3章『やらない善意よりやる偽善。』

8月10日、現在の時刻は18時少し前。
叶野たちとの待ち合わせの時刻は18時だったので少し早めに来たけれど、すでに3人ともの姿が見えた。
伊藤とともにみんなのところへ近づくと、周りのことをよく見ている叶野がすぐさま俺たちに気がついた。

「お、2人とも甚平なんだね!!いいねー似合ってるよー!」
俺らのしている格好について早速感想をくれた。
現在俺と伊藤は甚平を身に纏っている、初めて着たけれど意外と動きやすくて俺は結構好きだと思う。ちなみに俺は紺色で伊藤は緑色だ、ゴンさんが持っているとはちょっと予想外な少し渋めで落ち着く色合いをしている。
伊藤の甚平は無地なのだが……何故か俺の甚平は大きく花が描かれている。
女性もの、ではないよな?
そこはゴンさんも何も言ってくれなかったし、伊藤も叶野も似合っているとは言ってくれたけれど柄についてはノーツッコミだし……変ではないのだろう。そう納得することにした。

「ああ、ゴンさんが着せてくれてな。」
「……急に呼び出さたかと思ったら急に脱がされて驚いた。」
「サプライズと人の驚いた顔が好きだから、説明を省くくせがあるんだよな……。
善意からだからこっちも怒れねえし……。」
「へぇ!いいな〜俺らも何か着てくれば良かったね!」
「いや俺はいい……。」
「もー誠一郎ってばノリが悪いなー。わっしーだって浴衣で来てくれたんだから来年は俺らも何かしらしようぜ!」

気乗りしない湖越に対し遠慮なくバシバシと肩を叩いている叶野は来年確実に着ていくんだろうと予想できた、多分湖越も巻き込まれるだろう。
そして叶野が言ったとおり今まで無言を貫いている鷲尾の格好は濃い紫色の矢絣柄の浴衣を黄色の帯で留められている。

「……今日友だちと祭りに行くと言ったら、張り切った母に着せられたんだ。いつの間に用意していたのかも分からん。
決して僕自身が張り切った、とかそういうのではないからな。断じて。」

目を逸らしながら珍しく歯切れ悪くそういう鷲尾。
多分、自分だけちゃんとした浴衣なのが恥ずかしくなったんだと思う。
叶野たちはいつも通りラフな私服で俺らも和装に入るとは言え浴衣に比べれればゆったりしてる。あと周りの祭りへ参加するであろう人たちを見ても男性で浴衣姿は結構少人数に感じるからそれもあるかもしれない。……格好とかは相談して見たほうが良かっただろうか、俺もゴンさんに着替えさせられる寸前まで私服で行くつもりだったしな。

「……でも、似合ってるよな。」
「うんうん!わっしーは甚平より浴衣のほうがイメージに合うしね!」

俺の感想に叶野もうんうん頷いている。
鷲尾への俺や叶野の感想は決して慰めではなくて本心からのことだ。
元々鷲尾の姿勢はピッシリと真っ直ぐでしっかりと前を向いて胸を張っている。
身長もあって染めたことのないであろう黒い髪と意志の強い黒い目、いつも堂々として雰囲気もあるし、鷲尾の浴衣姿は迫力がありかなり似合ってると思う。
「……そ、うか。」
俺らの言葉に安堵と照れが混じったような表情を浮かべた。
「来年は一ノ瀬くんも浴衣着てみれば?似合いそう!」
「んー……考えておく。」
叶野の提案により来年の祭りのときの格好の選択肢が増えた、来年どうするか今から悩ましいところだ。

「……そろそろ行かね?」
携帯電話で時間を確認した伊藤が声をかける。
「肝試しって19時半からだったよな?……まぁ肝試し行かなくてもいいならもう少しここにいても」
「行きましょう!」
「くそっ……。」
肝試しから何とか逃れたい湖越だったが叶野の元気の良い返事によって打ち消され、苦虫を噛んだような顔をした。
「?伊藤も肝試し行きたくない組だったのだからこのまま何も言わなければ良かったのに。」
「……そう、だな。」
肝試しをしてもしなくても良い鷲尾は伊藤に首を傾げる。
あんなに怖がっていたのを自らすすんで行こうとするなんて。
……本当は、合流する前から様子がおかしいんだ。
ゴンさんに呼び出されて店に向かうと既に伊藤がいたのだが、なんと言うか……素っ気ない。
完璧に無視される訳ではないし、会話もしてくれる。だけど距離を感じる。
まず目が合わない、今だって俺に目を向けることもなく隣に来ずどんどん先に行ってしまう。ゴンさんの店からみんなのところに向かう最中もいつもより会話が少なくて俺から目を合わせようとしても伊藤の眼はどこか違うところへ行っていて。

「……。」
「大丈夫か?」
「……うん。」

心配そうにこちらの様子を伺う鷲尾にはそう答えたけれど正直あまり大丈夫ではなかった。
先頭を歩く伊藤に叶野と湖越、鷲尾と俺が二列になって続いて歩く。
こちらを見ずに歩く伊藤の背が大きく感じて不安に思う。
これから吉田たちと合流するのに俺が不安に感じていたら支障を来しそうで、鷲尾と話すのに集中する。今度鷲尾と2人で遊ぼうと約束したことについて、まだ日程も決まっていなかったことを思い出したのだ。
今年の夏は県外に住む祖父母のところに行くのは父親だけで鷲尾は行かないのでいつでも良いと言うので、明後日とかはどうかと話し合っている俺らに誰かが視線を向けていたことに気が付かなかった。


「よっしゃ!着いた着いた!」
「へー結構賑わってるな。」

叶野は目を輝かせてキョロキョロとあたりを見回す。
早速ゴンさんから貰った無料引換券を使う気満々である。

「とりあえず1時間はこのまま回れそうだな。」

時間を確認して鷲尾がそう声をかける。
肝試しが始まるのが19時半で少し早めに集まれたのでまだ18時半にもなっていない。
夏の時期の日暮れは遅くまだ明るいがすでにそれなりに人がいた。神社までの道の隅の方に空いているスペースにぎっしりと屋台がある。
結構賑わっている印象。

「なに食べよっかな〜!こういうところの焼きそばって異常に美味しいんだよ!」
「そうなのか。」
「この間海で食べるのと同じぐらいね!俺は早速買いに行って参るー!」
「……僕も行ってくる。」

叶野の力説に心が動いたようで一緒に駆け出していくのを鷲尾もついて行った。
それを見送って俺も近くの屋台には何があるのか遠目から見てみる。
今までテレビ越しでしか見てこなかった祭りの風景。
テレビで映るのは色鮮やかで大きな花火と人だかりの混雑具合。
画面越しで見ているだけでは分からないことって沢山ある、海に行ったときから分かっていたが改めて知る。
食べ物の匂いとか、海のときとはまた違った賑やかさとか子どもの笑い声とか。
行かないと分からなかった。
初めての祭りの雰囲気にあたりを見渡す。……フランクフルト屋はあってもアメリカンドック屋というものは無いみたいだ。
どういうことか昨日から無性に食べたい。やっぱりさっきコンビニに寄らせてもらったほうが良かっただろうか、いやでも祭り前に食べるのもな……。

「お、輪投げだ。懐かしいな。」

祭りが終わってそれでも食べたかったら帰りどこかのコンビニに寄ろう。
ここに来る前にもコンビニもあったしと考えながら湖越の言葉に反応して視線の先に目を向ける。

「お、あんちゃんたちもよかったらやってきなよ!5回で200万円ね!!」
「200万……。」

俺らの視線に気がついた愛想の良い頬やお腹に少し肉付きの良いおじさんに声をかけられたが、なんだかとんでもない値段の提示に戸惑う。

「……一ノ瀬、200円のことだからな。」
「そうなのか?」
「親父ギャグってやつ?はい、200万円。」
「まいど〜!」

湖越に釣られて俺も百円玉2枚を渡し交換でプラスチック製の色とりどりで同じ大きさの輪っかを5個手渡される。
記憶喪失で輪投げをやったことのない俺でもどうやってどのようにして遊ぶのかはさすがに分かった。
プラスチック製のこの輪を投げて木で作られたっぽい突起のなかに入れる、至ってシンプルなゲームだ。突起の近くに景品と思しきぬいぐるみや最新のゲームソフトなど色々置いてある、近くの突起に入れれば手に入る仕組みだろうと予想できる。
「あ、輪投げするの?懐かしいな〜。」
「おうおかえり。」
ソースの良い匂いをさせながら戻ってきた叶野。その隣で鷲尾も俺たちの様子を窺っている。……伊藤は、なぜか少し離れたところにいる、すごく遠いわけではないが気軽に話しかけにくい距離。鬱々とした気持ちのままに改めて物色する。どれをとろうと狙おうか迷う。
「あーくそ、全然だめだっ」
「力入れ過ぎだったな、もう少し力を抜いたほうがいいと思うぞ。」
湖越はさっさと投げきってしまって残念がっているのを投げているところを見ていた鷲尾がアドバイスしている。湖越は「もう一度!」とまた店の人に200万円払っていた。
「あはは誠一郎負けず嫌いだからねー一ノ瀬くんは何狙うの?」
「まだ決めていない……。」
「そっか、まぁ誠一郎はああなると長いからさ。ゆっくり決めなよ〜。あ、俺ちょっと端の方で焼きそば食べてるね!鷲尾くんも行きましょ〜。伊藤くんも連れてくね!」
「……わかった。」
「ああ、そうだな。」
焦る時間でもないと優柔不断に何を取ろうとするのかも決めていない俺に急かすことなくとりあえず焼きそばを食べようと鷲尾を呼んで屋台が列になって並んでいるところから少し外れた方へと移動していくのを見送った。……離れたところにいた伊藤にも一言二言声をかけてこっちのことを見ずに叶野たちについていくのも、見送った。
「くそ、もう一回!」
「いやぁ〜惜しいねえ!」
未だに取れず悔しがっている湖越の隣で俺もそろそろ真剣にどれを取るか決めようと思う。
目についたものを順番に見ていく。
最新ゲーム機やソフトはあまり興味はないし、アニメのフィギュアやパズルなどもあったけれど心が惹かれるほどのものはない。
どうしようか。
もういっそ適当に取れそうなものを取ろうかな、と思い始めたころ完全にノーマークだったぬいぐるみにふと視線を向ける。
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