3章『やらない善意よりやる偽善。』


そこにあったのは黄色い物体……じゃなくて、ライオンのぬいぐるみだった。仔犬ほどの大きさで四足で綿が詰められていてちょっとふにゃふにゃしているように見える。

あくまで景品であって商品とかではないから試しに触れたりはできないけれどたてがみも身体もふわふわしていて今の時期だと肌に張り付いて暑そうだなとか人通りの多い中男子高校生が持っている姿はどう映るのだろうかとか荷物になりそうだなとか色々考えてみたけど、このライオンの目は何故か店で売っているような目のパーツが縫い付けているだけではなくその周りに半月型に切られた白い布が縫われていてまるで三白眼みたいになっていて、目の上には黒い糸で作られたキリッとつり上がった眉まであって。
そこまで認識したかと思えばいつのまにか俺は青い輪を投げていた。あのライオンの近くにある突起に向かって。だって目が合っちゃったんだ。あの誰かを連想させるライオンと。

「……、」

輪投げはおろか、こういったゲーム全般をやったことのなく運もない俺に残された輪っかは1個になってしまった。もちろんライオンは取れていない。情けなくてため息を吐こうとした、
「うし!取れた!!」
突然隣から大きな声が聞こえて驚いて肩が跳ねた。隣を見れば粘りに粘って漸く輪っかを突起に入れることに成功した湖越がガッツポーズしていた。
「おお、おめでとう!はい、腕時計!」
「あざす!」
「……おめでとう。」
「おう!ありがとな!」
ずっと粘っていた湖越に店の人も応援モードに入っていたのか純粋に祝福していたから俺も言ってみれば良い笑顔でお礼を言われる、湖越の全力の笑顔を見たのは初めてかもしれない。店の人に渡された箱に入っている腕時計を宝物のように抱いて上機嫌になった湖越だったが、周りの生暖かい視線に気づいて咳払いをして冷静を振る舞う。
「あ、あー俺は希望たちと合流しようと思ってるんだが、」
「……すぐ行くから、先に行っていいよ。」
「そうか、じゃああいつらにも伝えとく。ちなみに何がほしいんだ?」
「……あれ。」
指をさしてどれを狙っているのか教えると「へぇ何か意外だなぁ」と何も勘繰られることなく俺がただぬいぐるみを取ろうとしている事実だけに感想を述べてくれて何となくありがたい。……叶野も多分聞きはしないだろうが、何か察したかのような空気があるから少し居心地悪い。決してきらいじゃないし良いところだと思うが、ただ俺が勝手に居心地悪い気持ちになるだけだ。
「んじゃまた後でな。」
「ああ。」
湖越に軽く手を振って見送ってまたぬいぐるみと対峙すれば目が合う。
別に、取れなかったところでは死ぬことではないし湖越みたいに何度でもやればいい。誰かにあげたいとか絶対に取らないといけないとかそういう強制はないけれど……なんとなくこれで取れないと行けない気がしてついついシミュレーションに力が入って時間ばかりが経過する。

「まだやってんのか?」

一体どのくらいが時間が過ぎていて叶野たちと別れて何分経ったとか何も気にしていなかった、そのため声をかけられるまで考え込んでいた自分に気づく。あまりに時間を食っているのを呆れてか伊藤の声はどこか脱力しているような気がする。……一気に申し訳なく思った。

「……あと、一回。」
「随分と悩んでたって湖越から聞いたぞ?何がほしいんだよ。」

どこからかぎこちない空気が流れている気がする。やっぱり今日の伊藤は少しいつもと違う。
いつもよりも口数が少なくて今もこちらを見ない伊藤だが口調はいつも通りだから、いつもどおりにそう言われているだけだってわかっている、のだが……。

「……ごめん、もういいや。行こうか。」
「え」

今日だけは『いつまで待たしてるんだよ』と怒られているような気がした。さっきまで考え込んでどのぐらいの距離感なのか投げる力はこのぐらいって何回も頭の中で考えていたのが嘘のように一言謝ってあと一個になった黄色の輪っかを置いてスッと立ち上がる。
湖越から聞いた割にはあまりに潔くもういいと言われたから伊藤が驚いた声を出した。
……ごめん、伊藤はいつも通りに話しただけで俺の感じ方が少しすれ違った。いつもどおりに話してくれたのに勝手に傷ついた自分を隠したくてそのまま店から離れようとする。
「いや、待てよ!別に平気だろ、あと一回なんだろ?」
「でも叶野たちも待たせちゃってるから。」
「一回分ぐらい大丈夫だろ、どれが欲しいんだよ?」
「いやもう、」
いいから。少し強めにそう言いそうになる自分に気づいた。
伊藤は一回ぐらいやればいいと言ってくれているのに怒りっぽく言ってしまいそうになる、空気が悪くなってしまうとは思うが、俺がもういいって伝えているのに引き下がる伊藤に苛立ちも覚えてそのまま口が滑りそうになる。

「ありゃ?もういいのかい?あのライオンのぬいぐるみだけを睨むように見て1回1回丁寧に輪っかを投げていたじゃないか、せっかくあと1回出来るんだしやっちゃいなよ!」

口論になりそうな俺らを見かねてかまだ出来るのに勿体ないと言葉通りに思っているのかは分からないが輪投げ屋の店主が声をかけてきた。予期せぬ人からいきなり先程までの自分を説明されて止める間もなかった。その場の時間が止まった気がした。
「っ」
思わず顔を隠した。全然伊藤に欲しいものが何なのか教えたくなくてさっさと切り上げた訳ではないが、ぬいぐるみを欲しがっていることを知られてみると恥ずかしくなった。いたたまれない気持ちになっている俺にお構いなしに

「……ぬいぐるみ?」
「ほらあのちょっと奥のヤツだよ、まだ1回分も終わっていないのにすごい集中して考えながら投げていたからよっぽどほしいものなんだね!」

伊藤が聞返せば親切な店主はどのぬいぐるみなのか余計な情報を添えて教えている。やめろください。
叶うのなら土下座してお願いしたい。
身長もある男子高校生が態々ぬいぐるみを欲しがるのを名も知らない店主が同級生の親友に教えられているこの状況がいたたまれない。正直ダッシュで家に帰りたい。

「あれでいいのか?」

態々俺に確認を取る伊藤も伊藤である。
あれでいいんじゃないあれが良いんだよ、と内心逆ギレしながら頷いた。
俺が肯定したのを確認すると伊藤は俺が置いた黄色の輪っかを持ったかと思えばすぐに軽くスイっと投げた。
勝手に投げられた、と思う前に投げられた輪っかを反射的に目で追いかける。
俺が投げたように無駄に回転せず空気抵抗があるにも関わらずブレが生じることもなく、まるで計算されたかのように綺麗に輪っかの穴は突起を通った。

「おお、おめでとう!兄ちゃんすごいねえ!なかなかやるね!」
「あざす。」

店主は驚きながらも嬉しそうにしながら景品のぬいぐるみを鷲掴みして伊藤に渡した。

「ほらよ。」
「……。」

渡されたぬいぐるみを俺に差し出してくる。
目の前にあの欲しかった目付きの悪いライオンのぬいぐるみ。
……結局俺の力ではなく伊藤が取ってきた、ぬいぐるみ。
あれだけ綿密に計算して力加減を考えていた俺を抜いてあっさりと一発で取られて、取った伊藤自身は折角取れたというのに何の表情に変化はなくさも取れて当然といった顔をされている。
目の前にあのぬいぐるみがあるのは嬉しい、嬉しいが……なんかちょっと腑に落ちない。
不貞腐れたい気持ちにもなった。
「……いらない、のか?」
いつまでもぬいぐるみを凝視して受け取らない俺に恐る恐ると首を傾げ聞いてくる伊藤。
少し不安そうで、余計なことをしたか、と今にも悩み出しそうな雰囲気だった。
「いる。……取ってくれてありがとう。」
差し出されたぬいぐるみを今にもしまいそうな雰囲気を阻止してそっと受け取ってお礼を伝えた。
本当は自分で取りたかったし俺がぬいぐるみを狙っていたことを結構な大きな声で言われたものだからいつの間にかそれなりの人数が周りにいたせいで視線が痛いし……最後の一回で格好良くなんでもない顔して伊藤が取るから何か少し顔を合わせにくいし。
それでも、欲しかったものが手に入ったことと伊藤は俺のことを想って取ってくれたわけで。
周りに見られる羞恥と伊籐に一応これでも男としての威厳に敗北感を仕舞い込んでても受け取ってお礼を言いたかった、から。
ちゃんと力は軽く、でもしっかりとぬいぐるみを握りしめた。
俺の反応に伊藤はさっきまでのしょぼくれていた雰囲気を一変させて笑顔で「どういたしまして」と返した。……いつも通りの伊藤に安堵したのは内緒。
そこで俺らの会話を先程の湖越に向けた視線とよく似た生暖かく見守っていた店主のおじさんが何かに気がついたように声をかける。なんとなく嫌な予感がしたので警戒する。

「あ、そういやそのぬいぐるみ、そこのお友達のお兄さんにちょっと……」
「よし、叶野たちも待ってるから行こうか。な?
長居して失礼しました、それでは。」
「ちょっ……おいっ、とおる。」

案の定また余計なことを言い出しそうな雰囲気を察し、伊藤を有無を言わさず引っ張ってその場を後にした。
このライオンが伊藤に似ているなんて言わせてたまるか。俺がまたしても恥ずかしくなるだけだ。
後ろから突然引っ張られたからか慌てて俺の名前を呼ぶ声が聞こえるが今だけはスルーした、とりあえずこの場から離れることを最優先に考えていた……ものだから、吉田との計画をこの瞬間だけは忘れていたのだ。

「あ、いっちー!それにすずたんも!奇遇だね!!」
「っ吉田、か?」

何故かゴネる伊藤を無理矢理引っ張っていると大きな声であまり呼ばれない、一人しか呼ばれないニックネームで俺と伊藤は呼ばれて同時に振り返る。
「すずたん呼ぶ、な……?」
前と同じように特徴的なニックネーム(呼び続ける気力と精神力があるのは吉田ただ一人)を否定しようとして伊藤は元気に手を振って駆け寄ってくる浴衣姿の吉田の後ろにいる人物に中途半端に言葉を切って驚いている。ちなみに俺もこの瞬間だけは計画のことを忘れていたので吉田に呼ばれたとき驚いたのは演技でもなんでもなく素だった。……だけど、俺も驚いた。

吉田の後ろにいた人物は梶井だった。
伊藤にも誰にも吉田たちと合流すると言っていないからそれは当然だが、俺も本当に吉田が梶井を連れてくるとは心の底では出来ないと思っていたから。

「……どーも。」

大人しく吉田に連れられているのが意外と感じ、ついつい不躾に視線を向けるとしかめっ面の梶井とバチッと目が合う。俺の視線にうざったそうに眉を顰めて、下唇を上唇で舐めるように噛んで、一言。
どう見たって歓迎されてはいない。何なら伊藤だけでも妙な空気が流れているように感じた。

「ふたりがいるってことはのぞみんたちもいるのかな?そんならいっしょにまわりましょ〜!」

そんな空気などどこ吹く風と気づいていないのか気づいた上で無視しているのか判断は付かなったが、兎角強引に一緒に祭りをまわることになった。
かなり、荒業な気もするけれど……。

「そういえばなんで2人仲良くお手手つないでるのん?」

……吉田に突っ込まれて恐る恐る良く馴染んでる手のひらの感覚。その正体を探りたくないけれどちゃんと見た。
そこにはしっかりと伊藤の手を握っている己の手が俺の視界に焼き付いた、伊藤は頬を赤らめている。俺はすべてを認識した。ずっと伊藤の手を握って引っ張っていた。さっき伊藤はそれを指摘しようとして名前を呼んでいたのであろうと言うことも。
……最早何も言えない。手を放して力なく俯いた。

(ヒラメになりたい……。)

冷静じゃない頭でもなぜそんな変なことを考えているんだと思ったが、何故かそんなフレーズが思い浮かんだのだから仕方ない。
熱くなった頬を冷ますのに時間が掛かった。
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