3章『やらない善意よりやる偽善。』


「お久しぶりです、透様。」
「……久しぶりです、九十九さん。」

車内という密閉空間でつい緊張してしまって知らず知らずに肩に力が入ってしまう。
12時半ごろ駅前に迎えに来ると言われたので待っていたが、待っていたのはたった数分にも関わらず汗が止まらなくて困った。
事前に言われた通りの車が来たので暑さのあまり即乗り込んでしまった。可能な限り布面積のすくない服、と思って着てきた袖のないパーカーの首元をバサバサと上下に振って冷気を取り込もうとする。
「……誰かに変なこと、されたりしてませんよね?
先生だったりクラスメイトだったり……バイト先の方だったり……。」
「?いいえ。」
突然そんなことを聞かれて、首を傾げながらも否定する。
九十九さんの言う『変なこと』が何のことかいまいちわからないけれど、前にも中学に上がって寮生活になる際には
『保険体育の勉強を一緒にやろうとか補習しようとかそういった誘いを受けたときはいかなる場合でも断ること、変に身体を触ってくるような輩がいたら即私に言ってください。』
とそういえば言われていたからきっと似たようなことだろう、前の学校のときは確かに保険体育の勉強を一緒にやらないかと誘われたことはあったけれど九十九さんの言うとおり断ったし、今の学校では数学などを教えることはあっても保健体育限定で学ぼうとするような人はいなかったし、変に身体を触ってくるようなやつだって……あ、そういえば一回だけ伊藤と叶野に触れられたな。
まぁあれ以降無いし、きっと『変に触ってくる』に当てはまるのは小学生のとき良く家にいた親戚……だったのだろうか?よく知らない男に妙にニヤつきながら触れられたときはぞわぞわ鳥肌が立つほど嫌だったから、きっとこれが九十九さんの言う『変なこと』なんだと認識する。
それなら、叶野と伊藤にくすぐられたり伊藤に触れられたりのは『変なこと』には入らないだろう。
くすぐられるのは嫌ではあるが鳥肌が立つほどではなかったし、伊藤に触れられるのは……そもそも嫌じゃない、し。
「そうですか、それなら良いです。……ちなみに、雄哉様はちゃんと透様の保護責任をとっておりますか?」
「……。」
ホッとしたように見えたけれどすぐさままた質問される。
雄哉さん……桐渓さんの下の名前。
聞かれて引っ越してきてから昨日までのことを思い返してみたが、保護責任……というのはどういうことかはわからないけれど、漫画とかドラマとかでよく見る保護者のことが世間一般の普通でありそれが保護責任とすると……桐渓さんは保護責任を取っていないこととなる。
「……彼も相変わらずのようですね。」
「……」
なにも言わない俺に察してしまったようでため息を吐きつつそう言った。
「そろそろ着きます。
詳しいことは店で聞かせてくださいませ。」
そういえばどこに行くのか何も聞かされないでこのまま運ばれていたことに気付く。
車に付けられているカーナビにある時計を確認すると時刻は1時を少し過ぎたあたり。
昼食をともに、と言われてきたので朝軽くパンを食べたぐらいでそのまま何も食べていないのでお腹は空いている。
……アメリカンドッグ、はさすがにないよなぁ。今無性に食べたいんだが……待ち合わせより少し早めに行ってコンビニで買って食べてから行けばよかったなとこっそりと後悔する。



車が止まり、降りるよう言われそのとおりに降りると、ヨーロッパ風の大きな建物がすぐに目に付いた。
金持ちが好きそうな……というか金持ちしか来れないであろうホテルだ、見ただけで分かる。そもそも車に乗った状態で重厚な門が開き何も戸惑いもなく九十九さんが発進しているのを見た地点で察するべきだったかもしれない。
他に止められている車を見ても、この辺では見ないような大きくて高そうな車ばかりだし、暑さで判断つかなかったが九十九さんが運転していた車だって、きっと良い車だ。そういえば席は前に五十嵐先生が乗せてくれた車の椅子よりも随分と柔らかかく体重分沈んだ。

「……。」
「お待たせしました、さあ行きましょうか。」
「あの、俺、場違い過ぎませんか……。」
「気にしなくて大丈夫ですよ、この時間帯は私達だけしかいないよう手配しましたし、食事も個室です。誰の目も気にしなくても大丈夫ですから。」
「……。」

それもあるけれど、それだけではないのだが……。
自分の住んでいたところが普通から見てかなり外れているところにいたのだと今更ながら自覚する。
……無事に九十九さんとの食事を終わらせることができるのだろうか。
いつまでも動かない俺に九十九さんは首を傾げている。

(あ、伊藤に会いたい。)

同じ価値観で同じところにいようとしてくれる伊藤が一気に恋しくなったけれど、少しでもその伊藤とちゃんと向き合うために、まずは九十九さんと向き合うのだと決めたんだ。
きっとそれが『自分』を知るためのモノになるから。

決意を新たに、一歩九十九さんのほうへと近づいた。
24/58ページ
スキ