
無理矢理思考を切り替えようとしているところで

「あれ、のぶちゃんは?」
「……梶井なら急用が出来たって。」

吉田が梶井の姿が見当たらないことに気が付き、俺に問いかけてくる。
なかなかのぶちゃん=梶井の方程式が出来上がらず少し間が出来てしまうが、伊藤たちと同じ返答を繰り出す。
俺に言い訳のストックがないのは事実だが、まぁ無難な回答だと自分では思っていた。
特に伊藤たちも気にした様子は無かったから。そう思っていた。

「そっかー残念!」
と残念そうにしながらもいつもどおり元気に吉田が返してくれたから、これで大丈夫だと安心してた。

「は?」

冷めた声が聞こえた。
先程鷲尾が正論で言い争いを強制終了させ叶野が妙な重たい空気を払拭しようとしたのが、かき回されたかのようだった。
冷めた声によってまたジンジン、と肌がひりつくような不穏な空気。
声が聞こえたほうを振り向くとこちらをギロリと睨む湖越と目が合った。
怖い。
その目を見て率直にそう思った。
ギラギラとした強い怒りを感じる目が、あのときの桐渓さんのことを思い出してしまった。
ほんの少しだけ、誰にも気づかれないぐらいに身体が震えた。
ライオンを握る手が強くなってしまったけれどそれに気遣える余裕は無かった。

「なんで引き止めなかったんだよ!」
「……梶井が先に帰ると言っていたんだ、俺に引き止める権利はないから。」

先に帰る、そう言われる前に梶井と呪い人形のはなしへの感じ方について話していたし、きっと吉田が強引に連れてきたんだろうと予想がついたため、これ以上付き合わせてしまうのもと思ったし梶井が帰りたいと言うのならそれを引き止めることはできないだろう。
そもそも、引き止める選択肢すら無かった。
だからなんで引き止めなかったのか、と問い詰められることになろうとは思いつきもしなかった。伊藤たちは普通の態度だったから余計に……しかも梶井となにか関係がありながら接触を避けようとしている湖越が怒っているのか、睨まれ今にも殴りかかってきそうな空気に怯えるより先に疑問が勝っていた。

「どいつもこいつもっ……!」
「……湖越のほうが避けているだろ。」

疑問が勝っていたがゆえか、何故か怒っている湖越に事実を言ってしまった。
少し、梶井と話していて、俺の方を見るその目が不安気で居場所がどこにあるか分からない子どものようだったから放っておけない気持ちになっていたせいだろうか……。
梶井がああやって、盾と剣を作り出した理由に湖越が入っているんじゃないかって、そう思ってしまったからつい責めるような口調になってしまった。
後から考えて湖越の言い分を聞いてもいないのにそうして決めつけてしまった自分に後悔したけれど、このときは少し感情的になってしまった。
それが良くなかった。
責めるような口調になってしまった俺に、湖越は傷ついたように眉をハの字にさせたが、すぐに吐き捨てるように
「うるせえよ!俺のことなんか知らねえくせにっ!てめえだって、」
指を差し、なにか言い出しそうで一瞬どうするか迷うようにその目を泳がしたが
「てめえだって伊藤のことも忘れているくせに!何食わねえ顔して、伊藤のとなりにいる一ノ瀬の気がしれねえよ!!
それで親友?ハッ、随分都合の良い親友がいるんだな?!」
「……、」
湖越の言葉は自分のなかの痛いところをえぐってきた。
ズキ、と胸が鋭利なもので刺されたように痛んだ。
……言い返せない、ところだ。
今の俺も伊藤のことを大事な友人……親友と思っている、伊藤のとなりにいることが嬉しいと思う。
だけど、今俺がこうしてそばにいられるのは……他でもない伊藤が俺にここにいていいんだよと言ってくれたから。
もちろん伊藤に対して俺は罪悪感を感じていないわけでもなければ後ろめたさもないわけじゃない。伊藤の許しがなければ、俺はここにいられない。
事情を説明した上で俺らのことを客観的に見れば、俺は確かに何食わない顔して伊藤のとなりにいるように見えてしまうんだろう。
俺の内心なんて、誰にも言っていないから伝わっていないだろう。
俺は……この点は加害者だと思ってる。
なんで親友のあんなに良いヤツの伊藤のことを覚えていないんだろう、一人でいるとき、寝る前に何度そう思ったのかわからない。
……何も言えない、言い返す言葉なんてない。
皆も湖越の指摘に何も言えない、俺の本心は分からないのだから。
沈黙が重くのしかかっていく、と予想したのだが

「ちっげーよ。」

あっさりと否定の言葉を湖越に投げかけた。
驚いた湖越は俺のほうを見た。……正確には、俺のとなりの伊藤を驚愕の表情で見ていた。
となりの伊藤に視線を移動させると真剣な表情で湖越をまっすぐに見据える姿だった。

「俺が透にとなりにいてほしかっただけだ。
記憶があってもなくても関係ねえよ、透は透って言うのは見ただけで分かったんだし。
あと、透が何も感じていないわけねえよ。あんだけ……いや、なんでもねえ。」
「何故顔を赤くしてるんだ、ちゃんと言うなら最後まで言え。」
「うるせーよ!」

あんだけ、と何かいいそうになったが伊藤は自分の口を手で覆い被せ首を振った。
途中で無理矢理区切ったせいか、鷲尾が気になって遠くからそう言われて伊藤は顔を赤くしたまま鷲尾を睨んだ。
……多分、あれだ。
伊藤と会った次の日、俺が罪悪感に苛まれて泣いて、俺に生きてほしいと言われて伊藤を抱きしめて抱きしめ返されたときのことを言おうとしたんだと思う。
自分の身体を強く抱きしめられたあの力強い感覚を思い出してカッと身体が熱くなる。
しかも今も嬉しいこと言ってくれたものだから、顔がにやけそうになる。
なんか自分のなかがめちゃくちゃになってる。
熱くなった顔を冷やすべく、うちわで顔を扇いだ。

「あー……とにかく、湖越から見て俺が都合の良い親友だったとしても、俺は透が罪悪感を覚えているのも薄々察してるし事情があるんだし責める気になれないし、このままの透も透で大事な存在に昔から変わりはない。
だから……透を貶すようなことは言わないでくれよ。な?」
「……。」

伊藤に諭され湖越は押し黙る。
再びシン、となる空気を殺すようにパン!大きな音が聞こえて一斉に音の鳴る方へ向いた。

「はい!おはなしの一段落もついたかしらん?あと20分ぐらいで花火始まるわヨン?ほら、あの階段を登ったところから見る花火は絶景なの!せっかくだし行って来なさいな!」

あの大きな音は黄色地に大きくピンクと白の花が描かれた派手な浴衣を着たゴンさんが手を叩いた音だった。
俺らの不穏な空気にしばらく静観し、落ち着いた頃を見計らってくれたんだろう。

「あ、ほんとだ!早く行こう!ほら、誠一郎も……」
「……俺、帰るわ。」

叶野が携帯電話を見て、急かす。
落ち込んだ湖越を気遣ってか名前を呼ぶが、湖越はすっと俺らのほうへ向かってくる。

「……一ノ瀬、あと伊藤も……悪かった。」

俺らのことを見ること無く、すれ違いざまにそう小さな声で謝罪された。
湖越の方を振り返るが、こちらを振り向くこと無くそのまま歩いていってしまった。
……俺よりも大きくて広いはずの背中は、前に感じたときとおなじように小さく見えてしまった。

「あー……ごめん!おれも帰ります!彼を引っかき回しっちゃったのはおれが原因だし……今度ちゃんとせつめいするね。ばいばい。」

一連を見ていた吉田は、こうなってしまった責任感からかいつもより陰りのある作ったような笑顔でこちらが何を言われているのか理解する前に軽快に小走りにこちらへと向かってくる。

「いっち。だますようになっちゃって、ごめんね。」

一回立ち止まって俺に耳を寄せてそう小声で謝罪された。
……だますよう、に?
聞き返そうとしたけれど、吉田の背はすでに小さくなっていた。
吉田の背中が湖越を追い越すところまでじっと見続けていた。
……吉田にはまた補修がある日に会えるから、その謝られたわけをしっかり聞いてみよう。
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